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女神伝説  作者: Sugary
第七章
116/127

BS6 陰の立役者と元に戻るラディの家族 <2>

 ルフェラから雪の塊を渡されたラディは、急いで家に向かっていた。ルフェラの事は気になるが、任せた以上ランスを信じるしかない。とにかく、今はこの雪が溶けるのを最小限にする事と、クレイを救う為に少しでも早く家に行かなくては…という思いで走り続けた。

 そしてイオータやミュエリと鉢合わせした場所まで来ると、その時に感じていた躊躇いは全くないまま、ラディは飛び込むように玄関の引き戸を開けていた。

 勢いよく開けられたその音に、中にいた者が何事かと一斉に振り返った。息を切らし雪の塊を持って入ってきた男に誰もが眉を寄せたが、不思議な事にどこか見覚えがあるような気がして、自然と全員が自分の記憶を探し始めていた。

 そんな彼らの顔を目にして、たまらなくなったのはラディだ。家族だと分かっているが故に、それぞれの面影が今の顔と重なって見えたのだ。

(やべぇ…)

 不意に喉の奥から込み上げてくるものを感じ慌てて視線を外せば、その先にいつもの見慣れた顔があるのに気付いた。──イオータだ。

 あの後まさか家を訪ねているとは思わなかったが、彼の顔を見つけてどこかホッとしたのは、驚いた様子でもなく〝ようやく来たか〟ぐらいの表情だったからかもしれない。ラディは、喉の奥にあったものがスッと下がっていくのを感じた。

 そのイオータの視線が自分の手元に向いている事に気付いたラディは、ふとルフェラの言葉を思い出した。

 〝ネオスかイオータに渡せば分かるから─…〟

 確かに、ルフェラはそう言っていた。

「イオータ、こ──」

 〝これを──〟と言いかけたところで、突然その言葉をかき消す大きな声が響いた。

「ラディ…!!」

 驚きの声をあげたのは、ちょうど大きな音を聞いて奥から出てきたミュエリだった。更に、その一言でこの場の空気が一変する。

「…ラ…ディ…?」

 聞き間違いではないかと、半信半疑に繰り返しつつみんなの目がラディに向けられると、それぞれの記憶の中の面影が合致したのだろう。一瞬の間があったのち、

「ラディ、お前か!」

「そうだ! ラディのアニキだ!!」

「マジかよ…! ラディのアニキじゃねーか…!!」

「ほんとにラディのアニキなのか!? 夢じゃねーよな…!?」

 父親から始まって、次から次へと〝ラディのアニキ〟が家中に響き渡った。そんな中、ハタと気付いたラスター。

「そ、そうだ…母さんに──」

 そう言いかけた時だった。

「…ラディ!!」

 ミュエリの声で、奥から走ってきたのだろう。ランスが母親を呼ぼうと振り返った時には、既にその視界を横切りラディに抱きついてた。

「ラディ…あぁ、ラディ! 良かった…生きてたのね…ラディ!!」

 男親と違って、母親の感情は激しく、そして素直だ。

 走ってきた勢いそのままに抱きついたため、ラディは危うく持っていた雪の塊を押し潰されそうになったのだが、咄嗟に腕を上げた事でそれを免れた。

 母親の感情が、抱きしめられる強さから伝わってくるのが分かった。そして、泣いている体の震えも…。

 どれだけ心配し、どれだけ会いたかったのか…。その思いが伝わってくればくるほど、嬉しさと、そうさせた責任を感じて再び喉の奥が熱くなった。

 だけど、今じゃない…。

 ラディは必死で息を止め込み上げて来るものを抑えると、ようやく声を出した。

「…ワ、ワリィな…その…話は後でするからよ…これを─…。なぁ、イオータ…これはどうすりゃいいんだ?」

 ラディは優しく母親の肩に触れてそっと離れると、〝これ〟を示すようにイオータに向かって腕を軽く上げた。

「おぉ、さっきから何でそんなモン持ってんだと思ってたんだが─…。どうすりゃいいって、一体どういう意味だ?」

 イオータが不思議そうに近付いてくる。

「どういう意味も何も…ルフェラが言ってたんだ。ネオスかお前に見せれば分かるってよ」

(ネオスかオレに…?)

