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女神伝説  作者: Sugary
第三章
17/127

3 空からの黒い訪問者 <2> ※

 あたしは、彼女の足音が離れていくのを確認すると、窓際にもたれかかって、空を仰いだ。

「な~にが、さっきので汗かいちゃった、よ。自分の言った事で招いた結果じゃないの。それに、ラディも、ラディよ。あたし達より二つも年上なんだから少しは大人になって、ミュエリの相手なんか しなきゃいいでしょ。そしたら、毎回毎回こんなケンカなんかしなくてすむし、あたしが止めに入らなくてもすむんだから──」

「ルフェラ?」

 途端に、申し訳なさそうに口をはさむネオス。

「な、何?」

「寝てる」

「え…?」

 ネオスのその一言で、咄嗟にラディのほうを向いたのだが、彼は大の字になったままスヤスヤと…まるで無邪気な子供のように寝ていた。

「──ったく、誰のせいでこんな思いしてるか分かってんのかしら」

「分かってないだろうね」

「やっぱり?」

「うん」

「もー、やになっちゃうわよ、ホント。──ほら、見てよ、この幸せそうな顔。悔しいけど、食事をする時と寝てる時のラディの顔を見ると、怒りもどこかへいっちゃうのよね。なんでかしら?」

「子供っぽいんだよ」

「え…?」

「子供。ほら、子供って、自分の感情を素直に表現するだろ? 大人みたいに本音と建て前を使い分けるなんてことできないしさ。──つまり、自分に正直なんだよ。やる事なす事、悪気なんてないから、思わず許してしまう。僕からしてみれば、羨ましい存在でもあるけどね」

 ネオスのいう 〝羨ましい存在〟 とは、どういうことなのか、あたしには分からなかった。何をやっても許されるから羨ましいのか、それとも、好きなことをやれるからなのか。

 どちらにせよ、あるいはそのどちらでもないにしろ、あたしは彼の言葉に、驚いていた。

 ネオスがラディのことを羨ましいだなんて…思ってもみなかったのだ。

「で、でも…さ。この歳になって、子供のまんまっていうのもヤバイんじゃない?」

「ヤバイ…か」

 あたしの最後の言葉を反復すると、ネオスはそのまま黙ってしまった。

 彼の顔が少し寂しそうに見えた為、フォローのつもりで言ったんだけど、間違ってたかしら? なんだか、よけい落ちこませた(?)ような…。

「ネ、ネオス…?」

「あ…ごめん。──うん、そうだね」

 ネオスはあたしの気持ちを気遣遣ってか、すぐにいつもの笑顔を向けた。つられて、あたしも笑ったが、なぜか、心はスッキリしなかった。

 〝羨ましい〟 理由がなんなのか、きちんと聞いたほうがよかったのだろうか? そんな思いが心の中を駆け巡ったのだ。しかし、そう思うと同時に──なんとも無責任だとは思うんだけど──聞きたくないような、もしくは聞いちゃいけないような…そんな思いがあったのも、正直なところだった。

