8 戻った記憶と明らかになる真実 <1>
あぁ、またネオスに助けられてるのね……。
徐々に意識が浮上する中、あたしはこのところ毎日のように受けてきた力を感じて、そう思った。
優しさと温もりでできたような光が、あたしの全てを隙間なく包んでくれている。不安や恐れは一切なく、感じるのは全てを委ねられる信頼と安心感。ずっとここにいたいと思うくらい、ある意味、中毒性のある心地良さがこの力にはあるのかもしれない。そして更に意識が浮上した、その時だった──
あ…れ…?
何だろう…何かとても懐かしい気がする…。
意識がはっきりしてくると共に、その力が明らかに、でも僅かにネオスのものとは違う事に気が付いた。
微かな香りで昔を思い出すのに似ていて、それは遠い記憶に残る感覚だった。
どこまでもあたしを優しく、そして深く包み込んでくれるこの感覚─…。すごくよく似てるけど、ネオスじゃない…。
あぁ、だけど──
なんて心地良いんだろう…。
大地に抱かれているような、はたまた大海原に抱かれているような、何か大きなものに守られている安心感に、あたしは懐かしさと嬉しさが込み上げてきた。
そして身体を包み込む光が静かに消え、浮上した意識が再びゆっくりと沈んでいく瞬間──
〝大丈夫、私がついていますよ〟
〝えぇ、そうよね。知ってるわ…〟
あたしは、そんな会話をしたような気がした─…。
それからどれくらい経っただろうか。
遮断されていた現実の音が、極自然にスーッと耳に戻ってきた。周りは静かだが、無音ではない。何かしら聞こえてくる音が、空間に広がっているのが分かる。
あたしは、瞼を通して伝わってくる外の光に誘われ、ゆっくりと目を開けた。最初に見えたのは天井。そして視線を動かすと、見覚えのある家具や壁の色が目に入った。
覚えているのは家に入る直前の段差だったから、きっとランスがここまで運んでくれたのね…。
歩いている時からずっとあたしを支えてきたランスは、本当に大変だったと思う。しかも、最後の最後に気を失った人を運ぶ事になったんだもの。ただ、申し訳なかったな…と思いつつも、ランスがいてくれて良かったと思う気持ちの方が強いのは、彼がいた事でラディが家族の元へ向かうという選択ができたからだろう。
あの後、ラディの方は上手くいったのかしら…。青白い光を見て思わず雪の中に入れたけど、実際どう使うのか自分でも分からなかったのよね…。だから、ただもう必死で──
──とそこまで思い返して、あたしはガバッと飛び起きた。
そういえばあの時、あたし何かまずい事を言わなかったっけ…? 誰かに聞けば分かるとかなんとか…。でも、あたし以外にあの光を知っているのは──
〝ネオスかイオータに聞けば分かるから──〟
その瞬間、まるであの時の自分の声が聞こえたかのように思い出した。
そうよ…あたし、ネオスかイオータに聞けば分かるって言ったんだわ…。ラディにあの光は見えてなかったけど、タフィーの姿を見た後よ? 銀色の光は見えていたから、その雪の中にも何かがあるって思うはずだわ。それをネオスかイオータに聞けば…って言ったんだから、あたしが隠してきた事を二人は知ってるって言ったようなものじゃない…。あぁ、どうしてあの場にいないネオスの事まで──
──と思ったところで、今度はそのネオスの事を思い出した。
そうだった…。ラディのことだけじゃない、ネオスの方もあったんだわ…。ルーフィンがいるから見失うことはないだろうけど、ネオスはあいつらに追いついて、リアンを救い出せたかしら…? それとも、もうここに戻ってきてる…?
