9 意外な一面 <2>
それから数時間、あたし達はルーフィンのあとを追いながら、辺りを見回していた。
目に映るものは全て、誰一人として足を踏み入れてない場所だと認識させる。コケの生えた木々も、腐敗した枯れ葉が混じった土も、生い茂った草や、所々 見せる荒い岩も、全て自然のままだった。どこを見ても、人工的なものは何一つ見当たらない。
時折、姿を現す小動物がいたが、それらも野生のもので、ある一定の距離まで近づけば、警戒して すぐに逃げていった。それは、人に接していない証拠でもあり、近くに人がいないという事でもあるだろう。
そんな中で、唯一、違うものを感じるとすれば、例の視線だけだった。しかし、姿は見えない。見る力が不十分な為、見ようとしているけど見えないのか、それとも心のどこかで見えないで欲しいと願っているのか、それは自分でもよく分からなかった。けれど、例え今、妖精の姿が見えたとしても、ネオスと一緒にいる以上、喋るわけにもいかないのが現状だ。──ならば、このまま見えないほうがいいと思ってしまう。見えなければ、無意識のうちに話しかける心配もないからだ。
そう考えると、あたしは、できるだけ妖精のことを考えないようにした。
何の変化もない 〝自然〟 は、時間が経つにつれて、ちょっとした疑問を 確信にも近い気持ちに変えさせる。〝本当に、こんな森の中に彼女がいるのかな…?〟 という疑問から、〝いるわけない〟 という気持ちに、だ。それが、当然のことだと言えば当然の事だろうが、だからといって、この森を捜索しないわけにもいかない。
日が傾き始めて村に引き返す途中、あたしはネオスに提案した。
明日は、ルーフィンと二人でこの森を探す、と。
もちろん、即行で反対された。黒風に狙われているあたしを、一人で行かせるなんて…というのが、その理由なのだが、あたしとしては、絶対に、一人で行きたかった。なぜなら、あの視線が、間違いなく妖精のものだとしたら、彼女の存在を聞き出せるかも…と思ったからだ。それができるのは、ネオスでも、ラディでもイオータでもない。このあたししかいないのだ。
──とはいっても、そんなこと、まともに主張できるはずもなく…あたしは違う理由を言うしかなかった。そして、〝いるわけない〟 と思うような場所を探すのに、三人も必要ないんじゃないかと言うと、その考えには、同意する部分があったらしく、最終的には、みんなで、〝だれが行くのか〟 というのを、決めようという事になった。
一時間ほどして、空に月や星が現れ始める頃、あたしたちは、ジーネスの家の近くまで戻って来ていた。
「ネオス、あたしここで待ってるから…さ。イオータ、呼んできてくれるかな?」
「え…?」
そう言って立ち止まったあたしに、一瞬、わけが分からないといった顔をしたネオスだったが、あたしが指差した 〝ここ〟 を改めて見渡すと、なんとなく、察したようだった。
「──あ、ひょっとして、昨日もここで?」
「う…ん、まぁね」
「そっか…。もしよかったら、僕が付き合ってもいいけど…?」
「あ、ありがと。でも、それはムリよ。あいつじゃないと──」
と、そこまで言いかけて、ハッとした。
「あ…いや、その…ネオスだと、エラくなったらすぐ甘えちゃいそうだしさ…。あいつだったら、こう、なんて言うのかな…ムカつくことを言ってくるから、意地でも走り続けるっていうか…」
「…そっか…そうだね。ダイエットの為なら、それは大事なことかも」
「──でしょ? やっぱり、続けないと、ね…」
「うん。──それに、黒風に襲われる危険性を考えたら、イオータといるほうが安全だしね」
「え…やだ…あたしそんなつもりは──」
「分かってるよ。これは、あくまでも、僕 個人の意見だからさ」
そう言って、ネオスは 〝気にしないで〟 とばかりに、笑顔を向けた。
「ネオス…」
笑ってるけど、傷つけちゃったわよね…きっと?