「ルフェラ…?」

 今度は、反対に黙ってしまったあたしを心配し、ネオスが顔を覗き込んできた。

「え…?」

「どうかした?」

「あ…う、ううん。別に…」

 あたしは慌てて首を振った。

「本当に?」

「う、うん。ホントに。何でもない」

「そ…う。なら、いいけど…」

「あ…ねぇ、ネオス」

 〝なら、いいけど〟 と言ったものの、何か隠してるんじゃないかと勘ぐるネオスに、あたしは敢えて違う質問を投げかけた。

「ん…?」

「ネオスは、腹立ったりしないの?」

「何が?」

「何が…って…。その、さっきのミュエリ達よ。毎回毎回くだらない事でケンカしてさ…。しかも、その原因が、自分のストレス解消だなんて──」

「う~ん、腹が立つというか…気にしてないからね」

「気にしてない…って、つまり、聞き流してるって事?」

「うん…。あ、でも もっと正確に言うと、気にならない、のほうが正しいかな…」

「気に…ならない!?」

 ネオスは無言で頷いた。

「ど、うして…?」

「さぁ?」

「さぁ…って──」

「関心がないからかな」

「関心…」

 その言葉を聞いて、昨日ルーフィンと話したことを思い出した。

「やっぱり、ネオスも無関心だってこと?」

「やっぱり…って? それに、も…って──?」

「え…? あ、いや、なんでもない…。それより、関心がないっていうのは、ミュエリやラディに関心がないっていうことなの?」

「いや、そうじゃないよ。彼ら自身に関心がないんじゃなくて…。どう言ったらいいのかな、その…彼らの行動というか、言動というか…そういうものが、僕の関心がある範囲内に入ってこないというか…。もちろん、彼らの話の内容によっては、範囲内に入ってくるものもあるけど…。う~ん、難しいね、上手く説明するには──」

 ネオスは、困ったな…というように、眉間にシワをよせると、上手く説明できる言葉を探すように、俯いてしまった。

「つまり、ラディ達の会話を少し聞くだけで、自分には関係ないや…みたいなことを判断すると、その会話が聞こえなくなる…っていう感じ?」

「う~ん、どうだろう…。まぁ、〝いつもの事だ〟 っていうぐらいの気持ちもあるんだろうけど…。日常的な会話というか、音の一部みたいな──」

「音の一部…。それも、なんだか、すごいわね。ある意味、羨ましいけど…」

「そう、かな? 僕は、いろんな物に興味が湧いたり、関心をよせたりできる人の方が羨ましいけど…」

「まさか それって、ラディの事じゃないわよね?」

「どうかな…?」

 ネオスはそう言うと悪戯っぽく笑った。

 まさか、ねぇ…?

「でも、この前も言ったけど、ネオスだっていろんな所 見てるじゃない? あたし達が気付かないような事だって、気付いたりするしさ。もしかすると、〝野原の魚〟 とかなんとか言ってるけど、本当は、なんか不思議なこととか、気付いてることがあったりして…」

 半分は冗談、半分は本気で言ってみた。ところが、そんなあやふやな気持ちで言ったあたしの質問にネオスから返ってきた言葉は、驚くものだった。

「──いないんだよね、子供」

「え…?」

「子供だよ。この村に着いた時、〝あれ? なにかおかしい〟 っていうのがあったんだ。でも、最初はそれがなんなのか分からなかった。分からないまま、あの すごい家に招待されたり、人ごみをかき分けて食事しにいったり…。なんだかせわしくて、考える時間もなかった。だけど、昨日 ミュエリと一緒に買物に行った時、彼女が言った一言でその 〝なにか〟 が分かったんだ」

「なんて 言ったの? ミュエリ」

 ネオスは、一瞬 間を置いた。

 そして──

「〝こんなに人がいたら、子供なんかきっと歩けないわね。すぐ、迷子になっちゃうわよ〟 って言ったんだ。それで気が付いた。〝あれ?〟 って思ったのは、このことだったのか…ってね。それから、よく注意して見ていたら、もうひとつ気付いたことがあったんだ」

「もうひとつ…?」

「ああ。──お年寄りがいなかったんだよ」

「お年寄り──」

 あたしはそう言うと、昨日の事を思い出そうとしていた。カイゼルに案内された時のことや、帰ってくる時、それから食事をしに あの人ごみの中を歩いた時…。だけど、ネオスのいうお年寄りがいないということには、正直、確信が持てなかった。

 カイゼルに案内された時は、彼とはぐれないようにという気持ちで一生懸命ついていったし、それだけで、精一杯だった。それに、帰ってくる時は 〝こんなものでいいのか?〟 という疑問で、ほとんど周りなんか見ていなかった。食事をしに、宿を出た時は、人と人の間を見つけて前に進むのがやっとだったし…。つまりは、村の人の顔なんて見ていなかったのだ。ただ、子供がいないということだけは、なんとか確信がもてた。