家の中が静かなのは気になるところだが、ルーフィンとネオスが一緒なら、その可能性もなくはないだろう。ラディの事はひとまず忘れて、ここはネオスの方を確かめよう。そう思い、布団から出た時だった──
居間の方から声が聞こえたかと思うと、すぐに荒々しい声に変わった。何事かと思い慌てて部屋を出れば、直後に聞こえてきたのは叫ぶようなリューイの声だった。
「…リア…ン! リアン…!!」
一瞬、帰ってきたリアンの名前を呼んだのかと思ったが、居間への戸を開けて目に飛び込んできたのは、無我夢中で家の外に出て行こうとするリューイを、ランスが必死で止めているところだった。
「…っから、一人じゃ無理だつってんだろ!」
「は…なせっ…! リアンは…リアンは──」
「どこに行ったのか分かんねーんだよ! だから、あいつらが戻るまで──」
「い…や、オレには分かる…! リアンはあそこだ…あそこに──」
「知ってるんですか、リューイさん!?」
思わぬ言葉に叫ぶと、その声にリューイが振り返った。
「村だ、オレ達の村…リアンはそこにいる!」
「オレ達の…村…? それってどういう──」
「思い出したんだ、全部…。リアンの事も、オレがなぜ山に入ったのかも、それからあいつらの顔も──」
「ちょ、ちょっと待ってリューイさん! あいつらの顔って─…思い出したってどういう事ですか!?」
リアンは一言も言ってなかった。リューイと同じ村だとも何とも…。だから、彼の言っている意味がすぐには理解できなかったのだ。
「失った記憶が戻った─…そういう事だろ?」
「え…?」
理解が早かったランスの落ち着いた口調に、リューイが〝あぁ…〟と小さく頷いた。
「頭を打った事で思い出したんだろうが…。まさか、あんたも記憶を失ってたとはな…」
「そんな─…」
正直、二の句が継げなかった。ランス同様、まさか記憶を失っていたとは思わなかったからだ。もちろん、知り合って間もない人間にわざわざ話す義務も必要性もないため、あたし達が知らないのは当然なのだが、ほんの僅かでもそれらしい様子や言動があればここまでの衝撃はなかったかもしれない。つまり、それだけリューイは〝普通〟だったのだ。
そんな時、不意に外の方で声がした。自然と玄関の方に目をやると、引き戸が開いて現れたのはイオータ達だった。
「おぉっ…と、な、何だ、お前らこんな所で…?」
「イオータ…」
「出迎えてくれるならもう少し─…って、リューイさん、その頭どうしたの…!? しかも裸足って……」
言われて思わず足元を見れば、土間に降り立ったあたし達は三人とも裸足だった。
「あ…えっと、これは─…」
気付けば途端に足元の冷たさを感じて、それまでの衝撃や焦りが少し引いた。
「ホッホッ、酒でも飲んで転んだか?」
「いえ、そうじゃなくて──」
「おぉ、クレイの事なら心配いらんぞ。お前さんがラディに渡した雪の塊を使ったら、あっという間に熱が下がり始めてのぉ…今朝にはすっかり下がっておった。それでワシも安心して寝たんだがな」
「ディアば──」
「いやぁ、それにしてもビックリしたわい。まさか、ラディがあの家の人間だったとはなぁ…。ワシも子供の頃に数回見たきりだったから気付かんかったが─…いやぁ、昨日は久々に感動して泣いてしまったわ。よしよし、詳しい事はこれからゆっくり話してやるからな、リアンも呼んで──」
「ディアばあ…!」
あたし達が裸足で飛び出してきたのは、クレイの事を心配しての事だと思ったのだろうか。クレイやラディの事まで話し始めたバーディアさんの言葉を、リューイがたまらず大声で止めた。そして、自分の気持ちを抑えるようにゆっくり息を吐いた後、今直面している問題を簡潔明瞭に伝えた。
「リアンが連れ去られたんだ…」
その耳を疑うような言葉に、一瞬 間が空いた。が、その直後三人が驚きの声を上げた。
