06 お別れ会
アル……主人公。育ての親の願いに従い、レテシア護衛に心血を注ぐ。
レテシア……正義の味方。帝都の治安を守る警吏のトップ。
プリク……獣人族の女の子でレテシアのメイド。
ルマレク…警吏の幹部。
まさかのお別れ会である。
「痛てて……」
木剣でぶっ叩かれた頬を擦りながら呟く。
警吏本部のエントランスを出て、昼に差しかかった大通りを歩いてる最中もずっと「痛てて」と勝手に声が漏れてしまう。
「大丈夫?」
前を歩くレテシアが振り返りながら問う。
「問題ない。痛いだけだから」
「痛いのが問題なんだけど」
「いい気味にゃ。レテシアさまに色目つかった罰にゃ」
腹が立つ気も起きない。
おのれのバカさ加減の壮大さに、ただただ圧倒されていた。
ルマレクとの試合は終始オレの優位に進んでいた。危うかったのは試合開始直後の打突だけだった。
レテシアが「はじめっ!」と言い終わる直前のフライング気味の跳躍でルマレクはオレの眼前にいて、咄嗟に捻った身体の数ミリ先を木剣の切っ先が通りすぎる。
これは際どかった。オレでなければ胸を突かれてふっ飛んでいただろう。
だがそこまでだった。以後はオレがひたすら攻撃しつづけ、ルマレクがそれを回避するか或いは木剣でいなすので手一杯という一方的な試合運びとなった。
継ぎ目なく繰り出される攻撃にさらされ、ルマレクの反応は鈍っていった。それと反比例してオレの中で殺人の欲求がむくむくと膨らんでゆく。
ルマレクの涼し気な目が苦痛で歪む様を見てると、もう楽しくてしょうがない。
ネズミをいたぶる猫のように「ギャッハハハッ!どうした、かかってこいよ!」と笑いながら木剣を振りつづける。
「助けなんて来ないぜっ!さあどうするよおぉっ!」
そして待ちに待った瞬間が訪れた。
攻撃を剣で受けたルマレクが力負けして背後によろめき、尻もちをついたのだ。
オレは悔しそうに歯を食いしばる彼女を正面の高い位置から見下ろした。
この距離、この角度、あの技をやる絶好の機会だ。
オレは木剣を投げ捨てた。そして右手で手刀の形を作った。
「ハツ抜きで殺ってやるっ!」
『ハツ抜き』とは手刀で相手の心臓を抜き取り、まだ脈動する心臓を相手に見せつけてそいつが絶命するまで高笑いするという悪趣味極まりない技である。
普通ならこの技を宣言すると相手は恐怖に慄くものだが、なぜかルマレクは不思議そうな顔でオレを見上げている。
飛戒団の残虐性を象徴する技として有名だがルマレクは知らないらしい。面倒だけど説明してやるか。
「アルーーっ!」
呼ばれた方を見るとレテシアだった。
「試合中なんだから、剣を捨てちゃ駄目でしょ!」
すっかり忘れていた。
試合をしていたはずが、いつの間にかオレは殺し合いをしていた。ハツ抜きは中止だ。
「あ〜、わりぃわりぃ」と軽いステップで背後に落ちている木剣まで向かいそれを拾い上げた。そしてルマレクに向き直った。
すると彼女はすでに立ち上がっていた。それどころかすぐ近くまで来ていた。もっと言うとオレの顔めがけて木剣をフルスウィングしていた。
避けねば、と考える間もなく刀身が頬を直撃した。オレは風車みたいにその場でクルクル回転して、最後は側頭部を床に叩きつけて倒れた。
すぐ立ち上がろうとしたが、脳震盪なのか目が回っているからなのか、フラついて上手くいかない。
ルマレクは荒れた息を深呼吸で整え、それからレテシアを見た。
「レテシアさま、ご覧いただけましたか?」
「ええっと…。ふたりの動きが速すぎてほとんど見えなかったけど。アルが一本取られたのは見えた」
「そこが見えたなら結構。彼は試験に落ちました。ここから出て行ってもらいます。よろしいですね」
「うーん…」
「おや?約束を違えるのですか」
「ち、違います!わたしを誰だと思ってるの?!」
「正義の味方レテシアさまです」
「そのとおり、約束は守るのが正義です」
レテシアは決意の籠った顔で言った。でもすぐ落ち込んだ顔になり、その顔のままオレの前に来ると、膝を折って視線を並べた。
