8 哀れな視線 <1>
探し物をしてる人って、他の人の目には、そんなに可哀相に映るものなのかしら…。
朝の会話を聞いてから、妙に人の目が気になっていたあたしは、切なくさえ感じる夕焼けを見ながら深い溜め息をついた。まるで、被害者にでもなった気分だ。
「これで、十四回目」
「え…?」
ふいに聞こえた声に、条件反射のごとく視線を移すと、あたしが取り除くはずだったクイの上の石を、ネオスが掴んだところだった。
今日の赤守球探しも、ラディがイオータと組むと言った為、あたしは昨日と同じく、ネオスと行動することになったのだ。
道に迷わないように…と考えた彼の方法を、今日は あたしが実行していた。
「十四回…って?」
いったい何の回数かが分からず、当たり前のように質問したのだが、ネオスから返ってきた答えに、あたしは 素直に驚いてしまった。
「溜め息だよ」
「…うそ」
「ほんと。しかも、僕が知る限りだけどね…」
それは つまり、最低でも…という意味だ。
「そんなにしてた…?」
その言葉に、ネオスがゆっくりと頷く。
ヤバッ…。さっきの深い溜め息しか、自覚症状がないわ…。無意識とはいえ、そんなについてたなんて…。そりゃ、気になる事があれば、考え事してるから、一つや二つの溜め息に気付かないのはあるだろうけど、最低でも十三回もついていたら、もっと早くに自覚してもいいはずだろう。それに気付かなかったという事は、あたしってば、かなりの重症だわ…。
しかも、そんなについてたら、いくら一緒にいるネオスだって話しかけられないわよね。いや、もしかして何回か話しかけてたのに、あたしが気付かなかっただけなのかも…。
「ひょっとして──」
何度も話しかけてたら…と思い、そう切り出したのだが、ネオスはその先の言葉を読んだように、首を横に振った。
「大丈夫。さっきのが一言目だから」
「そ、う…?」
「うん。それに、ちょうどいい時間だったからね」
そう言って、首からぶら下がっていた 〝想いの石〟 を揺らして見せた。
あたしが、マインドコントロールされたみたいに、被害者意識で滅入ってる間、ネオスはずっと、それに語りかけていたということか…。
なんか、全然ダメね、あたしって…。肝心なこと、すっかり忘れてる…。確か、ネオスが昨日 言ってたっけ? 〝僕たちがしてることに、たいして支障はないから〟 って…。なのに、思いっきり気にしちゃうなんて、自分の性格、つくづく嫌になるわ…。
被害者意識で滅入ってたあたしの気分は、自己嫌悪が加わり、さらに滅入る事となった。
「ルフェラ…どうかした?」
「え…? あ、ううん、なんでもない」
心配そうに覗き込むネオスに、あたしは出来るだけ笑顔を作った。
「──それより、どう? なにか反応はあった?」
「いや、何も…」
「そう…やっぱり、ただの石だったのかな?」
「う~ん、どうだろうね…?」
「正直、ネオスは信じる? 石が本当に想いを伝えてくれるっていう話」
「難しい質問だね…。もし、本当にそういう事が出来るのなら、本当に信じて語りかけないとダメだろけど…。〝女の一念 岩をも透す〟 っていう言葉があるぐらいだからね。このくらいの石だったら、本当に透しそうじゃない? 特にミュエリの想いは」
元気のないあたしを励まそうとしてるのか、ネオスは冗談っぽく そう答えた。
「そう、かもね…」
「うん。──それにさ、その話が本当かどうかっていうより、ミュエリの存在が分かるかもしれない…っていう、数少ない可能性には違いないからね」
あたしは、その言葉に頷くしかなかった。
その通りだったからだ。嘘か真か…今はそんなのどうでもいいことなんだ。信じるかどうかなんて、あたしたちに選択の余地はない。方法があれば、それを実行するだけのことだと、ネオスはそういう気持ちで語りかけてきたのだ。
「──でも、ひとつだけ引っかかってることがあるんだ…」
自信に満ちた声で、自分の考えを述べていたネオスの表情が、困ったように緩んだ。
「なに…?」
「本当に、自分でよかったのかな…ってね」
「…………?」
「つまり、ミュエリがイオータに語りかけてたらって、考えることもあるんだ」
「そ、れは…」
「あ…ゴメン。別に、ルフェラの考えを信じてないわけじゃ──」
「ううん、いいのよ、別に。そう考えるのも当然よね。でも──」
〝想いの石〟 を、ネオスとイオータのどっちが持てばいいか…と、ラディに問われ、脳みそをフル回転させて出した答えが、〝ネオス〟 だった。
その答えに、反論する理由がなかったから、ネオスも石を受け取ったのだ。けれど、この三日間、時間の許す限り語りかけたのに、何の反応も見られないと、〝ただの石〟 だと思う前に、〝相手が違うのか…?〟 と思ってしまっても、それは仕方がないことなのだ。
だけど、改めてもう一度考えてみても、やっぱり 〝イオータ〟 という気はしなかった。
「でも…?」
「うん…自分でもよく分からないんだけどね…やっぱり、ネオスだって思うのよ」
「…そっか」
「ごめん…無責任よね。誰もが納得する理由もなしに そう言うのって──」
もちろん、答えを出した時の理由はあったが、確かなものではない。ネオスで反応がなければ、イオータに…という方法も試した方がいいに決まってる。それでも敢えて、ネオスだと言うには、それなりの理由が必要なのだ。なのに、言っている本人が 〝よく分からない〟 って言うんだから、無責任以外のなにものでもないだろう。
だけど、やっぱりそこはネオスだった。責めるどころか、快く承諾してくれた。
「そんなことないよ。理由があるからって、必ずしも正しいとは限らないんだしさ」
「そう…かな?」
「うん。それにさ、ときには理由のない方が確かだったりするもんだよ」
「………?」
言ってる意味が、いまいち よく分からず、すぐには返事もできなかった。だって、理由がないよりは、あったほうが 確かなものに違いないからだ。
