6 隠されし村の存在 <1>
普段のあたし達にしては珍しく、この山越えの道のりは口数が少なかった。いつものように、ラディとケンカするミュエリがいないからなのか、それとも目的がハッキリしている為、敢えて喋る必要がなかったからなのか、それは自分でもよくわからない。ただ、沈黙を苦手とするラディでさえもが、ムリに何かを話そうとしないのを見ると、たんに登り続けるやま山みち道がきつくて、喋る気がしなかっただけなのかも…という気もしてくる。
カイゼルの代わりに先頭を歩いていたイオータのあとを、あたしもまた無言で歩き続けていた。時折、分かれ道にさしかかっては振り返り、指さしだけの方向確認をすると、すぐさま前に進んでいった。
確かに、〝分かれ道〟 は幾つかあったが、〝紛らわしい〟 というほどではなかった。それどころか、惑わされる方がおかしいと思えるほど、進むべき方向がハッキリしていた。なぜなら、明らかに道幅が広く、人の通った痕跡が沢山あったからだ。
イオータが振り返り、方向確認の為、あたしが無言で頷く。そんな事が繰り返されるたび、あたしの心の中には徐々に不安な気持ちが募っていった。自分の村を出た時の、あの感覚…そう、どのくらい歩けばこの山を越えられるのだろうか、だった。そして、その不安な気持ちに追い討ちをかけるかのように、思い出されるミュエリの言葉。
〝ホントは同じ所をぐるぐる回っているだけだったりして…〟
道なき道を歩いているならいざ知らず、人が利用している道を歩いていて そんな事あるわけがないと、膨らみつづける不安を押さえる自分もいたが、なにせ、登る事に一生懸命で周りの景色もロクに見ていなかった状況では、〝同じ所を通っていない〟 という確信が持てないのも事実だった。ただ、登り続けているという事実と、あたしの感じている不安が、ネオス達の口から出ないという事だけが 唯一、立ち止まりそうになるあたしの足を動かしていた。
そんなこんなで数時間が過ぎ、ようやく目の前の道が下り始めた。そしてそれは、先の見えなかった者にとって待ちに待った光景であり、疲れ切った足にも更なる力を与えた。
単純に計算しても、登りと同じぐらい歩けばこの山を越えることができる。それは誰しもの頭によぎる事であり、間違いのない事実だった。ただ、終わりが見えた時というのは、時間の経過や肉体的疲労など、全てにおいて頭の中で予想できる為、精神的にも楽になる。だから実際は 〝下り坂〟 という現実に拍車をかけ、思った以上に早く越えることができるのだ。
現に、〝下り〟 は早かった。周りが薄暗くなり始め、足元も見えにくくなってきたが、平地に近付くにつれ、木々の間から見える家々のともし灯び火を目にした時には、みんながみんな足早になっていた。
そしてようやく、山を抜け切ったあたし達は、新たな村を目の前にして束の間の休息をとるように、立ち尽していた。思えば、カイゼルと別れてから休憩という休憩をとった事がなかったのだ…。
「─なんとか、山ん中での野宿っつーのは免れたみたいだな」
腰に手をあて、大きな溜息をついたのはイオータだった。
〝間違えるはずがない〟 と信じ、進んできた道なのだろうが、やっぱり あたしと同じ不安を持っていたのかもしれない、とこの時 思った。あたしには、村の灯火を見つめるイオータの顔が、心なしかホッとしてるようにも見えたのだ。
「そうね…」
「なー、それよりよぉー、なんか食おうぜ。オレ、もー ハラ減って死にそー」
地面に座り込んだラディが、お腹を押さえて情けない声を出した。
──ったく、相変わらず呑気というか、緊張感がないというか…。そりゃ、山を越えられたという点では胸を撫で下ろしたけど、ミュエリがいないという状況に変わりはない。そんな時にまで いつもと変わらないラディの言動は、怒りを通り越して飽きれてしまうほどだ。その事を言ってやろうかと思い 口を開きかけたが、彼の 〝ハラ減った〟 という一言は、悲しい事に あたしにまで現実の生理現象…すなわち空腹感を呼び起こさせた。
「なぁ、ルフェラ──」
「分かったわよ」
ヒモジイ目を向けるラディに、あたしは小さく笑った。
そういや、朝ご飯食べたっきりだったもの、お腹が空くのもムリないわよね…。それに 普通なら、もっと早くに 〝ハラ減ったー〟 って喚いてもおかしくないのだ。
