5 閉ざされた突破口に差す光 <1>
あの日と同じように、あたし達はカイゼルの後をついて歩いていた。
天気もよく、少し歩くだけで汗ばんでしまう。どこを見ても人の顔が並ぶこの賑やかさは、二日前に感じた 〝活気のある村〟 という第一印象そのままだった。ただ一つ違う事といえば、ミュエリの変わりにイオータが一緒だということだ。昨日の事さえなければ、ケンカのないこの穏やかな時間も、普段のあたしにとって、〝幸せ〟 を感じるもののひとつだ。毎日 毎日たわいもない事でケンカし合う二人を見てれば、この静かな時間が一秒でも長く続いて欲しいと願うのは当然の事だろう。だけど、ミュエリが連れ去られた今は、ラディと言い争う彼女の姿を見て、一秒でも早く 腹を立てる自分に戻りたい気持ちで一杯だった。
「──どう、ネオス。何か分かる?」
ある事に集中してる為、人より遅れてついてくるネオスに、あたしは半信半疑で尋ねた。手の中をジッと見つめていたネオスは、顔を上げると小さな溜息をつき首を横に振る。
そう…よね…。そんな事…分かるわけないよね…。
それが当然の事だろうという思いが半分以上を占めていたにもかかわらず、実際、〝分からない〟 という彼の返事を目にすると、やっぱり、落ち込んでしまう。
「──けど、ほんとに分かんのかよ、あんな石で?」
「さぁな。でも、やってみる事で、何かしらの収穫はあるんじゃねーか?」
あたしのすぐ前を歩いていたラディとイオータの会話が聞こえた。
「収穫ねぇ…。例えば?」
「そうだな…。その石でミュエリの生存が分かれば、それが収穫だろ? 逆に反応がなければ、彼女がもうこの世にいないっつー事が収穫だ。それに、もしかしたらそれがただの石だっつー事が分かるかも知れねーぜ」
「なるほど…」
いつの間にかイオータと仲良くなったラディは、彼の言葉一つ一つを素直に聞いていた。
「絶対、生きてるわよ…」
あたしは 〝もうこの世にいないということが収穫だ〟 と言ったイオータと、〝なるほど〟 と納得したラディに、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声でボソッと呟いた。
昨日の夜、ミュエリは生きているという事をルーフィンから聞かされ、安心はしていた。ただ、非現実的な事でも、より安心すると言ったら変な話だけど、あの石でミュエリの生存が分かったら、あたし以外の人も同じ気持ちを持つことができるのだ。それは、あたしにとって、確実なんだという気持ちにさせる、重要な安心感である。だからこそ、半分以上を占めていた 〝それが当然の事だ〟 という気持ちとは反対に、〝なにか、分かって欲しい〟 という気持ちを持っていたのだ。
「それにしても、まさか 〝想いの石〟 が半分残ってたなんてなぁ…」
そう言って、ネオスを見るイオータの目は、あたしに二つの感情を抱かせた。ひとつは、〝不幸中の幸いだった〟 という思い。そしてもうひとつは、〝とんだ誤算だった〟 という思いだ。少しでも疑いを持つと、一つ一つの何でもないような言動が、怪しく感じる。
今朝、あたしが出した提案に、即 賛成したのはイオータだった。その時でさえ、やっぱり敵じゃないのかという思いとは裏腹に、これも奴の作戦か…? などと勘ぐってしまった。
そんな自分を嫌らしいと思う反面、ちょっとばかし頭がよくなったかのような気分になり、正直、とても複雑な気持ちだった。
あたしが出した提案というのは、今 ネオスがしている事だった。
今朝、朝食を摂ろうと階段を降りていくと、あたし達──正確には、ネオスの顔を見るなり若い女性が声をかけてきた。しかし、〝あの…〟 と言ったっきりなかなか次の言葉が出てこない。
一体どうしたのかと、あたし達は顔を見合わせた。
言いたい事がまとまらないからなのか、それとも言っていいものかと迷っているからなのか、あるいは言いたいことを忘れてしまったのか…。
見ているあたし達には、その理由など分からなかった。ただ、ネオスに何かを伝える為、この宿に来たのだけは間違いないのだろう。
何かを言いかけてはやめる、そんな彼女の行動をしばらくは黙って見ていたのだが、正直、朝食を摂る時間さえ惜しいと思っていたあたしは、その用件がなんなのか急かした。すると、〝これを…〟 とだけ言って、両手を差し出したのだ。彼女の手の平には、母指大ほどの透明な勾玉が赤い糸に通されていた。その石が何なのか、そしてなぜネオスに渡すのか、あたしやラディはもちろんの事、渡された当の本人ですら理解できなかった。しかし、イオータがあたり前のように呟いた一言で一気にその提案が浮かんだのだった。
