12 裁き <2>
「行ったり来たりしてたのは、あの飛刃を撃たせるためだったのか。しかも、それをこっちに誘導させるとはな。なかなかやるじゃないか」
「そう?」
「だが、オレが飛刃を相殺しなかったらあんたは今頃死んでたぜ?」
「そうね。でも、あなたなら相殺してくれると思ったわ」
「なぜだ? あれはあんたに向かって飛んできたものだ。オレには当たらない。避けるとは思わなかったのか?」
「えぇ」
「えらい自信だな。それも、〝オレが器の小さな男じゃない〟とでもいう理由か?」
「いいえ」
「じゃぁ、なぜだ?」
「似てるのよ、あなた」
「似てる?」
ヴィオが眉を寄せた。
「そう。ここにはいない、あたしの仲間にね。良くも悪くも正直で、バカの一つ覚えみたいに毎日同じこと言ってるの。気に入った相手を守る為なら命だって簡単に掛けるのよ。そんな事してたら幾つ命があっても足りないっていうのに─…バカでしょ? でも気に入らない相手だからって、死ねばいいとも思わないのよね」
「つまり?」
「つまり、優しいの。彼も、そしてあなたも。そうじゃなきゃ、あの時──雷龍から投げ出された時に、二陣目の飛刃を相殺なんかしなかったはずよ?」
〝違う?〟と目で聞けば、ややあってフンと笑った。
「面白いな、あんた」
「そう?」
「あぁ。ますます気に入った。──いいぜ、約束だ。あいつをどうするかは、あんたの判断に任せる。どうせオレには何もできないんだ。最後まで見届けてもらうぜ?」
「もちろんよ。しっかりと見てなさい、相棒さん」
「ハハ…相棒さん、か…」
笑って繰り返したヴィオの表情は、今までと違ってどこか悲しそうだった。相棒として何もできないからか、それともやっと見つけた相棒を失うと悟ったからか…。どちらにせよ、或いはその両方だとしても、そこには〝相棒とは名ばかり〟という言葉があるように見えた。──とはいえ、すべき事が分かっているあたしに掛ける言葉は見つからず、小さな笑顔を返すしかなかったのだが。
「頼んだぜ、えーと……」
「ルフェラよ」
「…そうか。──頼んだぜ、ルフェラ」
「えぇ」
できるだけ明るく返すと、今度はネオスに問いかけた。
「どう、ネオス?」
「あぁ、もう大丈夫。いつでもいいよ」
その言葉通り、力に耐えるような体の震えは消えていて、表情もいつものネオスに戻っていた。
「良かった。じゃぁ、行くわよ?」
矢を手渡しそう言うと、ネオスが頷くや否やあたし達はセトのもとに向かった。その途中、あたしは大事な事を伝えた。
「ネオス、手を狙って!」
「手…!?」
「扇を持つ手よ。彼から手放させるだけでいいの…!」
「でも、それだとまた扇を拾って──」
「拾わせない! 新たな扇も使わせないわ! でも、扇だけは傷付けないで…!」
それがどういう意味なのか、ネオスにはまだ分からない。だけど、それ以上の事は聞いてこなかった。
「分かった。扇を持つ手を狙うよ」
「的が小さくなるけど…大丈夫、ネオスならできるわ」
「ルフェラがそう信じるなら」
「当然でしょ? まずは飛刃を撃たせるから、ネオスはタイミングを見極めて。──雷龍、お前は飛刃をうまく避けなさい! ただし、ネオスが矢を射るその一瞬だけは動かないで、いいわね!」
さっきとは違う雷龍だが、言う事を聞いてくれるという自信はあった。ヴィオがあたしを認めたのはもちろん、それ以上に迷いなき自分に自信があったからだ。だからなのか、雷龍との繋がり方にも変化を感じるようになった。急な動きと素早さに、振り落とされる不安や危険性を感じなくなったのだ。雷龍の体と自分の体が磁石で引き寄せられるように、或いは雷龍が自分の体の一部になったように、思うように動いてくれる。これが〝意のままに操る〟という事なのか。そう思うくらい違和感がなくなっていた。
セトの周りを縦横無尽に駆け巡り、何度か飛刃を撃たせては避けるという事を繰り返した。
チャンスは一度きりだ。
それを逃さない為に、飛刃を撃つまでの距離や間隔、向き、前兆の仕草など、できるだけ多くの情報を頭に入れていく。そうしてようやく、ネオスにもそのタイミングが掴めたようだ。
「次だ。飛刃を撃つ瞬間にできる、僅かな隙を突く!」
「分かったわ!」
見ていたあたしにも、ネオスが言ったタイミングは理解できた。だから、雷龍にも必要な動きをさせられる。ただ──
「こっちの攻撃を悟らせないように、ギリギリまで弓は構えないで。今までと同じ動きをしたあと最速で移動するから、彼があたし達を見失ったその一瞬で決めるの!」
「了解!」
弱気な感情や不安は微塵も感じられない。自信に満ちたその返事に、あたしは更なる安心感と成功を確信した。
「行くわよ!」
セトの姿を捉えながら、再び縦横無尽に駆け巡る。彼の真上から、横から、後ろからー…ある一定の距離を保ちつつ移動を繰り返すうち、イライラしてきたセトの手が動くようになった。
「そろそろよ、ネオス」
「あぁ」
それから徐々に距離を詰めること数回。一度きりのチャンスが来ようとしていた。
真正面から突っ込んで行くと、扇を握るセトの指が僅かにキュッと強く握られた。それを確認したあたしは、最速で彼の左側に移動。体に受ける風圧と、早さについていかない視界で一瞬頭がクラクラしたが、それはおそらくネオスも同じ事だろう。それでも、あたし達の姿を見失ない戸惑っているセトを目にした時には、既にネオスが弓を構えて狙いを定めた時だった。ハッとして叫ぶ。
今よ────!!