大体いつも 彼の一言で、あたし達は食事をしていた。何かに集中していると食事することすら忘れてしまうあたしだから、ある意味、彼の腹時計で時間の経過を知ったりする部分もあったのだ。
正確な腹時計にもかかわらず、山を歩いてる時に知らせなかったという事は、少なくとも彼にとって 〝いつもと変わらない言動〟 ではなかったんだ…。
空腹を満たす為にも、ここで座りこんでいるわけにはいかないし…まずは、何か食べれる店を探さなきゃね…。
「──とにかく、もう少し歩くわよ」
「…おぅ」
お腹の空き過ぎで力が入らないのか、その一言でさえ、とても小さな声だった。
村の灯火を目指し、今度はあたしが先頭にたって歩き始めた。いつもの如く、ネオスやルーフィンは無言だったが、〝空腹は人を無口にさせる〟 という言葉がある通り、ラディまでもが無言だった。今日一日、怖いくらい静かな時間を過ごしていたが、その分、山を越えてからのイオータは、よく喋った。
「それにしても、なんもない所だな。──見てみろよ、畑ばっかだぜ?」
「…そうね」
「山ひとつ越えただけとは思えねーよな……あの女の村とはえらい違いだ」
右を見ても左を見ても緑の畑が広がり、一瞬、リヴィアの村との違いに驚いているようにも見えたが、どちらかというと何もない現実につまらなさを感じているように思えた。
「…ねぇ?」
「あぁ…?」
あたしは、すぐ後ろを歩いていたイオータの方を振り返り、後ろ歩きで前に進んだ。
「昨日から気になってたんだけどさ…」
「なんだ?」
「リヴィアの事、〝あの女〟 呼ばわりするのって、どうかと思うんだけど…」
「そうかぁ? 別にいーんじゃねーの。本人の前で言わなきゃよー」
「いや、そういう問題じゃなくて──」
「おエライさんに対して失礼…ってか?」
それまで何も考えないで喋っていたイオータだったが、急に冷やかな目で鋭い所をついた。確かに、そういう理由もなきにしもあらず…だが、それだけではないことも強調したかった。
「べ、別におエライさんだから…っていう事だけじゃなくてさ…その…ヒトとして失礼でしょ?」
「ヒトとして…ねぇ?」
「何よ?」
「いや、別に」
「それとも、個人的に何か恨みでもあるわけ?」
「まさかぁ。──オレ、美人は好きだぜ。頭がよくて優しいときたらなおさらな」
「じゃぁ、どうしてそんな悪者を呼ぶみたいに──」
と、そこまで言って、ハッとした。
「あんた、まさか…リヴィアの事 まだ疑ってんじゃ──」
「おいおい、まだってどういう事だ? あんたこそ、もう疑ってないって言うんじゃねーだろーな?」
「当たり前でしょ。リヴィアの話 聞いて、まだ疑ってる方がどうかしてんじゃないの?」
「あのなぁー、誰が自分から 〝黒です〟 ってゆーんだよ? 何でもかんでも人の言う事 信じってっと、真実なんて見えてこねーぜ? それに、あーいう、お涙ちょうだい的な話しは、ハナっから疑った方が妥当だ」
「なんて、嫌らしい性格なのよ。あたしにしてみれば、あんたの方がよっぽど怪しいわよ」
「なんだぁ?」
「別にぃ」
あたしは意味ありげにそう言って、再び前を向いた。だけど、イオータはまだ話を続けていた。
「──オレ、ヒトは好きなんだけどなぁー」
「はぁ?」
これまた意味ありげな言葉が聞こえ、思わずまた、後ろ歩きになる…。
「どういう意味よ?」
「どういう…って、その言葉 通りじゃねーか。オレはヒトを愛してんの。ゆえに、自分を信じれるから、ヒトの言う事は信じるって事さ」
「──ワケ、わかんないわよ」
「そーか? ま、早い話しが、オレを信じろって事だ」
自分を信じろと言うには、あまりにもワケが分からず、尚且つ 強引に結びつけているようで、あたしはなんだか呆れてしまった。
「──あんたって、ホント不理解野郎だわ」
「なんだ、そ── あ、おい!!」
一瞬、イオータの目が大きく見開いたかと思うと、あたしは 〝え…?〟 と声を発する間もなく、何かにぶつかり態勢を崩した。咄嗟にイオータの手があたしの腕を掴んだため、かろうじて転ぶことは免れたが、反対に、あたしの後ろでは 〝ドン〟 という音と共に、何かが地面に落ちる音がした。
咄嗟に振り返る。
そこには籠を背負った十五歳 前後の女の子がしりもちをついていたのだ。
「あ…! 大丈夫!?」
あたしはその場で座り込み、声をかけた。
「あ…はい。大丈夫です」
小さな声でそう返事すると、彼女は両手を使って地面を触り始めた。
まさか、この子…目が見えない…!?
