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女神伝説  作者: Sugary
第一章
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1 変わらぬ夏の収穫

 今日から〝地の月〟が始まった。

 それは暑い夏の始まりとともに、一年で最も収穫できる月に向かって忙しくなる時期。大地に種を蒔けば、来月の〝火の月〟にはそれらが大きく成長し、更に翌月の〝実の月〟になれば、言葉通り沢山の実がなり収穫できるのだ。──とはいえ、収穫時期という点では大地に限った事ではないので、村人はそれぞれの持ち場に出かけ忙しく働くのだが…。


「ねぇ、ネオス。明後日なんてどう? おばあさんから教わったトッキンパイ、うまく焼けるようになったのよ」

 〝だから食べに来て〟

 ──と甘い声でデートの誘いをかけるミュエリに、()()()は朝からウンザリしていた。彼女の持ち場は畑なのに、どうしてあたしの持ち場であるジャイアントケルプという名の森に来るのか。その答えを知らない人なんて、この村にはいないだろう。

「悪いけどミュエリ、それはできないよ。この数ヶ月間はみんな忙しいんだ、猫の手も借りたいほどね。そんな時に一人でも休んだら、一年分収穫する計画が大幅に狂ってしまうだろ?」

 優しく、それでいて納得せざるを得ない理由で断った彼こそが、ネオス。ミュエリが想いを寄せる男性だ。

 ネオスは狩り人で、元々森が仕事場だった。それが何故か数年前からあたしと同じ持ち場になり、以来ずっと一緒に来ている。さすがに女性禁制の狩りにミュエリがついていく事はなかったが、ケルプ実の収穫に変わってからは、毎日といっていいほどついてくるようになったのだ。

 他の植物より早く実がなるケルプ実は、今が一番の収穫時期である。実は食料になり、繊維の多い葉は紙の原料になる。茎を加工すれば薬にもなるため、収穫する量が更に多くなるのだ。だから正直、ネオスがあたしの持ち場に加わってくれたのは助かったのだが、まさかこんな〝おまけ〟がついてくるとはね…。

 しかも、

「いいじゃない、一日ぐらい休んだってそんなに変わらないわよ。大げさねぇ、ネオスったら」

 ──なんて、納得するどころか〝一日ぐらい休んだって〟と言ってのけるから、ウンザリを通り越して腹が立ってくる。聞き流せればどれ程ラクか…。我ながら進歩がないなぁ…と思いつつ、この時期になると恒例のように同じ感情が募ってくるのだった。

 それにしても、ほんっとイライラするわ。

 ネオスもネオスよ。筋道立てて話したって納得するミュエリじゃないんだから、〝とっとと自分の持ち場に戻れ!〟ってピシッと言ってやればいいのよ。──ってまぁ、そう思ったって優しいから言えないんだけどさ…。だったら、せめて無視しちゃってよね。じゃないと、ほんとに収穫が遅れるわよ?

 あたしはそんな事を一年ぶりに登った木の上で思いながら、ひとつひとつ、赤く熟したケルプ実をちぎっては下に落としていった。落とした実は、あたしの相棒である狼のルーフィンが受け取ってくれる。もちろん手ではなく咥えた籠を使って、だが。だけど、これがなかなか上手い。落ちてきた衝撃を吸収するように籠を動かすため、傷が付かないのだ。

 そうこうするうちに、下の方からまた優しい声が聞こえてきた。

「ミュエリ、頼むよ。自分のことばかり考えないで。ちゃんと収穫しておかないと、作りたがってるトッキンパイも作れないだろう?」

 あぁ、なんて優しいのよ、ネオスは。優しすぎて、逆にイライラが倍増するわ。

 あたしは、ケルプ実をちぎる手に力がこもっていった。ちぎるというより、引きちぎる感じだ。力を込めて引っ張るから、ちぎった瞬間には蔓ごと動いて葉を揺らす。けれど、そんな音も二人──特にミュエリには聞こえないのだろう。それがまた腹が立つ。

 頭にはいつもより二倍の血が流れているようで、自分でも耳まで熱くなってくるのが分かった。せめてここで〝分かったわ〟という言葉が聞ければ、この怒りもおさまるのが…。

「ネオス、材料のことなんて心配しなくてもいいのよ。ホント言うとね、家族に内緒で少しとっておいてあるの。だから──」

 あぁ、もうダメだ!