「ミュエリらしいわね、子供の事を口にするなんて…。だけど、なんで、子供やお年寄りがいないのかしら…?」

「さぁ…。迷子を避けて、外に出ないのか、それとも、もともとこの村には子供やお年寄りがいないのか──」

「ちょ、ちょっと待ってよ…その考えって、飛躍し過ぎじゃない?」

「──う~ん、僕自身もそう思うけど…。一人も見かけないっていうのは、やっぱりなんか変じゃないかな?」

「そ、そうだけど…。でも、万が一、ネオスの言う通り、もともとこの村にいなかったとしたら、いったいどういうこと!?」

「さぁ…。今の段階ではなんとも…。ただ、それはあくまでも僕の推測に過ぎないからね」

「そうだけど…」

「それに、おかしいことといえば、まだまだあるんだ」

「どんなこと?」

「う~ん。それがここでは当たり前の事なんだって言われたら、もともこもないんだけど…。例えば、この村の店の事」

「店?」

「そう。なぜこんなにたくさんの店が並んでいるのか。──別に数の事を言ってるんじゃないんだ。もっと違う店があってもいいはずなのに、なぜか、衣服や装飾品ばかり。食べ物の店なんか、カイゼルの言った通り、本当に数軒しかなかった。こんなにたくさんの村人がいたら、普通はもっとたくさんの食べ物屋が必要だと思うんだけど」

「確かに…」

「それに、ここから見渡した村の景色からも分かるように、食べ物を育てている畑さえ、見当たらないんだ。なのに、食べ物屋には大量の食料が用意されてる。いったいどこからその食糧を得ているんだろうか…とか」

「そう言えば、そうね。──他には?」

「他は…ここのお金、かな」

「お金?」

「うん。お金そのものというよりは、なぜよそ者にお金を与えるのかって事だね」

「え…? それって…リヴィアが言った理由とはまた違うの?」

「──確かに、彼女が言ったことも分かるけど、なにか腑に落ちないんだ」

 たしか、ルーフィンも腑に落ちないって言ってたっけ…。

「──というと?」

「僕達は旅をしているから、普通に考えれば、ここに滞在する日にちは一日か、数日だろ? その数日間を過ごす為に、ここでしか使えないようなお金を与えてくれるのは、正直、すごく助かる事なんだよね。だけど、どうしてそこまで親切にしてくれるのかが分からない。タダでお金は手に入るし、こんな宿だって案内してくれる…。お金さえ払えばいつまでもここにいられるんだよ。そして、もらったお金が足りなくなれば、カイゼルに言うだけで、また手に入れる事ができる。そんな状況を、利用する人がいても不思議じゃないと思うんだ」

「利用って…」

「つまり、働かずしてお金が手に入るんだよ。こんなに楽して過ごせる村なら、ずっとここにいようとする人が現れてもおかしくない。なのに、いくら好意とはいえ、こんな簡単にお金を渡すということが、僕には理解できないよ。逆に、僕がここの村人なら、働かずしてお金を手に入れて、好きなものを買うようなよそ者がいたら、許せないけどね」

「なる…ほど…」

「ルフェラは?」

「え…?」

「不思議に思ってる事とか、疑問だよ。昨日の夜は、〝野原の魚〟 って言ったけど、実際、なにか話してないと気が済まないんだろ?」

「え…あ、うん…まぁね。でも、〝野原の魚〟 の話は、あたしも納得したわよ。お蔭で、そのあともぐっすり眠れたし……って、あれ? もしかして、ネオス──」

「まぁね。本当は話を聞いてあげたかったけど、昨日は夜も遅かったし、事実、情報も足らなかったからね。ぐっすり眠ったあとの方がいろいろ考えられるし、次の日になればまた情報が得られると思ったんだ。でも、残念ながら、今日はどこにも出られないみたいだけどね…」