「んなぁに…!?」
「ちょ…嘘でしょ…!?」
「おいおい、何でそんな事になってんだ? ──ってか、ネオスはどうした? あいつがいて、そんな事態になったっていうのか?」
「今、ネオスはルーフィンと一緒に彼女の後を追ってるの。連れ去られたのは昨日の夜、あたしとネオスがタフィーを探しに行ったあとよ。途中でリアンさんの叫び声が聞こえて、戻った時にはもう連れ去られたあとだった。リューイさんもその時に怪我を負ってたから──」
「タフィーとリアンの二手に分かれた、って事か」
驚きつつも冷静で理解の早いイオータの結論に、あたしは〝そうよ〟と頷いた。
「そんな…いったい誰なの、リアンさんを連れ去るなんて──」
──とミュエリが言いかけたところで、何かを思い出したのかハッとしてあたしを見た。
「ルフェラ、も──」
「あいつらだ…」
〝もしかして、あの時の男なんじゃないの!?〟
ミュエリはそう言おうとしたのだろうが、それより一瞬だけリューイの方が早かった。
「あいつらって、誰だ? 知ってるやつなのか?」
その質問に、リューイは僅かな沈黙のあと感情を押し殺すように静かに言った。
「オレを…殺そうとしたやつだ…」
「─────ッ!!」
何だかもう、目眩さえ起きそうな気がした。
記憶を失っていただけでなく、殺されそうになっていたなんて…。
誰もすぐには言葉を発せなかったが、バーディアさんだけは違った。驚きのあまりふらつく足でリューイの前に行くと、両腕を掴んで言った。この言葉に、イオータとミュエリは、あたしと同じ衝撃を受ける事となる──
「お、お前…記憶が戻ったの…か…?」
「…あぁ」
「なっ──!?」
「─────ッ!?」
「リアンの事もか…?」
リューイが頷いた。
「そう…か。なら、早くリアンにも教えてやらんとなぁ」
「あぁ」
「いやいやいや、ちょっと待ってくれ…」
すぐにでも出て行きそうな流れに、慌ててイオータが止めた。
「その前に説明してくれ。事実が衝撃的すぎて、なんも見えねぇ。あんたを殺そうとしたやつが、何でリアンを連れ去ったんだ?」
「それは──」
リューイが言いかけたところで、外から遠吠えが聞こえた。
「ルーフィンだわ…!」
思わず叫ぶと、みんな一斉に外に走り出た。ルーフィンが帰ってきたということは、ネオスやリアンもいる…そう思ったからだ。だけど、ルーフィンを目にした途端、そこにいるはずの二人はどこにも見当たらなかった。
あたしはルーフィンに駆け寄って首元に触れると、即座に話しかけた。
『ネオスは? リアンさんを見つけられなかったの?』
あたしの焦る気持ちとは裏腹に、今度は落ち着いたルーフィンの声が聞こえた。
『大丈夫、見つけましたよ。ただ接触もしましたが、彼女からあなたに伝言を頼まれたのです』
『伝言…?』
『実際はネオスに頼んだ事ですが、私が代わりに伝えに来ました。ネオスは、あの男達に気付かれないよう、今も後を追っています』
『そう…』
『ルフェラ、彼女はこう言いました。〝ある人の所に戻ります〟と』
『ある人…?』
『あなたに言えば分かるはずだ、と。心当たりは?』
『ある人…ある人……あたしが知ってる〝ある人〟…?』
繰り返す中で、ふと前にもリアンの口から聞いたような気がしていると、
『〝ルフェラさん達に…〟と言っていたので、他にも分かる人がいるかもしれませんが…』
『他にも…?』
付け足したルーフィンの言葉を繰り返して、ハッとした。
『…分かったわ』
『本当ですか?』
『えぇ。ミュエリも聞いてたのよ、彼女の過去の話…。〝ある人〟っていうのは、確か、彼女の恋人を殺すよう命じた人──』
──とそこまで言った瞬間、何かが合致したように心の臓がドクンッと体を揺らした。
ま…さか──!?