転んだ時に籠から落ちた野菜を手探りで探す彼女を見て、すぐさま あたしも拾い始めたが、同時に 〝それで…〟 と納得もしていた。あたし達と同じ方向に歩いていたのなら、何かの拍子で後ろを振り向かない限り、あたし達の存在に気が付かないのは当然だろう。でも、しりもちをついたという事は、あたし達の方に向かって歩いてきたということ。つまり、普通なら、あたし達をよける事ができたはずだと思ったのだ。
まぁ、前を向いて歩かなかったあたしが一番 悪いんだろうけどさ…。それにしても、前を向いていたイオータ達が気付かなかったってどういうことよ!?
そんな事を思いながらも、あたしは最後の一個を拾うと、直接 彼女の手にそれを渡した。
「ありがとうございます」
「──これで最後だけど…ホントにどこもケガしてない?」
「はい…大丈夫です」
「そう、ならいいけど…。あの…ホントにゴメンね。あたしがちゃんと前向いて歩いていれば──」
「いいえ、気にしないでください。ホントに大丈夫ですから」
彼女はそう言うと、小さな笑みをあたしに向けた。そして、左手を空中に泳がせたかと思うと、近くにあった細いロープを掴み、再び顔だけこちらに向けて軽く頭を下げた。あたし達も彼女の行動につられ、見えていないにもかかわらず頭を下げる。ほんのしばらく、ロープに捕まりながら普通の人と変わらない早さで歩く彼女の後姿を見送ったのだが、彼女に背を向けようとした丁度その時、視界の端のほうで、彼女の足が止まるのが見えた。そして、体を半分ひねった彼女が、あたし達に声をかけた。
「あの…」
「え…?」
「唐突なんですけど…何か探してますか?」
思わぬ質問に驚き、あたし達は返事をするのも忘れ、お互いの顔を見合わせた。
「違い…ますか?」
「…え? あ…」
「あ…すいません…。なに言ってんだって思います…よね?」
彼女は完全に後ろを振り返り、掴んでいていたロープを右手に持ちかえた。
「──この村は他と違って、旅の方が泊まるような宿や食事をする所がないんです。ですから──」
「うぉー、マジかよ!?」
彼女の話が途中だというのに、ラディは構わず大声をあげた。
「ちょっと、急に大声 出さないでよ。ビックリするでしょーが」
「だってよぉー、食う所がないっつってんだぜ!?」
「そう…だけど…」
「宿がなくても死にゃーしねーけど、食いもんがなけりゃ死んじまうじゃねーか。オレ、もうすでに、ハラ減りすぎて、死にそーなんだぜぇー」
この先 何も食べれないと分かったからなのか、途端にその場に座り込んでしまった。
「ちょっと、ラディ! こんな所で座らないでよ」
「…力、出ねーもん」
「もん、じゃないわよ。ほら、立って」
「やぁ~だ」
「やだ…ってねぇ。あんた、子供じゃないんだから──」
「もう、歩けねー」
──ったく、ダダっこのガキかぁ、テメーは!
今にもこの道端で寝っ転がりそうなラディに向かって、耳元で叫びたい衝動を押さえながらも、あたしはムリヤリ立たせようと腕を引っ張った。ところが、このでかい図体はそう簡単には持ち上がらない。
「なぁ、お二人さんよぉ。仲がいーのは分かったから、彼女の話きーてやれよ。困ってんぜ?」
「え…?」
それまであたしとラディのやりとりを黙って見ていたイオータだったが、見ていられなくなったのだろう。〝ホレ〟 と言わんばかりに、腕を組んだまま彼女のほうに顎をしゃくった。
咄嗟に、彼女の方を見る。
イオータの言う通り、彼女は口に手をあて困ったように俯いていた。
「あ…ゴメンね。話の途中だったのに…」
「…いえ…」
「え~っと…。それで、何を言おうとしたのかしら…?」
「…………」
彼女の顔を覗き込んだが、相変わらず目をつむったまま返事がなかった。
「ね、ねぇ…?」
心配になり、どうしたのかと、肩に手をかけようとした。──が、その瞬間、いきなり彼女は 〝ぷーっっっ〟 と吹き出したのだ。
「へ…!?」
「す、すみません…。でも、おかしくって…」
込み上げてくる笑いを押さえつつ、なんとかそれだけを口にしたのだが、おそらく、それだけ言うのがやっとなのだろう。彼女はまだ笑ってる…。
おかしい…って、なにがよ?
