2 白い夢人と不理解野郎 <1>
「どうぞ、こちらです」
そう言って、彼はあたし達を更に中へと招き入れた。
「わぁ~ 。なんて素敵な所なの」
家の中に入った途端、感激の言葉を漏らしたのはミュエリだった。彼女の瞳はまるで自分が夢見ていたお姫様になったかのように、キラキラと輝いていた。
あたし達を取り囲む家の内装は、案内してくれた彼がまとっていた服装と同じで、眩しいくらい真っ白な布が飾られていたのだ。まるで、この場所だけ異空間に存在しているかのような錯覚さえ覚える。
不思議なもので、天井から吊るされているその布は、日の当たり具合によって薄い青にも見えた。白一色というのは眩しいばかりだと思っていたのに、部屋の奥へ行くほど、その青が増していき、心も自然と落ち着く。今まで自分が見てきた色は、本来の色だったのかと疑問を持つ一瞬だ。色は、まだまだあたし達が知らない側面を併せ持っているのではないかと、考えさせられた一瞬でもある。そして、あたしはその色の変化を見ながら、ある一つの光景を思い出していた。それは、澄みきった深い湖だった。一見なんの色もない水だけれども、深くなればなるほど、その湖も青が増す。水の存在を改めて知るのだ。
「すっげー家だな、ルフェラ」
「ほんとに…」
高い天井を見上げながら、それ以外の感想がないというくらい 同じ言葉を何度も繰り返すラディ。少し前まで猛反対していた彼は、もうそこにはいなかった。
「どうぞ…」
見た事もない家の造りに目を奪われ、歩く速度が遅くなるあたし達を、彼はうまく誘導していく。天井を見上げていたあたしは彼のその一言が発せられるたび、視線を元に戻していた。そして、ふいに今度は足元を見た時だった。あたしは思わずスカートを押さえ、そそくさと彼に近付いてしまった。床に使われている石が、まるで鏡になっているかのようにスカートの中まで映し出していたのだ。彼に近付いたからといって、相手の服で隠れるかというとそうではないのだが、ただ、なんとなく近くに寄ってしまったのだ。
あたしの足が自然と足早になったことで、カツカツと石の上を歩く彼の靴音が妙に耳に響いた。あたし達のはケルプ実の葉で作った靴だから音さえも出ない。冷静になってこの家とあたし達の格好を見比べてみると、あまりにも似合わないものだった。それが分かったからといってどうすることもできないのだが、少し恥ずかしい気になりながらも、彼のあとをつけた。
『私までもが、入ってきてよかったのでしょうか…?』
あたしの横にぴったりと寄り添いながら周りの状況を見ていたルーフィンは、珍しく不安げに呟いた。
『い、いいんじゃない…? ダメだったら、もっと早めに言ってくるだろうし。それに、ある意味、場違いだと思ってんのは、ルーフィンだけじゃないのよね、じつは…』
そう言って、肩を軽くすぼめた。
ちょうどその時、再び、前を歩く彼の声が聞こえた。
「こちらになります」
「え…?」
彼の後ろでルーフィンを見下ろしながら喋っていたあたしは、その一言で顔を上げた。彼が足を止めた事に気が付かなかったため、顔を上げた時には、顔面と彼の背中がぶつかってしまった。
「ゴ、ゴメンなさい…」
少し恥ずかしくなりながらも、俯き加減で小さく呟くと、彼は初めてニコッと微笑んだ。その笑顔は、男性に対して申し訳ないとは思うのだが、とても綺麗な微笑みだった。
あたしは、その微笑みにしばらく見惚れるのと同時に、ぶつかった時に触れた服の感触があまりにも気持ちよかったのも重なって、しばらくボ~ッとしていた。
彼は、あたしの後ろのほうで、口をあけながら周りの状況を見ているラディ達が追い付くのを待っていた。遅いからといって機嫌が悪くなるわけでもなければ、急かす事もない。ただ、彼らの行動を静かに見つめているだけだった。
しかし、なにも言われないと焦るのはこっちだ…。
「ちょ、ちょっと、早くきなさいってば──」
「いえ、焦らすことはありませんよ」
せっかく待ってくれてるんだから…と言おうとしたのだが、彼は即座に止めた。
「え、でも…」
「皆さん、同じですから…」
「皆…さん…?」
「はい」
そう言ったっきり、彼はまたもや無言になった。
皆さんってどういう事だろう…。それに同じだからという事は、ようは、慣れてると言いたいのだろうか…?
どういう意味かは分からないが、とにかく彼が焦らせなくてもいいと言うのだから、あたしが焦っても仕方がない。彼の言う通りキョロキョロと落ち着きなく見渡すラディ達を、あたしも静かに待つ事にした。
しかし…、しばらくは落ち着いて彼らの様子を見ていたのだが、ポカ~ンと口を空けて見ているそのサマがあまりにも恥ずかしくって、なんだかまともに見ていられなくなった。というのも、第三者から見たら、あたし自身もあーいうふうだったのかもしれないと思ったからだ。
『大丈夫ですよ、ルフェラ』
『え…?』
『少なくとも、あなたは口を開けては見ていませんでしたから』
あたしの考えている事が分かったのか、ルーフィンはボソッと呟いた。
『そ、そう…? よかった…』
『それよりルフェラ…』
『ん…?』
『ラディ達を待っている間に、聞いてみませんか?』
『…何を?』
『もちろん、彼の名前ですよ』
『あぁ…』
そういや、聞いてなかったわね…。
『これっきりになるかもしれませんが、一応、縁ですし──』
『そうね…うん、分かった、聞いてみる』
『くれぐれも、自分から名乗ってくださいよ。自分から』
『分かってるって』
人に名前を聞くときは、自分から名乗るのが礼儀ってもんだ。それぐらいあたしの常識の中に入っている。
まぁ、確かに、名前も知らないし、二言三言 交わした会話で、ホイホイとついてきてしまった事はあたしにとって珍しい事だった。いつもなら、もっと警戒していろいろと探るのだ。あたし自身、なんでかって聞かれても分からないんだけどさ…。
そんな普通じゃないあたしの言動が、ルーフィンを心配させたのかもしれない。だから、常識範囲内の礼儀にまで口を出しのだろう。でも時々、ルーフィンの言葉って、あたしを心配してるのか、それとも子供扱いしてるだけなのか、はたまた信用しいてないのか分からなくなる時があるのよね。
あたしはそんな事を思いながら、再び視線を彼に移した。
「あの…」
「はい…?」
ラディ達の様子を見ていた彼は、ゆっくりとあたしの方に顔を向けた。
この時、彼の瞳が部屋のもう一つの色と同じで、綺麗な薄い青色をしていたという事にようやく気が付いた。
「ひとつ…あ、いえ…ふたつ…聞いてもいいですか?」
二本指を立てて、少し上目使いに見上げる。
「………?」
「あの…あ、あたし…ルフェラといいます。その…あなたの名前、教えてくれませんか…?」
改めてその綺麗な瞳に見つめられると──別に、彼が男の人だからという事ではないと思うんだけど──なぜか、わけもなくドキドキしてしまった。
彼は声には出さなかったが、〝あっ〟 という口の動きをしたかと思うと、即座に小さく頭を下げた。
「すみません。お店の前でお会いした時、名乗るべきでしたね」
「あ、いえ…」
「私の名は、カイゼルです」
