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女神伝説  作者: Sugary
第七章
101/127

3 二人の過去と招かれざる尋ね人 <1>

「んふふふふ~♪」

 それは全ての家事が一段落した午後、突然ミュエリから発せられた含み笑いだった。しかも、その視線はあたしに向けられている。

「何よ、突然?」

 こういう含み笑いはロクなものじゃない。特に、〝彼〟が部屋に戻っていったのを確認するや否や発せられた含み笑いは。

 そんな〝待ってました〟とばかりのタイミングに、いつにも増して嫌な顔をして見せれば、

「一目惚れよ」

 全くもってそんなことは気にしない、と自分の言いたい〝結論〟を口にした。そして、更に言葉を付け足す。

「彼──…ランスは、あなたに一目惚れしてるわ」

 その自信たっぷりな目が、〝間違いなく〟と言っていた。

 まぁ、何でもかんでも恋愛に結びつけるミュエリの事だから、今朝の一件でそう思うのも当然と言えば当然なのかもしれないが…。

 ただあたしは、それがあり得ないと思うほど別の印象を持っていた為、小さな溜息をついた。その反応に、ミュエリが不満な顔をする。

「何よぉ、その溜息は?」

「呆れてんのよ。たったひとつの事で、恋だの愛だのって騒げるその単純な発想にさ」

 敢えてミュエリの機嫌を損ねさせ、この話題を逸らそうとしたのだが…。機嫌を損ねるどころか、反対に勝ち誇ったような笑顔を向けられてしまった。

「だから、あなたは恋愛に疎いままなのよ。──いい? だいたいね、人を好きになる感情の仕組みは単純なものなの。〝こういう所が好き〟とか、〝こういう人だから好き〟っていうのはあとからハッキリするもので、大抵は感情が先行するのよ。気付いたら惹かれてた…って具合にね。まぁ、一目惚れの場合は、感情と同時に理由がハッキリするんでしょうけど。──分かる?」

「……………」

 そんな、子供にするような説明に少々悔しい思いをしつつ、それでもその説明は間違ってはいないわけで…あたしが無言で頷けば、更に笑みを増して〝それにね…〟と続けた。

「好きになった時の行動っていうのも、単純なものなのよ? あなた、私が〝たったひとつの事で、恋愛に結び付けてる〟って言うけど、ちゃんと、それに伴う行動も確認してあるんだから」

「それに伴う行動…?」

「そうよ。実は彼──」

「ルフェラさんのことずっと見てたわよね?」

 ミュエリの言葉を遮って代弁したのは、それまでずっと黙って聞いていたリアンだった。それは悪気があって遮ったのではなく、〝私も気付いてたわ〟という同調の意の主張だった。

 もちろん、そんな突然の主張に驚いたのは あたしとミュエリで…けれど流石というべきか、ミュエリはすぐさまこの話題に彼女を引き込んだ。

「そう、そうなのよ! やっぱり、リアンさんも気付いてたのね、流石だわ。──それで、いつから?」

「えっと…そうね、朝御飯を食べたあとくらいかしら。後片付けとか、他の仕事でみんなが動くようになったでしょう? その時…もしかしたら彼、この慌しさに紛れてまた出ていこうとするんじゃないかって思って…。それで気になって何度か見ていたら、今度は彼がルフェラさんの事をずっと見てることに気がついて…。──ミュエリさんは?」

「んふふふ~♪ 私はねぇ、朝御飯を食べてる時に気付いちゃった♪」

「え、うそ? そんなに早く?」

 驚くリアンに、ミュエリが誇らしげに頷いた。

「彼、殆ど喋らないし、ずっと俯き加減で顔を上げようとしなかったじゃない? 私、ああいう人を見ると、無性に顔を覗きこみたくなるっていうか…。ほら、ルフェラに抱きついたっていうのもあったから、どういう心境なのかな~って、すごく気になったのよ。でも、だからといってそのまま覗きこむわけにもいかないし……。しょうがないから、みんなのお代わりをよそいつつ、チラ、チラ…ってね」

 そんな最後の説明に、あたしはハッとした。それまで分からなかった謎が、一瞬にして解けたからだ。

「あんた、それでみんなの世話焼いてたの!?」

「そうよ」

「それだけの為に!?」

「あら、失礼な言い方ね? 大事なのは、自然な振る舞いで、相手にそれと気付かれずに情報を得ることなのよ? 恋を制すには、そういう技術も必要なの。そのお陰で、彼があなたに一目惚れしたってことも分かったんじゃない」

 〝感謝しなさいよ?〟とでも言いたげなその口調に、あたしはもう、ただただ呆れるしかなかった。

 鍋なんて、自分の好きなものを好きなようによそって食べるのが普通なのに、今日は珍しく──というよりは初めて──ミュエリがみんなのお代わりまで世話をしてたのが、どうも理解できなかったのだ。それがまさか、人の顔を覗き見るための手段だったとは…。