 完全にアッタマきた!

 目の前のケルプ実をブチッと引きちぎると、あたしはミュエリめがけて投げつけんばかりの勢いで下に向かって叫んだ。

「ミュエリ!」

「え…な、なによ…?」

 突然の大声に、ミュエリがビクッとして上を向いた。

「何よ、じゃないわよ! あんたの持ち場はここじゃないでしょーが!? 自分の仕事をサボって収穫に影響が出るのはあたしの知ったこっちゃないけど、ここに来て、あたし達の邪魔までしないでよ!!」

「し、失礼ね。だいたい私はネオスと話をしてるのよ? あなたやルーフィンの邪魔はしてないでしょ!?」

 〝あたし達〟と言ったのは、あたしとルーフィンはもちろん、この持ち場に変更になったネオスも含んでいる。故にネオスと話しているというのは、〝あたし達〟の邪魔をしているのも同然なのだが─…なぜその事に気付かないのか、この女は…。

 あまりにも理解力のない頭、もしくはその自己中心さに呆れ黙っていると、それを言い返せないと思ったのかフフンと鼻を鳴らした。

「それに、私達の事が気になって仕事が手につかないって言うのなら、それは単にあなたが集中してないってだけでしょ? しかもそれを〝邪魔された〟って思うなんて、責任転嫁もいいところだわ」

「あ…んたねぇ──」

 耳を疑いたくなるような正当化ぶりに、本気で手に持っていたケルプ実を投げつけてやろうかとその手を振り上げれば──

「────!?」

 一瞬にして目の前がぐらつき、何かを掴もうと伸ばした手は空を切った。──と同時に、体も空気中に投げ出されてしまった。ネオスがあたしの名を叫んだようにも聞こえたが、実際はミュエリの悲鳴なのか、あたし自身の悲鳴なのか分からない。

 ただ、なぜだろう。

 落ちるのなんてほんの一瞬なのに、周りの景色がまるでコマ送りのように見えていた。木漏れ日がチラチラと揺れ、小枝に止まっていた鳥が緩やかに飛び立つ様までハッキリと見えたのだ。

 あぁ、そうか…。

 そんな場合じゃないのに、とふと思った。死ぬ前の一瞬って、こんなにもゆっくりなんだ…と。

 地面に叩きつけられる痛みなんて考えもせず、このまま意識を失って自分は死ぬんだ…。

 そう思った時だった──

 かなりの衝撃を体に受け、背中を叩かれた時のように〝うっ…〟という呻き声が口から洩れた。それで失いそうだった意識が一瞬にして引き戻されたのだが、思ったより痛みが少ないことに気付く。

 運良く枝にでも引っかかったのかな…?

 呑気にそんな予想をしたものの、全体が蔓のようになっているケルプ実の木に、引っかかるような枝なんてものはない。なのに、何かが背中や膝裏あたりに当たっている─…と思ったところでハッとした。

 ネオス──!?

「よかった…」

 目を開けたあたしが驚いて声を出すより早く、ネオスのホッとした顔と声が飛び込んできた。まさかと思ったことが、目を開けてハッキリとした。ネオスは木の上から落ちてきたあたしを受け止めたのだ。

「…ぁ…ネオ──」

 ようやく声が出たと思ったら、

「な、何やってるのよ─…ちゃんと集中してないからそんな事になるのよ! ──もう、早くネオスも下ろしちゃいなさいよ」

 ただの嫉妬か驚きか、それともホッとしたからなのか…ミュエリの強い口調が飛んできた。ネオスはその言葉に返事こそしなかったが、ゆっくりと、あたしを地面に降ろしてくれた。

 すかさずミュエリが心配そうに歩み寄った。

 誰に…?