「そっか…。でも、ありがと。あのままだったら、きっと今頃 寝不足で、なにも考えられなかったわ…」

 あたしは素直に感謝した。

「それで、ルフェラの疑問は?」

「あ…うん。ネオスと一緒…かな?」

「一緒?」

「うん。自分でもよく分からなかったのよ、実際。リヴィアの家から帰ってくる時に、その疑問を感じたんだけど、〝これだ〟 っていう疑問じゃなかったの。なにか変…っていうか、こんなものでいいのかしら? 程度のもので、人に説明するのも難しいというか…」

「なるほど…」

「でも、今のネオスの話を聞いて、きっとそういうことなんだ…って思ったのよ。こんなものでいいのかな…つまり、こんな簡単にお金が手に入っていいのかな…って。それに、この村はどこか変だっていう気がしてた。村にもいろいろあるから、それがここの習慣だって割り切っちゃえば、それまでだっていう気持ちもあったし…。けど、それも、店の話を聞いたら、そういうこと全てをひっくるめて、変だと思ったのかもしれない」

「そっか…」

「うん…。でも、やっぱり 〝野原の魚〟 っていうのは正解よね。疑問は出てくるけど、情報が足らなさ過ぎだわ…」

「そうだね…」

 あたしとネオスはお互いに苦笑いを向けると、同じように空を見上げた。

 雲も少なく、ホントにいい天気…。こんな日は布団を干したり、洗濯物を干したりすると気持ちいいのよね…。

 ──と、そこまで考えると、あたしは中身の違うお風呂セットがそのままであることに気が付いた。

 慌てて ついたてを使うと、ネオスやラディ達に見えないように服やタオル、それから下着などを干した。

 そして昨日の夜と同じように窓枠に腰掛けると、再び空を見上げた。

「ねぇ、ネオス」

「ん…?」

「こんなにいい天気なのに、ホントに黒い雲が出てきて、黒い風が吹くのかな…?」

 青い空に白い雲がうっすらと流れている様を見ながら、あたしはポツンと呟いた。

「さぁ、どうだろうね…」

「別にさ…イオータの話を信じないわけじゃないのよ。ただ…なんか、信じられないのよね。急に黒い雲が出てくるぐらいは、これまでにも経験はあるけど、風が人をさらうなんて…。しかも意志を持ってるなんて、あたしには理解できない」

「確かに、普通じゃ考えられない事だよね」

「そうなのよ。──だいたい、ここ最近 普通じゃない事が多すぎない?」

「言えてる」

「でしょ!? パティウスの村だって、彼女が 〝神〟 だなんて言ってたし、二年間も雨が降らなかったりして。この村はこの村で、さっきネオスが言ったようなことがあるわけでしょ? 悩むなって言う方がムリな話よね」

「まぁね。──でも、それを解明する必要は、はっきりいってどこにもないんだけどね?」

「あ…そっか…」

「──とはいっても、このまま村を去れる性格じゃない事も知ってるけど…」

「あは…よくご存知で…」

「もちろん」

「あ~ぁ、なんかソンな性格よね、あたしってば」

「どうして?」

「だってさ、こういう疑問があっても、ミュエリやラディなら絶対気にしないもの。〝こんなものでしょ〟 ぐらいの気持ちでいるに決まってる。今のラディのように余裕で昼寝なんかできちゃうのよ。ミュエリなんか、この村をすぐに出ようなんて言わないだろうけど、それは自分の好きなものを見たり 買ったりすることに時間を費やすからだわ。ラディだって、一青で好きなだけ食べれるこの村を気に入るはずだし…」