声に出なかったのが不思議なくらい大きな声が心の中で響けば、同時にネオスが矢を放った!
それは月の光を纏い、真っ直ぐな軌跡を残しセトに向かっていく。渦を巻く竜巻の影響で風が吹き荒れている中、それはまるで無風の空間に放たれた矢のようだった。一切のブレがないのは月の光によるものだろうが、その情景はネオスの強い意志のようにも見えた。
あたし達の姿を見失ったセトが、視界の端に〝光る何か〟を捉えこちらを向いた。それが矢だと気付き、その延長線上にいたあたし達と目が合った時には、既にネオスの矢がセトの右手首を射ていた。けれど、その手から血は出ていない。傷すらつかないのは神の力ゆえか──
セトの手から離れた扇は風圧で飛ばされ、吹き荒れる風で空に舞い上がる。矢の強さに大きくよろめきながらもそれを目で追うセトだったが、すぐには手元に戻らないと悟ると体を翻した。向かったのは楓の木。新たな扇として楓の葉を使う気だ。
そうはさせない…!
あたしは大きな声で叫んだ。それは、ヴィオに対しての命令だった。
「落雷─────!!」
直後に周りが真っ白く光ったと思ったら、ほぼ同時に、あたし達の後方から空を引き裂くような凄まじい音と稲光が楓の木に向かって走り落ちた。あまりの轟音に、すぐには周りの音が聞こえない。それでも空中にいるあたしには、地響きと轟音による凄まじさが肌を通してビリビリと伝わってきた。
セトの手から扇が離れた時点で竜巻は弱まり、今や吹き荒れる風もなくなっている。ただその不気味に広がる音や振動が徐々に消えていくと、静寂の中から新たな音が聞こえるようになった。
パチパチと、時に乾いた音を立てながら赤い炎が揺らめく。真っ二つに割れて燃えている楓の木の前では、膝から崩れ落ちたセトがその光景を見上げていた。そこに、リアンの無事を確認したリューイが駆け寄ってくる。──と、今にも殴りかからんとする勢いでセトの胸ぐらを掴むのが見えた。
「降りるわよ、ネオス」
「あぁ」
地面スレスレまで降下した雷龍は、あたし達が降りたあと再び空へと登って行った。
「…お…前、何でこんな事…! 親友だと思っていたのに…何でオレを裏切った!? 何でリアンを好きだと言わなかった!? 言えば堂々と勝負もできたし、お前なら余裕だっただろう!? 何でオレを殺そうとしてまで──」
「勝負などする必要はない」
胸ぐらを掴むリューイとは反対に、静かな口調で遮ったセト。ただその口調や表情は落ち着いているというより、力無く…と言った方が正しいのかもしれない。
「必要ないって─…」
「彼女が私の妻になる事は最初から決まっていた。全てを思い出せば、彼女が選ぶのはこの私なのだ」
「どういう…意味だ…? 全てを思い出せば…って、リアンは──」
〝記憶でも失っているというのか?〟とリアンを見たが、彼女は〝意味が分からない〟と首を振った。
「心の奥底に眠る記憶だ。そう簡単には思い出さないだろう。だが、私と共に過ごせば必ず思い出す。その為にも彼女と離れるわけには──」
「無駄よ」
あたしはセトの言葉を遮った。
「あなたと共に過ごしても、リアンさんは何も思い出さないわ」
「何を知った風な口を──」
「知った風じゃない、知ってるのよ。彼女は絶対に思い出さない。いいえ、思い出せるはずがない。だって、彼女の中にはあなたと共通する過去がないもの」
「何を…言っている…? 彼女は──」
「セセラじゃない」
「─────!?」
驚くセトに、あたしは彼が一番理解できる言葉を使ってもう一度言った。
「彼女は、セセラの生まれ代わりじゃないのよ」
「─────ッ!!」
「だから、思い出せるはずがないって言ったの」
「な、何をバカな─…!?」
セトが、リューイの手を払いのけ立ち上がった。
「だいたい、なぜお前がセセラの事を知っている!?」
「見たからよ」
「見た…? ──何をだ?」
セトが眉を寄せた。
「竜巻の中は、あなたの抑えきれない感情や記憶で溢れていた。渦の中に飲み込まれる中で、それを見たのよ。だから分かった。この状況を招いてしまった経緯を。そして──」
あたしは一旦そこで切ると、彼の目をまっすぐ見つめて続けた。
「自分を殺させる為に、あたしをここに導いたんだって事も」
「─────ッ!!」
「なっ─────!?」
「ちょっ…それってどういう事!?」