 もちろんネオスに、だ。

「腕は…? 痛めなかった…?」

 確かに、落ちた者より受け止めた者のほうが衝撃も強く腕も痛める。へたをすれば、骨が折れる事だってあるのだ。

「それよりルフェラは? どこも痛めてない?」

「大──」

「大丈夫よ、ルフェラは」

 ミュエリの心配をサラッとかわし、あたしの事を心配してくれるネオスに〝大丈夫、ありがとう〟と言いかけたのだが、即座にその間を埋められた。しかも、

「だいたい、私達の話に聞き耳立てるから仕事に集中できなかったんでしょ? 自業自得もいいとこだわ」

 ──と聞き捨てならない言葉まで追加された。

 もし受け止めたのがネオスではなく別の人だったら、おそらくミュエリもこんな言い方はしないだろう。好意を寄せる相手を心配するのは普通の事だからだ。故に、今更そこをどうこう言うつもりはない。ただ──

 元をただせば…と思うと、さすがに忘れていた怒りが蘇ってくる。

「なんなの、その言い方」

「あら、何よ?」

 〝何か文句ある?〟と言わんばかりの口調に、口より先に体が動いて一発引っ叩いてやろうかと歩き出したのだが──

 悲しいかな、足に力が入らなくてヘナヘナとその場に座り込んでしまった。自覚はなかったが、落ちたショックというのが思ったより大きかったようだ。

「大丈夫?」

「あー…うん。大丈夫よ、少し休めば…。それより、ありがとう、受け止めてくれて…」

 ようやく最初に言えなかったお礼を言うと、ネオスは首を振った。

「僕のせいだから…ごめん、ルフェラ」

「え…どうして…」

 そりゃ、ネオスの優しさが災いして、なかなか話が終わらなかったっていうのはあるけれど、一番の原因はミュエリにあるわけで─…身を挺してあたしを助けてくれたネオスが謝る事はないと思うのだが…。

 そう思い伝えようとしたら、一瞬だけネオスのほうが早かった。

「ルフェラは少し休んでいて。今度は僕が仕事に集中するから」

 安心させるように優しく微笑むと、今度はミュエリに声をかけるや否や、さっきまであたしが登っていた木に登り始めた。その姿をボンヤリ眺めていると、今度は体に染み入るような声が聞こえてきた。

 ──ルーフィンの声だ。

 座り込んだ時、ちょうど隣にいたルーフィンを支えにして触れていたらしい…。

『大丈夫ですか、ルフェラ?』

『…うん、体がビックリしただけよ。それより、ネオスが腕を痛めてないか心配だわ』

『今の動きをみれば、それは大丈夫だと思います。ただ、ネオスが受け止めていなかったら今頃は─…』

『ほんと、想像するとゾッとする』

 あたしはそう言って肩を震わせた。

『でも…本当によかったです、ネオスがいて。私だけではどうする事も出来ませんから…それがとても悔やまれます…』

『ルーフィン…』

 危険なものを察知したり威嚇したりする事は出来ても、人間じゃない以上、受け止めるのはムリな話。それは当たり前の事だし、お互いが求めるものでもない。けれど、人と話せるからこそ人のように出来ないのが悔しいのだろうか…。

 悔やまれると言った感情があまりにも強く感じられて、あたしはそれがとても不思議に思えた。

 あぁ、でも…。

 同時にこんな事を考えて納得してしまった。

 会話が出来ないだけで、一緒にいる動物は同じことがあればそう思うのかもしれないわね…と。

『ルーフィン。あたしは大丈夫だからさ…二人を手伝ってあげてくれない?』

 ネオスがミュエリに声をかけたのは、落とすケルプ実を拾わせる為。自分の持ち場に行かないなら、せめてここで手伝わせようと思ったのだろう。けれど上を見上げれば木漏れ日が邪魔で、肝心の落ちてくるケルプ実が見えにくい。故に、上手く受け取るのは難しいのだ。案の定、下で待っているミュエリは、まだひとつもまともに受け取ることが出来ず、地面に転がったケルプ実を拾っていた。

