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女神伝説  作者: Sugary
第七章
106/127

4 失われた声 <4>

「さぁ、できたわよ!」

 最後のスープをテーブルに並べ終えた母親の声が響くと、残念がっていた彼の顔が途端にパッと明るくなった。〝メシだ、メシー!〟と、今にも手を出しそうにテーブルにつくと、やっぱり、それまでの事が冗談だと思えてくる。でもそこもまたラディに似ているから、見ていてホッとしてしまうのだが…。

「ほら、あなた達もこっちに座って! ボーっとしてると、パンなんかあっという間になくなっちゃうわよ?」

 〝急いで〟と促され、あたし達もあれよあれよという間に座る事になってしまった。

 八人掛けのテーブルでは、父親と母親が一番離れた場所で向かい合うように座り、その間を兄弟三人とあたし達の二人が向かい合うように座った。──のだが、真っ先に席に着いたラディ似の彼が、それを見てすぐさまあたしの隣に移動してきた。

「ねーちゃんのパンは、おれが取ってやるからな。安心してゆっくり食っていいぞ」

 自称〝一番優しい男〟の発言に、正直そんなことしなくても…と思いつつも、

「ありがとう」

 ──とお礼を言えば、なんとまぁ、嬉しそうな顔をするではないか。ラディ似であるにもかかわらず、かわいいと思ってしまうのは年下だからだろうか…?

 あたしは、そんな彼の笑顔になんだかほっこりとさせられた。

 でもきっと、それだけじゃないのだろう。目の前に置かれた野菜たっぷりのスープや、カゴの中に入った沢山のパンの香り、そしてテーブルを囲む家族の形…それら全てが温かいものに包まれてるようで幸せを感じるのかもしれない。ただそう思えば思うほど、本来ここにいるべき人がいないというのが残念でならなかった。そんな思いが態度に出たようで、あたしは知らず知らずのうちに溜息をついていた──らしい。

「どーした、ねーちゃん?」

「え…?」

「今、溜息ついたろ?」

「た、溜息…? あ…えっと──」

 本当のことは言えないし、客観的に見れば〝情緒不安定な人〟という状況で、下手なことを言えば逆に心配かけてしまう。とりあえず何か言わないと…と思わず口から出たのは、テーブルの真ん中に置かれたパンの山。

「パ、パンが…ね──」

「パン? あ、もしかしてパンが嫌いなのか?」

「ううん、そうじゃなくて…。こんなに沢山あって、あっという間になくなっちゃのかなー…なんて…」

「あー、そういう事かぁ」

 溜息をつく理由にはなってないが、問いかける内容に何とか話は繋がったようだ。いや、実際、あっという間になくなるような量には見えないし、疑問はある意味間違ってないと思う。なのに、

「パンだけじゃなくて、スープもなくなるぞ」

 ──と、真顔で更なる言葉が返ってくるとは…。

 予想以上の答えに少々驚いていると、ついに〝その時〟がやってきた。

「よーし、みんないいか?」

 父親の問いかけに、三兄弟が大きく頷いた。と、次の瞬間──

「いっただ──」

「…だっきま──」

「…きっす!」

 誰一人としてまともな〝いただきます〟が聞かれないまま、一斉にテーブルの中央に手が伸びた。しかも片手ではなく、みんな両手だ…。その中でもラディ似の彼は、あたしの分を含めごっそりと両手で掴みとっていた。

 あまりの光景に、ただただ呆気にとられてしまい、スープすら口をつけるのを忘れたほどだ。

「はい、これ、ねーちゃんの分な」

 ラディ似の彼が、ごっそり取ったうちの半分をあたしのお皿に乗せてくれた。

「ありがとう─…って、ちょ…多いんだけど?」

「そうか? それくらい食えるだろ?」

 言いながら、既にパンを頬張っている。

「ひとつで十分よ。スープもあるし…」

「ふ〜ん、ねーちゃん、少食なんだな。まぁいいや、おれが食うからそこに置いといて」

「え…? これも食べるの!?」

「もちろん、これくらい普通だぞ? それに、成長期だからな。いっぱい食って、ラスターを超えねーと」

「あ…あぁ、そう。じゃぁ、よく噛んで…ね…」

 食べる量も食べ方も…兄弟揃って凄いから、もう、それだけ言うのがやっとだった。

「ごめんなさいね、慌ただしくて…。食べる時はいつもこうなの。まるで奪い合いの戦場でしょう? それ以外はバカな喧嘩ばっかりしてるし…。どうしてこう、男の子っていうのは落ち着きがないのかしらねぇ…」