「それからもうひとつ、これが決定的なことなんだけど──」

 呆れるあたしをよそに、ミュエリが更に続けた。

「彼、あなたの言う事だけは素直に聞くのよねぇ」

「はぁ?」

 なに言ってんのよ…と眉間にシワを寄せたあたしとは逆に、リアンからは〝あ…〟という声が漏れた。

「そう言えば、さっきも…。ルフェラさんが言った途端、素直に部屋に行ったわ」

「でしょ? あれだけ私たちが、〝御飯を食べたら、もう一度休んだ方がいいわよ〟って言っても聞かなかったのにねぇ~。それに、家を出て行くって言って聞かなかった時も、ルフェラが一言発しただけで、それに従ったし。これはもう、絶対〝あれ〟に間違いないわね」

「〝あれ〟に間違いない…?」

 リアンが疑問口調で繰り返せば、ミュエリが〝そっ〟と自信満々で頷き、次いで指を付きだした。ズバリ──

「恋の奴隷よ!」

 ……………。

 …呆れた。あまりにも呆れて、危うく気を失いそうになったわよ。

 一瞬、リアンも言葉に詰まったのだが、それもまたあたしとは逆に、何故か〝まぁ…〟と感嘆の声を上げたから、更に力が抜ける。

 あたしは、そんな恋話に盛り上がる二人を横目で見ながら、反比例する気持ちを確かめるように今朝の事を思い出していた。



「…っせーな! ほっとけっつってんだろ!!」

 ─────!?

 突然の怒鳴り声に、あたしは驚くように目を覚ました。

 な…に…?

 初めて聞くその声に、一瞬、夢なのか現実なのか分からなかったが、すぐにミュエリがやってきた為、夢でない事を知った。

「ちょっとルフェラ…あなたからも何か言ってやってよ、彼に…!」

「…彼…?」

「昨日、雪の中で倒れてた彼よ!」

 あたしは、その言葉に飛び起きた。

「…目を、覚ましたの!?」

「えぇ、少し前にね。なのに、〝今すぐ出ていく〟だなんて…!」

「出ていく…? だって、体が──」

 言い掛ければ、ミュエリが〝そうよ〟と頷いた。

「そんな体で出ていってもまたすぐに倒れる、次は命を落とすかもしれないのよ…って言ったんだけど、〝ほっといてくれ〟の一点張りで……。あとはもう、彼の命を救ったあなたが言うしかないでしょ?」

「救った…って、あたしは見つけただけで…」

「結果、同じ事でしょ? とにかく、自分の命を救ってくれた人の言葉なら聞かないわけにはいかないんだから。ほら──」

 ミュエリは〝早く来て〟と、言葉の代わりにあたしの手を引っ張って急かした。

 〝命を落とすかもしれない〟と言われても聞かない人間に、〝見つけた〟というだけのあたしが言ったところで、素直に聞くとは思えない。ただ、目を覚ましたのなら、それなりに元気になってもらいたいと思うのは当然の事で…。ミュエリに引っ張られながらも急いで部屋を出ようとすれば、

「ほっとけねーから、止めてんだろうがよ!?」

 ほぼ同時に聞こえたのはラディの声だった。しかも、そこにいたのはラディだけじゃない。既に、あたし以外の全員が起きていて、出て行こうとする〝彼〟の説得に当たっていたのだ。ただし、ここからでは〝彼〟の姿が見えなかったが…。

 バーディアさんとリアン──そして居場所的にそこにいたルーフィン──が、入り口の前で立ち塞がり、方向からいって、〝彼〟の一番近い場所にはラディとリューイが立っていた。強行手段でも取ればすぐに飛びかかれるような、そんな距離なのだろう。

 ネオスはラディたちの少し後ろに立っていて、そんな乱闘でも起きれば止めに入れる距離にいた。そして最も冷静だったのは、やはりというべきか、イオータだった。一番奥の部屋で寝ていた彼は、その部屋からすぐの扉でもたれるように傍観していたのだ。

 反対側で、ひとつ手前の部屋から出てきたあたしと目が合うと、〝さぁ、どうする?〟とばかりに視線を送ってきた。

 その、〝彼〟の説得に加わる気もなければ、乱闘が起きても仲裁に入る気のない距離感に、あたしは小さな溜息をついた。

 なんで、あんたが説得しないのよ…?

 見つけたあたしが言うよりも、変化球を得意とするイオータの言葉の方がずっと説得力があるはずなのに…。

 そう思いつつも言葉にしないのは、言っても無駄だというのはもちろん、言ってる場合でもなかったからだ。

「そんなの知るかよ!? だいたい、お前らには関係のないことだろ!」

「関係あるに決まってんだろ! 雪ン中で倒れてるお前を連れてきたのはオレらなんだぞ!?」

 その言葉を聞いた途端、〝彼〟が〝ハッ!〟と嘲笑った。

「なんだよ!?」

「助けてやったんだ、って恩を着せたいだけかよ?」

「ンだと──」

「それで何を要求しようってんだ? 金か? それとも、お前らに服従しろとでも言うのかよ?」

「おいおい、落ち着けって。別に、恩着せようとかそういうつもりで言ってんじゃ──」

「あるわよ!」

 あたしは、思わず落ち着かせようとしたリューイの言葉を遮った。〝恩を着せたいだけかよ?〟という〝彼〟の言い方に腹が立ったからだ。

 突然 割って入った声にみんながあたしの方を振り向けば、その動きで、ようやく視線の先に〝彼〟の顔が見えた。彼は自分が発したにも拘らず、否定しなかったあたしの言葉が意外だったのか、ひどく驚いているように見えた。が、あたしは構わず彼のもとに歩み寄り、続けた。