 〝分かんねーのかよ?〟という目を向けられながらも、ラディが差し出す雪の塊を間近で見たイオータは、僅かだがその周りに青白く光るものを見つけてその意味を知った。

(そういう事か…)

「──よし。じゃぁ、こっちにこい」

 イオータが顎をクイッと動かすと、踵を返し部屋の奥へと向かった。その後をラディが、そして当然のようにみんなもその後をついていく。

 イオータが案内したのは、クレイが眠る部屋だった。

 家に入った時もそうだが、ラディの目に映るもの全てが当時の記憶とあまり変わっていなかった。クレイが熱を出して寝込んでいる状況も家を出る時と同じで、その姿が子供のままだったら、家を出たのもつい昨日のことのよう感じていただろう。

 クレイは、ラディが数日前に見た時より顔色が悪く、少しやつれていた。その姿を目にして、〝今行かなきゃダメなの!〟と言ったルフェラの言葉の重みを実感する。

「そこに入れるんだ」

 そう言ってイオータが指さしたのは、頭を冷やす為の布を濡らす、水の入った桶だった。

 ラディは言われた通り、雪の塊を桶の中に入れた。周りの雪が水を含み、徐々に溶けていく。その溶けた隙間から青白い光が水の上に層を作っていった。もちろん、見えるのはイオータだけだったが。

 次第に雪の塊が崩れると、青白い光が一気に流れ出た。それは、桶の七分目くらいまで溜まった。ただ光が見えない者にとっては、中が空洞になってるだけでその意味が分からない。疑問を口にしたのは、ライアルだ。

「何で空洞なんだ? ──ってか、水を冷たくするくらいなら、とっとと雪を崩せばいいだろ?」

 その質問に、イオータが答えた。

「下手に動かすとこぼれるんだ」

「こぼれる?」

 〝水が…?〟

 そんな言葉を心の中で呟いたのは、恐らくイオータ以外の全員。だけど、雪の塊が溶けるのをジッと待っているイオータの姿に、ミュエリでさえそれ以上の質問はできなかった。そしてある程度雪が溶けると、イオータはラディに指示を出した。

「まずは、あの布をゆっくりと水の中に入れろ。それから静かに絞る。いいか、ここに見えない霧がたまっていて、それを桶から出さないようなイメージだ。分かるか?」

「いや、分かるか…って言われても──」

 ──と言いつつも、ふと脳裏に浮かんだのはタフィーの姿が見えた時の光。それは、風に乗って消えてしまうような光の粒子だった。

(ひょっとして、あんな光の粒子がここにあるのか…?)

 見えはしないが、そう思うと何となくイメージは出来る。

 ラディは、言われた通りクレイの額に乗せてあった布を取った。布は温かく、それだけで熱の高さが分かるほどだ。ゆっくりと布を水の中に入れ、よく冷やすようにしばらく置いた。そして、見えない霧をイメージしながら布を取り出して絞ると、再びそれを広げてクレイの額に置いた。

「これでいいのか…?」

 意図していることが分からない為、そうイオータに問えば、ややあって〝あぁ〟と返ってきた。

 イオータの目にはちゃんと見えている。布についた青白い光が、ゆっくりと額から入っていくのを。冷たい布が熱を奪い、それと入れ替わるように入っていくのだ。

「大丈夫だ。そうやって何度かやってれば、朝までには下がる」

「ホントか…?」

「ルフェラから渡されたんだろ、この雪は?」

「あ、あぁ…」

「じゃぁ、ルフェラを信じろ」

 〝簡単なことだろ?〟と言わんばかりの言葉に、ラディは思わずフッと笑った。

「そうだな」

 さっきまでの一連の出来事を思い出しながら、ラディは自信を持ってそう答えた。

「──それで?」

 納得した返事に、今度はイオータが質問した。

「花を探しに行ったお前が、どういう流れでコレを受け取ったんだ?」

「あぁ、それは─…」

 言いかけて、ラディは自分の後ろが気になって言葉を切った。

 突然現れた自分が〝タフィーに会った〟と話したら、家族はどう思うだろうか。

 ここに来て、そんな思いがふと頭をよぎったのだ。だけど、その思いもすぐに振り払った。

(大体、ここに来たのはそれが目的だったじゃねーか。何を今更不安に思ってんだよ、オレは…)