 〝ほんと、嫌になるわ…〟という言葉の代わりに、母親が大きな溜息をついた。

「分かります、その気持ち…」

 思い当たる節がありすぎて…。

「あら、あなたも?」

「えぇ、とてもよく似た友達がいるんです。毎日毎日、どうでもいいような事から言い合いが始まって、自分が年上なのに受け流すことを知らないんです。だからいつもエスカレートしちゃって…。それに食べる事となると人一倍ガッツくから…ほんともう、子供みたい」

「あらあら…。まるで、うちの子みたいね」

 可笑しそうに微笑んだその一言に、あたしの胸がチクリと痛んだ。

 事情を知っているが故に、勝手な期待をしていたからだろうか。もしかしたら、その〝よく似た友達〟が家を出て行ったラディだと気付いてくれるかも。あるいは、一瞬でもラディの事が頭をよぎるかも…と。

 でも、期待は外れた。

 母親のその一言は、単純に今ここにいる息子と似てるから、という意味だ。当然と言えば当然だけど、その表情に一瞬の陰りもなかった事が悲しくなる。

 だって、タフィーが亡くなったうえに、突然ラディまで姿を消したのよ?

 いつまでも亡き人の事を想って悲しんで欲しいかというと、そうじゃない。むしろ、時間と共に悲しみが癒えて前を向いて欲しいと思うし、向かなきゃいけないと思う。でも、ラディは違う。亡くなったわけじゃないんだもの。いくら家を出て十年が経っているからって、生死が分からなければ、いつまでも心配するものだし、ほんの些細なことでも気になるのが家族なんじゃないの?

 なのにみんなを見ていると、それがまるでない。ラディの存在を忘れてしまったのか、はたまた最初から存在してなかったようにすら見えてしまうのだ。

 あたしはそれが悲しかった。悲しくて、同時に少し腹立たしさを覚えた。今でもラディが苦しんでるのを知ってるから…。

 どうして気付かないの? あたしが言ってるのはラディの事なのよ? あなたの息子で、あなた達のお兄さんなのよ?

 言いたい気持ちが半分、まだ言うべきじゃないと思う気持ちが半分…。あたしは複雑な思いでパンをひとちぎりすると、気持ちを押し込むように口に入れた。

「ねぇ、ひょっとしてその彼って──」

 そんなあたしの気持ちとは裏腹に、母親が楽しそうに問いかけてきた。最後の言葉はジェスチャーのみ。本人に気付かれないよう、軽くチョンチョンと〝彼〟を指差しただけだった。

「あー…いえ、彼は違います。ランスは数日前にあったばかりなんです」

「あら、そうなの? こんな早い時間に一緒にいるからてっきりお友達か、あなたの〝いい人〟なのかと思ってたわ。──そう…彼、ランスさんっていうのね」

 最後の方は自分の中で確かめるような小さな声だったが、その言葉に、あたしはまだ自分の名前さえ名乗ってなかったことに気が付いた。

「あ…ごめんなさい、あたしはルフェラです。ここ何ヶ月か旅をしていて、数日前にバーディアさんの家の近くに来たんです。ちょうど日も暮れてきて野宿でもしようかと思った時に、彼とバーディアさんの家を見つけて…それで今泊まらせてもらってるんです」