「あなたが助かったのは、ここにいるみんなのお陰なんだから。これでもかっていうぐらい、恩着せがましく言うわよ。それで、あなたが出て行かないって言うんならね。でも、それでも出て行くって言うんなら……────ッ!?」

 〝納得する理由を聞かせてちょうだい〟

 そう続けようとしたあたしは──いや、あたしだけでなく他のみんなも──直後の思いもよらぬ彼の行動に心の臓が止まりそうなほど驚いた。なぜなら彼は、あたしに近付くなりいきなり抱き締めたからだ。しかも、思いのほか強い力で。

 あまりにも突然の事で声も出せないでいると、

「………った……」

 ふいに耳元で震えるような声が微かに聞こえ、〝え…?〟と、思わず顔を動かせば、再び同じであろう言葉が聞こえた。

「…よかった……」

「…………?」

 よかった…?

 な…に…? それってどういうこと…?

 それは、あたしにしか聞こえないような小さな声だったが、わけが分からず呆然と立ち尽くしていた光景が、ある人物を我に返らせることとなった。──そう、ラディだ。

「て、てめぇ…い、いきなりなにやって──…こら、離れろっ! ルフェラから離れやがれっ!!」

「…ルフェ…ラ…?」

 無理やり引き剥がされた彼が少々驚くように呟けば、

「てめぇが呼び捨てにすんな! オレのルフェラだぞ!」

 ──と、どさくさに紛れてなにやら余分な言葉を付け足したではないか。

「ちょっと、ラディ──」

「よし、こうなったらもう止めてやんねぇ! 出ていきたいならとっとと出てけよ! こんな危険人物、ルフェラの傍に置いておけるかっ!」

「ラディ!」

「なんだよ!? あいつはお前に手を出そうとしたんだぞ!? このままここに置いておいたら──」

「だとしても、あたしはあんたの彼女じゃない」

「…う…ぐ……」

 つまり、〝ラディが口出すことじゃない〟という意味なわけで…案の定、ラディは黙ったのだが。

 なんでこんな会話で黙らせなきゃなんないのかしらねぇ…。

 あたしは、呆れながらも気持ちを切り替えるように息を吐き出すと、再び、彼に向き直った。

「──それで? 命を危険にさらしてまで出て行く理由があるわけ?」

 改めてそう質問すれば、

「…別に…それは……」

 さっきまでの勢いはどこへやら…。〝特に理由がない〟との答えに、あたしは更にピシャリと言い放った。

「だったら、命を無駄にするような事はしないで」

 そんな一言、もしくは口調が効いたのか、ややあって、彼は大人しくその場に腰をおろしたのだった。



 それでようやくみんなの緊張が解け、お互いの自己紹介から、彼が二十一歳でランスという名である事を知ったのだが、それ以上のこと──ミュエリの得意分野以外──は未だに聞きだすことができないでいた。

 ただ今朝の事を思い返してみたあたしは、彼が漏らした 〝よかった…〟 というあの言葉から、改めてミュエリ達の〝推測〟に疑問を強くしたのだ。

「それはそうと、リアンさん。雪女の仕業って?」

 あたしは未だ盛り上がる恋愛話を終わらせようと、敢えて話題を変えてみた。もちろん、しょうもないことではミュエリの気は逸らせない為、あたしだけではなく彼女も昨日から気になっているであろう内容だ。すると思惑通りの反応が返ってきた。

「そうそう! それよ、それ!! 雪女って本当にいるの、リアンさん!? 私はてっきり、昔の人が雪山は危ないから簡単に入るな…って教える為の作り話かと思ってたのよ。なのに、まさか本当に雪女がいるなんて──」

 ──とこまで言ったところでリアンがクスッと笑ったから、あたしとミュエリは顔を見合わせた。

「ふふ…ごめんなさい。だって、あまりにも私と同じこと言うから、つい…」

「リアンさんと…?」

「…同じこと?」

「えぇ」

「…………?」

 いまいちそれがどういうことか理解できず、再びミュエリと顔を見合わせれば、彼女の次の言葉に驚いた。

「私も彼と同じ──…雪の中で倒れてるところを、バーディアさんに助けてもらったから…」

「え…うそ、いつ!?」

「どうして…?」

 ほぼ同時に返した質問は違うものだったが、ひとつ共通していたのは、もともと彼女がこの家の人ではない…ということに気付いていた事だろう。更に言えば、ここに嫁いできたのでもない、ということも。