でも、ネオスの顔は何かを悟ってるように自信ありげだった。だから、深く考えることもなく、
「…そうね」
と、答えていた。
「──それで、言葉の代わりに出る 溜め息の原因は何かな?」
「え…?」
話の内容が一区切りして、ネオスが話を元に戻した。
「もしかして、今朝のこと?」
今日一日の成果が何もなかったという溜め息だと思わないのは、よほど、朝から──特に、あの話を聞いてから──あたしの様子がおかしかったからなのだろう。
心配性のネオスの事だ。おそらく、もっと早くに声を掛けたかったに違いない。だけど優先順位もあるから、我慢していたのだ。
〝支障はない〟 し、気にしなければそれで済むわけだから、これ以上心配させない為にも否定した方がいいかもしれない。
〝最初は気になってたけど、今は大丈夫。ただ、疲れたからよ〟 とでも言って…。
でも、今まで我慢してきたであろう、彼の気持ちを考えると、ここは素直に答えるべきだと、あたしの中の良心がそう判断した。たとえ、話した所で解決できることじゃなかったにしても、だ。
「なんか、ずっと気になっちゃってさ…」
苦笑うあたしを見ると、彼は、〝やっぱり…〟 というように小さな溜め息を漏らした。
あたしは また、さらに日の沈んだ夕暮れを見ながら、今朝の一連の話を思い返していた。
「なぁ…もうちょっとだけ休まねーかぁ?」
あたし達 四人だけになった部屋で、うつ伏せのまま顔だけをこちらに向けたラディが、吐く息に言葉を乗せるぐらいの小さな声で呟いた。おそらく、そのあとに会話が続かなければ、そのまま寝入ってしまうだろう。
今日は、昨日と違い、みんなと同じ時間に起きたのだ。──というより、起こしてもらった。
本来なら、昨日も同じ時間に起きて赤守球探しに出かけるはずだったのが、慣れない旅とトラブルで溜まった疲労は、なかなか目覚めさせてはくれず、気付けば 留守番役のシリカ以外、みんな仕事に出かけてしまっていたのだ。
限られた時間を一分たりとも無駄にしたくはなかったから、前の晩 みんなと同じ時間に起こしてもらうよう、ジーネスにお願いしていたのだ。もちろん、〝一分たりとも…〟 という思いにウソはないが、この疲労度からいって、自分で起きられるという自信は正直、皆無に等しかったからだ。
そして、朝になり起こしてもらったのだが、しばらくは布団の上に座り込んだままだ動けないでいた。ようやく、脳と体が目覚める頃には、朝食の準備も終わり、〝いただきます〟 の合図を待つだけになっていた。慌てて顔を洗い、席に着くと、これまた 昨日と同じように、ネオスとイオータとルーフィンが散歩から帰ってきたところで、更には、幾人もの子供達に引きずられて現れたのがラディだったのだ。
こんな状態で食事が出来るのかと、少々心配になったが、それこそ要らぬ心配だった。さすがラディというべきか、寝ぼけながらも箸を進めていたのだ。その姿を見て、今更ながら、空腹を満たす欲求のすごさに驚いていたのは、たぶん、あたしだけじゃなかったと思う。
初めてここに来た日の食事に比べ、朝というのもあるのだろうが、若干 落ち着いて食べることが出来た…ように思う。
ご飯を食べることで、次第に脳が起きだしてきたのか、寝ぼけていたラディも、徐々にいつものペースを取り戻していった。ところが、ちょうどいい頃合を過ぎて満腹になると、再び眠気が襲い始める。
──そして、今がその状態だった。
昨日の経過や、これからの事を話し合いたかった為、食後は別の部屋に移動したのだが、その部屋に入った途端、うつ伏せに倒れこんだのだ。
ラディの 〝ちょっとだけ…〟 という言葉に、とても惹かれはしたが、ここで休んでしまったら、昨日と同じか、もしくはそれ以上の時間を潰してしまう事ぐらい、考えなくても分かる事だった。
「ラディ、起きて。気持ちは十分すぎるくらい分かるけど、時間がないのよ」
本来なら、〝何言ってんのよ。そんな事 出来るわけないでしょ!〟 と、おでこの一発や二発、はたいているところだ。しかしながら、休みたいという気持ちは十分わかるし、何より、そんな言葉でひともんちゃく起こすくらいなら、その労力を赤守球探しにまわしたほうが、よっぽど賢明というものなのだ。そう考えると、あたしの言葉は、自然に お願い口調になっていた。
「ラディ──」
「あぁ~、分かったよぉ。分かったから、起こしてくれ、ルフェラぁ」
すでに目は閉じていたが、自分の意見が通らないことは百も承知しているのだろう。素直に…だけど、しぶしぶ、〝引っ張ってくれ〟 とばかりに、片方の手を差し出したので、あたしは、〝しょうがないなぁ〟 という風に、ひとつ溜め息をつくと、その手を引っ張り、座らせた。
あぐらをかいて座ったはいいが、目を開ける気配はない。背を丸め、思いっきり俯いている状態なのだ。そのうち、寝息を立て始めるかもしれないが、横になって寝られるよりは、まだマシってものだろう。なぜなら、船を漕げば漕ぐほど、熟睡はできないからだ。
あたしは、それ以上の要求を諦め、本題に入ることにした。
「それじゃぁ、昨日の事だけど──」
「ああ。──たぶん、シリカから聞いて知ってると思うけど、オレらの方はダメだったぜ」
時間短縮とばかりに、サラッと答えるイオータ。そして、更に続ける。
「そっちは?」
「うん…」
「──っつーか、聞くほうがムダだよな。見つけてたら、昨日の時点で大騒ぎだからよ」
一瞬、〝ウソが付けないから、隠そうとするな〟 という意味の 〝ムダ〟 かと思い、ムッとしたのだが、すぐに、そうじゃないと分かって苦笑した。それが返事だと思ったらしく、
「ま、そう簡単には見つからねーわな」
と、付け加えた。
「そーいや、あっちの方はどーなんだ?」
「あっち?」
「ああ。ネオスが持ってる石だよ。なんか、反応はあったのか?」
