第08話 あの、優しくしてくださいね……?
屋敷の中に入ると、バビロは即座に使用人たちへ夕食会の準備を急ぐよう指示を出した。その指示に従い、使用人たちは慌ただしく動き出し、会場となるパーティーホールは世話しなく働く人々の熱気で満たされていく。
すれ違う使用人たちに軽く挨拶を交わしつつ、ルナを抱きかかえたリアムはテトラの元へ向かった。
「あのー、テトラさん。水場を貸していただけませんかね? ルナの傷口をきれいに洗い流したくて」
ルナの膝の傷口には、転倒時に付着した土や塵があり、衛生的ではなかった。感染を防ぐためにもすぐに洗い流す必要があったが、屋敷の構造を知らないリアムはテトラに尋ねるしかなかった。
「もちろんですわ。タオルなどもご用意しますね。その辺りはバビロが詳しいので、少々お待ちくださいね。……バビロ? 少しいいかしら?」
テトラは、忙しそうにあちこちに指示を出しているバビロを呼び止める。声の掛けられたバビロは、水が流れるようにすぐにテトラの元までやって来た。
「テトラお嬢様、何かご用でしょうか?」
「忙しいところ悪いのだけれど、リアムさんに水場の案内を頼みます。ルナさんの傷口を洗い流したいとの事です」
「承知いたしました。すぐにご案内いたします」
リアムはバビロの後に続いてパーティーホールを出た。広い廊下をしばらく進むと、人が十人は手を伸ばしても余裕で収まる広さの部屋に到着した。
その部屋の中央には、四方に顔を向けた威厳ある獅子の石像があった。
獅子の像の口からは透き通るような綺麗な水が絶え間なく流れ出し、水が落ちる先には、高さ約六〇センチ、直径約三メートルはある円形状の水受けが備えられている。そこへ絶えず注がれ続ける水は、水受けから惜しげもなく溢れ、床に設けられた排水溝へと垂れ流しになっていた。
「えぇ、嘘でしょ……バビロさん、この水って全部飲料もできる上質な水なんですよね?」
「もちろん、飲料も可能でございます」
「ま、まじかあ。貴族って凄いなあ……」
貧乏なリアムからすれば、飲料可能な水とはお金を出して買うべき貴重品であり、こうして惜しみなく垂れ流しになっているものではなかった。
そんな貴重な水が使われずに流れていく様は、「ちゃぷちゃぷ」という水の音ではなく、「チャリンチャリン」と鳴る金貨の音が聞こえてきそうでもあり、リアムはただただ圧倒されていた。
「リアムさま、タオルはこちらに置いておきますので自由にお使いください。私めは夕食の準備がありますのでこれで失礼します」
「あっ、はい! ありがとうございます」
バビロが丁寧なお辞儀を最後に足早に部屋を後にすると、リアムはルナを排水溝の近くに降ろした。
「それじゃあルナ、靴を脱ごうか? あとソックスもね。ほら、少し足を上げてくれる?」
「だ、大丈夫ですよぉっ! 自分でできますっ!」
ルナは、リアムが靴やソックスを脱がすために伸ばした手を咄嗟に掴み、それを阻止する。
「ルナ? わがまま言わないの。ちゃんと言うこと聞いて?」
「むむむ。わ、わかりました……」
渋々といった表情ではあるが、リアムの手を離したルナに「それでよし」とリアムは言った。
どうにもルナは過剰に世話をされるのが嫌なのか、先ほどから遠慮の姿勢を崩さない様子であった。
「じゃあ右足からね。俺の肩に手を置いていいよ」
「し、失礼します……」
リアムがルナの前にしゃがんであげると、ルナは遠慮がちにその肩に手を置いて、右足を軽く浮かせる。
リアムは最初に靴を脱がせて、次に膝の傷口に極力触れないようにソックスをゆっくりと脱がせていった。
「次は逆の足ね」
同じようにして左足も靴を脱がせて、ソックスを脱がすために指を掛けた際、「ピクッ」とルナの体が小さく跳ねた。
「ごめん、痛かった?」
「い、いえ……その、少しくすぐったかっただけです」
何故か顔を背けられてしまうリアムだったが、特に気にせずに続行する。
その後も脱がす際に何度か体が小さく跳ねたが、無事に両足を脱がし終わった。リアムに両足の靴とソックスを脱がされてしまったルナは、素足になったことが少し落ち着かないようで、もじもじと僅かに身をよじらせていた。
「次は傷口を水で洗うからね? 少しヒリヒリと滲みるよ」