「そうだったの…。でも、旅ってまたどうして?」

「それは…その……」

 言えない、言えるわけがない。妖精を見たのがきっかけで村を出るように言われたなんて…。それに、ここに来た理由も…。

 どう答えようかと迷っていると、

「あぁ、いいのよ。言いたくなければ無理に言わなくても。逆に困らせちゃったら、ごめんなさいね」

 ──と気遣ってくれた。あたしはその言葉に〝いいえ〟と小さく首を振った。

「ふーん。ねーちゃん、ルフェラっていうのかぁ」

 ラディ似の彼が、スプーンを口に当てながらひとり言のように言うと、ややあって一人納得したように〝うん〟と頷いた。

「いい名前だよな?」

「…あ、ありがとう…」

「おれは、ライアル。カッコイイ名前だろ?」

「そう…ね…」

「な〜にが〝カッコイイ〟だ? そういうのは人が言うもんで、自分から言うもんじゃねーんだよ」

「フンッ。自分の名前がカッコ悪いからって、ひがんでんじゃねーよ」

「はぁ!?」

「だって、ニクスだろ? なんか、捻くれて憎たらしいって感じじゃねーか。な、そう思うだろ、ルフェラ?」

「え…」

 ルフェラ…?

 もう既に呼び捨て…?

 ビックリするやら、ますますライアルがラディに見えてくるやら…。名前の印象に対する返事さえできないでいると、更にライアルが続ける。

「あっちなんか、ラスターだぞ? なんの変哲もない名前だろ? 実際、ふっつーの男だし。それに寝込んでるアニキはクレイってんだけど、ヒョロッとして色白でいかにも体が弱いって感じだしよ。やっぱ、名は体を表すっていうのは本当だよなー」

 そう言いながら、ライアルが勝ち誇ったような笑みを向けた。そこに悪意はなく、単純に〝カッコイイ名前のおれは、名前通りカッコイイだろ?〟と言いたかっただけなのだろうが…。

 残念ながら、ここで軽く〝そうね〟とは言えなかった。

「そうかしら?」

「うん?」

「カッコイイ人は、自分の事だけ良いようには言わないものよ? 優しい人なら特に、人の悪口も言わないでしょうしね。それとも、カッコイイのは外見だけってことかしら? それなら否定はしないけど、本当の意味でカッコイイとは言えないんじゃない?」

「う…」

 痛いところをつかれたからか、それともそんな風に言われるとは思っていなかったのか、ライアルは一瞬ハッとした後、言葉に詰まってしまった。だけど、本当に言いたかったのはここからだ。

「それに〝名は体を表す〟っていうのはあくまでも結果論よ? それも、多くの人が同じイメージを持った上でのね。でも今の話だと、その逆に聞こえる。あたしはこの名前だからこうなる、なんて思いたくないわ」

 そう、思いたくない。

 名前だけで病弱になるとか、長く生きられないとか、家族と一緒に過ごせないとか…。

 もちろん、そんなつもりで言ったんじゃないのだろうけど、あたしには運命すら名前で決まると言われてる気がして、どうしても否定せずにはいられなかったのだ。

 だけど──

 落ち込んだように俯く彼の姿を目にして、それはあまりにも極端だったかな…と思い始めた。──とその時、

「はっはー! 言われたな、ライアル!」

 その場の雰囲気を蹴散らすように笑ったのは、父親だった。

「その通りさ。どんな人間になるかは、〝どう生きてきたか〟であって、〝名前〟じゃねぇ。それに、お前の顔やクレイの病弱なところは、生まれる前から決まってたんだ。誰のせいとかじゃなく、そういう運命だったんだよ。──って言っても、お前の顔は俺と母さんの遺伝だから、運命というよりは俺たちのお蔭だけどな。だから、自慢するなら俺らにも感謝しろよ?」

「へぇ〜。じゃぁ、こいつのバカなところは誰に似たんだ?」

 冗談か否か、すかさず真顔で聞いたのはラスター。その質問にみんなが顔を見合わせたその時、

「突然変異ね」

 ──と母親が澄まし顔で答えたから、一瞬の間があって、みんな一斉に吹き出してしまった。

 俯いていたライアルまでもが、自分の事なのに大笑いするほど。

「く、くっそぉ…やられたぁー! 久しぶりに効いたぜ、母さんの一撃〜!」

「あらやだ、一撃なんて…」

「あははは。いや、でもホント久しぶりだぞ。母さんの一撃でこんな風に笑うなんてよ、なぁ?」

 ラスターの言葉にニクスが頷く。

「そうそう。それまでずっと黙ってたのに、フッと喋るんだもんなー。それも、冷めた口調でサラ〜っと。けどそれが…ツボにハマるっつーか…ぷっ…くくくく…だ、ダメだ、また──」