イオータの視線は、ネオスに注がれていた。もちろん、あたしも彼を見る。ネオスはあたし達の顔を交互に見つめると、困ったように無言で首を横に振った。
「…そっか。けどよ、本当に想いが通じるかどうかさえ、怪しいからな。そー、真剣に落ち込むなよ?」
「ああ…」
どこまでも信じないというか、他人事のように慰めるイオータの言葉に、ネオスはあたしと同じような苦笑いを返した。
そんな時、思いも寄らない声が聞こえてきた。
「…なぁ?」
──ラディだ。
てっきり、そのまま寝てしまったと思ってたから、素直に驚きの表情を向けたのだが、ラディはとても不思議そうな目であたしを見ていた。
「な、なに?」
「なんか、変だよな?」
「何が?」
赤守球は見つからなかったが、代わりに何か気になった事があったのかと思いきや、次の言葉を聞いた途端、興味をそそられた自分がバカだと悟った。
「お前の態度だよ。昨日から、な~んか違和感があったんだけどよ、それがなんなのか分かんなかったんだ。けど、よーやく分かったぜ」
「…何よ?」
半ばやけくその対応だ。けれど、そんな態度に気付くはずもなく、ラディは心の底から聞きたい質問を口にした。
「─なんで、そんなに素直なんだ?」
その理由を今 言えっていうのか、この男わ…。単に、疲れて反抗する気力もないというだけの理由を。
しかも、普段から素直になれと言ってるなら、それこそ素直に喜んでりゃいいのに…。
「なぁ、ルフェラ。何でなんだ?」
返す言葉もないほど情けなくなったあたしを見て、〝なぜだ〟 という質問の 〝答え〟 を急かした。
「…あたしもひとつ聞きたいわ、ラディ」
「なんだ?」
「どうして、今更 そんなことに気付くわけ?」
もちろん、〝今更〟 とは言ったものの、時間の問題ではない。昨日の夜に気付いたらよかったのかというと、そうではなく…つまり、一番 言いたいのは 〝そんなこと、気にするな〟 という事なのだ。
「だって、しゃーねーだろ。おかしーなぁ…とは思っても、オレだって、人一倍 動いて疲れてたんだからよ。いつもは冴えてるこの頭も、珍しく回んねーし。それに、お前の態度が妙に嬉しかったしなぁ──」
「そーいや、気付くって事で思い出したんだけどよ──」
重要度がまるでない、ラディの言い訳を聞いていて、ふとイオータが口を挟んだ。ラディとの会話を止めて欲しいと思っていたあたしは、その言葉に身を乗り出す。
「なに、なんかあるの?」
「ああ…。視線がなぁー」
そう言うと、ネオスのほうをチラリと見やった。彼と目が合ったネオスは、何かを思い出したように、小さく頷く。
「な、なんなのよ?」
ワケが分からず、焦ったあたしは、その先の説明を急かした。無論、イオータが説明するかと思ったのだが、彼の口は一向に開かなかったため、あたしの気持ちはイライラが募り始める…。
〝個人的に納得してないで、早く言いなさいよ!〟 と叫びそうになった時、静かに話し始めたのはネオスだった。
「村人の視線がおかしいんだ」
「え…?」
いったい、何の視線なのか見当もつかなかったが、〝村人の〟 という、それこそ、思ってもみない言葉を聞いて、イライラ感も一気に消失した。
それもそのはず。昨日、ずっと村人を見てたのに、そんなこと、これっぽっちも気付かなかったからだ。
「む…ら人って…?」
「僕達を見る、彼らの視線が違うんだよね」
「どういう事?」
「うん…。上手く言えないけど、同情されてるような目っていうのかな、どことなく哀れんでるようにも見えてさ。それに、僕達を見て、〝旅の人だね?〟 っていう言葉すら、かける人はいなかったんだよね」
そんな目で見られてたのか…と、今更ながら驚いたが、最後の言葉の意味が、いまいちよく分からなくて、次の言葉が出せないでいた。しかし、そんな空白の時間を、ラディが埋めた。
グチグチと文句をたれるだろうと思っていたが──もちろん、グチったところで、ムシするのだが──いつの間にやら、ラディ達の気付きに聞き入ってたらしいのだ。
「それって、アレじゃねーの? オレらが、旅をしてるってことを知らねーだけだろ?」
彼らしい、もっともな答えだった。だけど、そんな単純なことじゃないはずだ。
案の定、イオータがあとに続く。
「たとえ、旅をしてなくても、知らねー顔なんだぜ? 〝ここの村の人じゃないね〟 とか、〝どこから来た?〟 〝初めて見る顔だな〟 ぐらいのこと、ふつーはゆーだろ? 村人を、顔の代わりに声で覚えてるジーネスだって、ちょっと話しただけで気付いたんだからよ」
「あー、そーいや、そうだな」
声に出さないものの、ラディが納得するその隣で、あたしは心の中で大いに頷いていた。
そんな時、ふと、ある事を思い出した。
「ねぇ…そう言えばさ、どうしてジーネスは、あたし達が旅人だって分かったのかしら?」
言ったすぐ後で、質問の仕方を間違えたと思ったが、遅かった…。
「ルフェラぁー、どーしちまったんだよぉ。さっき、こいつが言ったじゃねーか、ジーネスは村人を顔で覚える代わりに声で覚えてるって──」
心底心配したようなラディの顔を見せられ、あたしは、最後まで言い終わらないうちに、訂正した。
「分かってるわよ。そうじゃなくて、あたし達が初めてなのよ、この村に来た旅人って。村の人を声で覚えてるにしてもよ、それこそ、初めての声の主なら、さっき、イオータが言ったような言葉を言うと思わない? なのに、最初から 旅人だって認めてたじゃない?」
〝どう考えても、おかしいでしょ?〟 と、同意を求めたが、三人の顔は、おかしいと思うだけの表情じゃなかった。
「どうしたのよ…?」
「それ…マジな話か? オレらが、最初の旅人だって!?」
「う、うん…。ジーネスがそう言ってたけど…」
一瞬 時間が止まったような感覚にさえ陥るような、この張り詰めた空気は、一体なに?