 ルフェラに言われた事はもちろん、タフィーとの約束を改めて思い出すと、ラディは気持ちを整えるように一度深く息を吸ってから、その先を話し始めた。

「川原で花を探してたら、ルフェラが来たんだ。タフィーを連れて─…」

 その最後の言葉に、一気に部屋がざわついた。イオータは〝ほぅ〟と声を漏らしただけだったが、それは驚いたというより興味深げな反応だった。

「見えたのか、タフィーの姿は?」

「あぁ。何て言ったらいいのか分かんねーけどよ…。あいつの体が光ってたっていうか、光の粒子があいつを形作ってたっていうか─…。けど、ちゃんと見えたんだ、あいつの表情までハッキリと…」

 その状況を聞いて、イオータはそれが月の光だと分かった。

(宵の煌だけじゃなく天の煌まで使っていたのか…。となると、心配なのはあいつの体だな…)

 イオータは思わず〝ネオスはいたのか?〟と聞きそうになった。

 ここ数日、いくらネオスが〝補充〟していたとはいえ、死人と関わった上にあの力を使えば、その疲労は隠しきれるものではない。立っていられるかどうかも怪しい状況で、ネオスがいなければどうなるか…。そう思ったのだ。だけど、すぐにある言葉を思い出して〝いや〟と質問を飲み込んだ。

(確か、ネオスかオレに見せれば…って言ったよな? ──って事は、その場にネオスはいなかったって事になる。なぜだ…? 今の状況下で、あいつがルフェラと共に行動してないなんて、ありえねぇんだが…)

 新たな疑問に眉を寄せながらも、一方でルフェラに関して心配する必要はないのかも…という気がしてきたのは、ラディが今この場にいたからかもしれない。

(そもそも、こいつが弱ったルフェラを一人残してくるわけねーか)

 ネオスでなくても、誰かが傍にいた。そう考える方が自然だったのだ。ただそれが、後にランスだと知って驚く事になろうとは、この時は全く予想していなかったのだが…。

 イオータは口に出す質問を変えた。

「やっぱ、怒ってたのか?」

 その質問に、ラディは小さく〝いや…〟と答えた。そして、僅かな間があってから続けた。

「泣かせちまった…」

「は…?」

「悪いのはオレなんだ…。タフィーを死なせたのも、クレイが喋れなくなったのも、全部オレのせい…オレが魚釣りに出かけたせいで──」

「ち、違うわ…!」

「───── !?」

 堪らず叫んだのは母親だった。思わず駆け寄りラディの両腕を掴むと、間違った事をした子供に言い聞かすように、グイッと自分の方に体を向けた。

「あれは…あなたのせいなんかじゃない! 事故だったのよ…。花を採ろうとしたあの子が足を滑らせた…ただ、ただそれだけなの…。あなたは悪くない…悪いとしたら、あなたを頼り切っていた私たちの方で──」

「いや、ちょ…違うんだ…そうじゃないんだって─…」

 思わぬタイミングで感情的になられ、ラディが慌てて否定した。

「ついさっきまで、そう思ってた…って言おうとしただけなんだ…」

「…………?」

「だ、だからよ、その─…」

 十年振りに間近で見る母親の顔。それも涙を浮かべて必死に〝あなたは悪くない〟と言われると、その顔をまとも見られないばかりか、たった今話そうとした事がどこかに飛んでいきそうになる。

 ラディは敢えて視線を逸らすと 、そうならないよう必死で話すべき事を考えるようにした。

 そんな時、ラディの耳に再びイオータの声が届いた。聞き慣れた声は、波立つ湖面に現れた助け舟のように心の揺れを小さくしていく。

「タフィーと話したのか?」

「…あ、あぁ」

「なんて言ってた?」

「クレイを助けて欲しいって─…それが第一声だった」

「クレイを…?」

 予想外の言葉に、イオータや他のみんなの視線がクレイに集まった。

「…熱を下げてくれとでもいう意味か?」

 イオータの質問に、ラディが首を振った。

(だよな…)

 イオータは自分でもバカな質問だと思ったが、それ以外に助けるという意味が思い浮かばなかった為どうしようもない。

「タフィーも、オレと同じで自分を責めてたんだ…。クレイが喋れなくなったのも、オレが責任を感じて家を出ていったのも、全部自分が悪いんだって─…自分が言う事を聞かなかったからこうなったんだ、ってよ…」