「なるほど。だけど、もう一つ ここを離れない理由があると思うよ」

「え…なに?」

「美男美女」

「び、美男美女!? なに、それ?」

「ここの村人、結構多いんだよね、美男美女が。そういう系統の人が多いだけなのか、それともわざとここに集められたのか、それは分からないけど。どっちにしろ、ミュエリやラディの心が惹かれるのは間違いないだろうね」

「──それが本当なら、一番の理由になるわね」

「だろ?」

「うん。でも、そんな気楽な性格なら、毎日が楽しいんだろうな」

「間違いなくね。──だけど、ルフェラ」

「なに?」

「ルフェラは、毎日が楽しくないのかい?」

 さっきまで冗談を言っていたネオスとは打って変わって、とても真剣な眼差しだった。

「あ…いや、そういうわけじゃないんだけど…」

「──けど?」

「ただ、もう少し楽に過ごせるだろうなぁーって」

「そっか…」

 ネオスは、また何かを気にするかのように沈んでしまった。

「ネ、ネオ──」

「…ごめん」

「え…?」

 視線を足元に落としたまま、とても小さな声だったが、ネオスはそう呟いた。

「な、なんでネオスが謝るのよ?」

「え…? あ、いや…別に何でもないよ」

「何でもないって──」

「それより、ルフェラ。あのイオータって何者なんだい?」

「え…イ、イオータ!?」

 突然 話が変わって、あたしは少々戸惑った。

「何者…って…別に、ただの旅人よ。本人いわく…」

「旅人…?」

「うん。あたしも、よくは知らないんだけどね。六ヶ月前にここにきたらしくって……あ、まるでネオスが言った、許せないよそ者…ね…」

「あ…ああ。そうだね…」

「──なんか、いつも人を─特に、あたしに対してだと思うんだけど──こバカにするのよね。そうかと思えば妙に気が利いてたりしてさ。そんでもっていろんな意味で口が上手いし、もう、ほとんど二重人格。はっきり言ってよく分かんない奴よ」