 あたしの頼みにルーフィンの視線がミュエリに移ると、タイミングよくケルプ実が地面に落ちて転がった。

『…分かりました』

 笑いを堪えるような、それでいて仕方ないという言葉が聞こえそうな口調で答えると、ルーフィンは近くに置いてあった小さな籠を咥え、ミュエリの傍に近付いていった。

 その姿が上にいるネオスには見えたのだろう。

 しばらくすると、

「ルーフィン、いくよ!」

 ──という声と共に、いくつか採ったケルプ実が連続で落ちてきた。ルーフィンは見事にそれを受け入れていく。あたしは下から見て改めてその正確さに感心していた。

 しばらくその様子を見て問題ないと思うと、あたしはその場で大きく伸びをしてから後ろに寝転がった。木漏れ日が真上から顔に降り注ぐ。数日前に降った雨のせいか、地面はしっとりしていて、それが今のあたしには特に心地良かった。

 ほんと、気持ちいい。ここでこうやってると心が落ち着いて、新しい力が湧いてくるような感じがするのよね…。

 あたしはその心地よさを堪能するように、大きく息を吸ってから目を閉じた。見えなくても、陽の光が顔に当たっているのが暖かさで伝わってくる。空気の流れや、ネオスがケルプ実を採る時に揺れるごく僅かな木々の音─…それらが実際に目で見るのと同じぐらい確かなものとして伝わってくるのだ。その中でも、ネオスとミュエリの会話は一筋の光のように澄んで耳に届いてきた。

「ネオス、気を付けてね」

「………」

 ワザとかそうでないかは分からないが、ネオスからの返事はなかった。その代わり、ケルプ実をちぎる音がしたかと思うと、今度はルーフィンが籠の中に受け入れる音がした。

「ネオスったら、ちゃんと返事してよ」

 またミュエリの声。今度は少し大きめだ。しばらく沈黙が続いた後、

「ああ…」

 ──とそれだけ、素っ気なくさえ聞こえる返事が返ってきた。

 彼らの声やケルプ実を収穫する定期的な音は、いつしか子守唄のように変わっていった。さまざまな音が遠くに感じると、気持ち良いくらい〝すぅー…〟と意識が沈んでいく。抗おうにも抗えない心地良さに、一瞬、ここにいるはずのない声が聞こえた気がしたのだが、もうそれを確かめる事は出来なかった…。



 あたしは夢を見ていた。それが夢だと分かったのは、村の景色が今の時期と違ったからだ。

 さっきまで雨が降っていたのか、空には大きな虹が出ている。辺りは色とりどりの草花が咲き、畑も山も青々と生い茂っていた。おそらく、この景色は一月後の火の月だろう。

 あたしは、いつものようにジャイアントケルプの森に続く一本道を歩いていた。そして森に着くと、現実の世界で何度も見ているその森を見上げた。

 ほんと、自然の力強さには圧倒されるわ…。

 感心するように息を吐き出した時だった。

「……ラ…」

 微かではあるが、人の声が聞こえた。反射的に辺りを見回してみる。──が、虫の音が邪魔をしてそれ以上は何も聞こえなかった。ひょっとして森の中に誰かいるのかも…と、極自然に足を踏み入れていけば、人の気配を察したように少しずつ周りの虫の声が消えていった。すると、また人の声が聞こえた。

「……よ…ルフェラが来てるわ」

 今度はハッキリと、しかも自分の名前が聞こえてきたから思わず叫んでしまった。

「誰…? また、ミュエリなの!?」

 夢にまで出てきて欲しくないが、女性の声だからか、思わずそう言ってしまった。でもすぐに口調が違うとも思った。

「誰なの…?」

 夢だから怖くはないけど、姿が見えないのは気になる。──というより、気に入らない。自分は知らないのに相手が知ってるっていうのは、ちょっと不公平じゃない?

 ──そう思うからだ。

 こうなりゃ意地よ。絶対、見つけてやるんだから。

 あたしはその声に集中できるように、目を閉じ耳を澄ましてみた。聞こえるのは虫の音と風に揺れる木々のざわめき。時折、鳥の鳴き声や羽音が聞こえてくるが、それ以外は本当に何も聞こえなかった。それでも諦め切れずジッとしていると──

「気付かないかなぁ…」

「まぁ…見えないからね」

「でも、声は聞こえてるみたいよ」

「聞こえてても、目を閉じてちゃ見えないよな」

 そんなツッコミにも似た声が、頭の上の方で聞こえてきた。

 上か!