 そう言うと、再びクレイの額に置いていた布を取り、さっきと同じように水で冷やし直した。静かに絞った布を額に乗せるまで誰も喋らなかったが、宵の煌がゆっくりとクレイの中に入っていくのを確認して、イオータがその続きを聞いた。

「言う事を聞かなかったって…いったい、誰の?」

 周りを見渡しても、心当たりがありそうな表情をしている者は見当たらない。もしやと思ったその時、今度はラディが質問した。

「なぁ…熱で寝込んでても、こうやって喋ってる事って聞こえてると思うか?」

 一瞬、繋がりのない質問に意味が分からなかった。ただ、もしやと思った事が当たっているなら、ラディが何を意図しているのか分かる気がして、イオータは頭をフル回転させた。

「まぁ、人の聴覚は最後まで残るって言うけどな。─ってか、お前はどうだったんだ? 日差しの病で倒れて意識がない時に、誰かの声が聞こえたりはしなかったのか?」

(日差しの病…)

 そう心の中で繰り返せば、真っ先に思い浮かんだのはルフェラの声だった。思わず、あの詩が口をついて出る。

「優しい風を愛しなさい…か…」

「…ンン、なんだ?」

「いや、何でもねぇ…」

 あの時、確かにラディには聞こえていた。自分を導くルフェラの声が。最後まで聞こえていた祈りの詩は、未だに覚えているほどだ。

 ラディは〝ヨシッ〟とばかりに小さく頷くと、クレイに届くことを信じて話し始めた。

「あの日、タフィーはクレイに相談したんだ。オレの誕生日に何をあげたらいいか…って。それも、オレには内緒でな。本当は花をあげたかったらしいんだが、この季節じゃ無理だからな…。クレイは、タフィーがあげるものなら何でも喜んでくれるって言ったらしい。けど見つけたんだ、あの花をさ…。クレイに話したら、危ないから採ろうとしたらダメだって止められたってよ…」

「なのに、採ろうとした…?」

 イオータの言葉に、ラディは〝あぁ〟と頷いた。

「ダメだって言われた時は〝うん〟って言ったらしいんだ。けど、どうしてもそれが欲しかったって…」

「…なぜ?」

 今度はミュエリだった。

「あいつにとって、花は特別だったんだ…」

「特別…?」

 ミュエリのオウム返しに、ラディはチラリと母親を見た。

「花は大好きな人を幸せにする…そう思ってたんだ。その─…と、父さんが母さんに花をあげたら、母さんがすごく幸せそうな顔をするのを見てたからよ…」

 その言葉に、母親と父親は驚いたように顔を見合わせた。まさか、五歳の子供がそんな風に感じていたとは思ってなかったからだ。

 ラディは続けた。

「だから、オレにあげたかったって…オレを幸せな顔にしたかったんだってよ…。けど、あんなことになっちまったから、自分を責めてんだ。言う事を聞かなかったせいで、オレは家を出て行っちまうし、クレイはタフィーを止めきれなかったって、自分自身を責めるようになったって。しかも花を採ろうとしたのがオレの為だって、クレイは知ってるからな。言えばオレがもっと傷付くと思って、言えない苦しみまで背負う事になったんだってよ…」

「なるほどな。だからその第一声が、〝クレイを助けて欲しい〟だったのか…」

「…あぁ。それにあいつ、自分が悪いのに…って、泣いて謝るんだぜ…? 〝ラディお兄ちゃん、ごめんなさい。クレイお兄ちゃん、ごめんなさい〟っつって、頭まで下げてよ…。たまんねーだろ? だからオレ、思わず抱きしめて言ったんだ。〝オレに花をあげたいって思ってくれただけじゃねーか。お前は全然悪くない。ただちょっと運が悪かっただけなんだ〟って。そしたらさ…」

 ラディはそこで一旦切ると、次の言葉を少し晴れやかな顔をして言った。

「〝運が悪かっただけなら、お兄ちゃん達も悪くないんだよね〟だってよ」

 その瞬間、みんなの口から驚きと安堵の息が漏れ、次いで柔らかい表情が浮かんだ。

「へ…ぇ、やるじゃねーか。そんな事言われたら、〝そうだ〟としか言えねーよなぁ?」

「そうなんだよなー。まさかそんな風に返ってくるとは思わねーからよ、それを聞いた瞬間〝あぁ、やられた〟って思ったんだ。けど、タフィーに言った言葉は嘘じゃねーしな…だからなんか、やっと認める事ができたんだ。あれは事故だったんだって」