 まぁ…一緒に住んでいながら、おばあさんのことを〝バーディアさん〟と名前で呼んでいれば、誰でも気付くことなのだろうが…。

 それ故、〝この家の人じゃなかったの!?〟という驚きの質問ではなく、〝いつ?〟という、ある意味それは流れに逆らわないものだった。

 リアンは一瞬どちらの質問から答えようか迷ったようだが、すぐに、あたし達から視線を外すと、その時の事を思い出すようにゆっくりと話し始めた。

「もう、二年になるかしら…。ある人をね、捜してたの」

「ある人…?」

「あ、分かった。恋人でしょ?」

 ピンときた、とばかりに人差し指を立てたミュエリ。雪の中で死にかけていたという大変な結末なのに、ここにきても尚、お得意の恋愛話へと結びつけようというのか…。

 あたしは半ば怒りさえ湧き、それを吐き出すようにワザとらしく溜息をついて見せた。──が。

 過去に思いを馳せていた彼女の視線が、一瞬あたし達の方に戻ってくると、とても幸せそうに〝えぇ〟と微笑んだのだ。当然、ミュエリは〝ほらね〟と鼻高々で、一方のあたしは、これでミュエリの恋愛論に拍車が掛かる…とウンザリすると同時に、怒りは一瞬で蒸発していった。

 そして再び、リアンが遠くに視線を移して続けた。

「一緒になろう、って言ってくれたの。でも、ある日突然…彼は私の前からいなくなってしまった。村を出ていったのよ…」

「うそ…どうして…?」

 ミュエリの質問に、リアンは視線を外したまま首を振った。

「分からない…いいえ、その時は分からなかった…。ただ、それから数日経って彼が山賊に襲われて死んだって聞かされたの…」

「そんな…」

「えぇ。私も信じられなかった、彼が死んだなんて…。でも、山の中から持ち帰ったという彼の鞄を見せられた時、その思いは絶望に変わったわ。皮紐は鋭い刃物で切られ、彼が受けた傷がどれほどのものか分かるほど、鞄は真っ赤な血で染まっていたから…」

 既に、ミュエリは言葉を失っていた。

 普通の人でさえ掛ける言葉が思い浮かばないような内容だ。こと恋愛に関して他の人以上に感情移入してしまうミュエリにとっては、まるで自分の事のように感じてしまうのだろう。

 そんな一方で、あたしはひとつ確かめたいことがあった。それは──

「もしかして…山に入ったのは死のうとして…?」

 愛する者を失った後だ。そう考えても不思議じゃない。たとえ目的が復讐だったとしても、その覚悟なしに危険な雪山に入るなんてあり得ないからだ。ただ、質問が質問だけに慎重に聞いてみれば、意外にも、彼女は穏やかな笑みを見せた。

「そうね…。彼の死を聞いた直後なら、そうしていたかもしれないわ。ただ──」

「ただ…?」

「その時に山に入っても、きっと簡単には死ねなかったでしょうね」

「簡単には…ってどういう──」

「夏前なのよ、彼が死んだって聞いたのは…」

「え…?」

「だから、その時に山に入っても、凍え死ぬ前に山を越えちゃってたかも」

 そう言うと、リアンは〝フフ〟と笑った。

 当然のことながら、ここで戸惑ったのはあたし達の方だ。

 ここは、彼女と一緒になって笑うところなのだろうか? いや、そもそも笑って話すようなことなのだろうか…?

 なんだか頭の中が混乱して、どうするべきなのか分からなくなってきた。

 最初は彼を捜して山に入ったのかと思ったけど、その時には既に亡くなっていたわけだし…つまり、一番分からなくしているのは、彼の死と山に入った時期が全く違うということなのだ。

「じゃぁ、どうして冬になってから?」

 戸惑いながらも、浮かんだ疑問を口にしたのはミュエリだった。

「しかも雪山なんて…。そのつもりじゃなかったとしたら、あまりにも危険な──」

「逃げてきたの」

 それは、ミュエリがその後に続けようとした質問の答えだった。いや、正確には答えの〝始まり〟だったのかもしれない。

「──あの日、私は真実を知ってしまったから…」

「…真…実?」

 笑みが消えた彼女の言葉に、あたしの声は少々震えていた。

 この危険な雪山に、敢えて足を踏み入れなければならなかった真実とはいったい何なのか…。しかもそれが〝逃げてきた〟というのだから、想像のつかない〝真実〟に、恐れすら感じたからだ。

 リアンは一度目を伏せると、〝あの日〟の光景が蘇っているかの如く一点を見つめ、そして驚くべき〝真実〟 を口にした。

「彼を斬ったのは山賊なんかじゃなかった…。村人だったのよ。それも…それも、ある人の命令で…!」

「────ッ!」

 〝懐かしさ〟とは一転、まるで今その真実を知ったかのように、怒りや憎しみの感情を露わにした。

 おそらく、彼女はこの真実を過去の事にはできないだろう。たとえ、この先どんなに幸せになったとしても…。

 ──そう思えるほどに強い感情だった。けれど、リアンはすぐに一呼吸おいて気持ちを整えた。

「だから、逃げるようにして村を出てきたの。もちろん、彼らに対して怒りや憎しみがなかったわけじゃないわ。頭に〝復讐〟の二文字が浮かんだのも事実だし…。でも、それ以上に〝もう、ここにはいられない…いたくない…〟っていう思いの方が強かったのね…。気が付いたら防寒着はおろか、灯りすら持たずに夜の雪山を歩いていたわ」