 再び〝突然変異〟の場面を思い出したのか、〝ぶわーはははははー!〟と笑い出した。それにつられて、またまたみんなの笑い声が重なる。最後はもう、何が可笑しかったのかさえ分からない感じだった。

 そんな中──

「…けど、さっきはなんか、クレイのアニキと重なって見えたな、俺…」

 それまでのテンションとは一転、嬉しいのか寂しいのかよく分からない表情で言ったのはニクス。その言葉にスッと笑いの連鎖は消え、なぜかランス以外の視線があたしに集まってきた。

 なに…どういうこと?

 わけが分からない者同士、思わずランスと目が合えば、次に続いたのはラスターだった。

「子供の頃から頭良かったからな、アニキは。一緒に遊べない分、俺達のことよく見てたし、俺らが喧嘩したり調子に乗ってやり過ぎたりすると、さっきみたいに理路整然と俺らのこと諌めてたもんな」

「あ〜…そう言われれば、なんか言われてた気がすんな、おれも…」

「気がするどころか、お前が一番多かったんだぞ、ライアル?」

「え、そうなのか!?」

「そりゃそうだろ。一番年下なのをいいことに好き勝手やってよ。それを俺らが注意したら、すぐに泣くんだぞ? 悪いのはお前なのに、怒られるのはいつも俺らだったんだからな」

「なに、そうだったのか!?」

 驚いたのは父親だった。

「おせーよっ!」

「あ、あぁ…すまん。いや、けどあの頃は俺や母さんも必死だったから──」

「分かってるよ、大変だったのは。だからアニキが見てくれてたんだろ? 最初の頃はあまりの理不尽さにこいつをイジメてやろうかと思ったけど、実は俺らが怒られてる時に、クレイのアニキが見えない所でライアルを叱ってるって聞かされたから、やめたんだ」

「へぇ、そうだったのか…。なんかいっつも難しい話をしてくるな〜とは思ってたんだけど、あれ、おれを叱ってたのか…」

「はぁ!? おまっ…叱られてると思ってなかったのか!?」

「だって、その頃って言ったらまだ五歳かそこらだぞ、おれ? 難しい話なんか分かるかっつーの」

「マジ…かよ…」

 呆れてものも言えないというのはこのことか。いや、呆れるというよりは、肝心の本人に届いてなかったという落胆の方が大きいのかも…。

 ラスターは椅子の背にもたれると、大きな溜息をつきながら天井を仰ぎみた。

 あたしは、そんな彼らのやり取りを微笑ましく見ていた。ラディの名前こそ出てこないが、思い出話というのはどこか嬉しく感じてしまう。あたしの知らない生活だけど、間違いなくその何処かにはラディがいる…そう思えるからだ。

 もっと聞いていたい…。

 ラディと共に過ごした、彼らの思い出をもっと聞いていたい…。

 あたしは、そう思うようになっていた。だけど、それはすぐに〝後悔〟という言葉に変わることになる…。

「クレイのアニキってよ、子供なのに声が妙〜に落ち着いてなかったか?」

 そう切り出したのはニクスだった。その質問に、ラスターが〝あぁ、確かに〟と頷く。

「オレ、実を言うと怖かったんだよな、アレ…。でっかい声で怒鳴るアニキより、ずっと恐ろしかった。なんかさ、怒られると思ったら怒られない時の不気味さっていうか、無言の威圧感みたいなもんを感じたんだよなぁ…」

「分かる、分かる。十歳の貫禄じゃねーよな」

「だろ? ──けど、最近思うんだよな、また叱ってくれねーかな…って」

「何だ、何だ? まさかそんな〝ケ〟があったのかよ、ニクス〜」

 面白そうに突っ込んだのはライアルだった。──が、

「アホかっ!」

 同時に〝スッパーン〟と軽快な音が鳴り響いた為、正直こっちが驚いた。

「…ってーな! 何すん──」

「バーカ、声だよ、声」

 丸めた紙の筒を手の平で弾きながら、呆れたように付け足したのはラスター。

「怖くても、もう一度あの声が聞きたいって事だろうが?」

「あ、あぁ、そういう事か!」

 ─────!?