イオータの質問と同時に、ネオスやラディの視線が すごい重圧でのしかかってくる感じだ。
「旅人なんて、思ったより 結構いるぜ。なのに、なんでオレらが初めてなんだ?」
「さ、さぁ…。あたしもよくは知らないけど、隠された村だとか言ってたわよ」
「隠された村?」
「そう。分かりやすい道がないのか、それとも、ここに辿り着くまでの道が難しいからか、よく分からないけど、今までに他の村から来た人はいないって──」
「──ンな、バカな。リヴィアの村から、山ン中歩いただけじゃねーか。しかも、ほとんど一本道って言ってもいいぐらい分かりやすかったぜ?」
「そう、なのよね。だから、あたしも 〝来れないはずはない〟 って言おうと思ったんだけど、それ以上のことが聞けなかったのよ」
「なんでだ?」
「え…? あ…それは…」
〝あんたが、急にいなくなって、ラディが慌てふためいたように大声出したから、会話が途切れたのよ〟 と、声を大にして言いたかったが、それを言ったら、間違いなくケンカになりそうだったので、やめた。
「ちょっとタイミングがずれて…さ」
「……ふ~ん。けど、それがホントの話なら、尚更、村人の態度はおかしすぎるな」
「そ、う…?」
確かに、おかしいとは思うけど、空気が張り詰めるほど、おかしすぎるのだろうか?
あたしにしてみれば、おかしいことが重なって、ワケが分からない。何が重大なことなのかさえも、判断できなくなってきた。
「な~んか、隠してるよな?」
イオータのあとに、ラディが続き、彼の言葉に同意したネオスが、更に続く。
「初めてなのに、〝初めて〟 だと、誰も言わないんだからね」
「ああ。しかも、あの視線だ」
声を発するたび、あたしの視線が泳いだ。
これって…ひょっとして…ううん、ひょっとしなくても、ラディに負けてるのよね!?
そう思うや否や、少し前に消えた焦りが、強さを増して 湧いてきた。
ヤダ…かなりショックだわ……。
あたし一人、理解できてないなんて……。
ショックで青ざめていくあたしとは反対に、三人の会話は少しずつ色を帯びて進んでいく。
それが、また焦りに拍車をかけていた。
「まるで、暗黙の了解みたいだよなぁ?」
「ああ。──けどよ、何かを隠してるとしても、初めての奴 相手に、あそこまで合わせられるか?」
「ムリだよね。今まで、他の村からここに来た事がないって事は、仮定することさえできないんだから」
「ああ、そのとーりだな」
「じゃぁ、なんで あんな同じ反応ばっかできるんだよ?」
「さぁな…」
「…やっぱ、他の村から来てんじゃねーのか?」
「どういう事だ?」
「だからよ、どー考えてもおかしーだろ。オレら以外にこの村に来た奴がいねーなんて。ぜってー、あり得ねーよ」
「まぁ、そーゆー考えが妥当っちゃぁ、妥当だけどな──」
「うん…。でも、ラディの言う事、案外当たってるかも──」
「なに!?」
ラディの考えを否定しようとしたイオータの言葉を、ネオスが静かに肯定し始める。それに驚いたのはイオータよりラディの方だったかもしれない。
「黒風は南から現れて、南に消えていくって言ってたよね?」
「ああ」
「連れ去られた者が、死んだかどうかも分からないって聞かされてたし、黒風を呼び起こす赤守球を見つければ…って思ってたから、あまり深く考えなかったけど、いるんじゃないかな、ここに」
「…誰が?」
「だから、連れ去られた人だよ。黒風に連れ去られたってことは、少なくとも、黒風が消えた南に、連れて来られてるって考えるのが妥当だってこと──」
「おお!」
「そーいや、そうだよな!」
「──とゆーことは、あいつもこの村のどこかにいるってことか?」
あいつとは、もちろんミュエリのことだろう。
「うん。単純に考えればね。村人のあの視線が、連れ去られてきた人に対するものだとしたら、つじつまも合うよね」
「けどよ、連れ去られた者が、ここに暮らしてるようには見えねーけどなぁ…」
何かを思い出すように、眉を寄せ天井を見上げるラディ。
「と、いうと?」
「だってよ、美人が狙われてんだろ?」
「ああ」
「昨日 一日見てたけど、いなかったぜ。狙われたような、美人のねーちゃんなんか」
「さすが、ラディだな」
イオータに褒められ、まんざらでもない顔をするラディだが、〝さすが〟 の意味を履き違えてるなんて、思ってもみないだろう。
「だとすると、一体どこに…?」
「どっか、別の場所に閉じ込められてるってことになるんだろうな…」
「じゃぁ、あの変な視線はどーゆー意味なんだよ? どっかに閉じ込められてるなら、村人とは会わねーだろ?」
「ああ、そうだな。──かぁ~、なんか、ワケわかんなくなってきたぜ」
「あたしは、もっと前から分けわかんなかったわよ」
ショックで会話の中に入れなかったあたしが、やっとこさ声を出したものの、それは聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声だった。しかし、隣にいたネオスが気付き 〝大丈夫、あとで話すよ〟 と言ってくれたので、少し…いや、だいぶホッとすることができた。
けれど、このあとのラディの言葉で、その説明が必要なくなることになった。
「な、なぁ…?」
上目遣いで、言いにくそうに切り出す。
「なんだ?」
「オ、オレ…もうひとつ ヤな考えが浮かんだんだけどよ…」
「なんだよ?」
「ここじゃなかったら、どーするよ?」
「なんの事だ?」