 そこまで言うと、ラディはクレイの方を見て身を乗り出した。そして、一方的に話しかけた。

「聞こえてるか、クレイ? そういう事だ。オレ達が責任を感じれば感じるほど、そうさせたのは自分だってあいつも苦しんでた。お前が言えなかった事も、オレはもう知ってるんだ。その事で苦しむ必要はねーだろ? あれは、事故なんだ。優しい妹がオレの誕生日に渡す花を採ろうとして、足を滑らせて起きた事故…運が悪かった事故なんだよ。誰も責任を感じて欲しくない、それがあいつの願いだ。分かるよな? 分かったら、こっちに来い。オレ達の声が聞こえる方に来るんだ。──じゃねーと、この話の続きはしてやんねーからな。聞きたきゃ、自分の力で戻って来い、いいな?」

 〝死の道夢を彷徨っているなら、オレの声を聞け〟

 あの時ルフェラがそうしてくれたように、今度は自分がクレイを導く声になる─…。そんな思いだった。

 一通り話し終えたラディは、次いで家族の方に向き直った。

「その…何から話したらいいか分かんねーんだけどよ…とりあえず、勝手に出ていっちまってゴメン!」

 ラディはそう言って深く頭を下げた。〝ゴメン〟と言われて〝いいよ〟と言えるほど簡単な事ではないのだろうが、それ以上になんて答えていいのか分からないのが正直なところだろう。その上、聞きたい事が色々あってすぐには誰も口を開かなかった。

 そんな沈黙を最初に破ったのは、母親だった。

「…ラディ、どうして出て行ったの? タフィーだけじゃなく、あなたまでいなくなって、どれだけ心配して悲しかったか─…」

「そう…だよな…。ほんと、それは悪いと思ってる…」

 顔を見た瞬間、飛び込んでくるように抱きついた母親の腕の力や顔を見れば、その思いの強さも伝わっていた。

「…けど、たまらなかったんだ…。あの時オレは自分を責めてた。タフィーが死んだのはオレのせいだって…。なのに誰もオレを責めなかっただろ…?」

「あ…当たり前でしょう? あれは事故だったんだもの。あなたが私たちの代わりに下の子達の面倒を見ていたとしても、何かあったら、その責任は見ていなかった親にあって当然なのよ。辛い思いさせてごめんねって言わなきゃいけないくらいなのに、それを責めるなんて──」

「それが辛かったんだ…」

「え…?」

「事故だって認められた今なら、そんな事思わねーんだけど、あの時は〝お前のせいだ!〟って責められた方がずっとマシだったんだ…。ボロボロになった方が自分を許せる気がしたから…さ。だから、たまらなくなって家を出たんだ…」

 ラディは、敢えてその目的──死ぬ為に家を出た事──は言わなかった。ただでさえ、当時の子供の気持ちが分からなかった事にショックを受けているのに、これ以上悲しませる事は言いたくなかったし、今更その必要もなかったからだ。

「ごめん…ね、ラディ…。そんな風に思ってたなんて、母さん全然知らなかった…。気付いてあげられなくてごめんね…」

「い、いや…だからそれはもういいんだって…。それより、勝手に出て行ったオレの方が悪かったな、って。寝込んでるクレイの事も見ずにさ…。正直、オレの事は忘れてくれていい、存在しなかった事として、みんなが元気でいてくれればいいと思ってた。けどまさか、あの時からクレイが喋れなくなってたなんてよ…。なんかもう、余計に会わせる顔がないなって…。でもさっきタフィーに会って、みんなに謝らなきゃなって思ったんだ…」

 ──とそこまで言って、ふと現実的な事を考えてしまった。

「いやまぁ、その…タフィーに会って話をしたっていうのも、信じてもらえないかも知んねーんだけど──」

「信じるわよ…」

 間髪入れずに、母親が言った。

「あなたが戻ってきてくれたんだもの、信じるわよ。それに、あなたの誕生日にお花をあげて、幸せな顔にしたかったなんて…あの子らしいじゃない。一番大好きなお兄ちゃんだったんだから…」