途端に、心の臓が早鐘を打つ。
山の中で見つかった恋人の鞄は、鋭い刃物で切られていたと言っていた。彼がどうなったのか分かるくらい、真っ赤な血で染まっていたとも…。でも、亡骸が見つかったとも、見たとも言ってない。
一方で、リューイは何かしらの理由で山に入った。そして、記憶を失うような事があったのだ。リアンの事も思い出したって言ってたし…何より、彼女を連れ去った男が、リューイを殺そうとした男と同一人物だったって事は──
「リューイさん…!」
あたしは振り返り、リューイの所に駆け戻った。
「リューイさんの体には、とても深い傷が─…鋭い刃物で切られた傷痕があるんじゃないですか…!?」
その質問に、リューイは驚いた顔を見せた。
「あぁ、そうだが─…」
「やっぱり…」
あたしは小さく息を吐いた。
「ちょっと、ルフェラ…〝やっぱり〟ってどういう事よ?」
「ミュエリも聞いてたでしょ、リアンさんの過去の話。鋭い刃物で切られた鞄は、真っ赤な血で染まってた…って」
「…えぇ、覚えてるわよ。恋人が誰かの命令で殺されたって話でしょう? それとリューイさんの傷と何の関係があるの? 恋人は亡くなったって──」
「でも、その亡骸は〝見つかった〟とも〝見た〟とも言ってなかったわ」
その言葉に、ミュエリやイオータ、そしてランスの表情が変わった。あたし同様、〝まさか…〟という思いが見てとれる。
あたしはそれに答えるように小さく頷いてから、導き出した結論を口にした。
「リアンさんの恋人は亡くなってなんかいなかった…生きていたのよ。そして、その恋人がリューイさんだった─…ですよね?」
最後の言葉をリューイに向けると、彼は軽く目を閉じゆっくりと頷いた。その瞬間、皆の口から〝マジか…〟という無音の声が、吐く息と共に聞こえた。ただ、リアンの過去を知らないイオータとランスには、断片的な部分しか見えていない。そんな中、ミュエリは驚く一方で納得する部分もあったようだ。
「だから、あんなに幸せそうに笑えてたのね、リアンさん…」
「えぇ、そうね…」
新しい恋をしたんじゃない。死んだと思っていた恋人が生きていて、再会できたからだ。例え、記憶を失っていたとしても。
だから、今なら分かる。
〝もう二度と離れたくない…!〟
男から身を隠していた時に、あたしの頭の中に聞こえた彼女の思いがどれほどのものだったのか…。
「でも、分からないわ…。どうして、突然リアンさんの前から姿を消したの、リューイさん?」
それはミュエリだからこそ、その恋人に対してずっと疑問に思っていた事なんだろう。
「一緒になろうって言ってくれたって、リアンさん、すごく嬉しそうに話してくれたのよ?」
「もちろん、一緒になるつもりだったさ─…というより、一緒になる為に山に入ったんだ。でも、まさか騙されてたとは…」
「騙されてた…って、どういう事?」
ミュエリの問いに、リューイは少し間をおいて話し始めた。
「…オレには両親がいなかった。物心ついた時には施設にいたから、捨てられたのか単純に両親が死んだからなのかは、正直分からない。でも、そんなのは気にしなかった。施設の人はとても愛情深い人達で、寂しい思いをした事がなかったからな。だからオレにとっては、親がいない事に何の支障もなかったんだ…」
そう言ってひとつ息を吐くと、遠い記憶を思い出すように軽く視線を上げた。
「施設を出て働き出したオレは、納屋の修理を依頼された家でリアンと出会った。リアンの家は屋敷並みに大きくて…土地を持っていたから、人を雇って野菜を作ったり、店で売ったりしていたんだ。汗と土で汚れまくってたオレとは違い、身なりからして〝住む世界が違う〟ってのはこういう事か…って思ったくらいだ。でも実際に話をしてみたら、価値観も似ていて、すごく話しやすかった。何より喋っていてとても楽しかったから、オレ達はあっという間に恋に落ちたんだ。そうして話しているうちに、リアンが子供の時はお金がなくて苦労していた事や、両親ががむしゃらに働いて今の財を築いたって事を知った。オレは思ったよ。〝だから価値観が似てたのか〟ってな。だから尚更、リアンと一緒になる事に何の不安も持たなかった。けど、リアンと一緒になりたいと両親に挨拶に行ったら、見事にその思いは打ち砕かれたよ…」