戦術のことを隠す為とはいえ、あんな理由、ネオスならウソだって すぐに見抜くはずだもの。例え、本来の目的に気付かなくても、〝黒風から守れるのはイオータだけだ〟 というのが理由だと思うのは当然のことだろう…。
本当に、そんなつもりはなかったんだけどなぁ…。
「──だけど、大丈夫? 一旦、家に戻ってからイオータとここに来たほうが安全なんじゃないかな…?」
「あ…うん。大丈夫よ。そんな、一時間も二時間も一人でいるわけじゃないしさ。ルーフィンだっていてくれるもの」
「そう…?」
「うん、もちろん」
「う~ん…でもなぁ…」
たった数分でも、一人にするのが心配でしょうがないのか、ネオスは、一旦 家に戻る為の理由を考えている様子だった。
「あ、じゃぁ、こうしない? イオータが来た時、あたしが無事だったら、ルーフィンを帰すっていうの」
冗談交じりにそう言うと、ネオスは困ったように笑いながらも、〝分かったよ〟 と言って、イオータを呼びに行ってくれた。
心配してくれるのはありがたいけど、心配しすぎだわ、ネオス…。
『それが、彼の良い所でもありますけど…?』
ネオスの姿が見えなくなるや否や、足元のルーフィンが話しかけてきた。
「あ…ぁ、まぁね。でも、ほんの数分よ?」
『そうですけど、狙われている人にとっては、その数分が命取りになる場合が多いんです。それを知っていれば、ネオスじゃなくても、〝過ぎる〟 ほどの、心配をするのが当然だと思いますが…?』
「……ねぇ?」
『はい…?』
「ひょっとして、言う事 聞かなかったあたしを責めてる…?」
『いえ…別に、そういうわけでは…。ただ、ネオスの気持ちもよく分かるので…』
「それだけ?」
『はい』
「ほんとにぃ?」
『ええ』
「でも、ちょっとは責めてるでしょ?」
『…ルフェラ?』
「なに?」
『…くどいです』
「はは…。分かってるわよ。冗談だって」
その場に座り込んで、ルーフィンの頭をなでると、彼の溜め息が伝わってきた。
『でも、万が一、その数分の間に、襲われたらどうするつもりですか? 私は何も出来ませんよ?』
「あ…うん…まぁ、その時は、布でも被るわ」
『布?』
「そっ。イオータが持ってろって言った布。──これよ」
あたしはそう言うと、腰ひもで落ちないように抑えていた あの銀色の布をルーフィンの目の前に差し出した。
『これは…?』
「最初に黒風に襲われた時、イオータに被せられた布よ。あの時さ、追い払った時に使った短剣もこの布も、銀色の粉のようなもので光ってたのよね…」
『銀色の…?』
ルーフィンは、少々驚いたように繰り返した。
「あ、あれ? 言ってなかったっけ?」
『え、ええ。聞いていませんが…』
「あ…ごめん、そうなのよ。この布が、全体的に光ってて、黒風をはじいてたの。──これ、彼と一緒に旅をしてた人が残してくれた物なんだって」
『残して…くれた物…?』
「うん」
『本当に、そう言ったのですか?』
「う、うん」
『それはつまり──』
「亡くなったって事でしょうね」
当たり前のことを当たり前のように言ったのだが、ルーフィンは 〝まさか…〟 と呟いた。
「だって、〝絶対自分が守るって誓ったのに…。あの時、オレが、あんなケガさえしなければ…〟 って言ってたのよ。それって、やっぱり、守れなかった…つまり、亡くなったって事でしょ? ──やだ、どうしたのよ? そんなに驚いて…」
『あ…ぁ…いえ…。そんなはずは…と思ったので…』
「そんなはず…?」
意味不明な返答に、あたしはその言葉を繰り返した。
『あ…い、いえ。何でも、ないです。そんなことがあったのだという意味で…』
「ルーフィン?」
『──そ、それで…?』
「え…?」
『どうして、そんな大事なものをルフェラが…?』
いつものルーフィンの態度に戻っていたが、敢えて、そう努めているようにも見えた。これ以上、あたしからのツッコミができないように、わざと話をそらしたと言うか、先に進めたというか…そんな不自然さが感じられた。
──が、頑固なルーフィンが先に進めた以上、話を元に戻すことは不可能だろう。〝隠そう〟 としているなら、尚更のこと。
仕方なく、あたしも話を先に進めることにした。
「──話を聞く限り、やっぱり、特別な力が宿ってるみたいなのよ。あの銀色の粉のようなものが、そうらしいの。いろんなものから守ってくれるから、〝この件が終わるまで持ってろ〟 って、渡されちゃって…」
『そうでしたか』
「うん。どうやって身を守るかは分からないけど、被る以外には使い道がなさそうだし。ルーフィンがイオータを呼んでくるだけの間なら、なんとか、もちそうじゃない?」
『もちそう…って、また、随分と簡単に考えてますね…?』
「そう?」
