2.レイラ=ハシュテッド
ミシミシと真っ白な積雪を踏み締めて、王都の屋根上を伝い歩く。
星一つ見えない真っ白な雲に覆われた夜空は軽やかな降雪と冷風を伴ってロード王国を冷やしていた。
ズボンのポケットに手を突っ込みながら辺りに視線を巡らす。
高台からの眺めは街中を巡回する騎士たちの姿がはっきりと視認できるくらいには良いものだ。
「あれは男。あの女は髪色が違う。あそこにいるのは……ちょっと太り過ぎ。あっちは背高過ぎな」
依頼書にあった容姿情報と照らし合わせながらターゲットを探す。
桃色髪で細身の女。
身長は160くらい。
武器は支給品の直剣。
最近は城壁周りの夜間警備を行っている。
歩く速度はやや速い。
立ち止まる時に爪先を地面に叩きつける癖がある。などなど。
と。レイラ=ハシュテッドに関する情報はよく調べられており、俺らみたいな凄腕の犯罪組織に依頼しなくとも、ゲルシー公爵であれば彼女一人くらい部下を動かして始末できるだろうと思えてしまった。
まあ、それをしないってことは出来ない相応の理由があるんだろうが。
「こっちにいないってことは反対側か。はぁ寒ッ……さっさと殺してアジトに帰ろう。ついでに近場で飯でも頂いて帰るか」
どんな事情があろうと仕事を果たすことに変わりはない。
女騎士一人の暗殺など容易いこと。
これまで何人もの公僕を葬ってきたことか。
彼らは決まって、研修で習ったような基礎的な型の剣術ばかりを使う。ゲルシー公爵から横流しにされた王国騎士の殺し方を学び、彼らの立ち回りを熟知した俺にとっては、模範的な騎士は暗殺を行う上で格好のカモでしかない。
暫く歩いていると、他の騎士たちとかなり離れた場所を歩く桃色髪の女を発見した。
「あれは……」
特徴は一致している。
歩くスピードも早く、靴の先には雪の塊が付着している。爪先を地面に叩きつけていた証拠だろう。
「当たりだな」
俺はすぐに屋根上を駆け出した。
寒空の下で悴んだ手をほぐすように拳をグッと握り込み、そのまま彼女の頭上目掛けて屋根上から飛び降りた。
──悪いねお嬢さん。これもお仕事なんだ。許してくれ。
指先に伝った微細な感覚を頼りに、彼女の一撃死を確信した。
暗闇では景色に紛れてしまう非常に細長い透明な鋼糸。生き物のように蠢めく鋼糸はレイラ=ハシュテッドの首に絡まり、即座に首と胴体を切断してしまう……その予定だった。
「────ッ!」
確かに彼女の首に鋼糸が巻き付いた感覚があった。
それなのに、剣を引き抜き振り向いたレイラに全ての鋼糸が弾き返されてしまった。
彼女の桃色の長髪がフワリとたなびいて、俺は思わず息を呑んだ。
「……マジかよ?」
宙に浮かんだ緩み切った鋼糸を手繰り寄せ、俺はすぐに彼女から距離を取る。
「貴様。何者だ!」
不意打ちは失敗に終わり、俺はレイラ=ハシュテッドと顔を合わせることになってしまった。
凛々しくも堂々とした面持ちの彼女は真正面から相手をしてはいけないと本能で分かる。この女そこらの王国騎士とは訳が違うな。
「……全く、どうして今ので死んでいないんだか」
鋼糸で首を跳ねようとするまで、彼女は間違いなく俺の接近に気付いてすらいなかった。それに首に外圧が加わり、奇襲を自覚したところで完全に詰ませている。
普通なら抜け出すことはあり得ないのだ。
「……今ので死んでくれてたら金貨5000枚が確定してたのにさ」
「はぁ。また雇われの暗殺者か……」
──また?
「アンタもしかして、命狙われるのは初めてじゃない感じか?」
レイラが呟いた言葉に引っ掛かり、そう尋ねてみると彼女はゆっくりと剣を顔の前に構えながら頷いた。
「今週でもう5回目ね」
「へー5回目。アンタ随分と嫌われてんだな」
「そうかもしれないわね。まあどんなに刺客を送り込まれようと、まだ死ぬ気はないのだけどね」
彼女は深く息を吸い込み、それからすぐに静止する。
──マズイな。この型は王国騎士のものとは別物だ。安易に踏み込めば腕の1、2本は吹き飛びかねない。
予想以上に厄介な手合いを前に深く息を吐き、それから戦闘態勢を整えた。