「反対…されたの…?」
ミュエリの問いに、リューイは〝あぁ〟と少し寂しそうに言った。
「〝施設で育った、どこの馬の骨とも分からないような男に、大事な娘をやれると思うのか? もし、もう少し君が客観的に自分の事を見る事が出来れば、娘と釣り合わないことくらい分かるはずだ〟──そう言われたよ」
「そんな…ひどい…!」
「その時に初めて思った。せめて両親さえいれば…ってな。だからって、親を探せるような情報は何ひとつないから、どうしようもなかったんだが…」
「じゃ…ぁ、もう駆け落ちでも何でもすれば良かったのよ。リアンさんなら、きっと一緒についてきてくれたわ」
「もちろん、それも考えたさ。けど、ひとつだけ言われた事があるんだ」
「…何を?」
「〝温泉のひとつでも見つければ、考えてやらない事もない〟と」
「どうして、温泉なの…?」
「温泉を見つければ人が集まる。人が集まれば商売ができる。商売ができれば──」
「つまり、カネ…って事か」
イオータが口にした結論に、リューイは無言で頷いた。
「な…によ、それ…。お金さえあればいいって事なの!?」
「まぁ…良い悪いは別として、親なら相手の収入を気にするのは普通だろ。自分の子供じゃないんだ。どんな相手なのか分からなければ、せめてお金で苦労しないように…と、そこを重視するのも分からないでもない。特に、自分達が苦労してきたんなら尚更な」
「だからって──」
「あぁ、分かってるさ」
怒りの収まらないミュエリに、イオータが更に続けた。
「オレだって気に入らねーんだ。これがラディなら、今すぐにでもブン殴りに行く案件だぜ?」
冗談か否か、イオータが面白そうに言った。
確かに、そんなラディの行動は容易に想像がついた。薬師になりたいというディトールの気持ちを無視した父親や、統治家の内情を知り〝どいつもこいつも…〟と怒っていた事を思い出せば、当然の行動だろう。
ミュエリは、イオータが自分の気持ちと同じだと知り怒りが中和されたのか、彼の言葉に〝そうね〟とだけ呟いた。
「──それで? 温泉を見つけようと山に入ったってのか?」
途切れた話を戻すようにイオータが聞けば、
「結果的にはな」
──と意味ありげな言葉が返ってきた。
「──というと?」
更にイオータが問いかけた。
「温泉を見つければ…と言ったって、そう簡単に見つかるもんじゃない。実質、リアンとの事は絶対に許さないと言われたも同然だ。とはいえ、何もせず諦めるわけにもいかなかった。そんな時、ある事を耳にしたんだ。村一番の大地主が温泉を探している、とな」
「へ…ぇ」
「温泉を見つければ、その土地が手に入る。大地主は更に自分の土地を広げようとしていたんだろう。だが温泉を探すには人手が必要だった。そこで、見つけた者には褒美を与えると言って募集をかけていたんだ」
「それに募集したの、リューイさん?」
「あぁ」
「でも、温泉を見つけてもリューイさんの物にはならないんでしょう? だったら意味ないんじゃ──」
「確かにな。でもその時は、あとで交渉でも何でもすればいいと思ってたんだ。それにオレに必要だったのは、大まかでもいい、温泉がどの辺りにあるかという情報だった」
「それを大地主が持っていたのか?」
リューイが頷いた。
「勝手に見つけて自分の土地にされるより、その情報を持っている大地主側の人間と行動させる方が安心だったんだろ。だから、オレはその情報を得るために応募した。だが──」
リューイは、一旦そこで言葉を切った。そして、気持ちを落ち着けるようにひとつ深呼吸すると、その先を続けた。