ワケが分からず首を傾げたが、それはあたしだけじゃなく、すぐ後ろのネオス達も同じようにキョトンとしていた。そして、なんの反応もないのが、ヤバイと思ったからなのか、急に彼女の笑いが消えた。
「あ…すみません。そんなに笑うつもりはなかったんです。ただ、久々にそういう楽しいやりとりを聞いたので…」
楽しい…ね。確か、リヴィアにも同じ事 言われたような…。だけど、他人から見たら、そんなにあたし達のケンカっておかしいのかしら…?
「あの…もしよかったら、うちにきませんか?」
「え…?」
「この後、特に予定がなければ…ですけど」
「マジかよぉ! ありがてぇー!」
「ちょっと、ラディ…!」
「いーじゃねーか。予定なんて何にもないんだしよ。それに、人の好意は素直に受けるもんだぜ」
「あんたが受けるのは食事に関してでしょーが」
「おまっ…人聞きわりーな。別に食事に限った事じゃねーぞ、オレは」
「別に限ったなんて言ってないわよ。なんでもかんでも受ける中で、食事に関してだけは格別だって言ってんの」
「──ンなことねーよ。食う事より、もっと格別なものがあんだろーが」
「なによ、それ?」
「そりゃぁ、もちろん、──お前の愛さっ」
〝これぞ決めゼリフ〟 と言わんばかりに、ラディは胸を張り 人差し指をビシッとあたしに向けた。目を爛々と輝かせ、満足げな笑みを浮かべる彼に、あたしもそれなりの決めゼリフ(?)をお見舞いする。
「人に指なんか指すもんじゃないわよ、失礼でしょ!」
そう言うや否や、向けられた彼の手をピシッとはたいた。
「──ってぇなぁ。けどよ、マジな話、彼女の好意に甘えようぜ。オレ達みたいなのが泊まれる所も、食う所もなけりゃ、どーにもなんねーじゃねーか。先はまだ長いんだしよ」
「分かってるわよ。ただ…」
「──じゃぁ、笑ってしまったお詫びという事だったらどうですか?」
彼女は迷ってるあたしの背中を押すように、ラディとの会話に参加した。
「ほぉ~ら、彼女だってこう言ってくれてんだぜ。何をそんなに拒んでんだよ?」
「拒んで…って」
別に、あたしは彼女の好意を受けるつもりがないとは言っていない。それどころか、泊まる所も食べる所もないと聞かされ、〝よかったら──〟 と誘ってくれた時は正直、ありがたかったのだ。〝先は長い〟 と言うラディの言葉も、その通りだと思うし、〝赤守球を見つけ出して…〟 というのも、結局は推測にすぎず、この問題がそう簡単に解明、解決するとは思えないのだ。だから、ヘンに意地なんか張らないで、甘えられる所は甘えさせてもらいたいという気持ちがあった。ただ、この状況で ラディのように 〝お願いします〟 と即答できないのには、理由があった。──と、いうより、きちんと確認しておきたい事があっただけなのだ。
「ルフェラ──」
「あー、もう! うるさいわね! あたしは別に拒んでなんかないわよ。ただ、先に確認しておきたい事があっただけなの!」
「確認…?」
「そうよ。なのにあんたが勝手に思い込んで…少しは人の話を最後まで──」
「確認って何をだよ?」
〝何を確認する必要があるんだ?〟 とでも言うかのようなその態度に、あたしの肩は怒りで震え始めた。
あー、もう! あったまにきた!! 人の話を最後まで聞けっていう言葉さえ聞かないこやつに、耳は必要なのか!?