 ライアルが軽く納得するのとは逆に、あたしは何か凄い衝撃を受けた気がした。

 今…なんて言ったの…?

 もう一度…って言った…?

 もう一度声が聞きたいって、そう言った…?

 つまりそれって──

「今は喋れねーのか…?」

 隣から聞こえてきたその質問に、あたしの心の臓がドキリと鳴った。

 それまでほとんど喋らなかったのに、突然あたしの心を読んだかのようなタイミングだったからだ。

 その質問にラスターが答える。

「あぁ、子供の頃にちょっとな…」

「病気で?」

「いや、精神的なショック…だな」

 精神的なショック…子どもの頃に…?

 まさか…と予想される原因に、あたしの心の臓が早鐘を打ち始めた。

 お願い、そうじゃないと言って…もしくは、それ以上なにも言わないで…。そんな思いで祈ったが、直後、ラスターの口から出た言葉は一番聞きたくないものだった。

「末っ子に妹がいたんだけどな。その妹が事故で亡くなって、ショックで声が出なくなったんだ」

 ─────!!

 あ…ぁ、うそ…そんな…!!

 あまりの事実に、あたしは声を出すどころか、ショックで震えてくる手を抑えるのに必死だった。

「そうだったのか…。悪かったな、なんか辛いこと思い出させて…」

「いや、いいんだ。あれからもう十年も経ってるし…まぁ、たまに寂しくなる時もあるけど、前を向けるようになったからな。ただ、アニキにとって妹は特別だったから…さ…」

「特別…?」

「体が弱いから俺らと一緒に遊べねーだろ? だからその分、妹とよく遊んでたんだ。ママゴトとか折り紙とか…いわゆる、女の子の遊びってやつをさ。正直、俺達は苦手だったけど、アニキは違った。いつも一人で家の中にいたから、女の子の遊びでも、兄妹で遊べるってのが嬉しかったんだろうな。妹もアニキの事が大好きだったし、もう〝目の中に入れても痛くない〟っていうのはコレか…って思うくらいアニキも可愛がってたんだ。それがある日突然、死んじまったからな…」

「ショックで声が出なくなっても不思議じゃない…ってことか…」

「あぁ。──けどまぁ、俺らはあまりのショックにアニキまで死んじまうんじゃないかとまで思ったからさ、正直、失ったのが声だけで良かったって思ってんだ」

「そう…か…。そうだよな…。どういう状態であれ、生きていてくれさえすれば…」

 ランスの言葉に、ラスターも大きく頷いた。

 ただこの時、あたしは気付かなかった。ランスの表情がどこか寂しそうだったことに…。

 そして、この言葉が彼にとって深く関係していたと知ったのは、もっとずっと後になってからだった…。

「──で、どう思う? やっぱ、声変わりしてんだよな?」

 一通り説明が終わったからか、再びライアルとニクスが話し始めた。

「そりゃそうだろ。あの体で子供の声だったら逆におかしいって」

「う〜ん…。けど、想像つかねぇんだよなー…」

「どうする、意外にも〝ドス〟の利いた声だったら?」

 ラスターが面白そうに加われば、当然、そこに反応したのはニクス。

「どぅわー、やめてくれ! 似合う似合わねぇとかどうでもよくなるくらい、恐ろしさ倍増だから!」

「じゃぁ、ダミ声!」

 再びライアルの声。

「あの顔で? ぶわははは、ギャップありすぎで笑えるって」

「だよなぁ…。あ、ルフェラはどう思う?」

 どう…しよう…あたしはどうすればいいの…?