「灯りも…!?」

 ミュエリの驚きに、リアンが〝えぇ〟と頷いた。

「それだけ逃げるのに夢中だったってことね…」

 その表情はもう、懐かしい思い出を語るものだった。故に、過去にできないのはあの真実だけなんだと、改めて思い知らされる。

「──にしても、よく歩けたわね? 転んだりはしなかったの?」

 続けられた質問は、何ともミュエリらしいものだった。ただし、彼女のことをよく知るあたしにとっては、だが…。

 案の定、リアンが一瞬〝え?〟という顔をした。まさか、この話の流れでそこを心配されるとは思わなかったからだ。

 冗談なのか、それとも純粋な疑問なのか…。見極めるようにミュエリを見つめたが、すぐに〝クスッ〟と肩を揺らした。どうやら、後者だと分かったらしい。

「えぇ、もちろん何度も転んだわよ。──というより、転びながら殆ど手探り状態だったかしら。その日は朝から雪が降っていて、どこからが道で、どこからがそうでないのか全然分からないんだもの。でも、正直そんなことはどうでもよかったわ。とにかく、そこから少しでも遠くに行きたい…その一心だったから…」

 ここでふと、あたしは何の意図もなく彼女の村が近いのか遠いのかが気になった。

「どのくらい歩いていたの?」

「朝までずっとよ。それだけ歩けば山のひとつくらいは越えられる…ううん、せめて越えられそうな目度くらいはつくはず…そう思って頑張ってたんだけど…。フフ、そんなのできるわけなかったのよね。だって、ようやくまともに歩けるようになったのは、周りが明るくなってからなんだもの。しかも、辛い現実と戦わなければならなかったし…」

「辛い…現実…?」

 ミュエリが繰り返した。

「──睡魔よ」

「あ、あぁ~…」

 思ってもみなかった──けれど、考えれば当然の答えに──あたし達は力が抜けた。

「明るくなって周りが見えてくると、ホッとすると同時にそれまでの疲れや眠気が一気に襲ってきたの。それはもう、少しでも休んだら、たとえ日中でも二度と目を覚まさない…そう思えるほどに、ね。だから歩いたわ。歩いて、歩いて、歩き続けた。止まったらダメ、止まったら死ぬのよ…って自分に言い聞かせながら。だけど、思うように体が動かなくなって何度も膝をつくようになると、そういう心まで折れてきちゃって…。そんな時にね、現われたのよ、彼が」

「……………!?」

「……………!?」

 驚くあたし達を目にして、リアンがまたクスッと笑った。

「それまで逃げることに必死で、彼の事すら忘れていたっていうのにね…。ダメかもしれないって思った途端、まるで〝諦めるな、生きるんだ〟って言うかのように私の意識に現れるんだもの…。なんだかすごく彼に会いたくなって…。気が付いたら彼の存在を追うようになっていたの。もちろん、頭では分かっていたわよ。追いかけたところで会えるわけない、って…。でもね、追わずにはいられなかった…。だって、その時の私には、彼の存在が必要だったから」

 〝分かるかしら?〟

 言葉にはしなかったが、そう問いかけるような眼差しだった。

 確かに、ここまで聞いて分かったことはある。山に入った時、既に彼はいなかった。にも拘らず、なぜ最初に〝彼を捜していた〟と言ったのか。そして、生きて雪山を越える為に、どれだけ必死になっていたのかを。

 だけど…だけど、あたしに分かるのはそこまでだ。いくら彼女の身になって考えても、本当の辛さや心情までは理解できるわけがない。ましてや、亡くなっている人を本気で捜すほどギリギリの心理状態だなんて…。

 当然、想像すらできない経験の違いに分かった振りして頷けるはずもなく…あたしとミュエリは、ただただ視線を落とすしかなかった。

 そんなあたし達の姿に、リアンが気を使ったのだろう。沈み込んだ雰囲気を吹き飛ばすように、明るい口調で続けた。

「でも、ダメな時はダメなのよね。結局は体の正直さに勝てなくて、気が付いたら彼と同じようにこの囲炉裏の側で寝かされてたの。その時よ。バーディアさんが目を覚ました私に気付いて、こう言ったのは」

 そこで一呼吸置くと、リアンはバーディアさんの口調を真似た。

「〝おなごが、雪女の誘惑に勝てるわけなかろうに?〟って。もう、ビックリしたわ。だって、自分の置かれている状況さえ把握できていないのに、言われた第一声がそれなんだもの。正直、言ってる意味がよく分からなかったわ。でも何故か、〝雪女〟っていう言葉だけは理解できて…だから、ビックリして思わず聞き返していたの。〝雪女って…作り話じゃなくて、本当にいるんですか!?〟って。フフフ。──ほら、ね?」

 一瞬、何が〝ほらね?〟なのか分からなかった。というより、何がどうなってこんな辛い過去の話になったのか…そんな疑問も浮かばないほど彼女の話に聞き入っていた為、思い出せなかったのだ。けれど、雪女の話と──特にミュエリに──同意を求めるようなその目に、ようやく、何の話をしていたのか思い出した。

 それにしても、〝同じことを言うからつい…〟と可笑しそうに笑うその背景に、まさかそんなことがあったなんて…。当然、〝ほんと、同じね~〟なんて笑える心境になれるはずもなく…ただ、元の話に戻ったことで気持ち的にはホッとした。