「カイ…ゼルさん…?」
「カイゼルでいいですよ」
「あの…そのカイゼルは、どうしてあたし達をここに…?」
「ある方に会っていただく為です」
「ある…方…?」
カイゼルは無言で頷いた。
誰かに会わせたいという理由だけでここに連れてきたにしても、それだけでは全く理解できなかった。何の為に、あたし達が会わなければならないのかが一番知りたい所だ。しかし、カイゼルは頷いただけで、それ以上のことを言う気配すらなかった。
もう一度質問してみようかとも思ったが、同じ質問になりそうだったので止めた。それに、ちょうどラディ達が追い付いたところでもあったのだ。
「おい、ルフェラ、すっげーよ。いったいどんな金持ちが住んでんだろうな」
「知らないわよ」
「こ~んな豪華なものに囲まれてる人って、結構ケチで性格悪そうな人、多かったりするのよね」
「ちょっと、ミュエリ!」
あたしは片肘でミュエリの脇腹をつついた。
相変わらず、人目も気にせず思った事を言うミュエリだ。
「なによぉ」
「なによぉ、じゃないでしょ」
あたしは、少なくともここに住んでいるだろうと思われる彼のほうをチラッと見たのだが、当の本人はそのことにさえ気付いていない。
「だから、何よ。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいってば」
なんでつつかれなきゃいけないのよ、と言わんばかりの口調で聞き返すミュエリ。あたしは再びその彼の方を見たのだが、彼はミュエリの言葉が聞こえていなかったのか、それとも聞こえていてもそ知らぬ振りをしているのか、とにかく、なんの気付きもなかった。
どちらにせよ、これ以上同じ話をむしかえさないほうがいいと思ったあたしは、小さな溜息をつきながら首を左右に振った。
「──もう、いいわよ」
「なによ、気持ち悪い人ね。だいたい、言い出した事 途中でやめるなんて、趣味悪いわよ」
「あら、そう? 言っとくけど、あんたのその常識外れと鈍感さがなかったら、言い出す事さえなかったのよ」
「どういう意味よ」
「──さぁね。言葉通りの意味だけど」
あたしはそう言うと、ミュエリに背を向けた。
「ちょっとぉ──」
「あの…よろしいでしょうか、ご案内して…」
ミュエリがまだなにか言おうとしていたのだが、あたし達の言い合いを止める者が誰もいなかったため、とりあえずこのタイミングを逃しては…と思ったのだろう。なかなかのタイミングでカイゼルは口を挟んだ。
「あ、ごめんなさい。お願いします…」
「はい、では…」
そう言って目の前の大きな扉に手をかけたとき、後ろでは 〝なんだかとっても嫌な言い方された気がするんだけど…〟 とかなんとか言うミュエリの声が聞こえてきた。そのため、カイゼルはチラッと彼女を見たのだが、あたしは 〝気にしないで下さい、いつものことですから〟 と小さな声で囁いた。すると、彼は再び、あの綺麗な微笑みをあたしに向けた。
「──では、どうぞ」
細かな細工をされた金色の取っ手を前に押すと、真っ白な扉は音もなく静かに開いた。
部屋の窓が開いているのか、扉が開くと同時に周りの布が揺れ、甘い香りを乗せた風があたし達の頬をなでていく。
あたしを始め、さっきまでブツブツと文句を言っていたミュエリも、今や視線は部屋の中へと移されていた。
そんな時、ふいに背中を押されたような気がした。咄嗟に後ろを振り返るが、正確には半分ほど首をひねったところで、カイゼルと目が合ってその状況が分かった。
〝どうぞ〟 と言われたにもかかわらず、あたし達は無意識のうちにその場で突っ立っていたのだ。そんなあたし達を部屋の中へ招き入れる為、カイゼルがあたしの背中を軽く押したのだった。
苦笑いしながらゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れれば、今まで以上の明るさに包まれる。自然と見上げた天井は、半分以上が天窓で、思わず見惚れてしまうほどだ。──いや、実際、見惚れてしまった。
思い出すのは自分の家の天窓。屋根裏部屋にあるくらいだから、そうたいした大きさではないが、あたしの村の中では、それが普通の大きさなのだ。
それが、この家はどうだろう?
家そのものがあたしの知る大きさではないため、当たり前だが、そこに作られた天窓も今までに見たことのない大きさなのだ。
〝すごい…〟 と感動するのはもちろんだが、夜になって見上げた時、そこから降り注ぐような星が見れるかと思うと、昼に連れてこられたことが、惜しくさえ感じられてしまう。
「どうぞ、こちらにお掛け下さい」
夜の事を想像していたあたしの耳に、カイゼルの静かな声が届き、たちまち現実の世界に引き戻された。少し首が痛くなったものの、勧められた所に視線を落とすと、そこには これまた真っ白な布に同じような金の刺繍が縫いつけられたソファがあった。そして、その刺繍の柄はこの家のオリジナルのようで、一種の紋章ではないかと思うほど、部屋をはじめとする家具のあちこちにつけられていた。
光沢のある真っ白い布が、天窓から降り注ぐ太陽の光によってあたし達の目に眩しく映る。
カイゼルに腰掛けるよう勧められたものの、座る事には少々ためらった。いくらパティウスの村で 体も服も洗わせてもらったといっても、やっぱりこんな綺麗なところに座るには、普通の感覚では少し勇気がいるものなのだ。
あたしはどうしようかとそのソファを見つめていたのだが、それも一瞬の事で、気が付けば自然の成り行きで座っていた。
と、いうのも 躊躇するどころか、嬉しそうに それでいてできる限りの優雅さで深く腰掛けた人物がいたのだ。
綺麗好きだと──もちろん、ここでいう綺麗好きとは、綺麗な物が好きということなのだが──自他ともに認めるミュエリだった。
勇気を持っているというか、単に何も考えてないというか…。
「すごぉ~い、フワフワよ。ねぇ、ネオスも座ってみてよ」
普通の感覚を持っているネオスは、あたしと同じようにためらっていたのだが、彼女が手を引っ張り強引に座らせたというのもあり、彼の後にラディとあたしは続けざまに座ってしまったのだ。
最初は軽く腰掛けていた。しかし、ミュエリの言う通り そのソファは人に教えたくなるほどフカフカしていた。だから、ためらっていたとは言っても、一度座ってしまうとその気持ちよさから、彼女と同じように深く腰掛けてしまった。
ソファでこんなにフワフワしてるんだったら、ここのベットってどんなんだろう…と思ってしまうのは、きっとあたしだけじゃないと思う。
「ねぇ、ねぇ、あそこの椅子。すごいわよ、見てみなさいよ」
「え…?」
ソファのフワフワ感を確かめていたと思ったら、今度はネオス達の前を横切るようにあたしの腕を引っ張った。そして、反対の手であそこを指差したのだ。
ミュエリが指差す先には、一段高く上がったところに、孔雀が羽を広げたような大きな背もたれのついた椅子がひとつ置いてあった。
「あの椅子って、特別よね。ひとつしかないって事は、きっとここの主が座るのよ」
「主…?」
「そうよ。しかも、あのデザインからすると、女ね」