そして、握った拳に力が入りつつある中、次に聞こえてきたラディの言葉が、あたしの中の怒りという爆発物に点火した。
「わかんねーなぁ。何を怒ってんだよ?」
その理由が本当に分からなくて言ってるのか、それとも分かっていながらふざけて言っているのか、今のあたしにはそんなことを判断する冷静さなど、心のどこを探しても見つからない。──というより、どちらであっても関係ないことだった。たとえ、悪気がなかったとしても、すでにこの怒りを鎮める事はできないからだ。
「ラディ!」
「うゎ…なんだよ…?」
「ほんとにあんたって人は─」
怒りの鉄拳が飛びそうになったその瞬間、再び軽快な吹き出しが聞こえてきた。
途端に、出した拳も空をきる…。
「す、すみません…本当に…。で、でも──」
本気で笑っているようで、彼女はおなかを抱えたまま、それ以上の言葉も発せず、前かがみになってしまった。
な、なんか…調子狂うわね…。
鎮めることができないほどの怒りも、なんだかシラケてしまった。
「ルフェラ…?」
「──もう、いいわよ」
あたしは溜息交じりにそれだけ言うと、笑いのツボにハマった彼女の方に向き直った。
「ねぇ、ひとつ聞いていいかな?」
「…え?」
まだ片方の手でお腹を押さえつつ、顔だけあげた彼女だったが、一生懸命 笑いをこらえているせいか、その瞳や口元は微妙に動いていた。
「あ、あのね…その、あなたの行為は喜んで受けたいんだけど、人数がちょっと問題で…」
「人数…ですか?」
現実的な内容が急に彼女の笑いを鎮め、かがんでいた上体をも起させた。
「そう。ちょっと、多くてさ…。それでもいいのかなっていうのを確認しないとね…」
「多いって、何人ぐらい…?」
「四人と半分…」
「半分…?」
「あ…も、もっと正確にいうと、四人と一匹」
あたしは見えもしないのに、彼女の目の前で指を出していた。
「一匹というと、動物…。その動物は、別に危険じゃないんですよね?」
「あ、うん。もちろん」
たとえ、狼でも、ルーフィンは安全だ。これだけは胸を張って言える。
「なら、どうぞ。うちの子達も喜びます。動物が大好きで…」
「うちの子達…?」
「はい。──あ、もしかして、〝若そうに見えるけど、実は結構 歳がいってたりして…〟 なんて思いました?」
「え…!? そ、そんなこと…」
一瞬、ドキッとした。否定はしたものの、彼女の言う通りだったからだ。
「うちの子っていっても、みんな身寄りのない子達ですけどね。──あ、私はジーネス。十六歳です」
彼女は敢えて歳まで付けたし、片手を差し出した。
「あたしはルフェラ。二十歳よ」
そう言うと、あたしは彼女と握手を交わした。次いで、ラディ達も自己紹介を始める。
「オレはラディ。二十二歳だ」
「え…二十二歳…ですか!?」
「ああ。なんだ、その 〝え…?〟 っていうのは? そうは見えないってか?」
「見えないのはもちろんですけど…ルフェラさんと言い合ってた感じでは、もっと年下かと思ったので…」
「つまり、若いって事か」
「なに言ってんの。〝ガキ〟 だって事よ」
「ガキってこたぁーねーだろー、ルフェラー?」
「あー、もう。うっとおしいわね。そういう所がガキだって言ってんの。ほら、次はネオスが自己紹介するんだから…」
あたしはそう言ってラディを横にどかした。
「僕はネオス。二十三歳。よろしく」
「あ、はい。こちらこそ」
「オレはイオータ。同じく二十三歳」
「え…二十三!?」
今度はあたしが驚いてしまった。
「なんだ? その驚きようは?」
「え…べ、別に…」
「まさか、あいつと同じで 〝ガキ〟 だっていーてーのか?」
「いや、そうじゃなくて…。ただ──」
「ただ…なんだ?」
「考えてもみなかったから…」
「はぁ!?」
〝なんだ、そりゃ?〟 とでも言いたげなその視線から、ワザと目をそらすと、あたしはルーフィンを呼び寄せた。このままだと、また なんか 〝バカ〟 にされる気がしたからだ。
「それから、この子が半分のルーフィンよ」
そう言って、彼女の手をルーフィンの頭に誘導させた。
「犬…? ううん、この匂いは狼…」
「そ…うよ。よく分かったわね」
「はい。犬だともっと人間臭さがあるけど、この子はもっと野性的で…でもルフェラさんの言うことをよく聞く、大人しくて賢い子です」
ジーネスは自信に満ちた目でそう言い切った。
たしかにその通りだ。十年以上も一緒にいるけど、犬みたいにベッタリはしてこない。ましてやこの旅を始めるまでは四六時中、傍にいたことはないのだ。付かず離れずの関係を保ちながらも、ある一定の時間になると、パッタリと姿が見えなくなってしまう。それでもルーフィンの名前を呼ぶと、ものの数分で現れるのだ。
それと、〝あたしの言うことをよく聞く、大人しくて賢い…〟 というのも当たってる。だけど、〝言うことをよく聞く〟 事が分かるのは、もっとあとの事だと思うんだけど…?
