7 身に付けた赤い球の捜索 <3>
無事、家に辿りつくと、ラディ達はすでに帰ってきていた。
意外な事実に驚く…。
後々の事まで考える、用意周到なネオスとは違い、目先の事にしか頭にないラディだ。帰り道のことなど考えることなく、前に突き進んでいくはずだから、間違いなく、迷いに迷いまくって、帰ってくるのが遅くなると思っていたのだ。それが、遅いどころか、あたし達より早かったから、驚いてしまう。しかし、同時に、早く切り上げたか…? という疑いも持ってしまうのだが…。
「お帰りなさい! おにいちゃん、おねえちゃん」
玄関の戸が開き、あたし達の顔が見えると、待ってましたとばかりに、シリカがネオスに飛びついた。
「ただいま。ちょっと遅かったかな?」
〝首を長くして待ってる〟 とは言ったものの、あたし達の感覚では、仕事に出掛けて帰って来る時間と さほどかわらない。その為、首が長くなるまで待たせてる気はなかったのだが、子供にとっての 〝早く帰ってきて〟 と言うのが、いつなら 〝早い〟 のかが分からない。だから、ネオスはそう聞いてみたのだ。しかし、そんな気遣いはいらなかったようで、シリカも、あたし達の帰りが遅いとは思ってなかったらしく、彼の言葉に一瞬不思議そうな顔をした。そして、ネオスが先に帰っていたラディ達を見たのに気付くと、大きく首を振った。
「ううん。二番にいちゃんと三番にいちゃんも、ちょっと前に帰ってきたばかりだよ」
「そっか。じゃぁ、約束は守れたのかな?」
「うん。バッチリ! シリカも、いい子でいたんだよ」
「それはすごい! えらいね」
頭を撫でられ、この上ない笑顔を見せたシリカだったが、すぐに真面目な顔になった。
「ねぇ、ねぇ、おにいちゃん」
「ん…?」
「ちょっと、お耳 貸して」
途端に声が小さくなったものだから、ネオスも周りを気にしながらその場でしゃがみ込む。同時に、シリカは両手を彼の耳に当て、なにやら囁き始めた。
当たり前のことだが、あたしには彼女の声は聞こえてこない。
しかし、短い話は質問だったようで、ネオスが首を小さく横に振ると、シリカは、なんとも複雑な顔を見せた。残念そうで、それでいてどこか嬉しそうで…。いったい何を聞いたんだろう…と、こっちが気になってしまったのだが、次の瞬間には、元のシリカに戻っていた。
「じゃぁ、シリカ、ジーネス姉ちゃんと ご飯作ってくるね」
そう言うや否や、耳元で結んだ髪を大きく揺らし、台所のほうへ走っていった。
あたしは、さっきの質問が何だったのか、ネオスに視線を向けた。すると、ネオスもそれに気付いたようで、
「〝もう、探し物は見つかったの?〟 だって」
と、少し困ったような笑顔を向けた。
「あぁ…」
それで、あの表情だったのか…。
「ラディ達もまだ見つけてないらしいからね」
「そ、う…」
──つまり、大事なものが見つからなくて残念だとういう気持ちと、見つからなければ、まだここにいてくれるだろうという思いが、あの表情だったってわけだ。
「あたし…ジーネスに、お願いしてみるわ。もうしばらくここにいさせてもらえるように…」
あまり迷惑はかけたくないけど、宿というものがない以上、そうするほかない。
あたしの言葉に、ネオスは小さく頷いた。
ルーフィンの言葉から、あたし達に与えられた時間は一週間。それを過ぎたら、ミュエリの安否さえ分からなくなる。赤守球が全ての鍵を握っているのかと問われれば、正直、何も答えられない。そんな確証はどこにもないからだ。だけど、今のあたし達には赤守球を見つけ出す以外 手掛かりという手掛かりがないのも、また 事実だった。
なんとしても、一週間以内に赤守球を見つけなければ…。
あたしは、台所に向かうと、シリカと一緒に夕飯を作っているジーネスに、一週間の滞在を お願いしてみた。一人ならまだしも、あたしたちは四人と半分。その人数が一週間も泊まらせてほしい…なんて言われて二つ返事でオーケーしてくれるとは思っていなかった。──が、ジーネスの返事は、あたしの予想を反していた。〝食べ物には困らないですし、何より子供たちが喜びますから、どうぞ〟 と、意外にもあっさり承諾してくれたのだ。
