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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第46話 死神の微笑み


 夕闇が完全に貴族街を支配し、精緻な意匠の魔導灯が放つ淡い琥珀色の光が、冷え切った石畳を不気味に照らし出していた。


 リアム、ジレッタ、ルナの三人が、肺を焼くような喘ぎと共にアーベルット邸の重厚な正門前へと辿り着いたとき、そこには最悪と呼ぶほかない光景が広がっていた。


 豪奢な馬車の前で、漆黒の夜会服を隙なく纏ったネイスが、あたかも物語に登場する高潔な騎士のごとき所作でテトラの手を取り、優雅に微笑んでいたのだ。彼を迎えたテトラの双眸(そうぼう)には、唯一無二の協力者へと向ける、ひどく脆く柔らかな安堵が浮かんでいた。


「待って、テトラさん! その男から離れて!」


 ジレッタの裂帛れっぱくの叫びが、静まり返った夜の空気を鋭く切り裂いた。突然の乱入者に、テトラは驚愕に目を見開き、反射的にネイスを庇うようにして一歩前へ踏み出した。


「ジレッタさん? リアムさんまで……一体、どうされたのですか? ネイス様は今日、わざわざ父の件の報告に来てくださって……」


「そいつの言葉を信じちゃ駄目だ! テトラさん、そいつは君が思い描いているような人間じゃない!」


 リアムが、凍てつくような峻厳しゅんげんな口調でそれを制す。対するネイスは眉一つ動かさず、心外だと言わぬばかりの困惑と、全てを包み込むような慈父の笑みを完璧に演じて見せた。


「これはリアム殿、それにジレッタ殿。血相を変えてどうされましたか? 名誉貴族にじょせられる身となった私に、何か不当な抗議でもあるのでしょうか」


 ネイスの声は、穏やかな春の海のように凪いでいた。だが、リアムの眼にははっきりと視えていた。ネイスの背後、濃密な深淵のごとき影の中から這い出した死神の幻影が、愉悦に震えながらあるじの耳元で冷たい吐息を吹き込み、その薄い唇を醜く動かしているのを。


(――地下の拠点が暴かれた。証拠も、材料の女たちも、すべてあやつらの手に渡ったぞ)


 死神の囁きが鼓膜に届いた瞬間、ネイスの瞳の奥で黄金色の欲望が、一瞬だけ鋭利な殺意へと変質した。だが彼はその本性を瞬時に覆い隠し、さらに深く、慈愛に満ちた微笑をテトラへと向ける。


「テトラ様、どうやら彼らは何かの誤解を……」


「誤解だと? これを見ても同じことが言えるのか!」


 リアムが懐から、製粉所の地下室という奈落から回収した、汚濁に塗れた資料を叩きつけるように差し出した。それは、少女たちの命を無慈悲に搾り取った生々しい記録であり、ネイスの商会の印章と、彼自身の筆跡によるサインが鮮明に記された人身売買の契約リストであった。


「西端の製粉所地下でお前が何をしていたか、すべて分かっている。少女たちを誘拐し、生きたまま魔力を抽出して『純血の雫』や魔剣の材料にしていた。……これを見ても、まだシラを切るつもりか?」


 テトラは震える指先でその紙片を取り、そこに綴られた凄惨な記録と、見紛うはずもないネイスの署名を凝視した。彼女の端麗な顔からはみるみる血の気が引き、陶器のような白さへと変わっていく。


「ネイス……様? これ、は……?」


「さらにだ、ネイス」


 リアムの一歩が、石畳に重厚な断罪の音を響かせる。


「お前の背後にいるその『死神』。そいつが獲物の魂を刈り取る際、体の上に刻む痣……俺はそれを知っている。難民保護区の老人の首にも、そして……テトラさんの亡きお父上、アドラス様の遺体にも、同じ痣があったはずだ!」


「なっ……!」


 テトラの喉から、押し殺した悲鳴が漏れた。


 父の死の直後、死装束の隙間に確かに見たあの不可解な変色と、禍々しい文様――『悪魔の口付け』。暗殺者の工作、あるいは野良の悪魔による魂と血の搾取であるという欺瞞ぎまんに満ちた説明を信じ込まされていたその痕跡が、今、目の前の男と残酷に結びついた。


「アドラス様を殺し、保護者の地位を奪い、アーベルット家を丸ごと乗っ取ろうとした。それがお前の、仮面の下に隠した醜悪な本性だ!」


 沈黙が、重苦しく場を支配した。ネイスは数秒の間、幽鬼のように俯いたまま動かなかった。やがて、その肩が微かに震え、低く、湿り気を帯びた哄笑が漏れ始めた。


「……ふ。ふふふ……あははははは!」


 顔を上げたとき、そこには先ほどまでの紳士の面影など、塵ほども残っていなかった。双眸(そうぼう)は狂気的な黄金色に濁り、端正だった顔の筋肉は醜悪に歪んでいる。彼はテトラの手をゴミのように無造作に振り払うと、足元に落ちたリストを靴の先で無慈悲に踏みにじった。


「ああ、そうだ。その通りだよ。アドラスは邪魔だった。貧民街の救済だと? 浄化だと? 笑わせるな。あの腐った街は、恐怖と絶望を生産し、私の魔力と富を生むための『農場』なのだ。それを壊そうとするなら、親友だろうが何だろうが殺す。当然のことだろう?」


「ネイス様……貴方、正気なの……?」


 絶望の淵に突き落とされたテトラを嘲笑い、ネイスは狂喜と共に夜空を仰いだ。


「正気かだと? この帝都で私以上に正気な人間がいるものか! 名誉貴族の爵位も、お前の美貌も、すべては私が手に入れるべき装飾品に過ぎない。……だが、予定が狂った。リアム、貴様さえいなければ、テトラは私の腕の中で、父の仇とも知らずに幸福な人形として一生を終えられたというのに」


 ネイスが傲慢に指を鳴らした瞬間、周囲の空間が凍てついたような暴力的な重圧に包まれた。


「目撃者は生かしておけないな。証拠など、この場の全員を消してしまえば無意味な紙切れだ。……顕現せよ、我が半身!」


 ネイスの影が爆発的に膨張し、巨大な漆黒の大鎌を携えた、不浄な法衣を纏う『死神』がその実体を現した。その鎌が虚空を薙ぐと、周囲の魔導灯が衝撃波で次々と破裂し、邸宅の前は瞬く間に死の静寂と、深淵のような闇に呑み込まれていく。


 その魔力の膨大さは、かつて貧民街で刃を交えた時とは比較にならぬほど強大であった。まるで別種の化け物へと進化したかのような、禍々しくも圧倒的な力の奔流。それは紛れもなく、『特級』の座に君臨する悪魔が放つ絶望的な威圧感そのものであった。


「ジレッタさん、ルナ、テトラさんを連れて屋敷の中へ! ここからは……理屈の通じない時間です」


 リアムが、何重もの鎖で封印された鞘を引き抜き、その切っ先を音もなく死神へと向けた。


 帝都の夜を焼き尽くさんとする、凄惨な死闘の幕が今、静かに、そして残酷に上がろうとしていた。


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