「そう…だったのか…?」

「そうよ。──それより、もういいかしら?」

「え…もういいって──」

「今しなきゃいけない話は、これで終わり…?」

「あ、あぁ…まぁ一応──」

 ──と言った瞬間だった。

「─────ッ!」

 母親がラディに抱きついたのだ。それはまさに、雪の塊をイオータに見せる直前の出来事と同じ。〝話は後でするから〟と言われ、その話が終わるのを待った、そんなタイミングだ。

「あぁ、ラディ…本当に生きてて良かった…。あんな時期にいなくなって、もうダメだと思ってたのよ…。なのに、こんなに大きくなって戻ってきてくれるなんて…。良かった、本当に良かったわ…。お帰り、ラディ…そして二十三歳のお誕生日おめでとう…」

「─────!!」

 最後の一言に、ラディは全てが許された気がした。

 タフィーが自分の為に花を採ろうとして亡くなった日は、同時にラディの誕生日でもあるのだ。楽しいはずの誕生日が、あの日以来一変した。誕生日が来るたびに思い出し、苦しみ、誕生日を祝うどころかなくなってしまえばいいとさえ思っていたのに…。再び、こんな幸せな誕生日を迎えられるとは…。

「…た…だいま、母さん…。それと、ありがとう…」

 溢れそうになる涙をぐっと抑えながらも、ラディが何とかその言葉を口にすれば、それまでジッと聞いていた他の兄弟や父親も歓喜の声をあげて騒ぎ始めた。もちろん、その様子にイオータ達も〝良かった…〟と喜んでいたのだが、すぐに〝病人の前で騒ぐでない〟とバーディアに注意され、一斉に大人しくなった。

 それからしばらくすると、クレイの熱も少しずつ下がり始めた。その様子を見ていたバーディアの表情から、他のみんなにも安堵の表情が浮かぶ。そんな中、母親の切り替えは早かった。

「さぁ、少し遅いけど夕御飯作るわよ〜。ラディの誕生日だし、腕によりをかけて作るから、楽しみにしておいてね!」

 そう言って腕を捲りながら部屋を出て行く母親に、珍しくミュエリが続いた。

「じゃぁ、私も手伝います!」

「あら、本当に? 助かるわ〜。──じゃぁ、一緒に作りましょう」

「はい!」

 母親一人で全員分の食事を作るのは大変だという気持ちはもちろんだが、それ以上に、ラディに何かしてあげたという気持ちが強かったのかもしれない。最悪の誕生日が最高の誕生日になる、今日という日を祝うために…。