間違いないわ、というように大きく首を縦に振る。
相変わらず、すごい推察力だと感心する一方、〝だから、なんなんだ〟 とも言いたくなる。
あたしは一人 納得する彼女を横目で見ながら、気付かれないよう溜息をつくと、さっきまで案内してくれていたカイゼルを目で追った。彼は、椅子が置いてある壇上の奥へ行ったかと思うと、数分もしないうちに戻ってきた。そして、豪華な椅子の左側に静かに佇んだ。
間もなくして、カイゼルが出てきた所から、彼と同じように頭から白い布を被った一人の女性らしき人物が現れた。布を被っている上に軽く俯いていた為、顔はよく見えない。だけど、途端に甘い香りがあたし達の所までやんわりと漂ってきた。その香りが決め手となったのだろうか、
「ほら、やっぱりね」
と言うミュエリは、自分の推測が当たっていたという事を主張するように、あたしの腕をつついた。その行動に一瞬 彼女を見たのだが、あたしは 即座に頭を垂れ 視線を落としたカイゼルの行動に視線が移っていた。
あたし達も頭を下げなきゃいけないのかしら…。
少しの不安と緊張に包まれながらも、そんな思いで目の前の光景を見ていたのだ。しかし、ミュエリよりも優雅に腰掛けた女性が、被っていた布を後ろに外し顔を上げた途端、そんな気持ちは何処かへと吹き飛んでしまった。
「きれ…い…」
思わず言葉を漏らしたのは、ミュエリだった。自信喪失を避ける為、綺麗な人を視界に入れないというクセを持つミュエリでさえもが、目の前の彼女に釘付けになっていたのだ。
布で隠れていた髪は、刺繍と同じ金色をしていた。周りの布と同化してしまいそうなほど色の白い肌に、ウェーブがかった髪が一段と映える。
彼女は椅子に座っても、すぐに話しだそうとはしなかった。
しかし、それはそれであたし達にとって、あるいは彼女にとってよかったのかもしれない。なぜなら、あたし達は彼女の動きに見惚れていたからだ。肩から掛けていたレースが落ちそうになるのを、袖口から見える細く長い指でそっと直したり、あたし達を見つめる瞳が瞬きする動きまで、まるで、スローモーションを見ているかのようにゆっくりだった。しかも、その動き一つ一つがとても優雅に見える。正直、今なにかを話されても、誰も聞ける状態ではなかったのだ。
頭の中では失礼だと思いながらも、あたしは彼女の頭の先から足の先までジッと見てしまっていた。目を離そうにも離れないのだ。
顔ばかり見ていたら気付かなかったのだろうが、あたしはふと不思議な点に気付いた。それはお金持ちにありがちな装飾品を、彼女はひとつも身に付けていなかったことだ。
確か、店には沢山の装飾品が並べられていた。こんな豪華な家に住み、間違っても貧乏だとはいえない人が、ひとつも身に付けてないとはどういう事なのだろうか。
その事を考える為、あたしは無意識のうちに彼女から視線を外していた。それを見ていたのだろうか、彼女はようやく口を開いた。
「初めまして、皆さん」
鳥の音色のような彼女の声は、一瞬にしてあたし達の耳を集中させた。
甘い香りに乗って流れるように頭に入ってくる。それは、テラスエ達の歌う会でサトリナとビーグルが歌っている時に感じたのと似ていた。耳を澄ましたくなるほど心地いい音色だ。
「私は、リヴィアといいます。皆さんをここにお連れしたのは、特別な事ではありません」
静かにそう言った彼女は、あたし達の顔を一通りゆっくりと見渡した。
自分から彼女の視線が隣に移ると同時に、〝じゃあ、一体どういう事なんだ?〟 と無言のままお互いの顔を見つめ、訴えかける。
すると、再び彼女の声が聞こえてきた。
「この村の住人以外の方は、一度こうしてここに来ていただくようになっているのです」
淡い紅に染まった薄い唇が動くたび、音色のように聞こえる声があたしの耳をくすぐる。
次第に、不思議な世界へ入りこんでいく気がするのは、部屋中に満たされた甘い香りのせいだろうか。今いる世界が現実かどうかという事さえ、自分の意識が怪しくなってくるのだ。
そんな中、彼女の話の途中で口を挟んでいいものかと自分なりに考えていたのだが、所詮、怪しい意識の中。寝ぼけながら会話をする時のように、気付けば思った事を口に出していた。
「ど…うしてですか…?」
同時に、自分が発したその声で、ハッと現実に引き戻される。
「──あなたは?」
その一言は、リヴィアのみならず、カイゼルやネオス達の視線をもあたしに集中させた。
「あ…あたしは、ルフェラといいます」
少し前の緊張が蘇り、膝の上に置いていた両手を 知らず知らずのうちにギュッと握っていた。手の平にじんわりと汗が滲んでくるのが分かる。その感覚を知ってか知らずか、リヴィアは吸いこまれそうなほど美しく優しい微笑みを あたしに投げかけた。それを見た途端、本当に不思議な事なのだが、さっきまで感じた緊張がスッと引いていったのだ。
「ルフェラ…。素敵な名前ですね」
「あ、ありがとうござ──」
「オ、オレはラディ…です!」
「え…!?」
あたしの言葉が最後まで言い終わらないうちに、突然ラディが自分の名前を名乗った。声の大きさからいって、彼女はもちろんの事、突然の自己紹介にあたしも驚いた。しかし、心に余裕のある人は違うもので、すぐさま今までの落ち着きを取り戻していた。そして、何かを言おうとしたのだが、これまた 一段と早くあとに続いたのは、ミュエリだった。
「私はミュエリ。それから彼はネオスです」
隣に座らせたネオスの腕を掴み、珍しく自分から紹介した。
あたしは、ミュエリの言動が信じられなかった。普通なら、大好きなネオスを自分より綺麗な人に紹介する事など、決してないからだ。
ミュエリにとって、これはとても大きな意味を持つ。というのも、一般の女性にいえることなのだが、女性は自分より優れたものを相手が持っていた場合、たいてい、〝でも、きっとここはこうなのよ〟 と相手を批判するものらしい。何年か前にばば様がそう言っていた。特に、ミュエリのような美に関してのプライドが高い人間はその傾向が強いという。自信喪失に繋がらないからいいという部分もあるが、その殆どは素直に相手の良さを認めない傾向があるのだそうだ。だから、何かあるごとにばば様は彼女に言っていた。〝素直に物事を受けとめよ〟 と。けれど、それはただ単に、ミュエリだけに言ってたんじゃないと思う。全ての事に関して、あたし達にも言ってたのだ。
まぁ、とにかく あのミュエリが自分からネオスを紹介したという事は、初めて彼女が同姓を認めたということになる。きっと容姿どころか、性格もいいと判断したのだろう。部屋に入る前、〝こ~んな豪華なものに囲まれてる人って、結構ケチで性格悪そうな人、多かったりするのよね〟 と言っていた彼女が認めたのだ。
逆に言えば、非の打ち所がないという事か…。
ミュエリの自己紹介の後、リヴィアは小さく頷いた。そして、今度はあたしの足元にも視線を移した。つられてあたし達も俯く。
「あ…彼は、ルーフィンです…」
ルーフィンは自分から名乗れない為、あたしは彼の頭に触れながら紹介した。
自分の目の前にいる人物の自己紹介が終わると、彼女はまたあたし達を見渡した。
