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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第39話 偽りの英雄


 帝都の心臓部に鎮座するハンター協会本部。その三階に広がる資料室は、窓のない閉鎖的な空間であり、堆積した紙葉の匂いと古びた魔導灯の微かな駆動音が、澱んだ静寂を形成していた。


 先日、ジレッタが訪れた際と変わらぬ青白い魔力の光が、積み上げられた膨大な羊皮紙の束を、死者の肌のように冷たく照らし出している。


 その書架の奥深く、外の喧騒を隔絶した闇の片隅で、リアムとジレッタは一人の男の記録を執拗に追い続けていた。


 ハンターランク三百五十二位、通称『黄金の秤』――ネイス。


「……見つけたわ。これがネイスの、ハンターとしての全足跡よ」


 ハンターランク七位という新たな『権限』を象徴するリングを触媒に、ジレッタが重厚なバインダーの魔法封印を解いた。指先で綴じられた記述をなぞる。


 最初の数ページに記されていたのは、ごくありふれた若手ハンターの泥臭い苦闘であった。


 低級から上級へと着実に、しかし決して容易ではない段階を踏み、時には死線を彷徨うほどの辛勝を収め、時には手痛い敗北を喫して苦杯を舐める。討伐成功率六割程度という数字は、才能と努力の果てにある、極めて妥当で『人間らしい』実力を示していた。


 しかし、十年前のある日を境に、その平坦であったはずの道筋は、断崖を転げ落ちるように変質を遂げていた。


「見て、リアム。ここよ。……魔族領の境界付近にある『レムスの村』からの防衛依頼。ネイスはここで、特級悪魔の襲撃を受けて完膚なきまでに叩きのめされているわ」


 ジレッタが示した頁には、無慈悲な事実が血を吐くような筆致で刻まれていた。


『報告書:レムスの村、全焼。生存者、極少。担当ハンター・ネイスは契約中級悪魔ミルドと共に全身に裂傷および魔力汚染を負い、一時期の活動停止を余儀なくされる』


 記述を辿れば、彼は死の淵で数ヶ月の間、出口のない闇を彷徨い、表舞台から姿を消したという。だが、ここまでは、帝都に数多いる『英雄になれなかった男』のありふれた悲劇として片付けられる内容だ。


 しかし、その絶望的な隠遁期間を終え、再起したネイスの記録に触れた瞬間、ジレッタは背筋を氷の刃で撫でられたような戦慄を覚えた。


「おかしいわ……。活動を再開した直後から、彼の討伐成功率が『百パーセント』という異常な数字に跳ね上がっている」


「百パーセント……? どんな実力者であれ、自然界の気紛れや悪魔が孕む不確定要素に晒されれば、多少の不備や取りこぼしは出るものですけどね」


 リアムが横から資料を覗き込む。


 再起後のネイスは、まるで神の如き予知能力を得たかのように完璧だった。どれほど狡猾な悪魔も、山を崩すほどの強大な上位悪魔も、彼の手にかかればまるで台本が存在するかのように『定刻通り』に処理されている。


 さらに不自然なのは、その武勲の急上昇と寸分違わず呼吸を合わせるように、商人としてのネイスが異様なまでの急成長を遂げている点だ。数万、数千万という金貨を動かす大商人へと駆け上がったタイミングは、この『不敗の死神』への変貌と、あまりに美しく、そして醜悪に重なっていた。


「そうだ。ジレッタさん、登録されている武具の申請書を見てください」


 リアムが細い指先で指し示したのは、協会に提出された備品目録の控えだった。


「……ランク三百番台。本来なら『魔剣』の一つや二つは所有しているはずの地位ですが、彼が申請しているのは単なる『魔法付与(エンチャント)された高品質な剣』に過ぎません。贅を尽くした品ではありますが、この程度の武装で特級に近い悪魔を百パーセント仕留め続けるのは、論理的に破綻していますね」


「つまり、剣の腕でも武器の性能でもない『何か』が、彼に勝利を約束させている……?」


「ええ。おそらく、あのレムスの村での敗北……。そこで彼は、討伐対象であったはずの『特級悪魔』と、何らかの裏取引を交わした。村の全命を、あるいは自らの魂を代償にして……なんてことが、容易に想像できてしまう」


 ジレッタは奥歯を噛み締め、拳を白くなるまで握りしめた。


 もしネイスが、自分を襲った悪魔と密約を結び、自作自演の討伐を繰り返すことで虚飾の名声と血塗られた富を築き上げてきたのだとしたら。そして、その禁断の蜜月を維持するために、さらなる生贄――『魔力持ち』の少女たちを魔剣の苗床として差し出しているのだとしたら。


「……リアム、資料の末尾を見て。レムスの村の生き残り、数名が軍管轄の『帝都難民保護区』に収容されたとあるわ」


「決定的な証言が得られるかもしれませんね。商人の仮面の下に隠された、悪魔との血の契約。……直接、聞きに行きましょうか」


 二人は澱んだ資料室を後にし、帝都の最北端、重苦しい鉄柵と兵士の監視に囲まれた難民保護区へと向かった。


 忍び寄る夕闇が世界を塗り潰していく中、保護区に漂う空気は、帝都の華やかさとは絶望的に無縁な、腐敗した残飯と染み付いた絶望の匂いに満ちていた。かつての惨劇から命辛々逃げ延び、今もなお過去の悪夢に怯えて生きる亡命者たち。その閉ざされた口の中に、十年前の『真実』が眠っているはずだと信じて。


「リアム、準備はいい? もしネイスが本当に悪魔と繋がっているなら、私たちの動きはもう……」


「ええ。察知されているでしょうね。ですが、向こうが商人らしく『損切り』を考える前に、こちらの秤を突きつけてやるだけですよ」


 リアムの赤い瞳には、昼間の陽だまりのような穏やかさは微塵もなかった。かつてアイテリエルと共に、数多の欺瞞を暴き、戦場を灰燼(かいじん)に帰してきた男の、絶対的な静寂。


 石畳を打つ二人の足音は、静かに、しかし冷酷に、偽りの英雄を裁壇へと追い詰めるための秒読み(カウントダウン)を刻んでいた。


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