「だから、その…赤守球のありかがここじゃなかったらって事だよ。──だってよ、南に消えてくって事だけだぜ、オレ達が知ってんのは。たまたま、南に歩いてこの村があったから、ごく自然にここだって思ってたけどよ、ホントは、もっと、南の方かもしれねーんじゃねーかって……」
ラディの仮定は、他の誰も考えてなかったことなのだろう。浮かんだその考えを聞いて、今までの会話が理解できなかったあたしでさえ、その意味が分かり、冷や汗が出るほどだった。
案の定、残りの二人も驚きの表情を隠せない。
「そーいや…シリカ言ってたよな、ネオスの首を見ながら 〝初めて見る…〟 って…。それって、つまり…ここに、赤守球が存在してないってことなのか…!?」
それまで、この村に違いないと思っていた根拠が、一瞬のうちに裏返り、半ばボー然と言い放ったイオータ。
〝シリカは見てない〟 と聞き、じゃぁ、他の誰かは見てるのかも…と思い、赤守球探しに出かけたのだが、実はその考え自体が間違ってたんじゃないかという可能性が導かれ、あたしたちは一気に振り出しに戻った気がして、力が抜けてしまった…。
今思えば、おかしな事だった。どう考えても、〝初めて見る…〟 と聞けば、〝存在しない〟 という考えに行きつくのが普通だ。けれど、なぜか あの時は三人が三人ともいい意味で受け取ってしまっていた。そうであって欲しいという希望が、マイナスの思考をシャットアウトしていたかのように…。
「どう…しよう…」
思わず呟く…。
「…こうなったら、聞くしかないね」
「誰に…?」
ネオスの意見に、みんなの視線が集まった。
「そうだな──」
「ジーネスは…?」
今度はあたしの意見だった。根拠は何もない。ただ、近くにいるからというだけだ。
他の三人も考えることは同じなのか、無言で頷く。それを確認したあたしは、早速、部屋を出て行き、大きな籠を用意していたジーネスに声をかけた。
あと 一分でも遅かったら、仕事に出かけてたに違いない。
いきなり部屋に呼ばれた彼女は、不思議な顔を見せていた。
「あ、あの…ちょっと聞いたいことがあるんだけど、いいかしら?」
「はい…?」
いったい何を聞かれるのか ドキドキしているジーネスの肩に手を掛け、あたしは、その場に座らせた。
なにから話せばいいか分からなかったけど、本当のことを教えてもらうには、やはり自分達も本当のことを話すべきだろう。
あたしは、リヴィアの村に来て、黒風のことを知ったことや、その黒風にミュエリがさらわれたこと、そしてミュエリを見つけるにあたって、手掛かりとなる赤守球を探していることを話した。もちろん、様々な疑問も並べてみたし、その中には、村人の視線の事も含まれていた。
話してみて、あたし達は赤守球がここにあるという事に確信を持った。なぜなら、赤守球の言葉を出した途端、彼女の表情が明らかに変わったからだ。
全てを話し終えても、ジーネスはすぐに喋ろうとしなかった。それでも、仲間を助け出したいという、あたし達の想いを汲み取ってか、深い溜め息をつくと、その重い口を開き始めた。
「黒風の存在は…知っています」
タブーな話をするかのような顔は、まるで、あたし達を責めてるようにも見えた。ある意味、ムリヤリ話をさせてるのだから、実際、そういう気持ちなのかもしれない。もちろん、申し訳ないとも思うが、こちらとしても時間がなく、何とかしたいという気持ちがあるから、〝話したくなければ…〟 とは、ウソでも言えなかった。
「もちろん、見たことはありませんけど…月に一度、この村にも現れます」
「じゃぁ、ここでも、誰かがさらわれたりするの?」
その黒風の発端が、この村かどうかを探る為、敢えて、反対の質問を投げかけてみる。
「いいえ。その反対です。……月に一度、黒風が人を連れてくるのです」
「……!!」
即座に、あたし達は 〝やっぱり!〟 というように顔を見合わせ頷いた。
「その…連れてこられた人が、今どこにいるか分かるかしら?」
「さ…ぁ…。どこかというのは分かりませんけど…私達と同じように生活しているのは確かです」
「えぇ…!?」
今度は 〝どういう事?〟 という思いで、見合ってしまった。
ラディが言ったような 〝さらわれたような美人のねーちゃん〟 がいないのは、記憶の中とはいえ、イオータやネオスも確認済みだ。
そのあとの沈黙が気になったのか、今度は彼女から質問が飛んできた。
「あ…の…。私が知っている黒風と、ルフェラさんが知っている黒風は、同じものなんでしょうか?」
「…どう…いう事かしら?」
「その…ルフェラさんが知っている黒風は、美人を狙うんですよね?」
「そうよ…?」
「ここに連れてこられる人に、その…なんていうか…」
「美人はいないってか?」
とても言いにくそうにしているジーネスに代わって、イオータが付け足した。
「はい…。私が、実際に見たことじゃないので、本当かどうかは分からないですけど、村の人たちの噂話ではそうでした。普通の顔をしている人もいれば、かなり醜くい人も…。だから、みんな、同情したような目で見ているのだと思います。それに、記憶もかなりあいまいみたいで…」
「記憶?」
「はい…。自分が誰なのかも分からなければ、今までどこにいて、どこから連れてこられたのかも憶えてないんです」
「それって…あいまいというより、記憶喪失なんじゃないの?」