思わぬ言葉にみんなが驚き、あたしとセトの顔を交互に見つめた。ランスとリアンは声も出ない。一方で、ネオスとイオータは驚きつつも何かを悟っているようだった。
「は…ははは…何を言い出すかと思えば─…」
最初こそ驚きで表情が固まったセトだったが、すぐに元の強気な口調に戻った。
「私がお前に殺されるよう導いただと? その逆だろう」
「逆…?」
「私がお前を殺す為に導いた。そうは考えないのか?」
「何の為に?」
「理由など、どうでもよいだろう?」
「そう? だったら、どうして本気であたしを殺そうとしなかったの?」
「なに…?」
「あなたが本気を出せば、あたしを殺すのは簡単なはず。でも、そうはしなかった。殺そうと見せかけて、反撃したあたしに殺されるのを待ってたのよ。──違う?」
「フ…ン、ならばお前の望み通り──」
「─────ッ!」
いきなりあたしの背後に回り込んだかと思うと、左腕を後ろにとられ動きを封じられた。何処に隠し持っていたのか、首には鋭利な刃物が突きつけられている。瞬時にネオス達も動いたが、素早いセトの動きには敵わず、一気に緊張した空気がピリピリと広がった。
「ルフェラ──」
「大丈夫よ、ネオス。彼にあたしは殺せない」
あたしは自信を持って言い切った。
「この状況でまだ言うのか?」
その言葉と共に、刃物がグッと押し当たるのが分かった。みんなが息を飲むのも聞こえる。
「ちょっと…もう、やめてよ─…どうしてこんな事──」
たまらずミュエリが言いかけたが、あたしはそれを遮った。
「何度でも言うわよ。あなたにあたしは殺せない。──いいえ、あたしだけじゃない。この世に存在する誰一人として、あなたは殺せないわ」
「これまた、随分と舐められたものだな」
「いいえ、舐めていないわ。事実を言ったまでよ」
「ならば、今すぐお前の喉を掻っ捌き、ここにいる全員の息の根を止めようではないか」
更にグイッと両手に力が加われば、反射的にみんなの体が僅かに動く。そんな緊張が走る空気の中、あたしの心は変わらず平静で思わずクスッと笑ってしまった。
「何がおかしい?」
「だって、無理してるのが分かるんだもの」
「な…に!?」
「あなたは誰も殺せない。それは自分でも分かってるはずよ?」
「さぁな、何の事だか──」
「だったらなぜ、リューイさんを助けたの?」
「……………!」
「殺すよう命じたのに、なぜセセラを失ってから得た力を飛ばしてまで助けたのよ?」
「─────ッ!!」
「あなた、本当は殺すようになんて命じてないんでしょう?」
その言葉に無言のセト。けれど、首に押し当てられた刃物から、そしてあたしの左手をとる手や全身から動揺しているのが分かった。その隙をついてネオスが動く。セトの右手を掴み捻ると、刃物が手から離れ地面に落ちた。そのタイミングで後ろに捻り動きを封じれば、痛みのため自然とあたしの左腕も自由になる。それと入れ替わるように、再び胸ぐらを掴んだのはリューイだった。ネオスはその状況に手を離し、すぐにあたしの元に戻ってきた。
「どういう事だ…? オレを助けたってどういう事だ…!? オレを殺すよう命じてないって─…それは本当なのか!? おい、セト! どうなんだ!?」
「……………」
「セト──」
「答えないって事は、事実だって事なんじゃねーか?」
言えない事も言いたくない事も、それが事実なら即座に〝違う〟と言いにくい。だからこそ、〝セトの態度が事実なんだろ〟とイオータが言った。
「で、でも…私、あの夜に聞いたのよ…。リューイを斬った人が〝あなたの命令通り、あいつをここに戻らせないようにした〟って──」
一字一句、決して忘れられないであろうその時に聞いた言葉。それを口にしたリアンだが、〝殺すよう命じていない〟と聞いた後だからか、それまで考えもしなかった事にハタと気付いたようだった。
「〝殺せ〟とは言ってなかったのか─…」
みんなの脳裏にも浮かんだ〝気付き〟をイオータが口にして、あたしは〝えぇ〟と頷いた。
実際には、あの竜巻の中でその言葉は聞いていない。でもセセラを失ったセトが誓った思いと、力を飛ばしてまでリューイを助けた事を考えれば、そう考える方が自然だったのだ。