「皆さん、素敵な名前ですね」
彼女のこの言葉が聞きたかったのか、ミュエリやラディは自己満足な笑みを浮かべた。「──話は元に戻りますが、あなた方がこの村に来られてから、おそらく一日も経っていないと思います。違いますか?」
「え、ええ…その通りです。──でも、どうして分かるんですか?」
あたしの質問に、リヴィアは再びあの微笑みを見せた。
「ここにいるカイゼルが、毎日 村を見回っているからです」
リヴィアは自分のななめ後ろで静かに佇んでいるカイゼルを振りかえり、そう言った。
「毎日…ですか…」
「ええ。毎日 見回り、新しくこの村に立ち寄った人をここにお連れしているのです」
その言葉を聞いて、あたしは 〝ああ、なるほど〟 と一人 納得した。だからあの時、カイゼルは 〝皆さん同じですから〟 と言ったのだ。きっとここに連れてこられた人達のほとんどが…ううん、おそらく全員が同じような行動を起こしたに違いない。同じような豪華な家を一度でも見たことある人ならいざ知らず、普通の人ならまず 間違いなく物珍しそうに見渡すだろう。そして、その光景を毎日かどうかは分からないけど、何度か見てたら、そりゃ機嫌が悪くなるどころか、怒る気にもならない。だから、急かす事もしなかったのよね…。
そうか、そうだったのか…と一人 納得してるあたしの代わりに、今度はネオスが質問した。
「何の為に、ですか…?」
ネオスに視線を移したリヴィアは、一瞬の間をおいて口を開いた。
「この村のお金というのは──」
ゆっくりした口調で話しだすリヴィアの言葉に、ミュエリの上半身が微妙に動いた。そして、目を爛々と輝かせながら少し前に聞いたあの言葉を叫んだのだ。
「三銀一赤!!」
そう言った彼女の目はまさに 〝私、知ってるわ〟 という優越感を含んでいた。
「三銀…? なんだ、それ?」
まったく理解できないラディの質問に、ミュエリの鼻は更に高くなる。
「お金よ、お・か・ね」
「はぁ!?」
片眉を上げて、いかにも 〝なに言ってんだ!?〟 と言いたげなラディだが、そう言いたくなるのもムリはない。あたしだって初めてあの店で聞いた時、そんな気分だったからだ。
あたしは、ラディの態度からミュエリとの言い合いが始まらないよう、言葉を付け足そうとした。しかし、口を開きかけたあたしより リヴィアの方が一瞬 早かった。
「その通りです」
「え…!?」
ミュエリを見ていたラディの顔が、途端にリヴィアに移る。
「私の村で使われているお金は、五種類の球なのです」
「ご、五種類…の球ぁ!?」
「ええ。金銀赤黄青の五種類」
「きんぎんせ…? あぁ?」
「つまり、価値の高さからいくと、まず最初に金があります。次に銀、赤のルビー、黄色のシトリンの順に小さくなり、そして最後に青のターコイズという球なのです。青の球が十個…つまり十青で黄色の球一つの価値になります。同じように黄色の球が十個…十黄で赤い球一つ分の価値。赤い球が五個…五赤で銀の球一つ分、銀の球が五個…五銀で金の球一つ分の価値、というような具合です」
これまでに何度となく同じ説明を繰り返しているからなのだろうか、頭の中がこんがらないようにと 今までより更にゆっくり喋ってくれたのだが、彼女の好意も虚しく、すでにあたし達の頭はワヤクチャだった。
考える事の嫌いなミュエリは ハナっから覚える気がなく、ネオスは天窓の方を見上げて記憶の態勢に入っていた。隣のラディは自分の両手を使って 〝あ、青のタ、ターコイズ? が十個で…十青……?〟 とかなんとかやっていたが、すぐさまその両手は頭を抱える役目に変わった。あたしはというと、正直 半分ぐらいの所までしか理解できず、途中から諦めていたのだ。
リヴィアはそんなあたし達の行動をしばらく黙って見ていたのだが、そのうちクスクスという笑い声を洩らした。
思わず、全員がそれまでの仕草を止め 彼女に集中する。
「ゴ、ゴメンなさい…」
あたし達の視線に気付き、リヴィアは ハタッと笑いを止めた。
「皆さんそれぞれ、個性があって楽しい方ですのね。こんなに性格がハッキリと態度で現れるなんて、私 初めてで…。本当にごめんなさい、悪気はないの…」
そう言いながら申し訳なさそうに肩をすくめるリヴィアを見てると、たとえ悪気があったとしても、許してしまいそうになる。
不思議な女性だ…。
あたしは彼女が謝っているにもかかわらず、返事をするのも忘れ 彼女の仕草に見惚れていた。
すると、リヴィアは半分 体をひねり、カイゼルに視線を送った。それがまるで合図であったかのように、彼は即座に頷きカーテンの後ろに消えていく。
しばらくして、何か白い物を載せた盆を持って現れたカイゼルは、それを彼女の目の前に差し出した。リヴィアがその白い物を手に取って初めて、あたしはそれがこの部屋に飾られているのと同じ 白い布の小袋だという事が分かったのだ。
スッと椅子から立ち上がった彼女は、靴の音も控えめに あたし達の方に歩いてきた。
甘い香りが更に増す。
そして、彼女は あたし達一人一人に、その小袋を手渡した。
「ここで、あなた方が何日滞在するか私は分かりません。でも、食事をするにしても、何かを買うにしても、お金がなければ生活できません。ですから、村人以外の方にはここに来ていただいて、事情を知っていただいた上で、これをお渡しするようにしているのです」
「こ、れは…?」
「お金です」
「お金…?」
「ええ。足りなくなったらいつでも言ってください。また、お渡しします。毎日 カイゼルが村を見回りに行きますから、その時にでも言っていただければよろしいですわ」
「は…ぁ」
生返事で差し出された物を迷いもせず受け取ってしまったが、こんなもんでいいのかしら…? 働いて稼ごうと決めたその矢先、こんな簡単にお金が手に入るなんて…。迷惑だ…なんて言ったら大ウソになるけど、なんだか現実味に欠ける…。
あたしは手渡された小袋をスッキリしない面持ちで眺めていた。しかし、そんなことはどこ吹く風とばかり、素直に喜んでいる人物もいた。
早速、小袋を開けて中を覗くミュエリ。
「きゃ~、すごいわよ。さっき言ってた五種類のお金が入ってる。綺麗なものなのね~」
「ちょ、ちょっとミュエリ──」
そう言って小袋を取り上げようとした時だった。
彼女の隣に座っていたネオスが、即座に小袋を覗いてるミュエリを制したのだ。
「え…な、なに、ネオス? どうしたの?」
どういうこと…? という解せない気持ちをあらわにするミュエリ。
ネオスは小さな声で囁いた。
「人から貰った物をその場で開けるなんて失礼だよ。場合によってはいいけど、お金だっていわれてるものは特に、その場で開けては失礼に当たるんだ」
「あ…そう、なんだ…」
直接ネオスに言われたからなのか、ミュエリは珍しく反発することなく納得した。
きっとネオスの立場があたしだったら、戦いの鐘がなったかもね…。
そんなことを思い、ふと隣のラディを見たら、これまた彼も小袋の口を開けようとしていた時だった。ネオスの言葉が聞こえてそのまま静かに閉まったのだが…。
──ったく、こいつらはどこまで非常識なんだ…?