「そういう訳だから、あなたを採用する事はできなくなった。ごめんなさい」
殺し合いなら勝てた、と喉元まで出たが引っ込めた。無様な言い訳に思えたからだ。
「でも、アルが強いことはわかった。だから別の仕事は紹介できると思う」
「どんな仕事だ?」
「国軍の兵士とか、あと親衛隊とか」
「それはちょっと…」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
という訳で、まさかのお別れ会である。
袖ふれ合うも多少のご縁。
護衛になりかけたオレの前途を幸多きものにするため、とか言ってレテシアから一緒にランチを食べましょうと誘われた。
ルマレクは猛反対したが、レテシアからプライベートまで口を出すなと言われ黙るしかなかった。
このお別れ会。レテシアとふたりなら気も晴れるが、プリクまで同伴なのは頂けない。
しかもコイツかなり上機嫌だ。オレがレテシアのそばから消えるのが余程うれしいらしい。
通りを歩いてる最中も、ときおり振り返ってはオレを見てニヤつくという心理攻撃を仕掛けてくる。
ただのニヤニヤではない。顎を突き出して、見下すような視線を演出した上でのニヤニヤだ。
脇道に入りそのまた横の小道を抜けて、レテシアが足を止めた先には、おそろしく古い屋敷があった。
こぢんまりとして、蹴れば音を立てて崩れそうなほど朽ちかけたその屋敷は、ロッシュでは珍しく植物に囲まれていた。庭は草木が茂り、壁は苔で覆われ至るところに蔦が這っている。
見上げると屋根を貫いて巨木まで生えていた。
「ここか?」
「ええ」
「本当にここでいいのか?」
「そうよ、わたし常連なの」
料理店と言われると首を傾げ、お化け屋敷と言われたら納得する佇まいだ。料理を提供されても口に運ぶのは躊躇われる。
心配するオレを他所に、プリクが鉄柵の門を開けて屋敷に向かってゆく。レテシアもすぐあとに続いた。
「早くいらっしゃい」
レテシアに呼ばれ、しぶしぶオレも敷地に足を踏み入れた。
ただでさえ四方を高い建物に囲まれて日の光が届きづらいのに、木々まで生えているものだから庭は薄暗くて気味が悪い。
「見たところ看板も無いし、よく料理店って分かったな」
そしてよく入る気になったな。
「ショーティのママがやってる店なの。ショーティは警吏の班長よ。ルマレクと同じね」
なるほど知り合いの店か。
「客にゃあ、開けるにゃあ〜」
プリクが屋敷の玄関で何か言っている。なぜか玄関扉の前には大人の背丈ほどもある木こりの人形が置かれていて、プリクはその木こりに話しかけていた。
木こりは鈍いブリキの光沢を放っている。手指や目鼻などはかなり簡素なつくりで、腰に差した斧が人形に木こりの個性を与えていた。
そして特徴的なのは立ち方だった。足を地面につけているものの全く力が籠もっていない。本当は浮遊しているが、敢えて足を地につけて立っている風を装っているかのような、そんな立ち方だった。
いずれにせよ、あの木こりは人ではないし、ブリキの躯体の中に人の気配もない。何もすることのない人形、といった風情で扉の端に立っている。
「そいつは人形だ。なに言っても無駄だぞ」
すると木こりがブルッと振動した。それに留まらず、ぎこちない動作で玄関の扉を開けてみせた。プリクも当然のように屋敷に入っていく。
事態が飲み込めないまま玄関まで来たとき、オレは立ちどまって木こりを正面に見た。
「どうしたの?」
となりで疑問するレテシアに答えず、両手を伸ばして木こりの頭をつかんだ。そして上に持ち上げた。するとやはりと言うか、伽藍洞だった。
「いたずらはいけません」
レテシアに怒られた。オレに怒るより謎の仕組みで動くブリキの木こりにリアクションすべきだと思うが。
「でもこれって……」と木こりを指さすと、レテシアはようやくオレの戸惑いに気づいてくれた。
「この木こりはショーティの部下よ」
「これが?」
「ええ、彼女は人形遣いなの。つまり魔術師ね」