 タフィーは事故だった…きっと、それはみんなが認めてる…。でもラディはそう思ってないのよ…。それなのに弟まで喋れなくなったなんて知ったら──

「ちょ…大丈夫かよ、ルフェラ!?」

 それまで遠くの方で聞こえていた声が、腕をガシッと掴まれた衝撃で戻ってきた。反射的に掴まれた腕の方を見れば、心配そうに覗き込むライアルの顔。続いて、みんなの顔も視界に入ってきた。

「…あ、あた…し……」

「大丈夫か? スッゲー顔色悪いぞ?」

「あら、ほんとだわ。大丈夫? ちょっと横になった方が──」

「あぁ、そうだな。オレ、布団用意して──」

「だ、大丈夫です…!」

 心配してくれるみんなの好意を、あたしは出来るだけ普通の声に戻して断った。

 今はここにいられない…ううん、いたくない…。

 ラディを助けたいと思うのに、更に苦しめてしまう事実を知ってどうしたらいいっていうのよ…。助けて欲しいのはあたしの方だ…。

「あたし…そ、そろそろ帰ります…。黙って出てきたから、今頃みんな心配してると思うし…」

「けどその調子じゃ…」

「そうよ。途中で倒れでもしたら──」

 母親の言葉に、あたしは首を振った。

「本当に大丈夫です…。それに、もしもの時はランスもいるし。──そうよね?」

 お願いだから、あんたまで〝休んでいった方がいい〟なんて言わないで…。

 思わずランスの腕を掴めば、その手に力が入っていた事に気付いたのだろう。一瞬〝いや…〟と言いかけたものの、すぐに、

「あ〜…まぁ、そうだな。調子の悪い時は、仲間がそばにいる方が安心もするだろうし…」

 ──と言ってくれた。

 一緒に付き添って帰る人がいて、尚且つ、休むなら仲間のそばで…と言われれば、反対する理由は他にないはず。案の定、父親の〝確かにな…〟という一言で、みんなも納得してくれた。

「ヨシ! じゃぁ、ルフェラはあんたに任せたからなっ!」

「ゆっくり歩いてあげてね」

「なんなら、オレがお姫様抱っこでもして──」

「だーっ!! それならおれが──」

「アホかっ!」

 ──と同時に例の音。

「いってぇ…」

「…っそぉ〜」

 そんな兄弟のやり取りに、あたしは少しだけ気持ちが和らいだ。

「ありがとうございました。朝食も頂いちゃって…すごく美味しかったです」

「あら、それは良かったわ。体調が戻ったら、ここを離れる前にまた来てちょうだいね。毎日毎日、男ばっかりだともうー…ねぇ、分かるでしょ?」

 最後はみんなに聞こえないようにそう言うと、小さく〝ふふふ〟と笑った。

 正直〝また〟来られるのかどうかは分からない。でも、気持ちが少し和らいだことで、そうなれればいいな…という思いが出てきたのだろうか。母親の笑顔を受けて、僅かではあるが笑顔で頷くことができた。

「それじゃぁ、おじゃましました」

「気を付けてね」

「はい、ありがとうございます」

 改めてお礼を言うと、心配そうに見送る彼らの視線を背中に感じながら、あたし達は家をあとにした。

 帰りの道は、お互いに無言だった。

 あたしから話しかけることもなければ、向こうから話しかけてくることもない。だからと言って、何か気まずい空気が流れているかというと、そうでもなかった。ただただ、母親に言われた通りゆっくりと歩いているだけで、不思議だけど、そこに余分な感情は感じられなかったのだ。まるで、なんの関心もないかのように…。

 でも、あたしにはそれが救いだった。変に気を使われたりするよりは、ずっと気持ちが楽だったし、何より思考回路が働かないくらい色々と疲れていたから。

 何も考えられないし、考えたくない…。

 ただもうボンヤリと、前に進む為に左右の足を動かしてる…そんな感じだった。だから足元に注意を払えないのも当然で──

「………!」

「……っと、大丈夫か?」

 足を滑らせ転びそうになったあたしを、ランスが咄嗟に支えてくれた。

「…あ、ありがとう…。大丈夫よ、ちょっと足が滑っただけだから…」

「─の割りには、顔色が悪すぎるけどな?」

「………」

「ま、いいけど。無理だと思ったら言えよ? 流石にお姫様抱っこは無理だけど、背負ってやるくらいはできるからよ」

「…そう…ね、ありがと」

 〝お姫様抱っこ〟を口にしたのは、彼なりの優しさなのか…。普通なら〝大丈夫よ〟と言ってしまうところだが、強がらず素直にそう言えたのは、この一言があったからかもしれない。