 ただ、ミュエリにはひとつだけ母親に聞きたい事があった──


「なぁ、ルフェラって、あの綺麗なねーちゃんだろ? まさか、アニキの友達だったとはなぁ」

「バ〜カ、友達じゃねぇよ。彼女だ、彼女」

「え、マジで!? おれ、あのねーちゃん狙ってたのにー」

「十代のガキが何言ってんだ。──ってかライアル、なんでお前がルフェラって呼び捨てにしてんだよ?」

「えー、別にいいだろ? ルフェラだって、嫌がってなかったしよ」

「ルフェラが良くても、オレが許さねぇ」

「──ンだよ、ケチッ」

「ケチッてお前な─…」

「いいのか、そんなこと言ってよ?」

 ラディとライアルの間に入ったのはイオータだった。

「何がだよ?」

「ルフェラはお前の彼女でもなんでもねーだろ?」

「え、そうなのか!?」

 ラディの舌打ちと同時に喜んだのは、ライアルだ。

「何だよアニキ、違うんじゃねーか」

「うるせーな、将来の話だ、将来の。しかも、ほぼ確定のな」

「そっか。ンじゃ、おれはルフェラを将来の嫁にする!」

「おまっ…何言ってやがる。──ってか、お前は昔からオレのもの欲しがったよな。十年経ってもまだ成長しねーのかよ?」

「それは逆だろ? おれが欲しいものをアニキが先に手に入れるから、取り返してるだけだ」

「なんだと──」

「単純に、アニキとライアルが似てるってだけだろ? 帰ってきた早々、ケンカすんなよ。ほんと、変わってねーな」

 呆れたように止めたのは、四男のニクスだ。

「なんだよ、ニクス。おれと一個しか違わねーくせに、アニキぶるんじゃねーよ」

「バカか、お前は? 一個でも違えば、アニキぶらなくても間違いなくアニキなんだよ。そんな事も知らねーのか?」

「うっせーな、この憎たらしいニクスめ! なんでこんな奴がおれより先に生まれたんだよ!?」

「そりゃ、あれだろ? バカが先に生まれたら、その弟が可哀想だからじゃねーか?」

「はぁぁぁぁ!? テメー、もう一回言ってみやがれ!」

「あぁ、あぁ、何度でも言ってやるよ。バカが先に生まれたら──」

 ──と言った瞬間だった。〝スパーン!〟という、例の軽快な音が鳴り響いたのだ。

「ぐゎ─── !」

「いってぇー!! っにすんだよ、ラスター!!」

「決まってんだろ? 病人の周りで飛び回る、うるさいハエを叩き潰したんだよ!」

「誰がハエだ、こんちきしょー!」

「くそっ…! 毎回、毎回、手品みたいに出しやがって…今度見つけたら速攻で燃やしてやるからな!」

 叩かれた頭を抱える二人とそのやり取りに、父親とバーディアは呆れ、イオータは腹を抱えて笑っていた。

(なんだこいつら、おもしれぇー)


 一方、台所では母親とミュエリが野菜を切っていた。

「男って、ほんとバカよね〜。いつもああなのよ? 今日は一段とうるさいけど」

 さっきの部屋から聞こえてくる会話を聞きながら、母親は嬉しそうに言った。

 〝今日は一段とうるさい〟

 それが一番嬉しい事だと伝わってくる。そんな様子に微笑みながらも、ミュエリはさっきから疑問に思っていた事を口にした。

「…ひとつ、聞いてもいいですか?」

「えぇ、もちろん」

「タフィーが亡くなった時、ラディが目を離さなければ…って、ほんの少しでも思ったりはしなかったんですか?」

「そうねぇ…全く思わなかったって言ったら嘘になるかもしれないわね。でも、だからって責める気持ちは一切なかったわ」

「どうしてですか…?」

「あの子は本当に弟や妹が大好きで、毎日のように面倒を見ていてくれたのよ。私たちは、そんなあの子にずっと頼りっぱなしで…たとえ何かあったとしても、それは全て私たち親の責任だって普段から主人と話していたの。だってまだ十二歳の子供よ? 親でさえ目が届かない時があるのに、それをあの子に求められるわけないでしょう? それに、自分の遊ぶ時間もないんですもの、たまに大好きな釣りに出かけたって責められないわ。むしろ、それくらいしてくれないと、こっちが心配になるもの。ずっと我慢させてるんじゃないかって…。だから、自分が釣りに出かけたせいで…って何度も謝るあの子を見て、正直、タフィーが亡くなった事より、あの子の方が可哀想に思えたのよ…。こんな思いをさせて申し訳ない…って…。でも結局、その気持ちがあの子を苦しめてしまったのよね…」

「じゃぁ、もしその時にラディの気持ちを知っていたら…?」

「〝あなたのせいよ〟って責めていたか…?」

「えぇ」

「それは…難しい質問ね…。本人がそれを望んでいるなら…それで気が楽になるのなら言うべきなのかもしれないけど─…」

「けど…?」

「そう簡単には言えないでしょうね…。だって、親にしてみれば子供はみんな大事な宝物ですもの。本人が望んでいたとしても、自ら子供を傷つけるような事そう簡単には言えないわ…。ただ、そうするとあの子の苦しみは何も変わらないんだけど…」

(大事な…宝物…)

 ミュエリは心の中で繰り返した。

 きっとそれは間違いじゃない。でもその宝物がもうひとつの宝物を壊してしまったら、それでも宝物だと思えるのだろうか…。

 例えば、本当にラディがタフィーを殺めてしまっていたら─…。

 答えが欲しくてふとそんな〝例え〟が浮かんだが、さすがのミュエリもそれを口にする事はできなかった。

「でも本当に良かったわ、生きていてくれて…。正直言うとね、あの子は死ぬつもりで家を出て行ったんじゃないかって思ったの。あの子は優しいし、バカみたいに責任感が強いから…タフィーを死なせておいて自分が生きていいはずがない、って思ったんじゃないか…って。だけど、生きていてくれた…帰ってきてくれたのよね。きっと、あなた達がいたお陰だわ、ありがとう…」