 あたしはそう言って、首を傾げた。

「そう…」

「でも、どうして?」

「え…あ、ちょっと…ね…」

「なんか、気になる事でも?」

「う…ん、まぁ…」

「──って、どういうとこが?」

「どういう…って…その…。近い感じ…かな…」

「近い…?」

「ああ…」

「──それって…まさか、ネオスに!?」

 ネオスは無言で、しかもゆっくりと頷いた。

 ネオスを知ってるあたしは、もちろん即答する。

「それはないわよ。ネオスとは全くの正反対。──そうね、どっちかといえば、ラディの方に近いんじゃない? ま、あそこまでガキじゃないけどね」

「そう…かな…?」

「そうよ。間違いないわ」

 〝だから安心して〟 という思いを込めて、大きく頷いたのだが、ネオスはあまりパッとしない表情だった。

 ──今日のネオス、なんか変よね? 元気がないというか、妙に沈んでるというか…。一体どうしちゃったんだろう…。

 あたしは、少々 心配になって、しばらく様子を見ていた。しかし、性格上 黙っている事などできるはずもなく…。

「ネオス…?」

「ん…?」

「どうしたのよ、さっきから?」

「え…なにが?」

「なにが…って。妙に沈んでるから──」

「そ、そんなことないよ。ちょっと、いろいろ考えてただけで…」

「そう?」

「あ、ああ」

「う~ん、どうも、納得いかないなぁ」

 あたしは腕を組むと、眉間にシワをよせ、疑いの眼差しをネオスに向けた。

「本当だよ。そんなに心配する事じゃないから──」

「ホントに?」

「ああ、ホントに」

「だったら、〝野原の魚〟 っていう言葉、そのまま お返しするわ」

「…あ、やられたな…」

 そう言うと、ネオスは自分のおでこをパシッっと叩いた。そして、ようやく笑顔も戻った。

 その笑顔を見て、あたしも少しホッとしたのだが、同時に、ミュエリのことも気になった。

「──そういえば、ミュエリ、遅くない?」

「あ、ああ。言われてみればそうだね。だいぶゆっくりしてるみたいだけど…」

「 〝ゆっくり〟 で思い出したけど、相変わらず優しいわよね、ネオスは」

「なにが?」

「その言葉よ。あたしだったら、あんな状況で 〝ゆっくり〟 なんてかけられないわ」

「そう、かな…?」

「そうよ。間違いなく、〝風呂で溺れて帰ってくるな!〟 ぐらいの言葉投げつけてるわね」

「なるほど。──でも、あの時、自分の中ではミュエリに対して優しい気持ちを込めたつもりはないんだけどな」

「え…?」

 ネオスの思ってもみなかった言葉に、あたしは一瞬 理解できなかった。

「──って、どういうこと?」

「だいぶ熱くなってたからね。イオータがいなくなったのを機に、ストレスを除去しようと思って…。少しでも長くミュエリと離れていた方が落ちつけるだろうと思ったからさ」

「え…と、いうことは、あたしのストレス除去をしてくれたって事?」

「まぁ、そんなところ…かな」

「あ…そう、だったんだ…ありがと。確かに、心は落ちついたし、ストレスも感じなくなったけど…。──ネオス、口が裂けても、真相は言っちゃダメよ」

「もちろん、了解!」

 あたしとネオスはお互いに顔を見合わせ、小さく笑った。

 ちょうど、その時である。戸を叩く音がしたかと思うと、心配そうな顔をした宿の人が顔を覗かせた。

「はい…?」

「あの~、お連れの人はまだ…ですよね…?」

「ツレ…?」

 わけが分からず、ネオスとあたしは再び顔を見合わせた。

「あの、ツレ…って、ミュエリのこと?」

「え、ええ…」

「ミュエリはまだよ。彼女になにか?」

「いえ…ちょっと、遅いなぁ~と思いまして…」

「……?」

「ゆっくりしておいでとは言ったけど?」

「はぁ…」

 なんともバツの悪そうな顔をしたまま、宿の人はそこから動かなかった。

 風呂でのぼせてるんじゃないかと心配してるのだろうか…?

「あ…なんなら、連れ戻してきましょうか?」

「あ…はい…。でも、どこにいらっしゃるか、ご存知なのですか?」

「え、ええ…まぁ。お風呂にいるけど…」

「え…お風呂!?」

 女性は、すっとんきょうな声を出した。

「いつの間に、戻られたのですか?」

「いつの間に…って、最初っからお風呂に行ってるけど?」

「え…? でも…一時間ほど前に──」

「そうよ。一時間ほど前にお風呂に行ったわよ。ねぇ、ネオス?」

 あたしは、確認するべく、ネオスに問いかけた。

「ああ」

「え…? でも…買物に──」

「買物?」

「え、ええ。一時間ほど前にお会いした時は…ちょうどその階段を降りてきた時でして…どこに行かれるのか 声をお掛けしたら、買物に行ってくると…」

「はぁ!?」

「それで…止めはしたのです。止めはしたのですが…すぐに戻ってくるし、他のお客様も知ってるからとおっしゃいまして…。皆さんがご承知ならこれ以上 止めても…と思ったものですから…。あの~、ご存知──」

「ないわ…」

 あたしは小さく首を振った。

「は…ぁ、すみません…」

「あ…ううん。あなたが謝る事じゃないわよ」

 それでも、申し訳なさそに、その女性は俯いていた。

 ──ったく、どこまで勝手な行動とれば気がすむのよ、あの子は!