『襲われる心配、ほとんどしてないでしょう、ルフェラ?』
「あは…バレた? だって、ここ数日、何にもなかったじゃない?」
『それはそうですけど…。だからって、今、この時が襲われないとは──』
「そうそう、銀色のものっていったらさぁ──」
『聞いて…いませんね…?』
「あいつ、月の光を借りたのよね」
『月の光…?』
「うん。こうやってさ…」
昨日の夜、イオータが月の光を借りたと言った時のように、その場で立ち上がると、あたしは腕を上げ、手の平を月に向けた。そして、グッと手を握り、今度は手の平の中のものを飛ばすように、息を吹きかけた。
──が、もちろん、何も起こらなければ、何も見えなかった。
「はは…当たり前よね。あたしの潜在する力も借りたなんて言ってたけど、そんな実感、まったくないし…」
『潜在する─』
と、言いかけた途端、言葉が途切れた。
「ル、ルーフィン…?」
咄嗟に下を向くが、ルーフィンは、既にあたしの足から離れていた。
「ルーフィン、どこに──」
〝どこに行くのよ?〟 と続けようとした時、彼の行く先には一人の男が立っていた。
ルーフィンが挨拶するように一旦こちらを振り向いたのち、再びジーネスの家のほうに歩き出すと、入れ替わるように、その男が歩を進めた。
「あっぶねーなぁ…」
「え…?」
「独り言が多いとは きーてたけど、ここまでとは…。かなりヤバイぜ、あんた?」
「イ…オータ!」
「ネオスが心配するのも分かるわ…マジで」
「なっ…」
「ま、そんなことはどーでもいいか。それにしても、そー、焦んなよ。じきに、自分の力も分かってくっから。オレが月の光を借りたこと、信じてんだろ?」
「…………」
「──じゃなけりゃ、マネなんかしねーよな?」
「い…いちいち、ムカつくわね…あんたの言い方って…」
「そうか?」
「そうよ!!」
「だって、おもしれーんだもん」
「なにが!?」
「…あんたの反応」
〝当たり前だろ?〟 という口調だった。
明らかに、バカにされてる…。
ぶちキレたい気持ちは山々だったが、そんなことを言われたら、抑えるしかないじゃないのよ…。
「──それで、今日の収穫はあったのか?」
今にも出てきそうな言葉を飲み込んで黙っていると、今度は まともな質問が投げかけられた。
「…ネオスから…聞かなかったの?」
「ああ。オレの顔見るなり、早く行ってくれ…って言うからよ。聞くヒマなんか なかったさ」
「あぁ…そう」
そう言われたら、そうよね。たった数分なのに、一人にするのを渋ってたもの…。
「──あたしのほうは、特に、何もなかったわよ。そっちは?」
「同じく、だな」
「そぅ…」
「それにしてもよ、やっぱ、人がいると疲れんなぁー。それとな~く、首筋 見なきゃなんねーんだぜ? しかも、見えねーと、会話もしなきゃんねーし…」
「まぁね…」
「でも、明日は森の中だから、気分的にラクだな…」
その言葉は、ほとんど独り言に近かった。
「あ…ねぇ…」
「なんだ?」
「明日…さ、もう一回、森に行ってみたいんだけど…」
「なに!?」
「だから、もう一回、森に─」
「なんで? 森の方がラクだからか?」
「失礼ね、あんたじゃないのよ!?」
「それはまた、失礼なヤツだな」
「なに言ってんのよ? さっき、自分でそう言ったんじゃない」
「まぁな。──で、なんでなんだ?」
「なんで…って…」
「気になることでもあったか?」
「え…べ、別に…そういう…わけでもない…けどさ…」
「ふ~ん…。まぁ、どうしてもっつーなら、代わってやってもいーけど──」
「ほんとに!?」
「ああ」
「じゃぁ、ネオスやラディを説得してくれる?」
「は…? なんで、そーなる?」
「だって、反対されたもの」
「誰に…?」
「だから、ネオスによ」
「──ラディは?」
「これから…だけど…。多分、絶対って言っていいほど、反対するから──」
「なんだそれ? 探す場所を交代するだけだろ? なんで、反対すんだよ?」
「だ、だから…それは…あたしがルーフィンと二人で森を探したいって言ったから──」
「はぁ!?」
言葉を交わすたび、イオータの表情が険しくなっていた。
「場所の交代だけじゃねーのか?」
「う…ん、まぁ…」
「おまっ…それはムリだろ!?」
ネオスと同様、即答だった。
「………や、やっぱり?」
「──ったりめーだ。あんた、狙われてんだぜ? それ分かってんのかよ!?」
「わ、分かってるわよ…」
「じゃぁ、なんでネオスと行動しねーんだよ? ──あ、ひょとして、ネオスと一緒なのがヤなのか?」
「そんなわけないでしょ! ラディやあんたより、全然いいわよ!!」
「おぉ!? こりゃ、また、グサッとくる言葉。──いやいや、そうじゃなくてぇ…。フツーは、一人で行動できねーもんだろ、狙われてたら」