「そう…ですね。──最初は村の人も心配して、いろいろ聞いてたんですけど、結局、何も分からないままだったんです。それでも、放っておくわけにもいきませんから、ここで生活できるように世話をしてたんです。それが、毎月一人ずつ増えていって……。一時は、不思議な人の事で、噂話も絶えなかったんですけど、今では当たり前のようになってるというか、わざと気にしないようにしているというか…そんな状態です。ルフェラさん達を見て、何も言わなかったのは、そういう事だと思います」
「なるほど…ね」
「それから…赤守球の事ですけど…」
「あ、うん…どこに在るか分かるの?」
なぜそうなったか…という事は別にしても、いくつかの疑問が納得できた。そんな時、ようやく一番聞きたかったことが彼女の口から発せられて、あたしが聞き返す声にも力が入った。
しかし、その声とは対照的に、彼女は申し訳なさそうに俯き、
「いえ…」
と、小さく首を振った。
「…そう」
希望の光が見えた気がしたが、彼女の返答で一瞬にして消えた。四人の顔が一気に暗くなる。あたしはその残念な気持ちを吐き出そうと、溜息を付こうとしたのだが、一瞬早く、意外な事を聞くことになった。
「でも…一度だけ、赤守球を持った人と お会いました」
あまりにも意外すぎて、すぐには声も出なかった。やっと出たと思ったら、自分でもビックリするほど小さな声で、本当に意外な事があった時や驚いた時というのは、必ずしも大きな声になるのではないんだと、妙に冷静に考えてしまったほどだ。
「それ…ほんと?」
「はい」
「いつ?」
「え…えっと…黒風が現れる少し前だったと思います。ですから──」
ジーネスはそう言いながら、ついさっきラディがした時のように、天井のほうを見やった。そして、記憶を辿り、いつなのかが判明すると、まるで見えているかのように、あたしの目を見つめた。
「大体、六年ぐらい前になると思います」
「六年前…。という事は、リヴィアの村に黒風が現れた頃か…もしくは、その前後って事よね…?」
あたしの質問は、もちろんネオス達に向けられたものだ。
「そう、なるね」
「じゃぁ、やっぱ、オレ達の言う黒風と、ここに現れる黒風は同じなんじゃねーのか?」
「その可能性、大だな。けど、連れ去られた人物が違うってーのが気になるな」
「そうね…」
「あ~ぁ、どうも スッキリしねーなぁ…」
ラディの言葉を最後に、あたし達 四人は、〝う~ん〟 と唸ってしまった。
「あのぅ…」
「うん、なに…?」
二度目に訪れた沈黙を破るように、再びジーネスの質問が飛んできた。
「黒風の原因って、本当に赤守球なんでしょうか?」
「う…ん。それはなんとも言えないんだけどね、その可能性もあるってことなの」
「私…その可能性は違うと思います」
「……どういう事?」
〝絶対に違う〟 と言ってるような口調に、またもや あたし達の視線がジーネスに集中した。
もし、この場で目が見えていたら、間違いなくたじろいでしまうだろう程の強い視線だ。けれど、彼女には見えていない。だから、ごく普通に話し始める。
「たまたま、森の中でその人と出会ったんです。出会ったというよりは、声をかけてもらったんですけど」
そう話し出すジーネスの顔は、仲のよかった友達を思い出してるような、そんな穏やかな表情だった。
「ちょうど薪を集めてる時で、森の中で迷っちゃったんです。今はもう大丈夫ですけど、前はよくあったんですよ」
そう言って、彼女はクスッと笑った。
「そんな時に、〝迷ったのね?〟 って声かけられたんです。一度迷っちゃうと、もうまるで迷路で…自分がどっちに向いてるかさえ分からなくなるんですよね。それで、お願いして助けてもらったんです。手を引いてもらって歩いてる間中、彼女とずっと話していました。今までに聞いたことない様な、とても澄んだ声。話してる内容はあの黒風の事だったり、赤守球の事だったり、あるいは子供達の事だったり…。なんか、とても重い話だったんですけど、不思議なほど、緊張感を感じさせない、柔らかな口調でした」
「彼女…が話したの? 赤守球の事も、黒風の事も…!?」
「…はい」
「なんて…言ってた?」
「彼女は、私に丸い球を触らせ、こう言いました。〝これは、赤守球というものよ〟 と。同じような球がこの他にも二つあり、一つは金守球、もう一つは銀守球と言うそうです。守球にはそれぞれ意味があって、守り神が住んでいるとも言っていました。三つで一つであり、その三つが揃った時にしか、守り神を呼び起こしてはならない。もし、欲望に駆られ、一つだけ呼び起こしてしまったら、その守り神に支配されてしまう、と。ただ、使う者によっては、そうならない時もあるそうです。その事を知った彼女は、ある時その赤守球を持ち出したそうです」
あたしは、この時点で、ジーネスが触れた球が、赤守球に間違いないと確信した。本当の事を話したとはいえ、金守球や銀守球の事までは言ってなかったからだ。単に、赤く丸い球の…赤守球と呼ばれるものが原因らしいという事だけで、説明に事足りたから。
あたしがそんな事を考えている間にも、ジーネスの話は続いていた。
「彼女と出会った時は、彼女自身、赤守球を使うつもりはないと言っていました。でも、欲望に負けて魔物と化した守り神が現れてしまった時には、とにかく家の中に入って静かにしていなさいと言われました。それに、他の村人にも教えてあげて…とも。─それから、しばらくしてからです。黒い魔物が現れたのは。実体のない煙のようで…でも、風のようにすばやく動く猛獣だって…。村人たちは、それを黒風と呼ぶようになったんです」
「それじゃぁ──」