 あたしはバッと顔を上げると同時に目を開けた。自分より背が高いか、もしくは木の上にいるのか…と生い茂る葉の隙間に目をやったのだが…。どれだけ目を凝らしてみても、ただの一人も見つける事ができなかった。

 絶対いるのに…。

 それが何だか悔しくて、思わず叫んでしまった。

「誰なのよ、いったい! 隠れてないで、ちゃんと出てきなさいよ!」

 強い口調で言ったからか、一瞬にして鳥や虫の音がピタッと止んだ。木々のざわめきだけが耳の中に広がり、あの声も聞こえなくなってしまった。逃げていったのか、それとも黙ったまま様子を伺っているのか…。どちらにせよ、姿を現さないなら無視を決め込むしかない。

 どうせ夢だし、その夢の中までイライラしたくないものね。

 そう思い大きな溜め息を付けば、不意に見上げたその空から、白い雪がひとつ静かに降ってくるのが見えた。

 こんな真夏に…?

 そりゃ、夢だからなんでもありだけど、季節の矛盾くらいはなくして欲しいものだ。

 自分の夢ながら呆れていると、ゆっくりと降りてくるその雪が、雪でない事に気が付いた。

 ひかり…?

 目を凝らし、数回瞬きなんかをしてみれば─…間違いない、それは小さな光の粒だった。たったひとつなのに──いや、たったひとつだからかもしれないが──その小さな光から目が離せないでいた。こちらに近付けば近づくほど、その光は徐々に大きくなってくる。そして何かしらの形を帯び始めた時、あたしは子供の頃にパーゴラのばば様が話していた空想の物語を思い出した。

 小指の頭ぐらいしかない顔と、背中に生えた軽そうな羽で自由自在に飛び回る。花や木や草…様々なものの守り神とも言える生き物。──妖精だ。

 そう思った瞬間、光がハッキリとその姿を現した。

「こんにちは、ルフェラ」

 ふんわりとウエーブがかった髪を揺らし、その妖精が目の高さで優雅にお辞儀をした。

「あ…こ、こんにちは──?」

「テラスエよ」

「こんにちは、テラスエ」

「やっと私たちの声が聞こえたのね?」

「やっと…?」

 それはどういう意味なのか…と思ったが、想像上の生き物を目にした時の驚きや不思議さの方が勝つのは当然で…。

 しかも、夢だしね。

 そう思ったら、些細な疑問はどうでもよくなってしまった。

「──こっちに来て、ルフェラ」

 小さな手で手招きすると、更に背中の羽をパタパタと動かして森の奥に進んでいく。あたしはその後姿を見ながら、フッとばかげた疑問が頭に浮かんだ。

 あの羽はどんな感じで背中に生えているのだろうか…と。

「何してるの、こっちよ」

 ついてくる気配がなかったからだろう。振り向けば、案の定あたしがボーっと突っ立っていた為、テラスエは両手を口に当て大声で叫んだのだった。その声でようやくあたしも足を動かした。

 彼女に追いつき更に森の中へ入っていくと、不意に後ろから誰かの視線を感じるようになった。何気に振り返れば、その光景にギョッとなって思わず歩くスピードを上げてしまった。なぜなら、あたしの後ろには何人もの妖精が同じように飛んでいたからだ。見えたのがテラスエだけだったから、勝手に彼女しかいないものだと思っていたけど──

 確かに、声は複数だったものね…。ただこう─…さっきまで見えてなかったものが一気に見えるというのは、驚きと共に軽い恐怖すら覚えてしまう…。

 後ろを気にしつつも歩いていると、森の中で一番大きなジャイアントケルプの木の前に来ていた。すると、テラスエがその木の中に吸い込まれていくようにスッと入り込んだ。

「え、テラ──」

 言いかけた途端、光があたしの横を通り過ぎた。──というより、追い越していった。後ろにいた妖精たちが、当たり前のようにその木に向かっていったのだ。あたしも流れに乗るようにその木に触れてみた。ところが触れるのは木そのもので、柔らかくもなければスッと溶け込む感じもない。夢だからできると思っていたのに、現実と同じで木に触っているだけだったのだ。