「どうりで遅いわけだ」

「──とにかく、探しましょ」

「そうだね」

「ラディ、起きて!」

 あたしは、そう言うや否や階段を駆け下りていった。続いて、少し遅れながら 何が起こったのか把握できないラディを引っ張りネオスが降りてくる。お互い、ふたてに分かれて探そうというあたしの提案に、ネオスは少々反対ぎみだったが、今はそんな事で時間を割いてる暇はなかった。

 宿を出て裏の方からまわろうと曲がり角にさしかかった所で、あたしはいきなり人とぶつかってしまった。

「あ…ごめんなさい…」

「いや、オレこそ。──あれ、 どうしたんだ?」

「え…?」

 知った声がして、思わず下げていた頭を上げた。

「あ…あんた…」

 ぶつかった相手は、ミュエリと同じぐらいの時間に出ていったイオータだった。本当に食後の運動をしてきたらしく、体や服が汗と土で汚れていた。

「どうした、そんなに急いで?」

「え…あ…い、いなくなっちゃったのよ」

「いなくなったぁ? 誰が?」

「ミュエリよ。お風呂に行ってるんだとばっか、思ってたら、どうも買物に行ったみたいなの」

「買物? なんで?」

「知らないわよ、そんなの」

「出てかないほうがいいって言ったら、〝仕方がない〟 みたいなこと言ってたじゃねーか」

「そ、そうだけど…」

「──で?」

「え…?」

「どれくらい経つんだ、いなくなって?」

「一時間ぐらいよ」

「ということは、オレが出ていってすぐだな…」

「そうよ。だからあんたも探してよ」

 〝だから〟 が、一体どうつながるかはあたしにも分からなかったが、とにかく、捜すのは一人でも多いほうがい。

「オーケー。けど、早いとこ見つけないとヤバイぜ」

「ど、どうして…?」

「見てみろよ、南の空」

「南…?」

 あたしは、咄嗟にイオータの指差す方を見て驚いた。部屋の中で見たような青い空が、南の方だけ、どす黒い雲で覆われ始めていたのだ。

「オレも、運動しててあの雲を見つけたから、帰って来たんだぜ」

「まさか…とは思ってたけど…」

「なんだ? 信じてなかったのか?」

「そりゃ──。あ…いやいや、こんな事どうでもいいわよ。早く捜しましょ」

「同感だな」

 意見の一致したあたし達は、すぐさま店という店を捜し始めた。

 人が集まる食べ物屋から、ミュエリの好きそうな服屋、それから装飾品、化粧品などなど。ところが、なかなか当の本人は見つけられなかった。

「だいたい、なんで、こんな時に店なんかやってるのよ?」

 焦りと苛立ちから、ほとんど独り言のように言っていた。

 時々 空を見上げ、あの黒い雲がどこまで近付いてきてるか確認していたが、そのうち、確認するのも怖くなってきた。だいぶ向こうの方にあると思っていたのに、ものの数十分もするかしないかのうちに、すぐ真上まで押し寄せてきたのだ。

「おい、かなりヤバイぜ」

「わ、分かってるわよ」

「あんた、どこでもいいから店の中に入ってな」

「え…?」

「いいから!」

 イオータはそう言うや否や、危険を察知して、今にも戸を閉めようとする店のほうにあたしを追いやった。

 しかし、その店の中に入る寸前、あたしの背後で生暖かい風が、今までとは違う勢いで吹いたのだ。

 反射的に振り返る。

 そして、我が目を疑った。

 イオータの言った通り、黒い風が通り過ぎたのだ。それはまるで、黒い煙が流れているようにも見えたが、匂いもなく、本当に 風、だった。そして驚いている間もなく、その風が瞬く間に塊を形成し、あっという間に大きな猛獣の形に変身した。風の猛獣は寅かライオンのように四つん這いになり、まさしく風のように駆け抜けていくと、獲物を見つけた時の勢いにも似た素早さで、ある一点に向かっていった。目を離す事ができなくなったあたしは、猛獣の向かう一点を素早く察知したのだが、その先にミュエリの姿を見つけた瞬間、大声で叫んでいた。

「ミュエリ!! 逃げ──」

 最後まで言い終わらないうちに、あたしの声と重なりミュエリの悲鳴が聞こえた。

挿絵(By みてみん)

