BS1 ネオスとイオータの共通点
溢れかえる人ごみを かき分けながらも、ネオスは幾度となく後ろを振り返っていた。今すぐにでも引き返したい気持ちはあったが、〝大事な話がある〟 と言われては、ついていくしかない。
慣れたように サッサと歩くその後姿を、時折、見失いそうになりながらも、ネオスは必死で追いかけていた。もちろん、姿が見えなくなるたび、いっそ、このまま帰ってしまおうかという気にもなるのだが、やはりそこは、性格なのか、〝そういう気になる〟 だけで、実行には移せないのだ。
(いったい、どこまで行くつもりなんだろう……?)
大事な話と言う以上、どこかに座ってゆっくり話ができる場所を探しているのだろうが、ここにきたばかりのネオスでさえ、そんな場所があるとは思えなかった。──ならば、歩きながらでもいいので、とっとと話を済ませ、ルフェラがいる宿に戻りたいと焦り始める。こんな状況の時に、ルフェラから離れていくのだけは勘弁して欲しかったのだ。
前日、ミュエリが欲しいと言っていた 〝想いの石〟 の事を思い出し、その店のほうに向かったのだが、着いた時には既に遅かった。ミュエリは黒風に連れ去られ、ルフェラはイオータの足元で蹲っていたのだ。体を震わせて…。
(あの震えは、目の前でミュエリが連れ去られた恐怖からなのか、それとも他に何かあったのだろうか…?)
それが気になるのはもちろんだが、やはり、こういう時にこそ傍にいたいという気持ちのほうが勝っていた。なのに、目の前を歩くこのイオータは、ルフェラをラディに任せると、ネオスには 〝大事な話がある〟 と言って、宿とは反対の方に向かって歩き始めたのだった。
不安と焦りが募り始めるネオスに、ようやくイオータからの声がかかる。
「もうすぐだ。あの森なら誰もいねーからよ」
そう言って指差す森の方角には、確かに人は殆どいなかった。気付いてみれば、イオータを見失いそうなほど溢れていた人ごみも、今や半分ほどになっている。周りにあった店も少なくなっていたのだ。
目的地さえ分かれば、幾分、気分も軽くなる。あとは、早く話を聞いて帰るだけだと思うと、歩く早さも自然に増すというもの。
森の入り口に付く頃、周りには誰もいなくなってしまった。
「話って──」
「単刀直入に言うぜ?」
言いかけた言葉を遮って、背中を見せていたイオータが体ごとクルリと振り返った。
「あ…ああ…」
「あんた、共人だろ?」
「────!!」
(フン、やっぱりな…)
そうだとは思ったものの、いつものような感覚が薄いため確証がもてなかったのだ。──とは言っても、イオータの感覚は外れたことがない。故に、こうやって直接訊く事ができるのだが…。
案の定、ネオスの反応は確かなものだった。
とっとと話を済ませて…と思っていたネオスも、今や、違う焦りが生じ始めている。
「な、なんの事だか…」
「とぼけんなよ。全てお見通しなんだぜ?」
「…………」
「あんたの 〝主君〟 はルフェラでいいんだよな?」
「……君は…いったい……」
強張るネオスとは対照的に、タバコでも吹かしそうなほど、リラックスしていくように見えるイオータ。
「安心しな。オレもあんたと同じ、共人だからよ」
「────!!」
「──まぁ、オレの場合、ちょっと事情があって一緒には行動してねーけどな」
「…それって…許されることなのか?」
「さぁ…。許されるも何も、あっちから離れていったからなぁ」
まるで、人事のように話すイオータを見て、ネオスは事の重大さを把握しようと、頭をフル回転させる。
神と共に一生を過ごす人物…それが、〝共人〟 だ。
そして共人は、共に過ごす神を 〝主君〟 と呼ぶ。
共人の使命は、幼い頃から主君を支え、本来あるべき姿の神へと正しく導くこと。時には命だって懸けるのだ。
そんな使命を持った共人が、共人でなくなる時、それはこの世に存在する事を許されないことでもある。
(それが、〝あっちから離れていった〟 となると──)
「言い方変えりゃぁ、見捨てられたのかもな、オレってば」
行きついた答えがイオータから発せられる。しかし、それは重大なことだ。それをどうして、この男は悩んでいる風もなく簡単に言えるのか…と、わけが分からなくなる。
「この村に来たときには、もう?」
「ああ」
(──という事は、少なくとも、主君と離れて六ヶ月は経っているという事か…)
「不安にはならないのか?」
「そうだな…。不安も心配もあるにはあるが、オレ自身がピンピンしてるからなぁ」
この世に存在することを許されないなら、既に死んでいるはず。主君に何かあって息絶えたとしたら、必然的に共人の命が主君に渡される。それが共人の宿命。故に、イオータが生きているという事は、そのどちらの事態も起こってないという事なのだ。
ネオスは、イオータのその短い言葉で、言いたいことを理解していた。
「──それよりよ、あんたもそうだが、ルフェラは何であんなんなんだ?」
「あんなん…?」