ちょっと 拍子抜けしたものの、ありがたいことには変わりなく…あたしは 〝何でもするから、言ってね〟 とだけ返し、ラディたちのところに戻った。
ネオスは、ちょっと離れた所で密かに あの石を眺めていた。
ついさっきまで、あたし達が帰ってきたことすら気付かないほど、ワイワイと騒いでいたイオータの姿は、もう すでにそこにはなかった。代わりに、疲れ過ぎて、子供たちと遊ぶ気力も残ってないのか、大の字になっているラディが、一人で子供たちと遊んでいた。──というより、なされるがまま、遊ばれていた…と言うのが正しい表現だろう。
そして、台所の方から現れた あたしに気付くや否や、顔だけをこちらに向けて力のない声を出した。
「おぉ~、帰ってたのかぁ、ルフェラぁ~」
「うん、さっきね…」
「オレは疲れたぞぉ~。お帰りの抱擁をしてやりてーけど、そこまで行く体力が残ってねーんだ。頼むぅ~、ルフェラからこっちに来てくれぇ~」
そう言いながら、ラディは子供が親に抱っこをせがむように両手を差し出した。
普通なら、〝だ~れが、行きますか!〟 と舌を突き出す所だが、なぜか、笑えてしょうがなかった。もちろん、ラディにはその意味など分からない。でも、それは あたし自身にも分からないことだった。
「なんだぁ? なんで笑ってんだよぉ~?」
「別に、なんでもないわよ。それより、あいつはどこに行ったの?」
気分を損ねないよう、やんわりと返すと、ラディはふと思い出したように喋りだした。
「あぁ~、そうそう…。さっき外に出て行ったぞぉ。ルフェラも来るように伝えてくれっつってたなー」
さっき出て言ったって事は、さっき、その伝言を受けたということだ。──にもかかわらず 〝あーそうそう…〟 と思い出すあたり、よっぽど疲れてるんだという事がよく分かる。
そりゃそうよね。朝から日が沈むまで歩き続けてきたんだもの…。それはあたしだって同じだ。〝来るように…〟 と言われても、正直、もう座りたい…という思いの方が強い。同じくらい疲れているラディにとって、その伝言を忘れないだけ まだマシなのだ。褒めてもいいくらいだろう。
そう思うと、柔らかい口調にもなる。
「そう、ありがと」
あたしは、それだけ言うと玄関に向かった。外に出ると、昨日の夜 ジーネスに勧められた木の椅子に、イオータが腰掛けていた。扉の音で、こちらを振り返る。
「さてっと、行くか?」
「え…?」
〝来るように…〟 というラディの伝言を受けたものの、実際はその理由を知らなかった。その為、〝いったい、なんなのよ?〟 と言おうとしたのだが、イオータに先を越されたのだ。
「〝え…〟 じゃないだろ? 毎日、夕飯前にするって言ったじゃねーか、これ」
そう言いながら、イオータは剣の構えをやって見せた。
「あ…あぁ…」
思い出した…。そう言えば、昨日 言ってたっけ…?
「──ったく。ほら、行くぞ」
まったくもって、忘れていたという事が分かると、イオータは小さな溜息を付いた。
一方 あたしは、昨日 言ったことを少々後悔していた。ずっと歩きづくめで、疲れているのに、これから また動かなきゃならないなんて…。しかも、赤守球が見つからなければ、最悪、この一週間、毎日なのだ。
ああ、もう 泣きたい気分だわ…。
そんな後悔を抱きながらも、仕方なくイオータの後をついていくことにした。──と、同時に、ある疑問が湧いた。
そういや…ラディは、なんで何も言わなかったのよ? 自分以外の男と二人っきりになるというのに、親切に伝言までして…。しかも 〝なんの用なんだよ?〟 って言う事すら聞いてこなかった。昼間でも うるさいラディが、よりによって日が沈んだこの暗さによ!?