「それで、バーディアさんは何て?」

 久々の質問に、リアンがまたクスッと肩を揺らした。そして、答える。

「大笑いされたわ」

「大…笑い…?」

「それってつまり、嘘だった…てこと?」

 重苦しい空気が和らぎ、ようやくミュエリが話に加わった。

「嘘というより、雪女の存在そのものを言っていたわけじゃない…ってことかしら」

「……………?」

「……………?」

「フフフ。つまりね、雪の寒さに負けてしまう事を、バーディアさん流の言い方で〝雪女の誘惑に負ける〟って言ってたの」

 そう言われて、あたしは〝なるほど〟と思った。だからバーディアさんはリアンにああ言ったのだ、と。

 そして、リアンがまさにその〝なるほど〟を説明した。

「ほら、考えてもみて? 普通、雪女が誘惑するのって男でしょう? 女を誘惑するなんて言わないし…だとしたら、女に雪女の誘惑は効かないとか、誘惑に勝てる…って言ってもおかしくないのに、バーディアさんは〝おなごが勝てるわけない〟って言ったのよ?」

 そう、つまりそういう事なのだ。体力的に勝る男でさえ命を落とすような雪山に、女が──それも、何の準備もなしに──勝てるわけがない、と。

「もう少し余裕があったら、その言い回しに気付いたのかもしれないけど──」

「ムリよ、ムリ。絶対ムリ」

 リアンの言葉を遮って大きく首を振ったミュエリは、既にいつもの彼女に戻っていた。

「あら、やっぱりそう思う?」

「もちろんよ。余裕も何もそんな独特な言い回し…話を聞いてただけの私たちだって気付かないのに、目覚めたばかりのあなたが気付くわけないわ。それに、誘惑に負けるってことは、死ぬかもしれないってことでしょ? 少なくとも昨日のおばあさんの口調に、そんな緊張感は感じられなかったわよ?」

 〝そうよね?〟と同意を求めるミュエリに、あたしは無言で頷いた。

 確かに、あたし達の緊張感とは裏腹に、バーディアさんは笑っていた。それも、恋愛に対して〝まだまだ青いのう〟とでも言うかのような、そんな軽い口調で。

 ただ、だからと言うべきか。そんなバーディアさんの慣れた態度や昨日のリューイの言葉、そして家の間取りから感じた〝なんとなく〟という思いが更に強くなったのだが…。

「ここは、診療所か何かだったの?」

 自分的には繋がりのある質問だったが、リアンは少し突然だったのだろう。一瞬、〝え?〟という顔をしたが、それでもすぐに〝あぁ〟と理解した。そして、あたし達が一段落する少し前から出かけて行ったバーディアさんの姿を思い出すように、ゆっくりと視線を玄関に移した。

「そうね…。少なくとも、バーディアさんはそのつもりだったらしいわ」

「少なくとも…?」

「その…つもり?」

 これまた理解できず、あたしとミュエリは今日何度目かとなる顔を見合わせた。そんなあたし達に、リアンが問いかける。

「この家…山の中に一軒だけって、変だと思わない?」

 そう言われて気付けば、確かに…と思った。診療所なら周りに家があってもいいようなもの。いや、それどころか、みんなが行けるくらい村の中にあるのが普通なのだ。

「村が、無くなった…?」

 同じく〝変さ〟に気付いたミュエリが、ひとり言のように呟けば、リアンの答えは〝いいえ〟だった。

「村はあるのよ。昔も今も、家の外を流れる川をしばらく下ればね」

 ──ということは、村から離れているだけ?

 そう心の中で疑問に思うや否や、リアンの口から驚く〝答え〟を聞かされた。

「私は彼…リューイから、彼はバーディアさんから聞いた話なんだけど…元々ここは、〝隔離小屋〟という名の〝捨て小屋〟だったらしいの」

「捨て小屋…? 捨て小屋…ってまさか──」

「えぇ、そのまさか。人間よ」

「────!!」

「昔、治療薬もなく、感染したら死を待つしかないという恐ろしい病が流行って…その時に感染を恐れた村人たちがこの家を作ったらしいの」

「感染した人を…ここに捨てるために…?」

「えぇ」

「そんな…ひどい…」

 思わぬ展開に、ミュエリが再び言葉をなくした。

「本来の目的は単純に〝隔離すること〟だったんでしょうけど、治療薬がない段階で彼らに近づく人はいないわ。結局、隔離されたらそれっきり…見捨てられたのと同じことだったのよ。感染を恐れ、泣く泣くここに連れてくる家族もいれば、感染した本人が周りに迷惑を掛けたくないと、自らここに来た人もいたって…。ほんと、ひどい話よね…。ひどい話だけど、皮肉なことに感染の広がりはそれで抑えられたって…」

「…じゃぁ、バーディアさんはその時から?」

 リアンは、少々伏し目がちに首を振った。

「その頃のバーディアさんはまだ幼くて、捨て小屋の存在をハッキリと理解したのは、それから何年か経ってから。それも、自分を可愛がってくれた近所のおじいさんのことがきっかけだったらしいわ…」