あたしは、竜巻の中で見た事をみんなに話す事にした。セトがこの家に来た日の事から始まり、母親の死をきっかけに人との関わりを避けるようになった事、セセラとの出会いで彼が変わった事、極自然に恋に落ちた二人に訪れた死という別れ…。そして得た力とセセラの生まれ変わりを信じ、そこに執着した事─…。どこまでみんなが信じてくれるかは分からないが、彼が守り神である事、それ故にこの村と村人が愛おしく、一人たりとも失いたくないという思いが強い事も伝えた。
話が終わっても、誰一人として声を出す者はいなかった。いや、何を言っていいのか分からないのだ。誤解はあれど、殺されかけたリューイですら、怒りよりセトの境遇や思いに胸を痛めているように見える。そんなみんなの視線が耐えられないのか、力なく座り込んでいたセトが俯いたまま口を開いた。それは、諦めというより懇願するような口調だった。
「そこまで知っているのなら、もう何も言う事はない…。早く殺せ…私を…殺せ……」
「…そうね。あなたがこの村の守り神として存在する資格がない以上、それも仕方がないわ」
「ちょっ、ちょっと待ってルフェラ─…」
何を言っていいのか分からない中、慌てて止めたのはミュエリだった。あたしは〝なに?〟とミュエリに視線を向けた。
「あ…あなた、本気でそう言ってるの…?」
「こんな事、冗談なんかで言えないわ」
「……………!」
「彼は過ちを犯した。これ以上、守り神として存在する事は許されないのよ」
「そ、そうかもしれないけど、でも──」
リューイとリアンの気持ちを考えると、そのあとの言葉は少し言いにくそうに続けた。
「それだと、あまりにも可哀想だわ…」
「可哀想?」
「そりゃ、リューイさんやリアンさんにした事は許されないかもしれない。でも彼はリューイさんを助けたんでしょう? リアンさんに対しても、愛する人の生まれ変わりだと信じた故の行動で、本気で傷付けるつもりはなかったはずよ。それに、守るはずの村人を故意に死なせたなら守り神として許されないかもしれないけど──」
「そうじゃないから許されるべきだと?」
「だって、私達だって過ちは犯すでしょう? それでもやり直すチャンスは与えられるじゃない。少なくとも、二人がそれを許せば彼にだって──」
「無理よ」
あたしは、ミュエリが言い終わらないうちにキッパリと言い切った。
「無理って、どうして──」
「弱いからよ」
「え…?」
それは意外な言葉だったのだろう。ミュエリだけでなく、他のみんなも同じような顔をした。ただ、ネオスやイオータはそれとは少し違い、どこか納得している風だった。
「彼はこの村を愛し、人を愛した。全ての人を愛おしく思ったのよ」
「それのどこがいけないっていうの? だって、それが守り神なんでしょう?」
「そうよ。でも人はいつか死ぬの。どんなに愛おしい人でも、その死を受け入れなければならない。たとえ自分より幼かった子が、いつの間にか自分より年老いて亡くなったとしても、そして生きている以上、多くの死を見る事になってもね。母親の死をキッカケに、彼は分かったのよ。愛おしい人を亡くす辛さを。だから人との関わりを避けた。愛おしい人が増えるほど、その先に訪れる彼らの死が耐えられなかったから…」
「それが、愛おしくなるほど辛い…って事か」
ランスの言葉にあたしは頷いた。
「母親の死でも自らの運命を受け入れられなかった彼が、セセラと出会って変わった。彼にとってセセラの存在は大きく、彼女がいたからこそ前に進めたと言っても過言じゃない。でもその彼女も〝人〟である以上、ずっと一緒に居られるわけじゃないわ。いつかは彼女の死を目の前にして、それを受け入れなければならない日が来る。彼にとって、それが守り神として乗り越えなければならない試練だったのよ。でも─…」
あたしは一旦そこで切り、セトに向けて話を続けた。
「あなたは彼女の死を受け入れられなかった。彼女の死後に目覚めた力は、母親やセセラを救えなかった思いから、誰一人として死なせないと誓ったのよね? そして生まれ変わりを信じたあなたはリアンさんを見つけ出し、再び一緒になる事を願った。もし彼女が病気になっても、老いて老衰で亡くなりそうになっても、今度こそ宵の煌を使って共に生き続けると誓って─…。だから、セセラの生まれ変わりに執着した。──それがあなたの弱さよ。自分でも分かっていたんでしょ?」
そこまで言うと、セトは小さく息を吐いた。