「ねぇ…? あたしはどうやって入ればいいの…?」

 別に入れなくてもいいのだが、ここまで来て置いていかれるのはどうも納得いかなかった。すると、木の中から残念そうな声が聞こえてきた。

「…まだ見つけてなかったのね。早く見つけてくれないとこの木の中には入れないわ」

「見つける…? 見つけるって、何をよ?」

 肝心な質問なのに、何故か返事が返ってこなかった。

 〝中で何か話してるなら…〟

 ──そう思い耳を木に押し当ててみた。けれど何も聞こえない。それどころか、気配すら感じなかった。

 なんなのよ…。〝こっちに来て〟とか言いながら、結局置いてきぼりじゃない…。もう、いいわ。こうなりゃ、夢の中でも眠ってやるんだから…。

 あたしはそのまま木の根っこに腰を下ろし、もたれるようにして目を閉じた。夢の中でも夢って見れるのかしらね…と、子供みたいな疑問を抱き、数回呼吸を繰り返したところで、何やら不思議な音が聞こえてくるのに気が付いた。

 何これ…? 水の音にしては変よね。太鼓のような…定期的なリズムが体全体に伝わってくる…。

 そんな事を考えていると、だんだん手や耳の感触がリアルになってきた。そして更に、違和感が増してきた。

 温かい…? しかも布のようなこの柔らかさはなに? まるで木が服を着てるみたい─…。

 そう思った直後、眠る直前に聞こえた声の事を思い出した。〝まさか〟と思いハッと目を開ければ、ネオスの声が聞こえたのはほぼ同時だった。

「ラディ!」

 ラディ…!?

 心の中で叫ぶより早く、あたしは飛びのいていた。反射というのはすごいものだ。

「うわ…寂しい反応。──てか、お前が急にでっかい声出すからだぞ」

 険しい顔で近付いてくるネオスに向かってそう言うと、〝なぁ?〟と今度はあたしに同意を求めてきた。

「…な、なな…何が〝なぁ?〟よ! だ、だいたい、なんでラディがここにいるのよ!?」

 しかも、なんであたしがこのラディに寄り添ってたわけ!?

 思わずついて出てきそうなその言葉を飲み込んで、あたしは心の中で叫んでいた。

「なんでって…お前の事が好きだからに決まってんじゃねーか。好きなやつの事は何でもお見通し。口には出さねーけど、お前もオレの事が好きなことくらい分かってんだぜ。だから無意識に出てくる〝会いたい〟っていうオーラが、ココントコにビビッと伝わってきたんじゃねーか」

 ラディはそう言って、自分の親指を胸に当てた。

「……………」

 呆れてものが言えない、とはこういう事を言うのね。

 最初こそビックリしてパニクったけど、ラディの話を聞いてると急にバカバカしくなってしまった。

「…それで?」

「だぁからぁ、ここに来たってわけ」

「あっそ。じゃぁ、一生ここにいたら?」

 そう言うと、あたしはラディに背中を向けてさっさと森の外へと向かった。

「お、おい…そんな寂しいこと言うなよ…」

 〝だいたい、お前がいなかったら意味ねーだろ…?〟

 そんな言葉を放ちながらあたしの後をついてくるが、もちろん完全無視を決め込んだ。

 まったく…なんて日なのよ、今日は。木の上から落っこちるわ、ミュエリの自己中さにイライラするわ─…ってまぁ、それはいつもの事なんだけど。引っ叩きたくても出来なかったし、挙句の果てには知らぬ間にラディに抱きついてたなんて…。今までで最悪な日だわ…。

 〝はぁ~〟と大きな溜め息を付けば、目の前はもう森の出口。陽は傾き、空には綺麗な夕焼けが見えていた。

 ラディの声が聞こえなくなって静けさが戻ると、不意に現実を思い出しハッとした。思わず両手を肩に当てる。

 ない──!?