「うぅ、わ、わかりました……」
これから痛くなるのがわかっている時の身が引ける感覚は、なんとももどかしいものだ。
その気持ちはリアムにもわかるので、少しだけルナが可哀想だと思ったが、これは処置として必要なことだ。菌が入って炎症などになる方が、後々もっと痛い思いをすることになるのだから。
しかし、怖いものは怖い。ルナは少し体を引き気味に目を閉じて、その痛みの瞬間を待っていた。
「あー、ルナ? スカートを捲れるかな? そのままだとスカート汚れちゃうから」
「へっ!? スカートですか?」
ルナのスカートは短めではあるが膝に近い丈のものだ。洗う際には水が跳ねる危険があった。
「うん。スカート、汚れちゃうよ?」
「で、でもぉ……」
「ほーらー、早く捲って」
「……こ、これでいいですか?」
両手でスカートの端を掴むと、ルナはゆっくりとスカートを捲り上げたが、ほんの少し過ぎてあまり変わりがない。
「いや、もう少し捲ってよ……」
「うぅ……」
少し震える手でルナはさらにスカートを捲り、現在のスカートの丈は膝上二五センチ程の大胆な位置まで捲られている。これならば洗う際にもスカートが汚れることもないだろうとリアムは頷いた。
「うん。そのくらいでオッケーだよ。それじゃあ洗うからね?」
「は、はい……あの、優しくしてくださいね……?」
ルナは内股でぎゅっとスカートの端を掴み、リアムを見つめている。
潤んだ桃色の瞳には、これから来る痛みへの恐怖が半分、もう半分はそれと同じくらいの恥ずかしさから来るものだが、リアムには後者のような繊細な乙女心などわかるはずもない。
そんな鈍感なリアムの手が膝の傷口に触れると、「ピクッ」とルナの体は跳ねる。今度は間違いなく痛みによるものだ。
「痛いよね。でも我慢してね?」
「ひ、ヒリヒリしますぅ……」
リアムはゆっくりと擦るように傷口に付いた砂などの汚れを落としていき、両足の傷の洗浄が終わると、バビロが用意してくれたタオルで濡れた足の水気を丁寧に取っていく。
「よし、これで大丈夫だね。ルナ、回復の魔法は使えるかい?」
「はい、それは問題ありません!」
痛い処置が終わったからか、先程よりも格段に元気になったルナは、膝に手をかざすと目を閉じた。
するとルナの両手のひらから淡い緑色の光が溢れだして、その光を浴びた両膝の傷口は、少しずつ治癒されていった。
これが回復の魔法だ。ルナの得意とする治癒の術でもある。
「よかった。綺麗に治ったね、これでひと安心だよ」
「はい! もう痛くないです! でもどうして傷口を洗ったんですか? 普段はしないのに……」
「んー? あー、それはね、これは戦闘の時は気にしなくてもいいことなんだけどね。こういう普段の生活での怪我の場合は、ちゃんと汚れを落としてから魔法で治した方が後から腫れたりしないんだよ」
リアムは昔に教わったことを思い出しながらそう言った。実際に今の人たちはそういったことを蔑ろにしがちで、後から炎症を起こす人も多いと聞くので尚更だ。
「そうなんですか!? ルナ、勉強になりましたっ」
「まあ、戦闘の時も洗った方がいいのは同じなんだけど、そんな暇ないからね。ルナも時間があるときはちゃんと洗ってから治してね?」
「わかりました! ルナはあんまり怪我しないので、リアムさまを洗ってあげますね!」
「あ、うん……そうだね。よろしく……」
えっへんと胸を張ったルナの宣言に、リアムが苦笑いで返していると、部屋の入り口の方から女性の声が掛かった。
「へぇ、リアム、あなた契約悪魔に縛りをかけていないのね」
「うわっ! びっくりしたなあ。えっと、ジレッタさん? どうかしたんですか?」
急に現れたジレッタに驚く振りをして、リアムは『縛り』、つまりは『契約悪魔が勝手に魔法を行使できないように契約で縛ること』の話を誤魔化した。
ジレッタはそれを感じ取ったのか、単に興味がないのか、それ以上の追求はされなかったので、リアムもそこには触れない。
「あら? 私はあなたがその子に変なことをしていないか見に来ただけよ?」
「変なことって……そんなことしませんよ……」
「あらそう? 私には恥じらう乙女にもっとスカートを捲れって迫っているように見えたけれど?」
「うっ……」