「……あぁ、分かっていた。本気で彼女を愛した時点で、守り神としてあり続ける事は出来ないとな…」
「でも、必死でそうあり続けようとした。愛おしいこの村と人々を守る為に…。そうじゃなきゃ、とっくの昔に風がやんでいたはずだもの」
「……………」
何も言わないセトに、今度はあたしが小さく息を吐いた。そして彼の前で座り込んだ。
「優しすぎるのよね、あなた…」
俯いていたセトの顔が僅かに動いた。
「優しすぎるから、それが弱さに繋がったの」
「……優しすぎる、か…」
「そうよ。だから、〝誰も死なせない〟という過ちを犯した。愛する者の死の辛さを知っているが故に、自然に訪れる死ですらその力を使うという過ちをね。でも自分でそれに気付きながらどうする事もできなかった。こんな過ちは終わらせなければならないと思いつつも、自分の命を絶つ事はできない─…」
「そうだ…。神は、神であるが故に自分の命を絶つ事はできない。守るべきものがあり、守るべき側の立場だからだ…」
「あなたは、全ての責任が自分にあるからこそ、村やその人々だけは守りたいと思った。村人に自分を殺させれば、それこそこの村もろとも滅びてしまい、村を守る事ができない。どうにか村を存続させながら、自分の存在を消すにはどうすればいいか…それを考えて出した方法が、あたしをここに導き自分を殺させる事だった。──そういう事でしょ?」
「私を殺せるなら誰でもよかったのだ…。ただし、それなりの力を持ったものでなければならない」
「それが、あの門の結界だったわけね」
「…あぁ。それなりの力がある者だけ入る事を許した。お前があの門を開けた事でそれが証明されたのだ。私は、お前に殺される為にここにいる…。だから殺せ…私を殺して全てを終わらせてくれ…。セセラのいない世界など、私にはもう──…」
〝耐えられないのだ〟
苦しくて声にならなかったのか、それともグッと飲み込んだのかは分からない。だけど、あたしにはそんな言葉が聞こえた気がした。
「…いるわ」
あたしはポツリと言った。
「彼女はいる」
もう一度、今度はハッキリそう言うと、地面を握りしめていたセトの指が僅かに緩んだ。
「ありきたりの言葉だな…」
「そう?」
「私が彼女を覚えている限り、彼女は私の中で生きている─…そう言いたいのだろうが、そんな言葉は私にとって何の慰めにもならない。セセラはいない、それが事実だ……」
セトは力なく言った。
事実…か。
本来ならそれが慰めでなく〝事実〟だという事はすぐに分かるのだろうが、全てを終わらせようとする今の彼には、それに気付こうという気持ちもないのかもしれない。
あたしは一つ息を吐いた。
「セセラがあなたと結ばれる前、彼女が何て言ったか覚えてる?」
セトが軽く顔を上げた。
「彼女はこう言ったのよ。〝私は必ず生まれ変わって戻ってくる。生まれ変わって、今度こそセト様と共に生きる〟とね」
「…あぁ、その通りだ」
「でも、それはリアンさんじゃなかった。──いいえ、正確に言えば、他の誰にも生まれ変わってないわ」
「やはりな…」
「当然でしょ。だって誰に生まれ変わっても〝人〟である以上、あなたと共に生きる事はできないもの」
「…………?」
「言ったでしょ? 竜巻の中はあなたの感情と記憶が溢れていた…って。あたしは、渦の中に取り込まれてすぐに気を失ったわ。その中であなたの記憶を見たの。そしてネオスの声で目を覚ます直前、あたしはもう一人の声を聞いた」
あたしの言葉に、セトの目の色が少しずつ変わっていった。
「その人はこう言ったの。〝セト様を助けてあげて〟と」
「─────ッ!!」
「もう分かったでしょ?」
「…あ…ま、まさか──」
あたしは頷いた。そしてスックと立つと、ある方向を見て彼女を呼んだ。
「セセラ、もう出てきていいわよ」
あたしの言葉に、みんなの視線がそこに集まる。静寂の中、ややあって扇から一筋の光が放たれると、その光は緩やかに移動しセトの近くで形作られた。人の形をした光が徐々に暗くなっていくと、現れたのは竜巻の中で見たままのセセラだった。
目の前で起きた現象に、みんなすぐには言葉が出ない。それはセトも同じだった。けれど、溢れてくる感情が自然とその名を口にする。
「…セ、セセラ…?」
「…はい、セト様。ようやく会う事ができましたね」