 そう、ケルプ実が入った籠を背負ってない事に気付いたのだ。いや、正確には今日一日、まともに仕事してないことを。少し休むつもりが、あまりの気持ちよさに思いっきり寝てしまっていた。それはつまり、ネオス一人にケルプ実を採らせていたということだ。ネオスに申し訳ない…と思うと同時に、この後のミュエリの嫌味を想像してゾッとする。それでもこのまま帰るわけにはいかないわけで…。結局、籠を取りにまた森の中に戻って行ったのだった…。


 その日の収穫が終わっても仕事はまだ残っていた。その最後の仕事を片付ける為に寄るのは、パーゴラのばば様の家だ。昔は一人で住んでいたらしいが、今は十年ほど前に両親を亡くしたネオスと一緒に住んでいる。そんなばば様の家に着いたのは、ちょうど風が産屋に向かって吹く頃だった。

「ばば様。あたし、妖精を見たわよ」

「なに、妖精を?」

 ふと夢で見た妖精の事を思い出して口にすれば、一緒にケルプ実のヘタ取りをしていたばば様の手がピタリと止まった。

「ほら、ばば様が昔よく話してくれた空想の物語に、羽の生えた小さな生き物が出てきたでしょ? あたしが想像してたのとよく似てたから、すぐ分かったのよ」

「それはまことか…?」

「うん。──っていっても、夢の話なんだけどね」

「あぁ…夢か…」

 〝夢〟と聞いて少々残念そうに呟くと、再びばば様の手が動き始めた。その途端、しまった…と思ったが遅かった。

「いいわねぇ~。呑気に夢なんか見れちゃって」

 ──と、ミュエリの嫌味が飛んできたのだ。

「私も見たかったわぁ~。でも残念なことに、仕事が忙しくて見る暇なかったのよね~」

「──でしょうね。地面に転がるケルプ実を拾い集めるのに一生懸命だったものね」

 それは〝受け取るのが下手〟という意味だ。

「でも途中からルーフィンが手伝ってくれたから、助かったでしょ?」

 ルーフィンが落ちてくるケルプ実を籠で受け取れば、ミュエリのする事なんて殆どない。する事といったら、ルーフィンの咥えている籠に溜まったケルプ実を大きな籠に移し変える事だけなのだ。

 あたしが寝ていた…という話題から少しでも逸らそうとそう言えば、予想通りの反応が返ってきた。

「それって、私が何も仕事してないみたいな言い方じゃない?」

 どうやら嫌味は分かったらしい。

「あら、そうじゃないっていうの? 小さな籠から大きな籠に移し変えてただけで?」

「それでも仕事をした事には変わりないでしょ。それに、一日中寝てた人に言われたくないわ」

「言っとくけど、あんたが邪魔さえしなければ、あたしの仕事だって順調にはかどったのよ」

「そうかしら?」

「だいたい、仕事なら自分の持ち場でしなさいよ。畑の人から言わせれば、あんたの方がサボりまくってんだから」

「し、失礼ね…。私が森に行く事は、みんな公認だからいいのよ!」

 なんともまぁ、自分勝手な…。ミュエリがネオスを気に入ってるのは誰もが知ってることだが、だからって畑の仕事をほっぽり出して森に行く事を公認してるなんて、聞いたことないわよ。

 ──そう言い返そうとすれば、一瞬早くばば様のストップがかかった。

「これこれ。お喋りはそのくらいにして、最後の仕事に集中せんか。このままだと夕飯も食べれなくなってしまうぞ?」

 あたしとミュエリの言い合いは、ラディとミュエリの言い合いに次いで多い。毎回といえば毎回のことで、ばば様も止め際をよく知っているのだ。特にミュエリの言葉を最後にして止める、というタイミングを。それが言い合いを止める一番簡単な方法だからだ。

 案の定、〝よいな?〟と念を押したばば様の言葉に、ミュエリは素直に頷いた。

 そうして籠一杯だったケルプ実のヘタ取りが終わったのは、日が沈んで二時間ほどしてからだった。なんとか夕飯前に終わらせることができてホッとすれば、村中に漂う夕御飯の香りがこの部屋まで漂っているのに気付いて、瞬く間に自分の空腹も実感してしまった。

「ばば様、あたし帰るわね」

「私も!」

 お腹の虫が鳴っては、もうジッとしていられない。あたしとミュエリはそう言うと、〝あぁ。気を付けてなぁ〟というばば様の言葉を背中で聞きながら、それぞれの家に帰ったのだった。

 それが、いつもの事だった。

 それが、当たり前のことだった。

 そんな日が永遠に繰り返されると信じていたのに…。

 まさか、今日という日が一ヵ月後に訪れる変化の兆しだったなんて──

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