 思えば、今日は何度も助けられている。最初こそ、〝どうしてランスがここに…?〟と思ったけど、その疑問は既にどうでもよくなっていた。普通に考えれば、出て行くあたしの物音に気付いて後を追ってきたのだろう…というくらいには想像がついたし、他に理由があったとしても、彼が一緒にいてくれて良かった…と思える事に変わりはないからだ。

 ただこの時、あたしは大事な事に気が付いた。

「ねぇ、お願いがあるんだけど…」

「あぁ?」

「みんなには黙ってて、さっきまでの事…」

 そのお願いに、ランスが黙った。

 まぁ、突然理由もなく〝黙ってて欲しい〟と言われれば、誰だってそうなるだろう。でもだからと言って、理由は言えない…。

 当然の如く〝なんでだ?〟と返ってくることを覚悟しつつも、〝できれば何も聞かないで…〟と願いながらランスの返事を待っていると、ややあって返ってきた言葉は、あたしを驚かせるものだった。

「〝みんな〟っていうより、あの〝ラディって男に〟じゃないのか?」

「え…?」

「兄弟なんだろ、あいつらと」

「───── !」

 な、なんでそれを──!?

 あたしの表情から、言葉にならない言葉を読みとったランスが更に続ける。

「あいつらの顔と話を聞いてれば、だいたい察しはつくさ。あいつの家族なんだろうってな。それに、あんたの様子からタフィーの死が原因で弟が喋れなくなったっていうのも、あいつは知らないんだろうってことも。そこにきて、〝黙ってて欲しい〟って言われたら──」

「ちょ、ちょっと待って…!」

 思わずランスの腕を掴み、言葉を遮った。

 話している内容が、まさに〝言えない内容〟だった事はもちろん、それ以上に驚いたのは、彼が絶対に知らないことまで口にしたからだった。

「どうしてタフィーの名前を…彼女が妹だって知ってるの!? もしかして、あんたもタフィーの──」

 〝死人の姿が見えてたの!?〟

 ──と続けようとしたところで、

「あんたが言ったんだろ?」

 ─と今度はランスに遮られ、思わぬ返事に拍子抜けした。

「あ…あたしが…?」

「崖から落ちそうになった時、〝タフィー!〟って叫んだだろ。覚えてねーのか?」

「あ……」

 そう…言えば、思わず叫んだような──

「でも…妹だってことは─…」

「だから、話とあんたの態度を見てれば察しがつくってーの。…まぁ、時には自分の意図しないところで分かったりすることもあるけどな…」

「え…?」

「いや…」

 最後の言葉は、どこか物憂げでひとり言に近いものだった。少々気にはなったが、それ以上に気になったのは─

「もしかして、ラスター達にもあたしの声が──」

「まぁ、聞こえただろうな」

「───── !」

「ただし、〝声〟としてだけだけど」

「………?」

「〝言葉〟として聞こえてたら、あんな態度で済むと思うか? あいつの兄弟だぞ?」

 それはつまり、単純明快、ウソがつけないラディの兄弟なら、もっと動揺して色々聞いてくるだろう、という事だった。それが、数日前に会っただけのランスでさえラディの性格を把握できるくらいなら、よっぽどという事。

 確かに、そう考えればそうだ。いくら似てるとはいえ、みんながみんなラディと同じ性格ではないだろう。でも、少なくともウソをついて平気でいられるような性格じゃないというのは見ていて分かる。それはきっと、頭じゃなく心で…。

 そう思うと、少し心が落ち着いた。

「そうね…。とにかく、その時が来たらあたしから言うから、それまで──」

 〝黙ってて〟

 ──と再度続けようとした時だった。

 突然、煙のような闇が勢いよく広がり目の前が真っ暗になった。久々の事で一瞬ビックリしたけど、すぐに〝あれだ…〟と理解できたから、咄嗟に倒れないよう離しかけていたランスの腕をギュッと掴んだ。

「お…い…?」

「ごめん、しばらくこのままで…」

 早口にそう言うが早いか、周りの音が遠ざかると、目の前の暗闇にボウっと何かが見え始めた。その何かは、次第に色を帯び始め形作られてくる。

 あれは…水色…? ううん、青色だわ。鮮やかで光沢のある青…そして、柔らかい布だ。

 青い布はどこかに掛けられているのか、半分から折られ、僅かに下の方が揺らいでいた。そして次に、その周りも色が浮かび始める。白だと思ったその色は、少しずつ黄色がかって、最後には肌色の指がハッキリと映し出された。

 手ね…。青い布を持っている手なんだわ。でも、誰の手…?