おかしい…。
そんなことも考えれないほど疲れてたっていうのか? それとも、それほどまで この男を信頼してるとか…?
もしくは──
「ねぇ…」
「あん?」
あたしの静かな呼びかけに、前を歩いていたイオータが少しだけ顔を向けた。
「ラディに喋ったの?」
「何の事だ?」
おかしい理由をいろいろ考えてみた結果、これが一番怪しいと思われることを口にしてみた。
「あたしが、あんたに戦術 習い始めたって…」
一番ありうることだと思ったのだが、イオータは 〝何 言ってんだ?〟 とでも言いたげに、足を止め 振り返った。──が、次の瞬間には 〝まさか…〟 と鼻で笑って、再び歩き出していた。
「い、言ってないの?」
「ああ」
「どうして…?」
その質問に、またもや足を止め 振り返る。
「分けわかんねーな、その質問。あんた、ひょっとして もう老化が始まったのか?」
イオータはからかい半分で頭に指を当てた。
「な、何よ…」
「あんたが言ったんだろ、みんなには内緒にしてくれって」
「そうよ…」
「──なんだ、ちゃんと覚えてんじゃねーか」
「失礼ね。覚えてるに決まってるでしょ」
「だったら、いーじゃねーか。オレも、覚えてるから、言ってないんだしよ」
「ホ、ホントに…?」
「ああ」
「マジな話?」
「マジだ!! ──大体、言って、オレに何の得があるっていうんだ?」
「そう言われたら…そう…だけど…。でも、言わなかったって、何の得にもならないでしょ?」
「──なるさ」
「…な、なによ?」
「もちろん、あんたと共有する 〝二人だけの秘密〟」
「は…?」
あまりも、当たり前だろ…と言われた気がして、テレる気にもなれなかった…。それより何より、言葉が続かないのだ。理由は簡単。理解できなかったから──
あたしは、イオータの横を通り抜け、例の場所に向かって、さっさと歩き始めた。
「おいおい、今度はシカトか?」
「別にぃ…。ただ、あんたの言う 〝得〟 の価値が分からなかっただけよ」
「お前なぁー、価値なんてもんは 人それぞれだぜぇ──」
とそこまで言ったものの、あたしがまともに聞かないことを悟ってか、話を元に戻した。
「それで、何でオレが喋ったと思ったんだ?」
「え…だって、ラディが何も言わなかったからよ」
「なんだ、その理由?」
〝それこそわけが分からねー〟 と、言葉を返す。
「だって、いつもならこんな状態 許さないもの」
「こんな状態?」
「そっ。前にも言ったでしょ。ほかの男の人と ちょっと一緒にいただけで 〝あいつは誰なんだ? どーなってんだ?〟 って問い詰めてくるって。たとえ知り合いでも、自分以外の男の人を、近づけさせるなんてしないわ。それも、自分から伝言までしてね」
「ああ…そーゆー事か…」
「そーいう事。だから、本当のこと知ってるとしか思えなかったのよ」
「なるほどな。でも、まぁ…ホントの事は言ってねーけど、あいつが何も言わなかったって事は、あの説明で ちゃんと納得したっつーことだな…」
「え…?」
最後は独り言のように呟いたかと思うと、〝ふ~ん〟 と納得しながら、あたしの横を通り過ぎた。
慌てて、止めていた足を動かす。
「ちょ、ちょっと 待ってよ。何一人で納得しちゃってんのよ? 説明って何のこと? 一体なに言ったのよ!?」
「おいおい、そんな興奮すんなよ」
「別に興奮なんか…」
──言葉ではそう言って落ち着きを見せるが、偽っているのはバレバレだ。
あの やきもち焼きのラディを納得させた 〝説明〟 というのには大いに興味が湧く。もしかすると、これからも使えるかもしれないのだ。そう思うと、是が非でも聞きたくなるというもの。
しかし イオータは、
「まぁ、大したことじゃねーからな」
と、軽く手を振った。
「ちょっと…大した事あるわよ──」