〝目は口ほどに物を言う〟 なんて言葉があるけど、初めて会って、尚且つ目の見えない彼女が、もうすでに何年も一緒に過ごしてきたかのような、確信に満ちた口調には、正直、驚きと疑問を持った。
しかし──
「すげーじゃん。なぁ、ルフェラ?」
「え…?」
あたしの代わりに何の疑問も持たず、素直に感激したのは、言うまでもなく、ラディだった。
「だって、当たってんだぜ。フツー、狼って分かった時点で怖がるしよ、大人しくて賢いなんて思わねーだろ?」
「そりゃ…」
「──だろ?」
ラディはそう言うと、今度はジーネスの方を向いた。
「すっげーな、あんた。…いや、あんたじゃなくて…えっと、ジーネス…だったっけ?」
「あ…はい…」
「だけど、なんで分かったんだ?」
「え…? それは…なんとなくっていうか──」
「なんとなくかぁー。いや、でも、そのなんとなくが当たってんだから、やっぱ、すげーよな、うん」
ラディは何度も 〝すげー、すげー〟 と繰り返し、彼女の両肩をバンバンと叩いた。
あたしはその光景を見て、〝あんたもすげーわよ。そこまで感激できるんだから〟 と呟いたが、もちろん、当の本人には聞こえていない…。
「あ、あの…そろそろ うちに行きません…か?」
「お? ──おお、そーだな」
再びロープを左手に持ち変え、歩き始めたジーネスの後ろで、あたしはラディの肘を小突いた。
「──んあ? なんだ、ルフェラ?」
「持ってあげなよ」
「何を?」
「決まってんでしょ──」
〝籠よ〟 と言おうとした時、後ろにいたネオスがスッと前に出て、彼女の肩に手をかけた。
「持つよ、籠」
「え…? あ、でも──」
「いろいろお世話になるし…このぐらいしないと、ね」
ネオスの声かけに、少々ためらったようだが、彼女はその言葉を素直に受け入れた。
「それじゃぁ、お願いします…」
背負っていた籠をおろし、それをネオスが受け取ると、ようやく、ラディもあたしの言わんとした事が分かったようだった。
「ケッ! あいつは自分が優しい男だってこと アピールしてるだけなんだぜ」
「──ンなわけないでしょ。ネオスは人一倍 気が利くのよ。──気も遣うけどね。そう言うあんたこそ、少しは見習いなさいよ。誰に言われなくても、荷物の一つや二つ持つぐらいの気遣いがあったって、バチは当たらないんだから」
「フン! あいつはなぁ、あーやって、オレより気が付くって事をアテつけてんだよ。しかも、その気遣いとやらをさらりとやっちまうから、こっちはムカツクんだ。あーいう事は女ったらしだからできるんだぜ」
「バッカじゃないの!? アテつけだって思うのはあんたのひがみでしょ。それに女ったらしっていうのは下心がある人のこと言うのよ」
「あるじゃねーか」
「どこによ!?」
「顔に書いてあんだろ。〝全ての女が好きです〟 って」
「あんたじゃないのよ?」
「オレは全てじゃねーぞ。お前一筋なんだからな!」
「はいはい。勝手に言ってなさいよ」
「だーっっっ! お前までオレの愛をさらりとかわすのかぁー!?」
「いちいち、まともに聞いてらんないわよ」
「聞ーてくれよ。大事なことなんだぜ?」
「だったら、もっと大事な時に言いなさいよね」
「オレにとっちゃぁ、いつでも大事な時なんだよ!」
「あー、そう!」
「あっそう…ってなぁ。あー、クソッ。もう、いいや。──だいたい何で、こんな言い合いしてんだよ、オレたち…?」
「あんたが自分のこと棚に上げて、ネオスの優しさにケチつけたからでしょ?」
「ケチって、おまっ…。もとはといえば、ルフェラがあいつのフォローするから、こっちもカーッっとなってだなぁ。そもそも、あいつのフォローはミュエリの役だったじゃねーか」
「仕方がないでしょ。肝心のミュエリは、今 いないんだから」
「かーっっ! じゃぁ、オレとルフェラがこんな言い合いする羽目になったのは、結局の所、あいつが勝手な行動したからじゃねーのか!?」
「それだけが理由じゃないでしょ。結局の所、あんたがネオスの優しさを素直に認めればよかっただけのことよ」
「またそれを──」
「なぁ…」
いつまでたっても終わらない言い合いにウンザリしてきた頃、話の流れを変えてくれそうな声がかかって、少しホッとした。
「なによ?」