「やっぱ、そいつが犯人なんじゃねーか。使うつもりはないとか言っておいて、あっけなく欲望に負けちまったって事だろ!?」
もう少し言葉を選んで欲しかったが、ラディの言ったことは、あたしも…いや、たぶん全員が思った事だろう。
しかし、ジーネスは否定した。
「違います! 絶対そんなことは…」
「そう 思いてーのも分かるけどよ…話を聞く限りじゃ、どー考えても──」
「それでも、違います!!」
彼女の気持ちを察しながらイオータも続いたが、最後まで言わせないように、その言葉を遮った。
〝違います〟 と言い切ったままの唇は固く結ばれ、ひざの上に置いていた拳にも、グッと力が入るのも見て取れる。からだ全体で否定する思いの強さが、確信にも近い犯人説を言い続ける者を飲み込んでいった。
どうしてそこまで思えるのか…あたしには理解できなかった。けれど、やはりそれなりの理由というものがあるに違いない。
「じゃぁ…どうして、そう思うの?」
そこまで言い切ることが出来る理由を、素直に聞いてみたくて、そう尋ねた。
「それは……信じてもらえないでしょうけど、そう感じるんです。──声だけじゃなく、とても澄んで綺麗なんです…。そんなことするような人じゃありません!」
彼女の姿を見ることも出来ないのに、まるで見てきたかのように綺麗だと言う。そんな理由に納得するはずもなかった。だけど、それ以上に、絶対あり得ないと訴える 彼女の強い眼差しを前にすると、〝そう…〟 とだけしか返せなかったのだ。その返事が、どこまで本気だと思ったかは分からない。けれど、反論しなかっただけ、彼女の気持ちは落ち着いたのだろう。再び、静かに話し始めた。
「彼女、この村は隠されてると言いました。なぜかは分からないけど、他の村の人は入ってこれないって。けれど、もしそういう人が現れたら、その人には親切にしてあげなさいって言われたんです。でも、ご存知の通り、私は目が見えません。だから、〝旅人かどうか判断できないです…〟 って言ったんです。そしたら 彼女、〝あなたには分かるはずだ〟 って。遠い村の匂いというか、感覚というか…なんにせよ、心配することはないって言うんですよ。──それから、黒風が連れてきた人の事を村の人から聞いて、その人達の事かと思ったんですけど、話してみると どうも違うようで…。でも、初めてルフェラさんに会って話をした時、分かったんです。この人だって。野菜を拾ってくれた時、一瞬ですけど、手に触れましたよね? その時、感じたんです。具体的に、どういう感じって言うのは説明しにくいんですけど、直感的にそう思いました」
ジーネスはそう言いながら、手に触れた時の感覚を思い出すかのように、自分の手を握っていた。
ジーネスが直感的にそう思った感覚がどうであれ、〝親切にしてあげなさい〟 と伝言してくれた彼女のお陰で、あたし達はここに泊めてもらえたのだから、十分に感謝しなければならない事は事実だった。それが、黒風を呼び起こした張本人である可能性が高い人物だとしても…。
「彼女に森の出口まで案内してもらって、私はようやく家に帰ることができました。別れ際、お礼がしたいから、夕飯でも…と誘ってみたんですけど、断られました。代わりに、一つお願い事を聞いて欲しいと言われたんです。私にできる事ならと思って伺ったら、身寄りのない子供たちの世話をしてもらえないかっていうんですよ。突然の事で…って言っても、別に突然じゃなくてもそうなんですけど、最初は驚いちゃいました。でも、とてもいい子達で、どうしてもあなたのような人に見てもらいたいと言われたんで、断れなくなって…。それに、お礼は返さなきゃ…って言う気持ちもあって、その お願い事を引き受けることにしたんです。そしたら数日後、子供の声と共に玄関を叩く音がして……」
そこまで言うと、後ろの閉じた戸に目をやり、
「開けたら、あの子達だったんです」
と、それぞれの仕事に出かけていないにもかかわらず、あたかも、そこに子供たち全員がいるかのような目をした。
ジーネスの視線につられて、あたし達も閉じた戸を見ていた。──が、すぐに彼女への質問が始まった。
「ちょ、ちょっと待てよ? あの子達…って言っても、あいつら全員じゃねーよな?」
〝まさか、そんなはずはないだろ?〟 と、軽い気持ちで問いかけるラディに、ジーネスは、
「もちろん、全員です」
と、当たり前のように答えた。一瞬、その答えに、四人が絶句する。
「マジ…かよ?」
「はい」
「はい…って、あんた…。六年前っつったら、あいつら一歳や二歳の赤ん坊だぜ!?」
ジーネスが強く否定しているのもあるが、今この瞬間だけは、彼女が犯人かどうかというより、十人ほどの赤子を十一歳の子供がどうやって面倒見れるのかが知りたい気持ちだった。だから、信じ難い内容をできるだけ信じる為に、ラディが並べる質問を、黙って聞いていた。
しかし、途中から 彼の様子がどこかおかしい事にも気付き始める。
「あんただって、十一歳だったんだろ? そんな小さいやつら、どーやって面倒見れるんだ? 子供一人 面倒見るのだって、エライ大変な事だぜ!? ──だいたい、なんで、その彼女が面倒見ねーんだよ? 一人や二人ならまだしも、十人の赤ん坊なんて…。それにあんたもあんただよ。いくらお礼だとはいえ、子供を見てもらいたいって言われて、簡単に引き受けるなんて、どういう神経──」
「ラディ!!」