半分情けなく、半分は呆れて、あたしはガックリと肩を落とした。
「──それでは、今日から滞在する宿までカイゼルが案内しますので、彼についていって下さいな」
リヴィアがそう言うや否や、再び あたし達を案内するべくカイゼルは壇上を降りてきた。そして、あたし達の前で一旦 足を止めると、軽く頭を下げた。
「では、行きましょうか」
「あ…は、はい…」
言われるがまま 彼についてきて、言われるがまま物を受け取った。そして、言われるがまま、また彼についていくのだった…。
理解したのかしてないのか…それともそれ以前の問題でこんなに気持ちがスッキリしないのか…。なんだかよく分からない。とにかく、変わった村だって事だけは、ハッキリしてるのよね…。
あたしはひとり、よく分からない状況に頭を悩ませながら彼の後をついていった。
しかし、ミュエリ達は呑気というか、順応性があるというか…。この村の不思議というより、目の前の疑問、てな感じで、理解できなかったお金についてカイゼルに尋ねていた。あんなに油断するなと言っていたラディまでもが、カイゼルと仲良く話しているのだ。
──ったく、いい性格してるわよね…。
あたしはそう思うと、小さく笑った。しかし、その反面、時々 彼らの性格が羨ましくなる時があるのも、正直な気持ちだった。ちょっとした事でも気になってあれやこれやと考えてしまう自分の性格とは反対に、小さな事を気にしない彼らを見てると、自分も あーいうふうに過ごせたら楽だろうな…と思うのだ。
『なにか、気になる事でも?』
『え…?』
ふいに ルーフィンの声が聞こえ、思わず自分の足元に視線を落とした。
『リヴィアさんの所を出てから、一度も口を開きませんから…』
『ああ。う…ん、まぁね…』
『例えばどういう事が…?』
『分かんない…』
『は…?』
ポツリと言ったあたしの返答に、ルーフィンの目が真ん丸くなった。あたしはそんな彼から視線を外すと、すぐ後ろを歩いているネオスに気付かれないよう、小さな溜息を洩らした。
『──よく、分かんないのよ。特に何か変だ…っていう、ハッキリしたものはないの。いろんな習慣も村それぞれでしょ? ただ、こんなんでいいのかなぁーって感じ…』
『なるほど…』
『ルーフィンは? 何も感じない?』
『──そうですね。何も、と言うとウソになりますけど…』
『え…? じゃ、じゃあ、何が感じる?』
最初に 〝なにか、気になる事でも?〟 と聞いたからには、気になることなどひとつもないんだと思ってた。だから、ルーフィンの返答には少々驚いた。
『そうですね…。確かに習慣だと言ってしまえばそれまでなんですが…なぜか腑に落ちないって感じですかね』
そう言ったルーフィンの目は困っているようにも見えた。
『それって…つまり、あたしと一緒でよく分かんないって事?』
『まぁ、早い話が、そういうことですね…』
『ふ~ん…』
『とにかく、私達はまだここに来たばかりですから…』
その言葉の意味は、 今 考えても仕方がないという事だった。
──確かに、その通りだと思う。だから、あたしはいつもの如く、彼の言葉に従う事にしたのだ。
『それも、そうね…』
少し間を置いてそう返答すると、彼との会話は終わると思っていた。しかし、ルーフィンは、もうひとつの選択肢をあたしに投げかけた。
『──でも』
『え…でも?』
『どうしても、気になって考えてしまうというのなら、ネオスに話してみたらどうですか?』
『ネオスに?』
反復すると同時に思わずルーフィンを見てしまったのだが、ほんの一瞬うしろを歩くネオスに視線を移すと、すぐさま前を向いた。
『──どうして?』
『彼もまたあなたと同じで、あの家を出てからずっと黙ったままなのです。おそらく同じような事を感じているのではないでしょうか?』
なるほど…・
あたしも考え事してたから、ネオスが喋っていなかったなんて気付かなかった。だけど、いろいろ観てるネオスなら気になる点をいくつか把握してるかもしれない。いや、もし把握してなくても、話ぐらいは真面目に聞いてくれるはずだ。
『まぁ、気になって眠れなくなったりしたら…の話ですけど…』
『──分かった。そうする…』
あたしはそう心の中で呟くと、ルーフィンに向けて小さく笑った。
──が、話をするぐらいなら、別にルーフィンが付き合ってくれればすむ事なんだけどな…とあたしの足から離れた彼の後姿を目で追いながら考えていた。
「お~い、ルフェラ。なにトロトロ歩いてんだよ、もうすぐ宿に着くってよー」
遠くの方でそう叫ぶ声がして、ようやく彼らの姿が視界に入った。
気付けばかなり先を歩いていたのだ。ラディはカイゼルの横でこちらに体を向けて──つまり、後ろ歩きのまま、宿に向かっていた。
「おーい、聞こえてんのかー?」
返事のないあたしに、再び彼が大声を出す。
「聞こえてるわよ!」
「だったら、早くこいって。──あ、何ならオレが迎えに行ってやろーか?」
かなり離れているため、顔の輪郭しか分からないにもかかわらず、そう言った彼が満面の笑みを浮かべているように見えるのは気のせいだろうか?
あたしは大きく息を吸い込むと、
「結構よ!」
とハッキリした口調で叫び、彼の企み(?)を断った。そして、少しうしろを歩いているネオスの方を振り返った。彼はあたしとラディの大声などこれっぽっちも聞こえてないかのように、少し俯き加減で歩いていた。考え事をしているらしいのだが、ルーフィンの言う通り、今考えてみても仕方がないことは確かだ。そして、なにより、今は前を歩く連中に追いつく方が先のため、あたしは彼の袖口を軽く引っ張った。
「…え?」
「もうすぐ宿に着くって」
「もうすぐ?」
「カイゼルにもお礼 言わなきゃなんないし…」
ほんの一瞬、カイゼル達の姿を捜し、あたしと同様、彼らがだいぶ先を歩いていることを知ったネオスは、考え事の世界から、やっと現実の世界へと戻ってきたようだった。
「あ…んなに先に…。ゴメン…」
それは、まるで自分の遅れにあたしが付き合ったんじゃないかと勘違いしているような 〝ゴメン〟 だった。
あたしは咄嗟に首を振った。
「知らないうちに、あたしも離されてたのよ」
「え…?」
「──さ、走るわよ」
ここで、〝あたしも考え事してたから〟 と言うと、終わりそうもない会話が始まりそうだったので、ネオスの 〝え…?〟 には答えなかった。彼もあえて聞こうとはぜず、そのままあたし達二人はカイゼル達のもとに急いだ。
そんな矢先、再び聞きなれた大声が耳に響いてきた。
「あーっっ! なにやってんだよ、ルフェラ!!」
「え…あたし!?」
いくぶんか彼らに近付き、ラディの表情も見えてくると、彼はあたし達を指さし、大きな口を開けて怒っているのが分かった。
「手なんかつないでんじゃねーよ!!」
〝手…?〟 と心の中で繰り返すより早く、今度はミュエリが振り返り叫んだ。
「手…ですってぇ!?」
さっきまで周りの事など目にも、耳にも入らないほど、カイゼルと楽しそうに話していたミュエリだったのに、ラディの 〝手〟 というたった一言で、動物的な反応にも似た早さで叫んだのだ。その素早さには、あたしはもちろんのこと、彼女の隣にいたカイゼルまでもが、驚いていた。
そりゃ…そうよね…。あーいう敏感さにかけては誰にも負けないもの、きっと…。
「ちょっとぉ、ルフェラ、聞いてるの!?」
「聞ーてるわよ、うるさいわね!」
「な~んですってぇ~!?」
怒りが増しつつあるミュエリに対抗し、あたしは敢えて自分の手を離さず、そのまま彼女のもとまで走り寄った。案の定、それが怒りの油に火を注いだようだ。
「あなた、私にケンカ売ってるの!?」
「…別に、そんなつもりはないけど…もしそうだったら、あんたは買うわけ?」
そういい終わる頃には、ちょうどミュエリの目の前に立っていた。