「なんだ、〝想いの石〟 じゃねーか」
「え…ということは、もしかして昨日ミュエリが買った?」
ネオスがそこまで言うと、俯いていた彼女はコクンと小さく頷いた。そして付け足した。
「──その、片割れです…」
あたしはここで、ピンと閃いたのだ。
確か、想いの石は二つで一つ。その片割れがここにあるという事は、もう一つの片割れはミュエリが持っている可能性が高い。そして、その石が本当に 〝想いの石〟 なら、ミュエリの想い、あるいはネオスの想いが相手に伝わるのではないか、と思ったのだ。それに、もしかしたら、姿だって見えるかもしれない…。
あたしはすぐさまその提案を口にしてみた。即、賛成したのはイオータ。次いでネオスも同意してくれた。しかし、ラディだけは違った。
〝石〟 にそんなことができるかという否定的な思いと、仮にできたとして、二人のうちどちらに渡すつもりだったのか分からないという意見だった。
この思いと意見は、無責任だと思うかもしれないが、提案を出したあたし自身が持っているものでもあった。
ミュエリがイオータの事を想っている時に、ネオスがその石を持っていたら伝わるものも伝わらない。もちろん、その逆だってありうる。どちらに渡すつもりだったかと言われたら、正直 難しい。毎日 傍にいるネオスに渡してもなんの意味もないし、どうせならこの先 離れるイオータに渡すのが無難だろう。だけど、離れてまでイオータの事を想うほど惚れているとも思えない。なぜなら、あれは一種の病気だからだ。もし、病名を付けるとしたら、〝カッコイイと思ったらお近づきになりたい症候群〟 とでもいうのだろうか。それに、ああ見えて結構 一途でもある。ピンチに陥った時、本当に頼りにするのは、たとえイオータに渡すために買ったとしても、やっぱり最後はネオスだろう。
あたしは 〝分からない〟 と言ったラディの言葉に頭をフル回転させ、そのどちらかを選んだ。
「ネオス、お願い…」
「あ、ああ…分かった…」
結局、ネオスはその時から受け取った石を見つめて、ミュエリに話しかけるようにしていたのだ。もちろん心の中でだが…。
しばらくすると、またラディ達の会話が聞こえた。
「──それにしても、どこでそんな噂 聞いたんだ?」
「噂?」
「ああ。さっきカイゼルに言っただろ。〝彼女なら何とかしてくれるかもしれないって、村の連中が噂してた〟 ってよ? オレはてっきり、リヴィアを疑ってんのはお前 個人の意見だと思って──」
「噂なんかねーよ」
「はぁ?」
「噂なんかこれっぽっちもたっちゃいねぇ。ただの でまかせだ」
「でまかせ!?」
「ああ」
〝当たり前だろ〟 とでも言うかのように、イオータは顔色ひとつかえず答えた。
「なんで…」
「なんでって…理由が必要だろ、彼女に会うには」
「いや、それはそうだけどよ…。もっと違う理由っつーか、あの言い方だと、いかにもオレ達が疑ってますって言ってるよーなもんじゃねーか?」
「そうか?」
「そうかって…お前…」
「考えすぎだ。オレらが疑ってるからそー思っちまうだけだよ。昨日 今日やってきた旅人が、村人の噂を聞いたからってだけなら、深く考えるような事でもないだろ。それに、やつらが本当に何もかんでなければ、オレらが話した時に即 否定するはずさ。逆に、かんでるなら、何かしらの動きがあるだろ? 毎日 見回ってるにもかかわらず、自分の知らないところでそんな噂話があったなんて知ったら、ほっとくわけにもいかないからな」
「な、るほど…。あれ、でもよ? 〝あり得ない〟 って否定しなかったけか?」
「あれは、ルフェラが狙われてるって事に対して言った言葉だ。リヴィアの力を否定したんじゃない」
「おお、そう言えばそうだな」
「まっ、善か悪かはもうすぐ分かるってことだ」
そう言ったイオータはどこか楽しみにしているようにも見えた。
その言動は、またあたしの心を揺らした。
考えてみれば、リヴィアを疑うよう仕向けたのはイオータのはずなのに、本人が真実を知ろうとしているのだ。もし、かんでいるのが自分で、誰かに疑いをかけたのなら、その疑いをかけた相手が黒か白かという事を確かめようとするだろうか? しかも疑いをかけた本人があたし達を目の前にして、だ。
今のイオータは心底リヴィアを疑ってるようにも見える。──という事は、やっぱりあたし達の敵じゃない?