セセラはニッコリと微笑んだ。
姿だけでなく自分の名を呼ぶ声を聞いたセトは、弾かれるように立ち上がりセセラを抱き締めた。
「あ…ぁ、セセラ…セセラ…!!」
「セト様…」
「まさか私の手の中にいたとは──…」
「はい。ずっとセト様のお傍にいました。苦しんでいた事も知っています。でも扇の私にできる事が何もなくて…せめて私の存在だけでも知らせる事ができたらと思っていたのですが、それも──」
「いいや、それは私の責任だ…。お前を見つけると約束したのに、私はその存在に気付く事もできなかった…。こんなにも近くにいたというのに…!」
「セト様…」
その姿はもう、守り神ではなかった。一人の女性を愛する、一人の男性の姿だ。
自分を責めるその口調に、セセラは優しく抱きしめ返した。そして、そっと上体を反らすと、セトの顔をまっ直ぐと見つめた。
「セト様の愛情は、もう十分すぎるほど伝わっています。ですから、ご自分を責めるのはおやめください。私は、昔も今も幸せです」
「セセラ…」
「それより、大事な事をお忘れではありませんか?」
促すようなセセラの言葉に、セトはその意味を理解した。そして〝あぁ、そうだったな…〟と答えると、ゆっくりとリューイ達の方に向き直った。
「リューイ、リアン…すまない…。私の勝手な思い込みで、二人を深く傷付けてしまった…。リューイの命まで奪いかねない事態を引き起こしてしまったのも、全て私が弱かったからだ。今更許してくれとは言わない。許されることではない事も分かっている。だが、それでも言わせてくれ─…」
そこまで言うと、セトは二人を交互に見つめた。そして──
「本当に…本当に、すまなかった…!」
二人に向かって深々と頭を下げた。隣ではセセラも同じように頭を下げている。
そんな姿を目の前にして、リューイは複雑な表情を浮かべた。許せない気持ちと、セトの事情を知った故に許すべきだという気持ちが入り混じっているのか、それは分からない。けれど、この次に起こした彼の言動は、そのどちらでもなかった。
拳をギュッと握ったリューイは、無言のままセトに近づき、無理やり胸ぐらを掴んで顔を引き上げた。
「…っざけんなよ、セト! お前がこの村の守り神だって!? それをオレが信じると思うのか!? 例えそうだとしても、オレには何の関係もない! ──けど、お前が優しくて愛情深いというのは知っている。親や兄弟、遠い親戚すらいないオレにも、お前はみんなと同じように接してくれた。話すうちに気が合って…オレは本気でお前を親友だと思ってたんだぞ!」
「……………!」
「今朝まで記憶を失っていたオレが、思い出して最初に何を感じたか分かるか? お前に裏切られた悲しさだ。斬られて意識を失う前もそうだ。腹立たしさより裏切られた悲しみの方が強かった…。オレが邪魔だったらそう言え…! 友達のフリをしてあとで裏切るくらいなら、その境遇を話せ…! 信じられない話でもオレだったら……あの時のオレだったら、きっと信じたはずだ…。親友のお前の話なら……」
「リューイ…」
「なぁ、セト…ひとつだけ聞かせてくれ。オレは、お前にとってただの邪魔な人間ってだけだったのか…?」
セトの胸ぐらを掴んでいる手が、僅かに震えている。それは怒りのせいというより、返ってくる答えに不安があったからだろう。
「どうなんだ? 答えろよ、セト」
聞きたいような聞きたくないような…そんな気持ちが更に手の震えを強くさせる。リューイは、それを誤魔化すように更なる力を加えた。
「…確かに、最初はそうだった…」
力のせいか、少し絞り出すように答えたセト。それを聞いて、リューイの手も緩む。
「最初は…?」
「あぁ…。だが、すぐに変わった。お前がいい奴だというのはすぐに分かったからな…。気が合うと思ったのも同じだ。セセラの事がなければ、長い付き合いになるとも思った…。だが…すまない、私はどうしてもセセラを──」
「もういい…」
リューイが途中で話を切ると、胸ぐらを掴んでいた手も力なく離した。
「やっぱり、お前は神なんかじゃない」
「……………」
「神だったら、もっと自分の感情をコントロールできるはずだ。そうだろ? だからもう一度言う。お前は神じゃない。ただの人間だ。一人の女性を本気で愛した──オレと同じ、ただの男」
「─────!!」