直感的に、これ以上喋らせちゃいけないと思い、慌てて止めようとしたのだが、ネオスの方が一瞬だけ早かった。彼は、興奮するラディを強い口調で制し、同時に腕を掴んでいたのだ。
強い口調のせいか、それとも掴まれた腕の感覚のせいか──第三者のあたしには分からないが──ラディはハッと我に返った。
我を忘れて興奮した自分に驚いたような、あるいはそんな自分を恥じるかのような、なんとも複雑な表情をすると、
「わ…わりぃ…」
と、一言だけ謝って部屋を出て行ってしまった。
突然の行動にジーネスはもちろん、あたしも驚いていた。
いつもは、ごまかしてるんじゃないかと思うほど年下に見えるのに、ある時 突然、年上になる。もちろん、ほんの短い時間だけど。でも、そんな短い時間でも、そう感じたのは、ここに来て二度目だった。そのうえ、初めてとも思える、ネオスのあんな強い口調。掴んだ腕の力も、もしかしたら、想像するより強かったのかもしれない。そんな事を、驚きの中で考えていた時だ。
「あ…の…。ラディさん大丈夫でしょうか?」
「え…?」
ふいに、ラディを心配する声が聞かれ、それがジーネスだったことに驚いた。
興奮した者の言葉は、責めてなくても、責めてるように感じる時がある。少なくとも、怒られてると錯覚してもおかしくない口調に、彼女が傷ついてるだろうと思ったからだ。
十六歳の女の子が、ここまで他人を心配できるなんて…。
あたしは彼女の中の強さを垣間見た気がした。同時に、余計な心配をかけたくないとも思った。
「大丈夫。ちょっと頭を冷やしに行っただけよ。──それより、ゴメンね。あいつったら、変に興奮しちゃって…」
「いえ…全然気にしてません。ラディさんの疑問、もっともだと思いますから」
そう言った彼女は、心底 そう思っているように、にっこりと微笑んだ。
「周りからも いろいろ言われたし、もし、私が傍観者の立場だったら、やっぱり、同じようなことを言うと思いますから。でも、不思議なんですけど、その時は何の不安もなく、その状況を受け止めることが出来たんです。彼女も、本当は自分で面倒見たかったらしいんですけど、自分と一緒にいては危ないから…って。なにがどう危ないのかは言いませんでしたけど、そういう事を聞いちゃうと、断れなくって…。それに、去年までは、五つ上の姉も、一緒にいましたし。その姉も、不思議とすんなり受け入れてくれて…だから、ここまで、やってこれたんです」
ラディがいない間にも、ジーネスは質問の答えをあたし達に語ってくれた。
なぜ、あんなにたくさんの子供達の面倒を簡単に引き受けたのか…その疑問の答えは、あまりにも納得し難いものだった。ジーネスが何も知らない子供だったから…というのもあるかもしれないが、不安もなくその状況を受け入れられたことは、紛れもない事実なわけで、あたし達が、これ以上、突っ込むべきところではなかった。それに、引き受けた後の生活が、簡単ではなかった事ぐらい、容易に想像がつく。それでも やはり、ここまできた事も、事実なのだ。素直に、〝えらいよ〟 と褒めてこそしても、〝そんなことあり得ない〟 なんて、誰が言えようか。
あたしは、心の中で拍手を贈ると同時に、とても素朴な疑問を返すことしかできなかった。
「お姉さん、いたんだ…?」
「はい。今はいませんけど」
「どこか、別の所にでも…?」
「いいえ。亡くなったんです。去年、病気で」
「あ…そう、なんだ。ゴメンね、あたし…」
「いいえ。気にしないで下さい。私が言い出したことですから。──あ、そう言えば、九人なんですよ」
「九人…?」
あたしを気遣っての事かどうかは分からないが、ジーネスは突然、話を変えた。いや、そう思ったのは、その数が何の数なのか把握できなかったからで、実際は、訂正しただけだった。
「子供達の数です。十人じゃなく九人なんです」
一人減っただけで、子供の面倒を見る大変さはたしいて変わりない。だけど、〝そんなことあり得ない〟 と思われる事を、少しでも信じてもらう為には、大事な訂正なのだろう。
あたしは、そんな彼女の気持ちを汲み取るように、
「そっかぁ…」
と、努めて、明るく返した。
その返事に満足したのか、ジーネスは 〝この話は、彼女と二人だけの秘密だったので、内緒にしてくださいね〟 と付け加えた。そして、最後に、〝じゃぁ、私は仕事に行きますから〟 と笑顔で言うと、静かに部屋を出て行った。
彼女を見送った後、ジーネスに合わせる顔がなかったのか、入れ替わるようにラディが入ってきた。その時間差から考えて、おそらく、さっきの話を、扉一枚挟んで聞いていたに違いない。その内容で納得したかは定かじゃないけど、戻ってきたラディは、すでにいつものラディに戻っていた。
だから、敢えて、あたしも興奮した理由を聞かず、これからどうするのか、話し合うことにした。その結果、とにかく赤守球を見つけないことには、先に進まないだろうということになり、赤守球の捜索はそのまま続行することになったのだが、問題はどこを探すかという事だった。ジーネスと出会ったという彼女…もしくは赤守球の行方は、森の中だった。だから、森の中だけに絞った方がいいとも思ったのだ。しかし、限りなく黒に近いものの、もし、誰かが彼女からその赤守球を盗み、黒風を呼び起こしたのなら、森の中だけとは限らなくなる。そこまで考えて、あたし達は、森の中とそれ以外という、昨日から考えると、かなり広範囲な捜索をすることになった。
そして、今日はラディ達が森を、あたし達がそれ以外をというように、二手に分かれて動き出したのだった。