「ああ。素人同然じゃねーか。早くて五歳…遅くても十歳になる頃には、自分が何者かっつー事ぐらい分かるもんだろ? それから、いろんな経験してよ…あれ位の年齢にもなりゃ、相当のもんになっててもおかしくねーぜ?」
「あ…ぁ…それは…」
「話を聞けば、旅に出たのもつい最近じゃねーか。あの遅さはなんなんだ?」
「…こっちにも色々あって…記憶を…失くしたんだ」
「なに!?」
「十歳の頃に…ね…」
「マジかよ!? ──んじゃ、自分が何者かってことも忘れちまったのか?」
ネオスは無言で頷くと、その頃の事を思い出したように、ひどく沈んでしまった。
「今も忘れてるし、僕が共人だという事も忘れてるよ」
「な…んで、言わねーんだよ?」
「言った所で信じないし……思い出して欲しくないこともあるけど、自分で思い出すことが大事だろ?」
そう言ったネオスの様子を見て、イオータは何かを察した。
「──それは、お前に責任があるのか?」
その質問に、すぐには答えなかったが、ややあって 〝ああ〟 とだけ返ってきた。
しかし、ネオスはそれ以上の事を言わず、また、イオータもそれ以上のことは聞かなかった。
しばらく沈黙が続いたが、何かを思い出したかのように、イオータが口を開く。
「そーいやぁよ、アレはどこで手に入れたんだ?」
「アレ…?」
「ああ。あのガラスみたいな小さなやつだよ」
ネオスは、すぐにそれが、先ほど短剣と一緒にルフェラに返したペンダントのようなものだと気付いた。
「アレは…もともとルフェラのものだから…」
「そ…うか…。なら、気を付けたほうがいいぜ」
「…………?」
「ルフェラもあんたも、おそがけの出発で殆ど素人だから分からねーかも知れねーが、アレから かなりの力を感じるんだ。オレらみたいなヤツが見たら、すぐ分かる。欲しがる奴らが大勢いるってことだ」
「それって、もしかして狙われると…?」
「ああ。その可能性は十分ありうる。あの黒風も、おそらくそれに気付いたんじゃねーかな」
「どうして…そんな事が…?」
「 〝分かるのか?〟 って事か?」
「ああ」
「黒風が、去り際に言ったんだよ。〝近いうちにまた来る〟 ってな」
「────!!」
その意味が即座に理解される。
「それから、もう一つ訊くが、あいつ……カイゼルをどー思う?」
「え…カイゼル…?」
ルフェラが黒風に襲われると心配する最中、思ってもみない名前が出てきて、一瞬、何を言っているのか分からなかった。
「カイゼルを見て、なんか気付かねー?」
「い、いや…特に…」
その答えに、イオータは小さな溜め息を付いた。
「ほんと、素人なんだな…。いいか、よく聴け。──あいつも、オレらと同じ共人だ」
「────!!」
「マジだぜ」
「………どうして…そんな事が分かるんだ?」
「オレみたいにベテランになると、分かるもんだ。なにがどう…っていうのはねーけどよ、なんつーかこう…近いっつーか、同じ匂いがあるっつーか…オーラを感じるっつーのかなぁ…。とりあえず、自分と同じだってーのが分かんだよ」
〝根拠はないが、なんとなく…〟 という言葉に、妙に納得してしまった。なぜなら、ネオスもそう思ったからだ。
ネオスがイオータの事をルフェラに訊いた時があったが、その時、ルフェラはこう言った。〝どっちかといえば、ラディの方に近い〟 と。だけど、ネオス自身は、自分に近いものがあると思っていたのだ。
「…じゃぁ、カイゼルの主君はリヴィアさん?」
「おそらくな。──けど、厄介なんだよな、それが」
「どういう意味?」
「オレの考えでは、あのリヴィアが黒風にかんでる気がするんだ」
「まさか…!?」
「確証はねーけどな。あくまでも、オレ自身の考えさ」
突然の意見に、ネオスは何も答えられなかった。
「あ、そうだ。アレ教えてやるよ」
「え…?」
「戦術さ。この先、必要になってくるぜ? ルフェラを守りたいなら、習って損はねーと思うけど」
これまた突然の申し出に、戸惑ったネオスだったが、確かに、習って損はないと思った。あのペンダントを狙う者が現れた時、間違いなく役に立つと思ったからだ。
「どうする?」
「あ、ああ。頼むよ」
「オッケー。んじゃ、毎日、朝飯の前ってのはどうだ?」
「…分かった。でも、みんなには内緒にしてもらえると…」
「ああ、いいぜ」
そんなこんなで、ネオスはイオータのことを信頼するようになった。
一緒に行動するのも、ミュエリが戻ってくるまでだろうと思っていたが、その後もしばらく一緒にいることになる。
イオータと主君との間で何があったのか、ネオスは知らない。けれど、戦術を教えてもらえるのはありがたいことだ。単に、それだけの理由で反対しなかったのだが、ネオスはこの先、いろんな意味で彼に助けられることになろうとは、その時点で、考えもしないことだった。
一方、ネオスとルフェラにどんな過去があったのか、それはイオータも知らない。だが、なぜか興味があった。そのうえ、しばらく彼らと過ごしたら、自分の何かが変わりそうな予感があったのだ。前に進める予感が…。結局、イオータにとって、彼らと過ごす時間はかけがえのないものとなっていくのだが…。