「あんたらって、ほんと、おもしれー奴らだよな」
「はぁ!?」
なんなんだ、この合の手は…。
こちとら、ちっとも面白くない。今まで言い合ってたって楽しいなんて思ったことなんかないわよ。
そう言いたかったが、妙に落ちついた、客観的な目を向けるイオータを見てると、なんだか言う気が失せてきた…。
アホらし…。
面白い出し物でも見るかのようなイオータの顔と、何も感じてなさそうなラディの顔。その二つの顔を交互に見ていたあたしの口からは、言葉ではなく、大きな溜息しか出てこなかった。
あたしは両手を上げ、〝いち抜け〟 と言うと、前を歩くジーネスたちに走り寄った。
「ルフェラ…さん?」
「あ…うん、そうよ。後ろの連中と一緒にいたら、バカが移りそうでさ──」
「…そう、ですか」
ジーネスはそう言って、クスッと肩を揺らした。
「あ、ねぇ。そのロープって家まで続いてるの?」
「え…ロープ? ──ああ、これですか?」
ジーネスは左手で掴んでいたロープを軽く持ち上げた。
「もちろん、家まで続いてますよ。でも、私専用のものじゃないですけど…」
「──と、いうと?」
「目が見えないのは私だけじゃないですから。周りを見てもらえば分かると思いますけど、全ての場所に続く道のりには、このロープとくいがあるんです。私のような目の見えない人は、張ってあるロープの高さや、くいとくいの間隔、それからくいにつけられた凹凸などで、十字路があったり、あとどれくらいで目的の場所に着くかって事を知るんです。言わば、地図みたいなものですね」
「地図…。じゃぁ、もしかして、あなたたち皆はこのロープとくいを触るだけで、自分が今どこにいるか、分かったりするわけ?」
あたしは、その質問に対し 〝だいたいは…〟 という答えが返ってくると思っていた。ところが、彼女の口から出てきたのは、当然ですと言わんばかりの、〝はい〟 という二つ返事だった。
「すごっ…」
「え…。別にすごくないですよ」
「ううん、すごいわよ。だって、全てのロープとくいの特徴を憶えてるって事でしょ?」
「は…ぁ、まぁ…」
「やっぱりすごいわよ。あたしだったらゼッタイに覚えられないもの…」
「…そうですか? でも、それはルフェラさんにとって必要のないことだからですよ。人間、生きる為や生活する為に必要なことなら、どんなに大変で難しい事でも、やってのけちゃうもんなんです。〝ゼッタイ、憶えられない〟 って言ってたルフェラさんも、それが必要な状況になったら、それこそ、ゼッタイに憶えられますって」
「そ…うかな?」
「はい」
笑顔でそう答えるジーネスを見て、あたしは、そんな彼女がすごいと思った。
自分より四つも年下とは思えないぐらいしっかりしてるし、何より 〝人間、必要とあらばやってのける〟 と言い切れてしまうなんて、ただの十六歳とは思えない。その若さで、もう人生を悟ってるなんて、一体 彼女に何があったのか…と考えてしまうほどだ。
「──それに、このロープを使ってた人も、だんだん使わなくなるんですよ」
「……どういう事?」
「慣れてくると、頭の中に地図ができてきて、自分が歩く歩幅や早さで、今どこにいるかって事が分かるんです。つまり、頭の中で時間や距離が掴めてくるんですよ」
「うっそ…すごい…」
「だから、すごくないですって──」
「いや、やっぱり すごいと思うよ」
少しテレながら首を振るジーネスに、今度はネオスが口を開いた。
「え…?」
「──ほらね」
「で、でも…私みたいに障害のある人は、普通の人と同じように生活できれば…って、そう思うから──」
「だから、すごいんだよ。障害のある人は、もともと普通の人と同じラインには立っていないだろ? だけど、そのラインに立てるように、こういったロープや他の道具を使って、ハンディを補ってるんだ。本当はそれだけでもう、同じラインに立ってるはずなんだよね。だけど、その道具を使わなくなって、普通の人と同じように生活ができてしまったら、僕は、その時点で普通の人を超えてるって思うんだ。だって、必要のない普通の人には、決してできない事を、君達がしてるんだからね。もしかしたら、障害を持っている人の方が、より健常者なのかもしれないよ」
「ネオ…ス…」