※
屋敷内は外見とは裏腹で綺麗に整えられていた。これなら食欲も湧く。
他の店と違う点を上げるなら、店内が薄暗いことと、壁や天井に蔦が走っていること。あと料理を運んでくれるのが真っ暗な厨房からヌウッと出てくる2本の長い手であることくらいだ。
その腕には木目が浮かんでいる。明らかに人間の手ではないが、魔術師の家と分かった以上、何があっても驚かない。
窓辺のテーブル席につくと、各々《おのおの》の注文に従い料理が出てきた。
「他にも紹介できる仕事はあると思う、どんなのがいい?」
料理を口に運びつつレテシアが問う。ありがたい申し出だったが、オレの頭の中は別のことが占めていた。
どんな仕事に就こうと、レテシアに接近できる機会はグッと減るだろう。なら今のうちに親父のことや彼女自身について聞いておきたかった。
「オレの地元って辺鄙なところでさあ…」
などと田舎者にありがちな話題をいくつかデッチ上げながら、徐々にお目当てのネタにシフトしていく。
レテシアは熱心に耳を傾けていた。一方プリクはと見れば、注文した「おまかせ食べ放題」に夢中でオレの身の上話など端から聞く気がない。
「レテシアの両親は元気なのか?」
「母さまは病気でなくなったわ。今の仕事は母さまから相続した」
やはりそうだ。だからその若さで警吏の司令官になれた。でもだとすると別の疑問が浮かぶ。
「ベンカン帝国の要職は相続の対象にならないはずだが」
「そのとおり。ベンカンは名前より実利を重んじる」
「でもレテシアは母さんから司令官の地位を引き継いだんだろ?」
「警吏は帝国の機関じゃないから」
「え、それはどういう…」
「警吏とはベンカン帝国から依頼を受けて帝都ロッシュの治安を守る私兵集団なの」
どうしよう話の内容に理解が追いつかない。
「司令官という地位は警吏の最高責任者を意味すると同時に、警吏という組織の所有者であることも意味している。だから私が司令官をやっている」
じゃあなにか、警吏の給与から始まって建物の維持費から必要な物資の購入など諸々《もろもろ》の費用すべてがレテシアの財布から出てるってことか?
オレは改めてレテシアを見た。何なんだこの娘は……。
「それと父さまについてだけど」
オレは無理やり思考を切り替えてレテシアに注目した。
「記憶がないのよねえ」とレテシアは軽く肩をすくめた。
落胆しつつも納得した。親父がレテシアの元を離れたのはオレを拾う前だから、彼女はまだ赤ん坊だったはず。記憶がないのも分かる。
「わたしが幼いころ、放蕩が祟ってお祖父さまに勘当されてしまって」
「放蕩って…。仕事はしてなかったのか?」
「何かしてたと思う。でも聞いた話では毎晩酒場で大暴れしたり遠乗りに出て何日も帰って来なかったり、そんなのばかりだから真面目にやってなかったんじゃないかしら」
…親父。なにやってんだ。
「勘当でロッシュを去ってからずっとゆく方知れずなの」
レテシアは食事の手を止めて遠い目をした。
「人気者でいつも輪の中心にいた人だったらしいけど、アージダル山脈に向かったという噂を最後に父さまの情報はぷっつり途絶えた。あそこは飛戒団の根城があったから、彼らに殺されてしまったのかな」
飛戒団に殺されたどころか、そこの頭領になっていた。レテシアはその事実を知らない。
オレも言うつもりはない。正義の味方を自称するレテシアのことだ。自分の父親が悪名高き飛戒団の頭領だなんて知ったらどうなるか分かったものじゃない。
ただレテシアが語る親父については興味があった。
「父親の記憶はまったくないのか?」
「あるような気もするけど」
「はっきりじゃなくていい。たとえば印象とか」
レテシアは明後日の方を見て「うーん…」と小さく言う。
わざわざ聞く質問でないのは理解していた。でも聞いてしまったのはレテシアの記憶を通して親父に触れたかったから。
「薄っすらだけど印象はある」
「どんな印象だった?」
レテシアは視線をゆっくりオレに向けた。
「アルに似た印象かな」