「そうか?」
「そうよ。少なくとも あたしには重要なことだわ」
〝変なことを吹き込まれてたら大変だ…〟 ぐらいの気持ちを見せたつもりなのだが、甘かった…。
「おまっ…ひょっとして、この手 使おーとかしてる?」
「え…」
「やめとけよ。参考ーにもなんねーから」
自分が言った 〝説明〟 とやらを思い出すかのように、イオータは再び鼻で笑った。肯定すらしてないのに、〝え…〟 の一言で見切られてしまったようだ。
しかし、それで引っ込む あたしではない。それどころか、彼の言葉や態度に、カチンときたのだ。
「…ちょっと、勝手に決めないでよね。それこそ、言わなきゃ分かんないでしょーが! 使えるかどうかは、あたしが判断するわよ。何年、一緒にいると思ってんの!?」
「判断ねぇ…」
あたしの感情を逆撫でするように、意味ありげな視線を向ける。
「なによ…」
「いや、別にぃ…。ただ、何年も一緒にいたあんたが 説得できなかったのに、数日前に会ったオレの説明が役に立てるとは思えねーな…と思ってな」
「…………!!」
ムカツク!
嫌味な言い方だけど、一理あるからよけいムカツク!!
あたしは、湧いてくる怒りを抑えようと、拳を震わせながら、大きな深呼吸をした。けれど、気分はよくならない…。
これはもう…発散するしかないわね。
目的の平地に着き、昨日 使っていた枝を拾い上げると──枝といっても棒に近い太さなのだが──それをギュッと握り締めた。
構えと攻撃を ほんの少し教えてもらったばかりで、交戦練習なんてするはずもないが、やらないと 気が治まらない…。
こうなったら、先に仕かけるしかないか…。
そう思った時だった。
「ほらっ」
そう言うなり、前にいたイオータは 振り向きざま何かを放ってよこした。咄嗟に飛んできた棒らしきものを受け取る。──月明かりで見たそれは、〝棒らしきもの…〟 そのものだった。
「木…刀…?」
「ああ」
「どうしたの、これ?」
「作ったんだよ」
「あんたが…?」
「他にいるか?」
その質問に、一瞬 考えたが、すぐに首を振った。
「──だろ」
「…いつの間に?」
「昼間」
「─って、今日の…?」
「ああ。昨日の夜、あんたに戦術教えるっつー事になったんだからな」
「え…じゃぁ、もしかして…あたしの為に?」
「まぁ…それだけでもねーけどな。いろいろ使うしよ」
「いろいろ…?」
「あ…いや、別になんでもねーさ」
「ふ…ん。──それより、これ、今 持ってきてた…?」
「言っとくが、オレは手品なんてできねーぜ」
つまり、持ってきたという事だった。
「そう…」
それにしても、全然 気が付かなかった…。暗かったっていうのもあるけど、話に夢中で、持ち物にまで目がいかなかったのだ。
「──でもさぁ、力があるのに手品が出来ないなんて、なんか変よね?」
あたしは、ふと思ったことを口にした。
「そうかぁ?」
「そうよ。──まぁ、力っていっても、何がどこまで出来るか分からないけどさ、なんでも出せそうじゃない?」
「あんたさぁ…」
「なによ?」
呆れたように肩を落とすと、自分の木刀の先をあたしの顔に近づけた。
「手品と力の決定的な 〝違い〟 分かってる?」
「ち…がいって…」
すぐに 答えられないあたしを見て、イオータは木刀を降ろして溜息をついた。
「──タネだよ」
「…………」
「手品はタネがあるけど、力はタネがねーんだぜ」
「そ、そんなことは──」
「分からなかった──っつーか、考えてなかっただろ?」
「それは…」
「やっぱな」
「…………」
「タネもなく物が出せたら、その時点で手品じゃなくなるじゃねーか」
追い討ちをかけるようにそう言われて、木刀を渡された瞬間 忘れてしまった怒りが、フツフツと蘇ってきた。
うぅ~~~っ、ほんっとムカツクぅ~!!