それに、リヴィアを疑ってるという事はカイゼルをも疑ってるという事よね…?
あたしは彼らの前を歩くカイゼルの背中に視線を移した。そして、彼の後をついて歩くことになったいきさつを思い出していた。
朝食後、店を出たあたし達は、毎日 見回ると言っていただけあって、今日もこの賑やかな場所を歩いていたカイゼルと出くわした。
カイゼルはあたし達を見るや否や、ミュエリがいない事に気付いた。最初は 〝疲れが出て宿で休んでいる〟 と言ってごまかそうとも思ったが、そう言ってしまうとリヴィアに会いに行く理由がない為、正直に話す事にした。しかし、彼女や彼を疑っていることだけは悟られてはならない。その事を念頭に置きながら、黒風に連れ去られた事や、ミュエリを助ける方法がないかを質問してみた。彼の反応は予想通りだったというか、期待外れだったというか…最初は驚いていたものの、助ける方法がないという事を 〝残念ながら…〟 と切り出すと、あたし達を気の毒そうに見つめた。
しかし、それで納得するあたし達ではない。いや、おそらくこの村に住んでいない人にしてみれば納得いかないのが当然のことだろう。見た事も聞いた事もないような、得体の知れない生き物に仲間が連れ去られたうえ、助ける方法がないから諦めろと言われても、到底 ムリな話なのだ。だけど、今この時点で肝心な理由が思い浮かばなければ、リヴィアに会いに行くこともできないのも、現実なのだ。
どうしよう、どうしよう…なんて言えばいい…?
今までに使った事がないほど、頭を回転させるが、情けないことに これといった理由が思い浮かんでこない。こんな事なら、昨日のうちに考えておくんだった。そんな当たり前のような後悔だけが頭の中をグルグルと駆け巡る。俯いたまま眉間にシワをよせながら考えるあたしの気持ちは焦る一方だった。
そんな時、あたしの後ろであの声が聞こえた。そう、イオータだ。
「噂、きーたんだけどよぉ?」
イオータはそう言いながらあたしの前に出てきた。思わず、〝噂!?〟 と振り返る。そんなこと一言も聞いてないのだ。もちろん、ネオスもラディもイオータを見ていた。一瞬、なんの噂なのかと興味を持ったが、次に発したイオータの言葉に、あたしの心臓がドキリと鳴った。
「噂…といいますと…?」
「南の方に住んでる綺麗な女性なら何とかしてくれるかもしれないってな」
「ちょっ…」
〝なんてこと言ってるのよ〟 と、咄嗟に背中を小突いたが、イオータはあたしの方を見向きもせず、片手で制した。
「南というと…まさかリヴィア様のことですか…?」
「──だろうな」
核心をつかれたからなのか、カイゼルは少々 動揺していた。あたしは彼のそんな態度が気になったものの、彼と同じぐらい動揺していたのも、また 事実だった。その言い方は、あたし達が疑っていると言っているようなもの。いくら理由が浮かばなかったからといって、そのままを言わなくてもいいでしょーが、と言いたくなる。〝黒ですか?〟 と聞かれて 〝はい〟 と答える者はいないのだ。
今までのイオータを見ても、一体 どういう人間なのか分からなかった。誰かさんと似ていて調子のいい奴だと思う反面、普段から落ち着きがあり、時にはまともなことも言う。だから、その誰かさんよりぜんぜん頼りになるかもしれないという思いがないわけではなかった。だけど、〝言っちゃぁダメでしょ〟 と思っていたことをこうすんなり言われると、〝何か考えがあるのかしら?〟 と彼を信じるどころか、やっぱり 〝本当はバカで間抜けなんじゃないか〟 と思ってしまう。