「まぁ、そうは言っても、オレに傷を治す力はないけどな」
さっきまでとは違い、リューイはそう言ってフッと笑った。でもすぐに真面目な顔に戻った。
「ありがとな、助けてくれて」
「…私を…許してくれるのか…?」
「許すも何も、オレを助けてくれたのは事実なんだろ? それに、お前のその性格だと、裏切った時からずっと苦しんできたんだろうし? ある意味、記憶を失ってたオレの方がよっぽど幸せだったのかもな」
「リューイ…」
「そんな顔すんなって。オレはオレでリアンと幸せに暮らすから、お前はお前で、変なしがらみなんか捨てて、一人の男として生きろ。その方がラクになれるぞ?」
「…そう…だな。ようやくセセラとも会えたし、お前に謝る事もできた…」
そこまで言うと、セトが改めてあたしの方に向き直り続けた。それは少し前に聞いた言葉と同じだったが、そこにある感情は明らかに違うものだった。
「もう思い残す事はない。この村の為にも私を殺してくれ…」
「な──!? セト、お前何言って──」
「そうよ…何言ってるの!?」
〝殺してくれ〟という発言に、再びミュエリが反応した。
「リューイさんは、しがらみを捨てて生きてって言ったのよ!?」
「あぁ、分かっている。だが、私の存在はしがらみあってこそのもの。それを捨てて生きる事は出来ないのだ」
「でも──」
「過ちを犯せば、それだけで守り神としての資格はない。それは彼女も分かっている」
「彼女って─…」
言いながら、セトの視線があたしに向けられているのに気付く。
「あなたまさか…この状況を見ても、彼が死んで当然だと思ってるの!? リューイさんが生きろって言ってるのに!?」
「言ったでしょ、彼は弱いって」
「でも…今はセセラさんが傍にいるって分かったし、彼女がいれば同じ過ちは──」
「やめとけって、ミュエリ」
イオータが、前のめりになるミュエリの腕を引っ張って止めた。
「な…によ、イオータあなたまで──」
「彼女の死を受け入れる、それが守り神にとっての試練だったんだ。生まれ変わった彼女の存在を知り、傍にいる事が分かった時点でその試練は消滅したも同然。守り神として成立しないんだ」
「じゃぁ、なに…? ルフェラが彼女の存在を知らせなかったら、生きていても良かったってわけ? それを知っていて、ルフェラは知らせたって事なの!? だとしたら──」
「…救いだ」
再びセトが口を開いた。
「全ては、母親の死を受け入れなかった事から始まったのだ。私が自分の運命から逃げ、セセラを愛するあまり力の使い方まで間違ってしまった。それだけで守り神としての資格はないに等しい。彼女は、そんな私の最後に救いを与えてくれたのだ」
「救いって……」
納得はできない。だけどそれ以上の言葉が見つからないのだろう。ミュエリはイオータの胸に顔を埋めた。
「ありがとう、私のために…」
穏やかな口調でそう言うと、ミュエリの背が大きく震えた。そして、セトが再びあたしの方を向いた。
「さぁ、始めてくれ。私の裁きを──」
全てを受け入れる──
セトは少し俯いて静かに目を閉じた。
あたしは、一度ネオスの顔を見た。やるべき事は分かっているが、本当にこれでいいのか確認したかったのかもしれない。あたしはネオスがゆっくりと頷くのを見て、再びセトの方を向いた。そして右手を空に向けて真っ直ぐ伸ばすと、大きな声で名前を呼んだ。
「ヴィオ──!!」
その次の瞬間、眩い光と同時に稲光があたしの右手に落ちた。身体中を走り抜けるビリビリとした感覚。それが手から足先へと流れると、次第に手の中に何かが収まる感覚が戻ってきた。見なくても分かる。それは、さっきまでヴィオが持っていたあたしの短剣だった。その切っ先をセトの首に向ける。そして迷うことなき心のまま、それを口にした。
「風神の使い、セト。その者の行為は守り神にあるまじき過ち。よって、我が名において使われし任を解く── !」
言葉を放つと同時に、あたしはセトの頭上に向けて二つの飛刃を撃った。なぜ自分に飛刃が撃てたのかは分からない。でも確信を持って撃ったのは確かだ。それはクロスしたまま僅かな光る軌跡だけを残し、夜の闇へと消えていった。
驚いたセトが顔を上げた。いや、驚いているのはネオス達も同じだ。
それぞれの疑問はあるだろうが、あたしはセトとセセラに対して付け足した。