「…だが、実際はそんな話なんかなかった。嘘だったんだ」
「どういう事だ…?」
「目的は、オレを消す事だったんだ。リアンからオレを引き離すために、な」
「そんな─…」
ミュエリは言葉を失った。
「じゃ…ぁ、そうさせたのは、リアンさんの父親ってこと…?」
「そいつと大地主がグルだったってことだろうな」
あたしの問いにイオータが答えれば、リューイも〝その通りだ〟と頷いた。
「オレを斬ったのは、一緒に行動してた男達──大地主側が用意した連中──だ。ある時、その男達がコソコソと話してるのが聞こえた。〝明け方に実行だ〟とか何とか。それまでにも何度か話してる事があったから、嫌な予感はしてたんだ。眠れないまま朝を迎えると、あいつらは突然襲いかかってきた。慌てて逃げようとしたが間に合わなくて、あっという間にザックリ…さ。痛みはもちろん、背中が濡れてくる感覚は自分でもヤバイと思ったほどだ。動こうにも動けないし、意識はどんどん遠のいてくるしな。そんな中で聞こえたのは、〝こんなに簡単に引っかかるとはな。まぁこれで、あの方の思い通りだ〟って言葉だった」
「あの方の思い通り…? それって、大地主の事…?」
「正確には、その息子─…オレに温泉の話を持ちかけたやつだ」
「なっ── !」
「ちょ、ちょっと待て─…じゃぁ、あんたは、ただでさえ図ったようなタイミングで怪しいってのに、自分の家が募集してるっていうそいつの話を信じたっていうのか?」
「初めて会ったやつが持ちかけてくるならともかく、そいつとはそれ以前から付き合いがあったんだ。修理の依頼で家に行くたび、ちょくちょく話をするようになって…年も近かったから、お互い意気投合した。あの時にはもう、リアンの話もしてたし、親に反対された事も話していた。だから、あいつから人手を募集してるって聞いた時は疑いもしなかったんだ。それがまさか、オレを殺すための罠だったとはな……」
そう言ったリューイの目には、怒りだけでなく、信じていた友人に裏切られた悲しみが入り混じっているようにも見えた。
何ともいえない重い空気が、あたし達を包み込んだ。時間は流れているのに、まるで止まっているように感じる。
何か言わなきゃ…。
──そう思っても、想像以上の事実に誰も言葉が見つからないのだろう。そんな時、滞っていた空気を吹き飛ばすかのように大きな息を吐いたのはイオータだった。途端に、時間が流れ出す。
「まぁ…衝撃だったが、あんたの事情は分かった。大地主の息子がリアンの父親と手を組んであんたを騙したのなら、リアンを連れ去った理由も想像がつくしな」
「つまり、連れ戻しに来た…ってわけか…」
ようやく、ランスが口を開いた。
「おそらくな。人の命を奪おうとしたんだ。例え父親が依頼したとしても、それなりの見返りがなければ受けないだろ」
〝それなりの見返り〟
イオータのその言葉に、あたしは何か引っ掛かっていたものが取れた気がした。
リアンの話では、ある人──つまり、大地主の息子──は彼女が真実を知ってるとは思ってない。知らなければ命を奪う理由もないし、万が一知っていたとしても、村から出て行ったのなら脅威はなく、敢えて捜させる必要もないのだ。なのに、二年もの間ずっと捜させていた…。それが、あたしの心の中で引っ掛かっていたのだ。だけど──
彼にとっての見返りがリアンだったとしたら─…そしてそれが、リューイの命を奪ってまで彼女を手に入れたかった事だとしたら──
そう思ったら、心の中で引っ掛かっていたものがスッと取れたのだ。
「…取り敢えず、リアンの命が奪われるような事はなさそうだな」
結論としてイオータがそう言うと、みんな一様にホッとして頷いた。
「それにしても、あんたが生きてるってバレなかったのが幸いだったな」
もしバレていたら、今度こそ本当にリューイの命が奪われていたかもしれない。それも、リアンの目の前で──