「近所のおじいさん…?」

「そう。家族のいないおじいさん…。体の弱かった奥さんは子供を産むのがやっとで、我が子を胸に抱いた途端、安心したのかそのまま息を引き取ったそうよ。その上やっと生まれた娘まで流行り病で幼くして亡くすなんて…。だからなのね、近所にいたバーディアさんをことのほか可愛がってくれたらしくて…。でもある日 突然〝そろそろ家族に会いに行こうと思う〟って言ったらしいの。家族なんていないし、なんだかすごく嫌な予感がしてたら、案の定、数日後には見かけなくなったって…」

「亡くなった…の?」

「いいえ。おそらく、その時はまだ…。でも、死期が近づくと、本人にはなんとなく分かるものなのね…。見かけなくなったのを機に親に尋ねれば、最初は渋っていたものの、〝きっと自ら捨て小屋に行ったんだろうって…〟って…。〝隔離小屋ではなく、〝捨て小屋〟と言うのを聞いたバーディアさんはようやく理解したのよ。隔離小屋が、今や病気で死を待つ人や身寄りのない人までもが捨てられる場所になっていることを…」

「そんな…」

「…ショックよね、そんな現実。それがまだ子供だったバーディアさんなら尚更…。あまりのショックに、その夜から熱を出して数日寝込んだそうよ。でも熱が下がると急におじいさんの事が心配になって、気が付いたらこの家のドアを叩いていたって…」

「…それで、おじいさんは…?」

 あたしの質問に、リアンが静かに首を振った。

「数日前に亡くなって、既に弔われていたそうよ」

「…そ…う…」

「おじいさんね、最後までバーディアさんの事を話していたんですって。とても楽しそうに、そしてとても幸せそうに…。その場にいた人は、みんなバーディアさんに会ってみたくなったって…」

「それを聞いたら、余計辛かったでしょうね…」

「えぇ…。バーディアさんにとっても、おじいさんにとっても、そしてその場にいた人たちにとっても…。一番会いたい、会わせてあげたいと思っている人に会えなかったんですものね…」

「……そんなの…そんなの悲しすぎるわよ…! さよならも言えないなんて…」

「ミュエリ…」

 言葉をなくしても、限界を超えると悲しみは怒りに変わるのだろう。涙を流しながらも、今更どうにもならない過去の者たちへその怒りをぶつけた。

「おじいさんもおじいさんだわ。そんな曖昧な言葉だけ残して消えちゃうなんて…。死ぬかもしれないと思ったら、周りにそう言えばいいじゃない! そうしたら、身寄りがなくても誰かしら気にかけてくれる…。おばあさんだって、最期にはちゃんと 〝さよなら〟 って言えたはずよ!」

「それはそうだけど…何もおじいさんに当たらなくたって…。それに、周りに心配かけたくないって思う人がいるのも事実だし──」

「そんなの嘘よ! どんなに強がっても、最期は必ず心細くなったり、寂しくなるものなの! 思い出を楽しそうに話してたなんて、寂しさを紛らわしていた証拠じゃない!」

「それは…」

「それに…それに一番腹が立つのは、村の大人たちよ! 隔離小屋の現実を見て見ぬ振りして…なに当たり前のように受け入れちゃってるわけ!? 困ったことがあったら助け合うのが普通でしょ!? なのに、なのに──」

「その通りよ」

 怒りの収まらないミュエリの気持ちを、リアンが冷静に受け止めた。

「バーディアさんも同じ気持ちだったの。おじいさんに会えなかった悲しみ、子供故に無力で何もできなかった悔しさ…そして、自分の親を含めた大人達が、〝捨て小屋〟を当たり前のように受け入れていた事への怒り…。でもね、それ以上に感動した事があるそうよ」

「感動…? それって、突き放される意味の〝勘当〟じゃなくて…?」

 意外な言葉に、ミュエリがそれまでの怒りを忘れたように聞いた。

「えぇ、良い方の〝感動〟」

「どうして? 何に感動したの?」

「それはね、ここにいた人達の姿よ」

「ここにいた人達の…姿…?」

 リアンがゆっくりと頷いた。

「病気の人、体が弱ってる人…ここに集まるのはそういう人達ばかりでしょう? でも、ここには思いやりが溢れていたの。少しでも体が動く人は、そうでない人の世話をしていた…。食事を作ったり、食べさせたり、体を拭いたり…そして、最期を看取り、弔うまで…。誰が亡くなっても、それは自分の近い未来の姿だから、愛しくすら思えたのかもしれないわね…。そして、自分の最期もそうであるようにと願って…」

「自分の近い未来の姿って…遅かれ早かれ人は死ぬわ。村の人達にとっても、未来の自分の姿には変わりないのに…」

「それに気付けなかったのよ、きっと…。若かったり、健康だったりすると〝死〟というものが自分とは関係ないと思ってしまって…。でもそういった人たちが最後にここに来た時、初めて自分たちが間違っていた事に気付かされたんじゃないかしら。だから、ここには思いやりが溢れていた…。〝思いやりの連鎖〟 が続いていたんじゃないかしら」