次第に木刀を握る手に力が込められていく。
絶対、仕かけてやるんだから!!
「そいじゃ、まぁ…雑談はこのくらいにして…っと。ほら、かかってきな」
思わぬ言葉だったが、その一言で、あたしの体は 〝待ってましたっ〟 とばかりに、木刀を振り上げ向かっていった。
静かな森の中で、木と木のかち合う音が響いた。
あたしの振り落とした木刀を、瞬時に…しかも片手で防衛したのだ。
最初のかち合いで、肘の所まで痺れが走った為、一瞬、木刀を落としそうになってしまった。
「どうした? まさかたったの一回で、手が痺れて力が入んねーじゃねーだろーな?」
明らかにバカにしたその態度に、ますます怒りが大きくなる。
「──ンな分け…ないでっ…しょ!」
カンッ──
語尾の勢いと共に、今度は横に振ったのだが、それも軽く払われてしまった。
「どんどん、来いよぉ~」
「言われなくても…分かってるわ…よっ!」
カンッ──
左下から右上に向かって振り上げたが、またまた払われる。
「一振り一振り、止まってねーで、次から次へと打ってきな」
「………!!」
その一言がまたカチンと来るではないか!!
あたしは、冷めた目でそう言い放つイオータをキッと睨むと、これでもか…! というほど連続して打ち続けた。
カンッ、カンッ、カカンッ、カンッ、カンッ………。
その音はかなり長く続いた。
「はぁ…はぁ…はぁ…くっ──」
息は上がり、汗が流れ落ちる。拭っていられるほどの余裕はなかった。
手の痺れは、慣れてきたというより、感覚がなくなりつつある。──にもかかわらず、痛みまで感じてくるのはなぜだろう…。
今や木刀を持っているのが精一杯だった。
一方、イオータは最初と何も変わらず、汗さえもかいていない。それがまた、ムカついてきてしょうがないのだ。
怒りを発散させるはずだったのに、反対に増幅するばかりだ…。
「どうした、もう終わりか? まだ一度も当たってねーぞぉ」
「──っるさいわね…はぁ…はぁ…暗くて…はぁ…ちゃんとマトが…はぁ…見えないから…よ…はぁ…はぁ…」
「……ふ~ん。──じゃぁ、これでどうだ?」
イオータはそう言うや否や、空に手の平を向け 何かを掴んだ仕草をしたかと思うと、手の中のものを吹き飛ばすように 〝ふ~っ〟 と息を吹いた。
途端に、銀色の粉のようなものが、あたしたちの頭上を舞った。
一瞬、何が起こったか分からなかったが、ただひとつ、理解できたのは、イオータの姿が鮮明に見えることだった。
「ひか…り…?」
「ああ。これでよく見えるだろ?」
驚いてる あたしに、平然と問いかける。
「そ…うだけど…いったい何したの?」
「月の光をちょっとな…」
「月の…光…?」
「ああ」
「借りた…とでも言うの?」
冗談っぽく返すあたしの言葉に、イオータは真剣に答えた。
「まぁな」
「………」
「──ま、借りたのはそれだけじゃねーけど?」
「どういう事…?」
「まぁいいじゃねーか。そのうち分かるからよ」
「な…によ、それ…」
「──ほら、来いよ。こんだけ明るければマトも外しゃしねーだろ?」
〝これで外したら、暗さの問題じゃねーってことだ〟 と暗に言ってる口ぶりに、またもや忘れていた怒りが呼び起こされる。
──ったく、いい加減にしなさいよね!!