「枝葉は地で朽ち果て再び幹の糧となるもの。守り神としての資格は失っても、本気で人を愛した事は誇れる事よ。その心を持ってセセラと共に還りなさい」
「─────!!」
「セセラ、彼をお願いね」
「え…えぇ、もちろん…! もちろんです…!! ありがとう、ルフェラさん…!」
「まさかこんな裁きが……ありがとう、感謝する─…」
嬉しそうに、そしてホッとして涙を流す二人。あたしは〝どういたしまして〟と微笑んだ。すると、セセラが姿を現した時のように二人の体が光り始めた。次第に姿は見えなくなり、光の粒子となって夜空に登っていった。
暫くは、みんな無言のまま空を見上げていた。ようやくイオータが口を開いたのは、光が完全に見えなくなってからだった。
「任を解く、か…。まさかその方法があったとはな」
「枝葉だからできた事よ」
「あぁ、確かに。──けど、正直ホッとしたぜ。殺すしかないと分かってても、これだけの背景を知っちまうと、やっぱ、なぁ…?」
同意を求めて向けられた視線に、ネオスが無言で頷いた。
「ちょっと待ってよ…今の話ってどういう意味…? ホッとしたって…彼は死んでないの!? ルフェラは殺してないって事…!?」
イオータの言葉にその可能性を見つけて、ミュエリが説明を急かした。答えたのはネオスだ。
「存在が消えたのは確かだけど、死とは少し違う。簡単に言えば、守り神として使わされた命令を解くことによって、元の場所に戻れるんだ」
「元の場所…?」
いまいち理解できなくて繰り返せば、今度はイオータが付け足した。
「まぁ…もっと分かりやすく言えば、生まれた子供が母親の腹の中に戻るって事だな」
現実的に考えて、生まれた子供が母親のお腹の中に戻る事は不可能なのだが、結論的には伝わったようだった。
「死よりはずっといい事なのね…?」
「あぁ、それは間違いない」
「そう…。じゃぁ、良かった…」
イオータ程ではないにしても、少しホッとした表情を見せたミュエリ。それはリューイ達も同じで、言葉こそなかったが安堵の息が漏れたのを感じた。
「よーし! これで全て終わったし、集会所に戻って休ませてもらおうぜ?」
〝全て終わった〟
それを強調するように、イオータが伸びをした。
「そうね。でも、あたしはまだやる事があるわ」
「やる事? ──って何だ?」
「腹が立ってるの」
「はぁ?」
「ここにいない誰かさんみたいに、今ものすごく腹が立ってるのよ」
あたしはそう言うと、落ちている扇を拾いに行った。
「ここにいない誰かって─…」
「ラディの事…よね?」
それは分かってるけど、〝だから何?〟と理由まではすぐに分からない声が後ろから聞こえてくる。あたしは扇を手にして戻ってくると、答える代わりにネオスの方を見た。
ネオスならきっと分かる──
なぜか、その自信があったのだ。案の定、あたしが聞きたい事も理解していて、その先を答えた。
「場所は分かってる。案内するよ」
「えぇ、お願い。──じゃぁ、リアンさんとリューイさんは一緒に来てくれる?」
「え…ちょっと、どうして二人だけ…? 行くなら私達だって行くわよ」
「そう? 先に戻って休んでてもいいのよ?」
「イヤよ。今日のあなたってどこか変だし、危なっかしくて放っておけないわ」
妹の面倒を見る姉のような口調に、あたしはフッと笑ってしまった。悪い意味ではない。面倒臭そうな口調で言いながら、実は本気で心配している事が分かったからだ。
「じゃぁ、一緒に来て。あたしも、みんながいてくれる方が心強いし」
「ほぉ〜ら、ね。最初からそう言えばいいのよ。大丈夫、心配しないで。おかしな事しそうになったら、止めてあげるから」
「そうね。頼りにしてるわ」
心配してくれる事に素直にそう言えば、何故かミュエリの顔が曇った。訳が分からず〝なに?〟と目で問いかけると、
「…もう、そういう所よ!」
──と今度は何やら怒り始めたから、更に訳が分からない。でもそんなやり取りを前に進めたのは、イオータだった。
「まぁ、いいじゃねーか。取り敢えず、やる事やって早く休もうぜ? じゃねーと、限界がきちまう。ミュエリも、寝不足と疲労は天敵なんだろ?」
「そ、それはそうだけど─…」
「よし。じゃぁ、行こうぜ」
その言葉と共に〝ほら、行けよ〟と目で合図され、ようやくあたし達は目的の場所へと歩き出したのだった。