 ミュエリは一瞬にして宙に舞い上がった。猛獣の口に咥えられたミュエリの体は、恐怖の絶頂で意識がなくなったのか、力なく、なされるがままに揺れていた。

「ミュエリー!!」

 一度は空高く舞い上がった猛獣とミュエリ。ところが、次の瞬間、ものすごい勢いで下に落ちてきた。──というより、あたしの方に向かってきたのだ。

「おい、逃げろ!!」

 イオータの叫びと同時に、逃げなきゃ…という思いが頭を霞めたが、あまりにもその動きが速くて、足がすくんでしまった。恐怖で、目をそらす事ができなくなり、向かってくる黒い猛獣を凝視するしかなかったのだが、その猛獣に目らしきものが光ったと思った瞬間、目の前に白い…いや、銀色のなにかが覆い被さった。途端に電気が流れるような感覚に襲われる。

 そして──

「借りるぞ!!」

 と言う声がしたかと思うと、あっという間にあたしの腰から短剣を抜き取ったのだ。そして、慣れた手つきでその短剣をニ・三度 上に振り回した。すると周りを囲んでいた黒い風が一瞬にして消え去ってしまった。その間、ほんのわずかだったのだろうが、あたしにはスローモーションのようにゆっくり感じられた。体中がビリビリと痺れながらも、頭から被せられた物の隙間からは、抜き取った短剣にイオータが息を吹きかけ、銀の粉で覆われたところまで、ハッキリと見えたほどなのだ。

 気が付くと猛獣は消え、黒い雲さえもなくなったこの青空の下で、信じられない光景と体験をしたあたしの体はまだ震えていた。

「お…い、大丈夫か…?」

 イオータの言葉も、まともに頭の中に入らず、あたしは彼の腕をギュッと掴みながら、その場にへたり込んでしまった。

 恐れていた黒風が去り、慌てて店を閉めた村人たちも、次第にザワザワと集まり始める。そんな中、遠くの方であたしとミュエリの名を呼ぶ声を聞いた。その声はだんだんこっちに近付いてくる。あたしやミュエリがここにいると言う事はもちろん知るはずもなく、何かが起きたこの場所に、〝いるんじゃないだろうな〟 と心配した呼び方だった。

 村人をかき分けて、あたしの姿を見るや否や、二人は同時に叫び、走り寄った。

「ルフェラ!!」

「おい、大丈夫かよ!? 何があったんだ?」

「あ…ああ…」

 説明しようにも、まともに話せなかった。

「ミュエリが連れ去られた」

 変わりにそう言ったのは、イオータだった。

「な…んだって!?」

「ラディ、ルフェラを宿まで連れていってくれないか?」

「あ? ああ…」

 イオータは、自分の腕を掴んでいたあたしの手をゆっくり離すと、ラディと交代した。

「──それから、あんたはオレと来てくれないか?」

「え…?」

 いきなり腕を掴まれたネオス。一体どういう事か分からず、イオータに引っ張られるがまま歩き出す。しかし、何かすぐに思いついたのか、こっちに戻ってきた。

「忘れるとこだったぜ。これと、これ──」

 そう言うと、短剣を抜いた時に落としたのであろうか、少し離れたところに落ちていたあのペンダントを拾い上げると、短剣と一緒に元の鞘に戻してくれた。

「ちゃんと、返したぜ」

 返事もまともにできないうち、イオータとネオスはさっさと人ごみの中に消えてしまった。

「おい、ルフェラ…。大丈夫かよ? 立てるか?」

「あ…う…ん…」

 実際 立てるかどうかなんて分からなかった。だけど、このままここに座ってるわけにもいかない。

 あたしは、震える足になんとか力を入れ、ラディの肩を借りながら宿に向かった。そして、宿に付いた途端、一瞬にして緊張が解け、足に力が入らなくなったと思ったら、崩れるように意識がなくなってしまった。

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