一発だけも当ててやる…と、脇腹めがけて木刀を振った。しかし──
カンッ──
ドッ…。
「…ったぁ」
やはりと言うべきか、簡単に払われてしまい、その瞬間、木刀はあたしの手から弾き飛ばされた。同時に、体重ごと向かって行ったのが裏目に出て、地面に転んでしまったのだ。そして、気付けばあたしの首にはイオータの木刀が突き付けられていた…。
「これで、死んだな?」
そう言ったイオータを見上げたあたしは、一瞬 間を置いて溜息を漏らした。
「そうね…」
「…よしっ! ンじゃ、今日のところはこれで終了。──ほら、立てるか?」
あたしが落とした木刀を拾い上げると、中腰になったイオータは、自分の手を差し出した。
普段なら、意地でも その手に掴まろうとしないのだが、今回は素直にその手を借りることにした。立っているだけがやっとだったあたしには、自力で立ち上がれるほどの力など、体のどこを探しても 残っていなかったからだ。
「どうも…」
「大丈夫か? なんなら、家までおぶってやってもいーぜ?」
立ち上がっても、ふらつきのある足を見て、半分は冗談、半分は真剣に声をかけてきた。
「大…丈夫よ…」
それだけ言うと、あたしはジーネスの家に向かって歩き始めた。
「……熱くなんなよ」
「え…?」
後ろからついてくるイオータが、静かな口調で呟いた。
思わず歩みを止め 振り返る。
「技術がまだまだなのは当たり前なんだからよ、カッカすんなってこと」
「し、失礼ね。そう仕向けてるのは、あんたでしょーが」
「だからって、乗るこたぁーねーだろ?」
「あーそうね。どうせ、あんたは冷静沈着でしょうよ」
「それが必要なんだぜ、戦術にはな」
「あ、そうっ」
言葉で言い合うのも避けたいほどだったが、最低限の反抗は見せたくて、強気に言い放った。そして、再び歩き出したのだが──
「あーそうそう」
またもや、彼の言葉が聞こえてきた…。
「なによ…。今度はなんだって言うの?」
「おいおい、そー怖い顔すんなって」
「悪かったわね!」
「まぁ、それも悪くはないけどな」
「なんなのよ、いったい…」
「──ダイエットだからよ」
「は…?」
何が 〝ダイエット〟 なんだ?
わけが分からず、立ち止まってしまう。そんなあたしのことなど気にも留めず、イオータはさっさと歩いていった。
「ちょっと待ってよ…。いったい何のこと!?」
「だぁかぁら~、あいつ…ラディの説得だよ」
そう言って、イオータも立ち止まる。
「え…?」
「昨日、夕飯食う前、ラディと会っただろ?」
「う、ん…」
「──で、〝何してたんだ?〟 っつったから、あんたが 〝外走ってた〟 って、オレがあんたの後ろで身振り手振り話したんだよ」
そう言えば、あたしは何にも言ってないのに 〝なんだ〟 って妙に納得してたっけ…。
「で…も、それだけで、ホントに納得したの?」
「まぁ、その時はな」
「その時は…って…」
「あん時は、腹も減ってたから頭が回んなかったんだろ。寝る前になったら、急に思い出したみたいでよ、〝何で走ってたんだ?〟 ってゆーから、〝ミュエリのことがあったからな。誰にでも、あるだろ? 一時的にでも、何かに集中して忘れたい時がよ〟 っつったんだ」
「へ…え。でも、何で、それがダイエットっていう理由になったのよ? しかも、あんたと一緒にいて、何も言わないわけ?」
「たまたま、あんたが走ってるのを見かけたからよ、わざと 〝ダイエットには一番いいみたいだぜ。ま、続けなきゃ意味ねーけどよ〟 って言ってやったら、意地になって 〝毎日走ってやるわよ〟 ってゆー話になっちまったんだ、これが。──って言ったわけ」
「そ…れで?」
「──で、〝それなら、いつ黒風に狙われるか分かんねーから、その間、オレが見張ることにした〟 っつったら、〝ふ~ん〟 って…それだけよ。──まぁ、少なくとも一度は、オレがあんたを救ってるからな。自分が一緒にいるよりは まだマシだって思ったんじゃねーの?」