「もちろん、買うわよ!」
「おう、オレも買うぜ、ネオス!」
あたし達の間に割って入ったのは、もちろんラディだ。しかも、マトを射てない…。
「ネオスはケンカなんて売ってないでしょーが」
「だったら、オレから売ってやるさ」
今にも拳をあげてネオスに振り落とそうとするラディを、瞬時にミュエリが制した。
「もぅー、やめなさいてば。ネオスは悪くないんだから。だいたい、ケンカする相手が違うでしょ、相手がぁー」
「相手が違うだぁ!? 手 握ってんのはこいつも一緒じゃねーか。ルフェラが手を掴んでも離しゃ済む事だろーが」
そう言うや否や、あたしが掴んでいた方の手をわしづかみにした。
「お……!?」
途端に目を丸くするラディ。つられてミュエリも丸くした。
「あ…ら…?」
二人の反応を確かめると、あたしは静かに口を開いた。
「だれとだれが、手をつないでるって!?」
「あ…いや…」
ラディは少々(?) どもりながら、掴んでいた手をパッと離した。
そう。実は、袖口を引っ張ってたってだけで、手なんかつないでなかったのだ。それに、だいたい手をつないだぐらいでここまで本気になって怒るのもどーかと思うんだけど…。ま、それは敢えて言わない事にした。言うと、また延々とバカな話が続きそうだからだ。
──だが、敢えて言わないようにしたにもかかわらず、最悪な会話が始まってしまった。
「だれが、手をつないでるって言ったのよ!」
「うるせーな、そう見えたんだよ!」
「普段から頭は悪いと思ってたけど、それに加えて目も悪くなったんじゃないの!?」
「──ンだとぉ!」
「だって、そうでしょ!? この指輪を貰った時だって、私が 〝キレイ〟 だって言われたのに、〝ルフェラの間違いじゃないのか?〟 って言ったじゃない。人の話はまともに聞かないわ、理解する頭も持ってないわ。その上、現実を見る視力さえ衰えたなんて──」
「ば~か。だからあん時も言ったろーが、オレは目はいーんだよ。ルフェラの方が何十倍もキレイなのは、間違いねーんだ! 見えてねーのは、お前の目とあの男の目のほうだ!」
「言ったわねー。だったら、どーしてそのよく見える目で袖を引っ張ってたってことを見抜けなかったのよ!」
「だーっっ! うるせー。だいたいお前だってロクに確認せず、そう思い込んだんだろーが。ルフェラに責められてもお前に責められる憶えはねーんだよ!」
「やぁー、サイッテー。人のせいにする気!?」
「ちょっと──」
ムリだとは思ったが、彼らの間に入ってみた。しかし、その思いは正しく、あたしの声など聞こえてないようで、言い合いは更に続いた。
「人のせいにしてんのは お前の方じゃねーか!」
「失礼ね! 自分の事たなに上げて──」
「そー言う お前もだろーが!」
「なによー」
「──ンだぁ!?」
「ちょっとー」
なかなか終わらないそのケンカに、あたしは強行突破に出ることにした。今度はそう言いながら、彼らの耳を同時に、しかも思いっきり引っ張ったのだ。
「いったぁ~い!」
「な、何すんだよ」
耳が引っ張られているため顔はあさっての方を向いていたけど、痛そうな視線はあたしの顔をとらえていた。
「あたしに責められても…って言ったわよね、ラディ?」
「え…? あ…それは…」
「言ったわよね!?」
「あ、ああ。まぁ…でも、それは…う、売り言葉に買い言葉っていうか…だな…」
「な~にが売り言葉に買い言葉よ。いい、よっく聞きなさいよ──」
あたしはそこまで言うと、スーっと大きく息を吸い込んだ。そして彼らの耳元で、
「現状把握できないノータリンは、あんたたち二人よ!!」
と叫んでやった。
それからしばらくは耳がキ~ンとなっているせいか、二人とも黙っていた。しかし、それもほんの少しの間で、今度は怒りの矢があたしに向けられた。
「ちょっとぉ、〝ルフェラに責められてもいい〟 て言ったのはラディだけでしょ。どうして私までそんなこと言われなきゃならないのよ!?」
〝納得いかないわよ〟 といった口調だ。更に、
「だいたい、紛らわしい事したあなたがいけないんじゃないの!?」
と、きたもんだ。
これには、さすがのあたしも開いた口がふさがらなかった。ここまでスッパリと開き直るとは思ってもみなかったからだ。
しかし、すぐさま怒りのマグマが噴き出しそうになった。
よく見もせず、勝手にギャーギャー騒いだあげく、紛らわしいことしてたあたしが悪いだとぉー!? 責任転嫁もいーとこじゃないのよ!!
全身に力が入り両拳を震わせていたあたしは、フフンと鼻を鳴らすミュエリに飛びかかろうとした。──が、怒りが一気に頂点を通りすぎたのか、急に目の前がクラクラし始めた。
マグマの、不完全燃焼だ…。まるで、噴火する直前に、どでかい石でその噴火口を塞がれた気分…。
「お、おい…ルフェラ大丈夫かよ…?」
即座に倒れそうになるあたしを無言で支えたのは、それまであたし達の言い合いを黙って聞いていたネオスだった。あたしの両肩をガシッと掴み、意識が飛びそうだったあたしも、それでなんとか現実に引き止められた。
しかし、その行動は 〝大丈夫かよ〟 と言ったラディより一瞬 早かったこともあり、彼のみならず、ミュエリまでもが大声を上げることになった。
「おまっ、ドサクサにまぎれてルフェラに触ってんじゃねーよ──」
「そうよ、ネオスが支えなくたって──」
またまた言い合いのふりだしに戻る彼らを、あたしは鋭い目で睨んだ。
途端に黙る二人…。
──ったく、なんで、こいつらはこーいうときにだけ意見が一致するんだ!?
「大丈夫かい、ルフェラ?」
態勢を立て直そうとするあたしに、小さな声でネオスが尋ねる。
「…うん、なんとか。ありがとね…」
そういうと、あたしは深呼吸をした。
「…ル、ルフェラ…?」
「うるさい!!」
おそるおそる話しかけるラディに、あたしは 〝話しかけるな〟 といわんばかりに、そう言い放った。
ど~して、こんっなバカな連中と一緒に行動してんのかしら、あたしってば…。
なんだか、怒れてくるやら情けないやらで、もう、彼らと話す気にもなれなかった。
そんな中、あの声が聞こえた。
『ルフェラ…』
『え…? あ、ルーフィン。──相変わらず、落ちついてるわね…』
『え、ええ、まぁ…』
『もしかして、ルーフィンは怒るってこと、知らないとか?』
『まさか。私だって腹の立つことぐらいありますよ』
『そう? 今までに見たことないけど?』
『まぁ、ほとんどないですからね…。』
『あ、そう…』
『と、いうより、無関心…ってことが多いんでしょうかね…』
『無関心…って、──なんだか、らしくないわね』
『そうですか? これがいつもの私ですけど…』
ルーフィンはあっさりと、そう答えた。
『いつもの私…か。それって、ただ、あたしが知らなかっただけのこと…?』
『そう、なりますかね…』
『物心ついた時から一緒にいたのに…?』
『ええ。──でも、落ち着いているといえば、ネオスも、結構 落ちついてますけど…?』
ルーフィンはそう言うと、後ろを振り返り、ネオスを見上げた。
『──ああ、ネオスね…』
思わずあたしも振り返る…。
二人(?)に見られたネオスは理解できず首をかしげる。あたしはなんでもないというようニッコリと笑うと、再びルーフィンに視線を移した。
『彼も、〝無関心〟 という性格なんでしょうか?』
『まさか…』
そう否定したものの、すぐさまその言葉も否定した。
『いや、でも…どうだろう…』
『結構、知らないことって多いですね。──それより、ルフェラ?』
『なに?』
『カイゼルを待たしているのですが…』
『え…カイゼル?』
と、その名を頭の中で繰り返した途端、あたしは現状を把握する事ができた。
カイゼルがいること、すっかり忘れてた…。
現状把握できてないのはあたしも同じか…?