 形や大きさから男性だというのはなんとなく分かったが、何故かそれ以上は見えてこない。

 そのうち、ゆっくりと握りしめたと思ったら、突然フッと闇が消えてしまった…。同時に現実の音と光が戻ってきたが、その僅かな瞬間に、あたしは不思議な感覚に襲われた。何かを思い出しそうな、どこか懐かしい感覚…。

 なんだろう、これは…。

 不思議な感覚と、今までと比べてずっと短く見えにくい映像に疑問が残りつつも、視界が戻った事で、ようやくランスの腕を掴んでいた手から力が抜けた。

「ありがとう…ちょっと目眩がしたから……」

 実際、目眩なんてしてない。でも〝暗闇が…〟と言うよりはずっとマシだと、それらしい事を言い顔を上げたのだが…。あたしは、その強張った彼の表情に驚いた。

「ちょっと…どうしたの、ランス? 大丈──」

「あ…んた…」

「え…?」

「あんた…人…」

「ひと…? 人がなに、どうしたのよ?」

 ひどく動揺し、数歩後ずさったランス。その目には、何故か恐れや軽蔑といったものまで浮かんでいるように見えた。

 何故そんな目で見るのか分からないが、胸の奥がズキンと痛む。

 一歩でも近づけば…ううん、声をかけただけでも、そのまま背を向けて去っていきそうな雰囲気だ…。

 ランス…。

 あたしは訳が分からず、ただただ、その場で立ち尽くすしかなかった。

 ──そんな時だった。

 居たたまれない空気を裂くように、凛とした声が響いた。

 仲間に知らせるような、長い遠吠え…。

 ──ルーフィンだ。

 どこから…と辺りを見渡せば、川上の、ちょうど大きな岩の上に立っていた。

 この状況に彼が現れてくれたのは、正直救いだ。

「ルーフィン!」

 あたしは、〝ここよ!〟とばかりに大声で叫んだ。その声に気付いたルーフィン。すぐさま岩を飛び降り、あっという間にあたしの元に走り寄ってきてくれた。

 その場でしゃがみ込みルーフィンの首に抱きつくと、あたしはルーフィンに話しかけた。

『来てくれたのね、ありがとう』

『みんな、心配して探していますよ。──それより、大丈夫ですか?』

『大丈夫よ。どうして…?』

『また、目の前が真っ暗になったんじゃないですか?』

『どうしてそれを──』

『感じるのです。ルフェラが暗闇に包まれた時、不思議な力が…。おそらくネオスも感じているはずです』

『ネオスも…?』

 思ってもない影響に少々驚いたが、今は〝あぁ、それで…〟と納得した事があった。目の前が真っ暗になると、真っ先にルーフィンが駆け寄ってきたのはそういう事だったのか…と。

『ありがとう、ルーフィン。いつも心配してくれて…』

『いえ、そのくらいしかできませんから…』

『そんな事──』

『いいんです。だからこそ、ネオスがいるのですから。──とにかく、ネオスを呼んできますね』

 そう言うと、あたしの返事を聞かぬまま元来た道を掛け戻っていった。

 ランスもいるし、このまま一緒に戻れば済む事なのに、わざわざネオスを呼びに行ったという事は、おそらくルーフィンは気付いてるのだろう。あたしが今、立つ事もままならないほど疲れきっているという事を。ならば、ランスに背負ってもらう方法もあるのだが、できるなら自分の足で…というあたしの性格をよく知ってるが故に、ネオスを呼びに行ったのだ。〝例の力〟を使うために…。

 案の定、しばらくしてルーフィンがネオスを連れて戻ってくると、先にランスを帰らせ、ネオスが宵の煌を使ってくれた。

 そうして何とか自分の足で家まで帰り着くと、あたしはそのまま部屋の布団に倒れこんだのだった。


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