「そ…んな説明で…?」
「ああ、納得したみたいだぜ」
その返答は、どこか面白がってるように聞こえた。
突然、立ち止まった あたしに気付くと、イオータも足を止め、顔を覗きこんだ。
「……信じられねーって顔してるな」
「当たり前でしょ…」
「けどよ、あいつがあんたに何も言わなかった事や、ここにいないって事が、納得したっつー証拠じゃねーのか?」
「…………」
そう。それは、そうなんだけど…だからこそ、信じられないのだ。
あたしは、しみじみと深い溜息をついてしまった。
「なんだ、その溜息は?」
「つくづく、単純・おバカなんだなーっと思ってさ…」
「ハハ…。あんま、そー言ってやんなよ。あーいう奴がいてくれると、いろんな意味で助けられるんだぜ」
「そうかしら…? 少なくとも、今まで 〝助けられた〟 なんて思ったことないわよ、あたしは。うっとうしいのは毎日っていうほど感じてるけど」
「ま、ほとんどはそうかもしんねーけどな。少なくとも、あの説明で納得してくれただけ、助かったって思えるんじゃねーか?」
〝違うか?〟 と目で訴えられ、あたしは思わず 〝ふっ〟 と笑ってしまった。
「…そうね」
「──だろ? それに、オレは あーいう奴、結構 好きだぜ。昔の自分見てるみたいでよ」
そう言ったイオータの顔は、懐かしいような、それでいて寂しそうに見えた。
こんな顔を見るのは、これで三度目…いや、四度目だろうか…。
普段なら、〝自分に似てるから、フォローしたくなるんじゃないの?〟 と突っ込む所だが、その顔を見てしまうと、そんな言葉も飲み込んでしまう。
あたしは、再びイオータの前を歩き始め、少し話題を変えた。──というよりは、戻したと言ったほうがいいだろうか…。
「でもさ…どうして、〝ダイエット〟 っていう説明にしたのよ? 〝ミュエリのことがあったから…〟 とまで言ったのなら、ただの 〝体力づくり〟 っていう事にしてもよかったんじゃないの?」
「そんなこと言ったら、奴も一緒に来るぜ」
「どうして?」
「さらわれたのが、まったくカンケーない奴ならともかく、一応は仲間だろ? ケンカばっかしててもよ。そいつを助ける為に、あんたが体力づくりしてるとなると、〝オレも一緒に付き合うぜ〟 とか何とか言って、ついてくるに決まってるさ」
「そう言われたら そうかも…」
「──だろ? だから、ダイエットにしたのさ」
「………?」
未だ、その根拠が分からないあたしを見て、イオータは更に続けた。
「ダイエットって聞ーても、ふつーの男なら 〝オレも…〟 っていう気持ちにはなんないだろ? それに、例えそんなことする必要がないほど痩せててもよ、女心っつーものは 男には分からねーもんさ。だから、そっとしとく方が無難だ…って思うんだよ」
「なる…ほど…」
イオータの説明に、今度はあたしが納得してしまった…。
「あんたってさぁ…」
「あん…?」
「その場しのぎのことばっかりやってるように見えて、結構 考えてんのね?」
「かぁ~、相変わらず、サラッと言ってくれるねぇ…きっつい事を…」
「そう? 素直にそう思っただけなんだけど…」
「ハ、ハハ…素直に、ってか? それでもフォローしてるつもりかよ?」
「あら、そう思えない?」
「─ったりめーだろ? 周りがどう思ってるか知らねーけど、結構 いろいろ考える、マジメな人間だぜ、オレは。考えすぎるって言ってもいーぐらいにな」
「それは…言い過ぎでしょ」
すかさず、突っ込みを入れるが、イオータの顔はいたって真面目だった。
「──ま、そのうち分かるさ」
「そうかしら…?」
「ああ、間違いなく、な。──それはそうと…」
「なに?」
「あいつの説得、そーゆーワケだから、よろしくな」
そう言って、持っていた木刀を近くの草むらに隠すと、〝どういう事よ?〟 と聞く間も与えず、玄関の扉を開けて入って行ってしまった。