「そ…ぅだけどさ。〝近いうちに〟 って言ってた割には、何にもなかったじゃない、ここ数日」
「だからってなぁ…」
「それに、ルーフィンだっているし──」
「ばぁ~か。狼一匹に、何ができるってんだ」
「そんなこと言ったら、ネオスだって同じじゃない。もともと、あんたしか出来ないことなんだからさ。だけど、呼びに行くことは出来るでしょ?」
「は…!?」
「万が一、襲われたら、あんたに貸してもらった この布を被るわよ。その間に、黒風に太刀打ちできるあんたを、ルーフィンに呼びに行ってもらう。それくらいはできるんじゃないかってことよ」
あまりにも、安全性に欠けた意見だと思ったのか──いや、実際、欠けてると、自分でも思うけど──イオータは 〝なに言ってんだ、こいつわ…〟 という思いを、あからさまに顔に出した。
「それにさ、今日一日歩いて、ネオスも思った事なんだけど…人がいる気配っていうか、状況があまりにもなさ過ぎるのよね…。あんたは、そう思わなかった?」
「あ…ぁ、まぁ…それはな──」
「──でしょ!? そんな場所に、三人も必要ないと思うのよね」
「そんなことが理由なら、別にあんたじゃなくてもいーんじゃねーの? オレや、ラディやネオスの誰かが、ルーフィンと行けばいーだけの話しだろ?」
「そ、それは…」
そう言われると、返す言葉もないんだけど…。
「まぁ…他に、それなりの理由があるなら別だけどな」
別の理由…か。
〝妖精と話しがしたいからよ〟 って言ったら、この男は信じるのだろうか?
──んな分けないよね? バカにされるのがオチだわ。それに、そんなこと言ったら、何も、あたしとルーフィンだけで行かなくてもいいわけだし…。
「お~い、きーてっかぁ?」
黙っていたあたしの目の前で、イオータはワザとらしく手を振った。
「き、聞いてるわよ…」
「ふん、ならいいけどよ。──で、あんのか、それなりの理由が?」
「え…?」
「吐いちまえよ?」
その口調は、あの時と同じだった。そう──
〝あんた、時間のムダって言われたことねーか?〟
──と、言った時と同じ…。
少なくとも、あたしが隠し事していることぐらい、見抜いてるだろう。
「ちょっとさ…確かめたいことがあるのよ」
「ほ~ぉ。何を?」
「それはちょっと…」
「言えねーってか?」
「う…ん」
「オレらが確かめるってーのは、ダメなのか?」
「……うん。これは、多分、あたしにしかできないことだと思うから…」
「ふ…ん」
そう言うと、イオータは黙ってしまった。
当然、〝あたしにしかできないこと〟 が何なのか、追求してくると思っていたのだが、しばらく何かを考えていたイオータは、諦めたように溜め息を付き、再び話し出した。
「まぁ…何があっても、絶対、自分とルーフィンとで行きたいてゆーんなら、しゃぁねーわな。オレやネオスが止められる立場じゃねーんだしよ」
「ほんとに…?」
「ああ。──けど、ラディは知らねーぜ?」
「え…どうしてよ? そこはあんたが説得してくれるんじゃないの?」
「何で、オレが?」
「だってさ、よく分かんないけど、あんたのこと、妙に気に入っちゃてるみたいだもの」
「だからって、オレが言って聞くかぁ?」
「そこはほら、あんたの腕の見せ所っていうかさ…。うま~く、丸め込んで──」
「おまえなぁ…。人を騙し屋みたいに言いやがって──」
「まぁまぁ、いいじゃないのよ。──という事で、よろしくね」
「お、おい──」
「さー、やるわよぉ~!!」
ほとんど有無を言わせぬ状態のまま、イオータが持ってきた木刀を引っ掴むと、あたしは、それを勢いよく振り上げた。
それから数十分間、あたし達は昨日と同じ光景と音の中で、気持ちいいぐらいの汗をかいた。
〝早ければ、明日…自分の力と、この光が何かしら関係してるってーのに気付くかもしんねーぜ?〟
練習が終わる頃、昨日のイオータの言葉が、ふと頭をよぎった。しかし、気付くどころか、何の変化も見られなかった為、あたしは、すぐに忘れてしまった。
ジーネスの家に戻り、明日のことを切り出すと、案の定、ラディは猛反対した。
一方、ネオスも最初は反対していたが、あたしの意志が変わらない事を悟ったのか、イオータの時と同様、〝そこまで言うのなら…〟 と、渋々ながらも承諾してくれた。
そして、長い時間話し合い、〝少しでも危険を感じたらすぐに戻ってくること。そして、充分すぎるぐらい気を付けること〟 というのを条件に、ラディも何とか納得してくれた。もちろん、イオータの説得が功を奏したのは言うまでもない。
しかし、この時の行動が、後にとんでもないことになろうとは、あたしは愚か、ここにいる者の誰もが、予想できなかったことだった…。