「い…いえ、そんな…。ただ、辿り着いたのが私たちの村だったのと、ルフェラと出会った事が大きかったのかも…」

「…………?」

「ラディと最初に出会ったのは、ルフェラなんです。詳しい事は話してくれないけど、ラディはルフェラに出会って〝生きる事を許された〟って、言った事があったから…」

「生きる事を許された…?」

 ミュエリは〝えぇ〟と頷いた。

「だから、村にいる時にラディが落ち込んでるのってほとんど見た事なくて─…。あ、でもそれはルフェラに恋したからかしら…?」

「まぁ、そうなの!?」

 息子の恋愛話に、母親の顔がパッと明るくなった。

「もうほんと、バカのひとつ覚えみたいに〝ルフェラー、愛してる〜〟って…。私にはいっつも憎まれ口叩くから、毎日のように口ゲンカしてたんですけどね〜」

「あらあら。でも、ケンカするほど仲がいいって言うから、案外あなたとも合うのかもしれないわよ?」

 母親の言葉に、ミュエリがブンブンと首を振った。

「私には心に決めた人がいるんです。ネオスっていう、優しくて頼れる人が」

「ずっとその人の事を…?」

「えぇ」

「じゃぁ、やっぱりラディと合うんじゃない?」

「ど、どうしてそうなるんですか…!?」

「あら、だってあの子もずっと一人の人を想う一途なところがあるでしょう? 性格だって昔からすごく優しいし、弟たちの面倒も任せられるくらい頼れるわよ?」

 〝ほら、どう?〟とばかりにラディを勧める母親の目に、さすがのミュエリも次の言葉が出ない。

 そんなミュエリを見て、母親がクスクスと笑った。

「冗談よ。実はね、こういうの夢みてたの」

「夢…?」

「男親は、息子とお酒を飲むのが夢っていうのが多いでしょう? 母親の私は、娘とこうやって一緒に料理をしたり恋の話をしたりするのが夢だったの。でもタフィーがいなくなってそれもできなくなったから…」

「…そう…ですよね…」

「でも、今こうしてミュエリさんと話していて気が付いたわ」

「……………?」

「あの子たちが結婚したら、五人も娘ができるって事なのよね? そうしたら、諦めてた夢が叶うじゃない! 恋愛の話はそうねぇ…息子との馴れ初めから始まって、孫たちの初恋とか話しちゃったりして…ねぇ? 年齢的に結婚するのはラディが最初だろうし、もしミュエリさんがお嫁さんだったら…って思っちゃって…フフフ」

 本当にそれが楽しみだと幸せそうな顔を見せられたら、〝ラディのお嫁さん〟と例えられても、ミュエリは嫌な気がしなかった。むしろ未来を想像できる事に、心から〝良かった〟と思えたのだ。

 母親とミュエリの会話は、その後も途切れる事なく続いた。料理の手順はもちろん、母親の知らないラディのエピソードや、ミュエリの知らないラディのエピソードなど。何より一番盛り上がったのは、やはり恋愛の話だった。時に笑い、時に話に夢中になりすぎて、火加減を間違えた事もあったほどだ。それでも次第に美味しそうな匂いが家中を満たし始めると、空腹に耐えきれなくなった男たちが、一人また一人と台所に集まってきた。自分の好物を目にしてつまみ食いしようとするのを必死で阻止しつつ、それでも自然とみんなが食事の準備を始めるようになった。

 出来上がった料理をテーブルに並び終える頃には、みんなもビックリするほどの量になっていた。──が、実際に食べ始めると、あっという間に器は空になり、更に驚く事になった。

 父親は、ラディと初めてお酒を酌み交わす嬉しさに加えて、一緒に飲む相手がいつもより多い事も楽しさを増していた。しかもみんな強い為、お酒が続く限り延々と続く。一番強いバーディアが眠りについたのは、熱が下がったクレイが起きる数時間前だった。

 そしてこの後、奇跡の声をみんなが聞く事になるのだが、防寒着も着ずに家を飛び出し長時間外にいたラディは、クレイと入れ替わるように熱を出し寝込んだ為、その第一声を聞き逃したのだった──


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