そんな事を思いながら、拳で自分の額を軽く叩くと、あたしは大きな溜息をついた。そして、なにか言いたげなラディ達の前を通りすぎ、ボーゼンとこちらを見ているカイゼルに話しかけた。
「カイゼル…あの…ごめんなさい。勝手に熱くなってしまって…」
「…あ、いえ。すごい闘いというか、声もかけれない状態で…」
まださっきの闘いに圧倒されているカイゼルは、まばたきも少なにラディ達とあたしを交互に見つめていた。
「ご…めんなさい…」
あたしはなんだか恥ずかしくなって俯いてしまった。
「あ、あの…悪い事ではないと思います…」
「はぁ…」
本当にそう思っているのか、それともあたしを気遣っての言葉なのか、実際のところは分からない。だけど、そう言われるとよけい顔を上げれなくなってしまうのも事実だった。
そんなあたしの態度に、カイゼルは再び声をかけようか、あるいはどんな言葉をかければいいのか考えているようで、しばらくは黙ったままだった。ただ、俯いているので顔は見えなかったが、なにかを言おうとするたび、手が動くのだけは見えた。さっきまでの落ちついたカイゼルには想像もつかない態度だ。
そんな時、ようやく心に決めたのか、カイゼルは体を翻すと再び澄んだ声を発した。
「──ここが、あなた方の泊まる宿になります」
「え…?」
急に話の内容が変わって、反射的に俯いていた顔を上げた。
指を揃え、目の前の建物を指し示していたカイゼルがゆっくりとあたしの方を振りかえる。途端に彼の顔から安心した笑みが洩れた。とてもキレイな、あの微笑みだ。
「ああ、よかった」
「…え?」
「いえ、俯いたままでしたので、どうしようかと…。ヘタにあなたに触れでもしたら、後ろの方々の攻撃を受けそうで…」
後ろの連中に聞こえないよう、小声でそう言ったカイゼルの目は、なんだか、悪戯っぽく笑っているようにも見えた。だから、あたしもつられて小さく笑ってしまった。
「ごめんなさい、いつもなんです…」
「いつ…も…?」
「ええ。あの二人が喋るとすぐ、ケンカになってしまうんです。ほっといてもエスカレートする一方で、全然おわらないし。それでつい、あたしもキレちゃって…」
「大変、ですね…」
カイゼルの目は 〝お気の毒に〟 と言ってるようだった。
「ほんとに…」
「私は争い事はどうも苦手で…。友達同士のケンカさえ、ダメなのです。──でも、ある意味 羨ましいという気持ちがどこかにあるのですが…」
「え…?」
「いえ、なんでもありません。──さぁ、中へどうぞ。私の名を出せばすぐに部屋まで案内してくれるはずです。それから食事に関してはここからすぐのところにあります。裏の方ですけど、数軒しかないので人がたくさん集まりますから、すぐ分かるでしょう」
「あ、はい…。ありがとうございます…」
「いえ。では、ごゆっくりと…」
カイゼルは緩やかに頭を下げると、もと来た道を静かにひき返していった。
彼の姿が人ごみに消えていくと、途端にラディが話しかけてきた。さっきのことなどこれっぽっちも覚えていないようかのように…。
──ったく、調子いいんだから。
「おい、あいつ、なんだって?」
「カイゼルの名前を言えばすぐに部屋まで案内してくれるって。それから──」
「メシは?」
「え…?」
〝そんな事はどうでもいいんだよ〟 というように、〝メシ〟 と言うなり身を乗り出してきた。
「メシだよ、メシ。もー、腹へって死にそーだから、教えてくれって頼んどいたんだよ」
「あ、そう」
しかし…こう、自分が言おうとした事を先に教えてくれと言われると、ハラの立つもので、言いたくなくなってくるというのが本音だ…。
ラディはあたしがすぐに返事をしないので、早く教えてくれと言わんばかりに、更に声を大きくした。
「なぁ、なんか言ってなかったか、ルフェラ?」
人の話を最後まで聞かないばかりか、この自己中心的な態度に、あたしはさっきまで忘れかけていた怒りのマグマが、閉ざされた噴火口の隙間をぬって流れ出たような感覚を覚えた。そして、
「知らない。そんな事 ひとっことも言ってなかったわよ!」
と、それだけ言うと、さっさと宿の中へ入っていった。
あたしが怒っていることなど気付きもせず、途端に なにやらわめき始めたが、あたしは敢えて聞かないようにした。
中には男性一人と女性が数人待ち構えていた。カイゼルに言われた通り、彼の名を告げると、料金の事や食事の事、それから、お風呂などの説明を簡単にされたのち、すぐさま二階の部屋に案内された。
四人でひとつの部屋だったが、これといった家具もなく広さてきには十分だった。
「わぁ、見てよネオス。二階なのにここからだと村の様子がよく見えるわ」
さっそく窓にかけより、彼女にとって一番の問題である景色にチェックが入った。
あの顔からすると、どうやら、合格らしい。
「ここは土地が少し高いんだ。そのうえ他の家が平屋ばかりだからね」
「そうね。あら、でもあの遠くのほうに見える建物ってずいぶん高くない?」
そう言って真正面を指さした。
「あれは…僕たちが案内された建物…」
「えぇ~、あんなに遠かったの? どおりで疲れたと思ったわぁ」
「結構 高いところに建ってたんだね。あんまり登った気はしなかったけど…」
「そう言われればそうね。でも、あそこから見る景色ってきっと最高よ。ねぇ、そう思わない、ネオス?」
彼女にとって、そのことのほうが重要らしい…。
「そうだね…」
窓に近寄ってはいなかったけど、ミュエリ達の会話を聞きながら、あたしも意識は彼らと共にあった。
「あのぅ…」
あたしの後ろのほうで、なにやら声がした。振り返ると、そこにはここまで案内してくれた女性が静かに立っていた。あたし達をこの部屋に通してすぐ、下へ戻ったんだと思っていたから、ちょっとビックリしてしまったのだが…。
「は、はい…?」
「布団は三つでよろしかったですか? 二つでなく…」
「え…二つ…?」
「ええ…」
そう言うなり、窓の方にいる二人とあたしを交互に見つめた。
おい、おい、な~にを勘違いしてくれてんだか…。あれ、でもちょっとまってよ、ミュエリ達が一緒に寝なかったとしても、なんで三つなんだ?
そう思うや否や、あたしはラディがいない事に、ようやく気が付いた。
「ねぇ、ちょっと…ラディは?」
あたしの質問に、珍しく即答したのはミュエリだった。
「行っちゃったわよ」
「行っちゃった…って、どこへよ?」
「決まってるじゃない、食べ物の店よ」
ごくごく当たり前のように答える。
「な…んで?」
「なんでって… 〝約束したのに教えてくれなかったぁー〟 って雄叫びあげてたから…。それに宿の前であんな大声だされたら迷惑でしょ。だから 〝自分で探せばいいじゃない〟 って言ったのよ。そしたら、途端に目の色かえて 〝ぜってー、見つけてやる!!〟 って言うなり走り去っていったわよ」
「あ…そう…」
──ったく、食べ物の事になるとほんっと、周りが見えなくなるんだから、あの男わ…。
だけど、ミュエリもミュエリだ。〝自分で……〟 って言ったら見知らぬ土地でもお構いなしに行動する事ぐらい目に見えてんのに…迷ったらどーすんのよ!