しかし、その言葉の意味を理解するのに、そう 時間はかからなかった。──と言うより、あたしが玄関の敷居をまたいだ時だ。
「おー!! ルフェラ、すっげー汗じゃねーか。だいぶ走り込んだんだなー。でもよぉ、そこまでする必要ねーぞぉ、全然 太ってねーんだし。それに、たとえ太っちまっても、オレはこれぽっちも気にしねーから。──だいたい、オレが、お前のこと 嫌いになるわけねーんだからよ。な、だから 安心しろ」
それは、汗だくになった あたしを見て、針の先ほどの疑いさえ持たない、ラディの言葉だった。
なる…ほどね。そういうわけか…。
そう悟るや否や、途端に あの時の怒りは何だったんだ…と思えてきた。
〝参考にもならない〟 と言ったイオータは、始めから その説明とやらを言うつもりだったのだ。たとえ、あたしが問い詰めなくても、だ。なぜなら、どういう説明であれ、当の本人である あたしとの、つじつま合わせが必要になるからだ。
自称 〝いろいろ考える、真面目な人間〟 が、せっかく考え出した説明を、何も知らないあたしの言動で、全てが水の泡になるなんて、誰が希望するというのか…。
少し考えれば分かることなのに、今になってその事に気付くとは…。ああ、あたしってば、なんておバカなんだろ…。しかも、完全に、からかわれてたわけよね…。
思考がそこまで行き着くと、怒りを通り越して、なんだか 妙に笑えてきてしまった。
それを見て、不思議に思ったのは、もちろん ラディだ。
「なんだぁ、ルフェラ? 何で笑ってんだよ?」
「え…べ、別に──」
「ちがうよ、にいちゃん」
〝別に、なんでもないわよ〟 と続けるはずだったのだが、否定したのはラディの隣に座っていたディゼルだった。
その目は、まるで 〝女心を分かってないなぁ〟 と言ってるようにも見える。
「何が違うんだ?」
「嬉しいんだよ。にいちゃんが、〝嫌いにならないから〟 って言ったから」
「おー!!」
ディゼルのその言葉に、ラディは 〝ポンッ〟 と手を打った。
「そーか、そーゆー事かぁ!! なんだよ、今日はやけに素直じゃねーか、ん? ──ほらほら、そんな所に突っ立ってねーで、こっち来いよ」
ディゼルとは反対の床を軽く叩き、満面の笑顔で そこに座るよう勧めた。
先にも言ったが、からかわれたと分かった時の怒りは、とっくに通り過ぎている。
腹を立てるのも、思うほどラクじゃないんだと、今になって ようやく実感していた。
一日中歩き回ったうえに、戦術の練習までしたのだ。体力どころか、イオータとのやりとりで、精神的にも かなりヘトヘトになっている。つまり、いつものように否定し、腹を立てるような体力・気力など残っていないという事だ。そこへ、昨日の夜と同じく ディゼルの間違った解釈や、それを真に受けた ラディの迷惑とも言える愛情表現が繰り出されても、正直 言い合いを始めるような思考や感情は、全くと言っていい程 反応しなかった。
あたしは、その場で小さく頷くと、顔と手を洗いに行き、素直に勧められた席に座った。
いつものような反応が返ってこないことに、ラディが疑問を持ったかどうかは 定かじゃない。けれど、自分の言う事に対して 反論しないあたしの態度は、ラディにとって喜ばしいことに違いなかった。その証拠に、それ以上 〝素直すぎる〟 という突っ込みを入れるような事はしなかったし、何より、不思議なほど穏やかな時間が流れていったのだ。
食後、お風呂に入ると、あたしたち四人は次々と沈没していった。ジーネス達とも、いろいろ話をしたかったが、体が吸いつけられるように布団を目指してしまうのだ。最低限、イオータたちと 今日一日の報告やこれからの事を話し合わなきゃ…と思っていても、たった一人の入浴を待つことさえできなかった。
明日の朝、話さなきゃ…。
布団に入ったあたしの意識が、現実の世界で そう思うや否や、次の瞬間には、夢も見ないほど深い眠りに落ちていった。