あたしは、〝なんてあんたはバカなのよ〟 という情けなさが混じった怒りと共に、これ以上何を言い出すんだというハラハラした気持ちで一杯になった。だけど、当の本人はあたしの気持ちなど知るはずもなく、普通に会話を続けた。
「でも、どうしてそんな噂が…?」
「さぁな。オレもよくは知らねーが、彼女 美人で頭もいいだろ? そのうえ優しいし、この村の連中にとっちゃぁ、天使か女神様ってな存在らしいぜ。それぐらい完璧な彼女が黒風に狙われもしないっつーのは、やっぱ特別だと思うんじゃねーか? 実際、彼女が何とかできるかどうかは分からねーけどよ、こいつも黒風に狙われてるし、そういう噂を聞いたら確かめてみたくなるだろ? なんつーんだ、ほら、〝藁にもすがる〟 っていうやつか?」
イオータはそう言うなり、後ろのあたしに親指を向けた。途端にカイゼルの視線があたしに移る。
それまで、自分の知らないところでリヴィアの噂をされていたという事に驚いていたカイゼルも、あたしが狙われていると聞いた瞬間、更にその驚きが増したようだった。
「狙われてって…。ルフェラさんがですか…!?」
「え? あ…ぁ、その…」
〝まさか、信じられない〟 という言葉さえもが聞こえてきそうな彼の質問に、あたしはすぐに返事ができなかった。すると、再びイオータの声が聞こえる。
「こいつが襲われるのも時間の問題だぜ。あの黒風が消える時 〝近いうちにまた来る〟 って言い残したんだからな」
「…そ…んな事…あり得ません……」
カイゼルはあたし達から視線を外すと、呟くようにそう言った。
「…なぜだ?」
「…黒風は…ここの村人以外 襲わない…いえ、襲ったことなどないのです…」
〝あり得ない〟 とはっきり否定しているにもかかわらず、動揺しきったカイゼルの言葉に力は感じられなかった。まるで、自分にそう言い聞かせているようにも聞こえる。
「──けど、現にミュエリはオレ達の目の前でさらわれた。それともなにか? オレらがウソをついてるとでも?」
「いえ…そんなことは…」
しどろもどろになるカイゼルとは対照的に、イオータの口調はだんだんと強気になっていく。
「──とにかく、村人の噂を確認させてくれないか? そうでないとこいつらは納得しないぜ?」
イオータはそう言うと、ようやくあたし達の方を振り返り 〝そうだよな?〟 と付け加えた。
〝納得しない〟 のは、あたし達だけじゃないでしょ。そう言いたかったが、彼の言葉にケチつける場合でもなかった為、あたしは頬を引きつらせながらもなんとか頷いた。それまで視線を外していたカイゼルの目が、頷いたあたしの目と合う。それでも、しばらくは何かを考えるように黙っていた。その間、あたしやネオス達の顔色を幾度となく伺っていた。しかし、あたし達を納得させるような言葉を見つけ出せないのか、それとも納得するような人間じゃないことを悟ったからなのか、カイゼルは小さな溜息をつくと軽く頭を下げた。
「──分かりました。では、御一緒に どうぞ」
考えていた時間が落ち着きを取り戻させたのか、彼はすでに、元のカイゼルに戻っていた。初めて会った時と同じく、綺麗な手の動きであたし達を誘導するや否や、体を翻し歩き始めたのだった。