いや、もしかして…わざと、か…?
そう思った瞬間、途端に 〝そうだ〟 と確信させられた。だって、そうでなきゃ、あのミュエリの口から 〝迷惑〟 という言葉が出るはずがないのだ。
「あのぅ…」
再び、彼女の声がした。
危ない危ない…また、忘れそうになったわ…。
「……えっと、四つ、お願いします」
「え…四つ…ですか?」
「ええ。もう一人 連れがいるので…」
「分かりました。では四つ お持ちします」
「お願いします」
一礼して部屋を出ていこうとしたが、何かを思い出したのか、ふとこちらを振り返った。
「あの、それから…ついたてしかないのですが、それもお持ちした方が…?」
「え…ついたて…?」
「はい。男の方と女の方…別々に寝られるということですよね…?」
言いにくそうにこっそりと耳打ちされ、あたしもようやくその意味が分かった。
「ええ、ええ。もちろんです。お願いします」
「はい、かしこまりました」
ニッコリとそう言うと、彼女は速やかにこの部屋を退室した。
──ったく、あの人も気が利くというか、利きすぎというか…。
「──それにしても、よかったわよね。一緒の部屋じゃなかったけど、ルーフィンも泊めてもらえて」
ある程度ここからの景色を堪能したのか、ミュエリはようやく窓から離れ、あたしに話しかけた。
「たしかに、ね」
ルーフィンは一階にある動物専用の小屋に案内された。食事はサービスでつくということだったし、小動物ならともかく、あれぐらいの大きさだと部屋にあげるわけにもいかないだろう。
喋れる分、あまり動物と話してる…っていう気がしないから、なんか、申し訳ないな…と思ってしまうのだが、彼はそれこそ気にしてないようだった。
まぁ、連れ出そうと思ったら、自由に連れ出せるから、それだけでも、救いといえば救いかな…。
「運がよかったのね、きっと。もしくは、カイゼルがそういうところに案内してくれたのかも…」
「そう、ね…」
「ねぇ、私達もご飯食べにいかない?」
相変わらず、話がコロコロ変わる奴だ…。
だけど、いつもとひとつ違うところがあった。それは、機嫌がいいということだ。こんな普通の話ができるなんて、滅多にない。しかも、嫌味抜きで、だ。これも、彼女の好きな店が建ち並ぶ、いわば、彼女の為の環境ともいうべきお蔭なのだろうか…?
「ちょっと、ルフェラ、聞いてるの?」
「え…あ、うん。聞いてるわよ、お腹すいたんでしょ?」
「そうよ、ここにいてもご飯は食べれないし。他の店だっていろいろ見てみたいもの。お金も手に入ったことだしね…」
宿だから、もちろんご飯は出る。しかし、断る事もできた。その分 支払う料金も少なくてすみ、尚且つ、ミュエリの買いたいものが余分に買えるということで、食事は自分たちでとりにいくことにしたのだ。どうせならいろんな店に行きたいというのも、ひとつの理由だった。
「じゃぁ、行くけど…ミュエリ──」
〝行く〟 という言葉で、ネオスの腕を掴み軽やかに部屋を出ていこうとしていたミュエリに、あたしはひとことだけ言っておこうと思った。
「な、なによ…?」
「あんたの好きな店は、ご飯を食べてからだからね」
「分かってるわよ、そんな事。──さぁ、行きましょ、ネオス」
ミュエリは笑顔でそう答えると、再びネオスを引っ張って階段を降りていった。
ほんっと、機嫌よすぎて、こっちが調子 狂いそうよ…。
あたしは複雑な気持ちで、黒光りしている階段を降りていったのだが、最後の一段を踏んだ途端、ミュエリがまた、話しかけてきた。
「ねぇ、ルーフィンはどうする?」
「──あ、そうね…」
「食事はここで出してもらえるんでしょ?」
「うん」
「だったら…いっか。夜までにはまだ少し時間あるから、ちょっとしたものでも、買ってくる?」
「──そうね」
ネオス意外の誰かのことを気遣う事などなかったミュエリが、ルーフィンのことを気にしてるなんて…。よっぽど幸せなのね、好きなものに囲まれてるって…。
鼻歌まで歌い出すんじゃないかと思うほど機嫌のいいミュエリと、そんな彼女についていけそうもないネオス、そして、全ての事を含めこの状況に順応できないあたしの三人は、食事ができる店に向かう為、宿を出た。
途端に、また あたしの前を歩いていたミュエリが振り返る。
「ねぇ、そういえば、店の場所 お姉さんに聞くの忘れたんじゃない?」
と、今更ながらの疑問が飛んできた。
あたしはカイゼルに聞いていたため、
「大丈夫よ」
と言うなり、彼女の横を通りすぎ、前を歩いていった。
「大丈夫…って、ルフェラ──?」
ミュエリが不思議そうにあたしのあとをついてくるのを気にも止めず、カイゼルから聞いた 〝裏〟 に向かった。そして、すぐの角を曲がったその時、バッタリとラディに会ってしまった。
「おぅっ! ルフェラ、どこ行くんだ?」
少し前のイライラは微塵も感じさせない、普通のラディだった。
この調子からいくと、迷わず空腹を満たせたわね、きっと。
「どこって…ご飯食べに行くのよ」
「そっか。──あ、オレが案内してやるよ」
「いいわよ。それより宿に戻って、からだ 休めたら?」
「かぁ~、嬉しいねぇ。オレの事 気遣ってくれるなんて。でも、オレは大丈夫だぜ。それに、遠慮する事ねーよ。オレとお前の仲じゃねーか、な。店の場所だって知らねーんだろ?」
「知ってるわよ」
あたしは彼の期待を裏切るように、あっさりとそう言い放った。
思ってもみなかった返答に、一瞬 言葉に詰まる。
「な、なんでだよ?」
「聞いたのよ」
「誰に!?」
「カイゼル」
「おまっ…あの時、聞ーてねーって…」
「ウソよ」
「ウ…ソ…?」
「そっ。あんたがあたしの話を最後まで聞かないうちに、〝メシは?〟 って聞いてきたから、腹が立ったのよ。だからウソついたの」
「そ…んな…」
「それに、宿よ、あたし達が泊まるところ。普通は付くでしょ、食事が。万が一でなくっても、宿の人に聞けばどこにあるかぐらい快く教えてくれるわよ。カイゼルから聞かなくても、あんなに発狂する事ないと思うけど、ねぇ?」
〝どうよ〟 と言わんばかりに、あたしは堂々とそう言った。
「う………」
案の定、二の句が継げなかった。
それを見たミュエリは、
「はぁ~い、ルフェラの勝ちぃー」
と、声高らかに言った。
「うっせーんだよ、お前はぁー」
「なによぉー」
あぁ、また…。
「はいはい。ほら、ラディ。あたし達もすぐ帰って来るから、ね。部屋で休んでてよ」
いつもの言い合いが始まりそうだったので、あたしは子供を諭すように、ラディの背中を押すと、宿まで連れていった。そして、渋々ながら、階段を上がりきる彼の姿を見届けると、再びミュエリ達が待っている曲がり角に戻り、目的の店へと向かった。