リアムは変な勘違いをされてしまったと思ってジレッタを見るが、彼女の表情には小悪魔的な笑顔が見られた。
「で、でもそれは治療のためで仕方なくですねー……。やましい気持ちなんてないんですよ!」
ジレッタは決して本気で言っているのではないのだろう。リアムとてそれはジレッタの表情を見ればわかる。不敵に微笑む彼女は、ただからかっているだけにしか見えないのだから。
「ふふっ、冗談よ冗談! 夕食会の用意ができたの。みんな待っているわ。大丈夫そうなら行きましょ?」
「あ、はい。冗談ね、冗談……」
「あっ! それとこれ! テトラさんがルナにどうぞって」
ジレッタがリアムに手渡したのは、真新しい白いニーハイソックスだった。
「これは助かりますね。履いていたのは破れてしまっていたので。ほら、これ履いちゃいな。後でテトラさんにお礼言わないとね」
「はい! ……よいしょっと。わあ! サイズもぴったりです!」
「あら、それはよかったわね。それと破れたソックスはタオルと一緒に置いておいて大丈夫って執事のバビロさんが言っていたわ」
「なんとっ!」
リアムは手を合わせて拝むような格好を取り、そして拝んだ。
「何から何までありがたい……」
「リアムは何してんのよ……」
好奇な目を向けるジレッタにめげずに、リアムは拝み続けて、そして立ち上がる。
「いや、何となく拝みました」
「何となくって……普段ちゃんと拝んでる人に失礼よそれ」
「なんとっ!」
そんなやり取りも終わり、三人が水場の部屋を後にしてパーティーホールに向かう道すがら、ルナがリアムの袖口を「ちょんちょん」と引いた。
「ん? どうしたの?」
「リアムさま、先ほどジレッタさんが言っていた変なことってなんのことですか?」
小首を傾げて純粋な目を向けて聞いてくるルナに、リアムは引きつった笑顔を返すしかなかった。
「ん? んー? ……ルナは気にしなくてもいいぞ?」
「えーっ! なんでですか? 気になりますっ! 教えてください!」
「い、いや、気にしなくて大丈夫だから……あっ! ほら! パーティーホール着くぞ?」
「むぅ、リアムさまが話を逸らしました……」
ルナの不服そうな視線がやや深めに刺さっているが、リアムは無理矢理に誤魔化して事なきを得る。
そして、チラッとジレッタに視線を向けると、彼女は口元を覆って静かに笑っていた。
(くそう、ジレッタさんめ……)
リアムの抗議の目を受けても「知ーらない」とジレッタは顔を背けるので、リアムも諦めてパーティーホールの入り口の扉を開けた。
リアムたちがパーティーホールに到着すると、すぐにテトラとルクルットが駆け寄ってきた。
「待っていたよ! リアムくん、ルナちゃんの治療はすんだのかい?」
「ああ。この通り、無事に済んだよ」
リアムがそう言うと、ルナはソックスを少しだけ捲って、怪我をしていた膝を見せる。そこには滑らかな肌があるだけで傷は一つもなかった。
「それはよかった! 女の子に傷なんて残ってしまったら、大変だからね。それにしても綺麗に治っているね? 回復の魔法はルナちゃんの力かな?」
「はい! ルナは回復が得意なのです!」
元気に返事をするルナにテトラが言った。
「ソックスもサイズが合っていたようで安心しました」
「あっ! テトラさん! ソックスありがとうございました! サイズピッタリでした!」
「いえいえ、ちょうど子供の頃の物が未使用で残っていましたので。お気になさらないでくださいね。えーっと、それでは! 皆さん揃いましたので、夕食会を始めましょうか」
パーティーホールにはいくつかのテーブルが並べられ、その上には様々な料理が並べられている。どれも出来立て湯気を立てるほどの出来栄えである。
肉料理に魚料理、サラダにデザートと多種多様な料理が並び、飲み物もお酒から果実水まで豊富に取り揃えてある。さすがは貴族が主催する贅を尽くした夕食会といったところだ。
「今回は皆さんとの懇談を目的としていますので、バイキング形式にいたしました。ですので、皆様お好きな料理を手にとって召し上がりくださいね」
こうして、大きな拍手と共にテトラ主催の夕食会は始まったのだった。
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