「だったら、誰か村に戻って〝間違ってる〟ってことを教えたら良かったのに…」

「そうするには、時間も体力も、そして人数も少なかったのよ」

「人数…?」

「えぇ、そう。もし戻ることができても、その人数は一人、ないし二人…。命短い老人が間違いを正そうとしても、聞く耳を持つ人が何人いるのか…。結局、どんなに正しいことを言っても、どんなに真実を伝えようとしても、村人の〝多数派〟というのが壁となって伝わらなかったと思うわ」

 その説明に、ミュエリが小さな溜息を付いた。

「…確かに…どんなに正しいことを言っても、少数派の意見って取り上げられないことが多いものね…」

「えぇ、残念ながら…」

「──じゃぁ、伝わったのはなぜ?」

 これは、あたしの質問だった。リアンの説明に納得すればこそ、現在の状況から言って、間違いなくそれが伝わっていると思うからだ。

 その質問に、リアンが〝よく聞いてくれたわ〟とでも言うかのような笑みを見せた。

「そこで、バーディアさんよ」

「バーディアさんが? どうやって…?」

「その日から、親の目を盗んではここに来て世話をしていたの。ほら、老人は知識の塊でしょう? 薬草に詳しい人には薬草の、料理の上手な人には料理を…可能な限り、世話をしながら学んだそうよ。そのうちバーディアさんが大人になると、それらの知識が役に立って、ここに来た人の病気が治って村へ帰れるようになったの。一人、また一人と…その数が多くなるにつれて、それまでの〝捨て小屋〟というイメージは薄れていったそうよ。ただ、病気を治そうとここに来ても、最期を看取ることになる人がいるのも現実でね…。それでもバーディアさんは、最後の人がいなくなるまで世話をし続けたんですって。今ではこの小屋のことも忘れられつつあるみたいだけど…でも時々、バーディアさんを頼って薬をもらいに来る人はいるのよ」

「凄いのね、おばあさんって…。凄すぎて、何て言っていいのか……」

「そうね…ほんとに凄いわ…」

 〝色んな意味で、バーディアさんもリアンさんも…〟

 あたしはそう心の中で付け足し、ミュエリに同意した。

「フフフ。でもね、バーディアさん曰く〝単なる世話好きばばぁ〟だそうよ?」

「世話好きばばぁ…って…やだ、そんな次元の問題じゃないわよ、おばあさんのやってることって」

「もちろん、私もそう思ってるわ。でもいいのよ。バーディアさんが世話を焼くのが好きなのは事実だし、何より今は、若くて元気なあなたたちの世話をして張り切ってるのが、とても幸せそうだもの」

 それはもう、バーディアさんがしてきたことを〝世話好き〟という一言で片付けられたとしても、〝今が幸せならそれでいい〟と言っているようだった。

「だからね、ルフェラさん」

「は、はい…?」

 なぜ〝だから〟と続くのか分からなかったが、急にリアンから笑みが消えた為、反射的に姿勢を正し返事をした。

「これからバーディアさんが言うこと、ちゃんと聞いてあげてほしいの」

「ちゃんと…? あの、それっていったい──」

「心配してるのよ、あなたの事。顔色が優れないから」

「あ…ぁいえ、それは単に疲れが溜まってるだけで…」

「そうかしら?」

「え…?」

 正直、ドキリとした。

「単に疲れているだけなら、ご飯を食べて十分な睡眠をとっただけでもそれなりに顔色も変わるわ。たとえそれが一日だったとしても、雪の中で倒れていた彼や、一緒に旅をしていたミュエリさんたちのように。でもあなたは昨日と同じか…もしくは悪くなっているように見えるって…」

「そう…かしら…? 確かに昨日と同じかもしれないけど、悪くなっているようには──」

 本来なら 〝顔色が優れない〟 と言われた時点で、〝やだ、それは顔色が優れないんじゃなくて、顔が優れないのよ〟と茶化したのだろうが、リアンの表情に、さすがのミュエリもそれはできなかったようだ。

「いいえ、ミュエリさん。バーディアさんは今まで沢山の人を看てきたのよ。良くなる人も、そうでない人も…。だから私たちには分からないような僅かな違いも、バーディアさんには分かるものなの」

 その説明に、ミュエリは黙ってしまった。

 確かに、彼女の言い分は正しかった。事実、顔色が優れない理由が疲れだけでないことは、あたし自身がよく分かっていたからだ。とはいえ、それを言う事が出来ないのもまた事実なのだが…。

「とりあえず今日のところは、誰よりも先に休むよう言われると思うわ。もう一日様子を見て、それでも変わらないようなら、きっと今採りに行っている薬草を使った薬やお茶なんかを出してくると思うから、どんなに苦くても、バーディアさんを信じて飲んで欲しいの」

 苦い薬…。飲んだ記憶があるのはパティウスの村だったかしら…。ルシーナの薬草茶も飲んだことはないけれど、同じくらい苦いのかもしれない…。そう思うと、途端に口の中にその苦さが蘇ってくるようで思わず顔が歪みそうになった。けれど、真実を言えない以上、たとえ薬草の効果がないと分かっていても断ることはできないわけで…。結局、あたしは黙って頷くしかなかったのだった。


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