その最悪な結末が避けられた事が幸いだったと言えば、
「リアンじゃよ…」
──と静かに呟いたのはバーディアさんだった。
「…って、何がだ?」
「リアンがリューイの見た目を変えたんじゃよ、万が一の時の為にな」
〝見た目を変えた…?〟
みんなからの無言の問いがバーディアさんに向けられると、軽くリューイを見つめながら続けた。
「ここに来た頃のリューイは、少し長い髪の毛を後ろでひとつに束ねておったんじゃよ。リアンはリューイの記憶がない事にショックを受けたが、思い出したところで辛いのは目に見えているからの。だったら、このまま過去を忘れて新たに二人で出直そう…そう決めたんじゃ。あの子自身、忘れられるなら忘れたい過去があったからな…。リューイも、リアンと出会って随分変わった。自分が誰なのか分からない事に苦しんでおったが、リアンの過去を聞いて、何か似たものを感じたんじゃろ…。傷ついた者同士、互いに労り寄り添う事で、段々と今のようになっていったんじゃよ。リューイはリアンの為に隠れる場所を作り、リアンは万が一の為に…とリューイの髪の毛を切ってなぁ。切ったら切ったで、まっすぐだと思っていた髪の毛はくせっ毛で…一気に印象が変わったわい。ほれ、この通り、大人のいい男になったじゃろ?」
そう言って、バーディアさんはリューイの頭をワシャワシャと、だけど優しく撫でた。
「くせっ毛でハネまくるから伸ばして結んでたんだ、オレは。──けどまぁ、記憶がなけりゃ理由なんてないのと同じだしな、過去と決別するにはちょうど良かったんだ。あとは、リアンさえいればそれで─…」
そのリアンが今この場にいないのは問題だが、あたしはこの時ようやく、リューイが〝普通〟だった理由が分かった気がした。記憶を失った故の言動が全くなかったのは、二人にとって過去はないものとして生きていたからだろう。何よりも大事な〝今〟という時間が全てだったから──
「リアンを取り戻すんじゃよ、リューイ」
依頼でも願いでもない。〝今こそ、お前の手で取り戻すのだ〟と言わんばかりのバーディアさんの言葉に、リューイが〝あぁ〟と頷いた。そして、
「必ず取り戻す」
それは、誓いにも似た意思の強さを感じるものだった。
「よし! じゃぁ、準備して行くか」
そのイオータの口調に、緊張感というよりどこか山登りでも行くような楽しさを感じるのは、きっと見えなかった状況が見えてスッキリしたからなのだろう。
そんな言葉にそれぞれが頷くと、あたし達は部屋に戻り出かける準備をして、すぐに居間に集まった。
「──ところで、村への道は覚えてんのか?」
イオータがリューイに聞いた。
記憶が戻ったとはいえ、二年以上も前に通った道だ。覚えているとは思えないが、リアンを追いかけようと裸足で土間に降り立った経緯から、一応確認したかったのだろう。だけど、リューイの返答は予想通りのものだった。
「途中からは初めて通る道だったからな、所々の景色しか─…」
悔しそうに首を振るリューイに、イオータが軽く返した。
「だよな。まぁ、それが普通だろ。けど、心配する必要はないと思うぜ」
そう言うと、あたしの方を向いて〝──だろ?〟と無言の同意を求めてきた。あたしは〝えぇ〟と頷いた。
「ネオスもまだ後をつけてるみたいだし、ルーフィンが案内してくれるわ」
「ほらな?」
再びリューイの方に向き直って言うと、彼の表情も少し和らいだように見えた。
今ある心配事が消えれば、あとは前に進むのみ。リューイは決意するようにひとつ息を吐くと、バーディアさんの目をまっすぐ見つめて言った。
「それじゃぁ…行ってくるよ、ディアばあ」
「あぁ、気を付けてな。──お前さん達も、十分気を付けるんじゃぞ」
その言葉に、あたし達は一斉に頷いた。そして、それぞれが〝行ってきます〟と声を掛けてから家を出ると、あたしは外で待っていたルーフィンに道案内を頼んだ。