「ま、これは あくまで、僕 個人の考え方だけど…?」
ネオスはそう言ってニッコリと微笑んだ。
「そう、よね…。ネオスの言う通り、ジーネス達は普通の人を超えてる。あたしも、ネオスの考え方に賛成だわ。──ねぇ、ジーネス、やっぱり──」
彼女に視線を移し、〝やっぱりあなたはすごいわよ〟 と続けるつもりだったのだが、思いも寄らない光景に、あたしはそのまま 声をとぎらせてしまった。
「や、だ…、ちょっと、ジーネス…なんで泣いてんの?」
「え…!?」
その言葉に、ネオスも驚きの声をあげた。
そう。ジーネスは俯いたまま 静かに涙を流していたのだ。
泣いてる理由が分からなければ、どうすればいいかも分からず、あたしとネオスは困ったように顔を見合わせていた。
「ジ…ジーネス…? あ、あたし達なにか悪いこと言ったの…かな?」
心配になって尋ねてみたが、彼女は首を横に振った。
「す…すみません。──違うんです」
「じゃ…あ、どうして──」
「嬉し…かったから…」
「う、れしい…?」
鼻をすすりながらも、彼女は大きく頷いた。そして深く息を吸い込んだかと思うと、嬉し泣きの理由を話し始めた。
「ここでは、私達のような障害を持っていても、あまり 〝障害者〟 という目では見ないんです。でもそれは、私達に冷たいとかいうんじゃなくて、普通の人と同じように接してくれるだけなんです」
「つまり…普通の人として見てくれてるってわけね?」
「そうです。もちろん、普通の人と同じようには行動できなくて、辛い思いをした時もあったけど、目が見えないからできない…あるいは仕方がないって諦められたり、〝手伝ってあげる〟 なんていう同情にも似た言葉をかけられるよりはずっと…ううん、全然 嬉しい事だった。だから、よけいに 普通の人と同じように生活できたらって思うようになって…しかもそれが当たり前になってたんです」
「…だから、自分はすごくない…って?」
「…はい。同じラインに立てるように頑張ってきた自分が、もうすでにそのラインに立っていて、しかも、目指したラインに立ってる普通の人を越えてるとまで言われたから、なんか嬉しくって…。それに、心の中にあった劣等感が、もう必要のないものなんだって言われたみたいで、涙が出てきちゃったんです」
「そう…だったの…」
「…はい」
ジーネスはそう言って、溢れてくる涙を拭っていた。
彼女は、普通の人として接してくれた人達がいたから、よけい 普通の人に近付こうとしたんだ。自分はすごくないんだと言ってしまうほど、そう思うことが当たり前の事になって…。本当は 頑張ってきた事に対して 〝エライね〟 とか 〝すごいね〟 なんていう言葉をかけて欲しかったに違いない。だけど、〝がんばる事が当たり前だから〟 っていう思いが、その言葉を求めたり、言って欲しいと思っちゃいけないんだって、自分に言い聞かせてたのかもしれない。
だけど…だけど本当は、やっぱりその言葉を待っていたのだ。ずっと頑張ってきた事を誰かに認めて欲しかったのだろう。ネオスの言葉を聞いた彼女のその涙が、そして口にした言葉が、それを物語っていた。
あたしはこの時、彼女がただの十六歳に見えない理由がなんとなく分かった気がした。
「あ…すみません。なんか暗くなっちゃいましたね」
「う、ううん。そんな事──」
ゴシゴシと両手で目をこすり笑顔を向けた彼女に、あたしは慌てて首を振った。
ジーネスはそれまで放していたロープを掴み、一番近くにあるくいに触れると、再び口を開いた。
「もうすぐ着きますから…」
「あ…うん…」
頭の中にある地図で現在地を確かめた彼女。あたしは 〝もうすぐ着く〟 なら、ここから見えるはずだと思い、軽く辺りを見渡した。その仕草を知ってか知らずか、彼女は更に付け足す。
「次の十字路を右に曲がって、突き当たりの家が、そうです。とは言っても、一軒しかないですけど…」
「そ、そうなんだ…」
言われた通り、その道程を目で追ってみると、確かに平屋の家が一軒建っていた。
「おおー、アレかぁ!」
今日の最終目的地となった彼女の家が視界に入るや否や、後ろを歩いていたラディが歓喜の声をあげた。そして、急に歩調が早まったかと思うと、あっという間にあたし達を抜き去り、その家に向かっていった。