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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第38話 ……は、はい、リアムさま。お気をつけて

 

 翌朝、帝都の空は冬特有の、身を切るような冷徹さを孕んだ蒼穹(そうきゅう)に染まっていた。しかし、澄み渡る陽光とは対照的に、ジレッタの心は昨夜目にした不吉な『紋章』の影に色濃く支配されていた。


 寝台の中で肌を通じて感じたルナの無垢な温もり。そして、禁書の奥底に血の如き墨で記されていた、最上位種たる『悪魔皇帝』の刻印。その二つが、どうしても頭の中で結びつかない。


 あのように健気で、誰よりもリアムを慕う少女が、魔界の頂点に君臨する呪わしい血を引いているというのか。


(……いや、今はまだ聞くべきじゃないわね)


 朝食の席で、甲斐甲斐しくリアムの世話を焼くルナの穏やかな横顔を盗み見ながら、ジレッタは自らの胸の内に疑惑の種を深く封じ込めた。


 もしリアムがすべてを承知の上で彼女を傍に置いているのだとすれば、拙速な追及は積み上げてきた信頼の礎を崩しかねない。


 だが、戦士としての本能が、一つの確証だけは得ておけと囁いていた。


「ねえ、リアム。……ちょっと聞きたいことがあるのだけど」


 ジレッタは、もやし入りの味噌汁を啜るリアムを、射抜くような眼差しで見据えた。


「何です? 朝から妙に改まって」


「……あんた、ルナと一緒に風呂へ入ったことはあるの?」


 その問いが放たれた瞬間、食卓の空気は一気に凍りついた。


 リアムの持つ箸がぴたりと静止する。


 彼の脳裏には、数日前の忌まわしい記憶――アーベルット家での会食時、膝を擦りむいたルナを介抱しただけで、テトラやジレッタから『不謹慎な愛好家(ロリコン)』の烙印を押されかけた屈辱が鮮明に蘇った。


「……ま、またその疑いですか。言っておきますが、一度もありませんよ。断言します。俺を一体何だと思っているんですか」


 リアムは心底心外だという、至極真面目な、それでいてどこか悟りを開いたような無機質な声で答えた。その瞳に偽りの色は混じっていない。


(やはりね……)


 ジレッタは内心で小さく頷いた。もし共に湯に浸かっていれば、リアムほどの男があの紋章の異常性に気づかぬはずがないからだ。


「……ふーん。まあ、そうよね」


「あ、あの! ジレッタさん……!」


 傍らでやり取りを聞いていたルナが、熟れた林檎のように頬を染めて声を上げた。指先を所在なげに弄り、視線を泳がせながら、蚊の鳴くような震える声で付け加える。


「り、リアムさまと……その、いつか一緒に入れたらいいな、なんて……思ってないこともないですけど……。でも、今はまだ、その……」


「ルナ、余計な燃料を投下するな」


 リアムの冷ややかなツッコミと共に、指先がルナの額を軽く弾いた。ルナは「ひゃぅ」と可愛らしい声を漏らし、額を押さえながら身を縮める。


 そんな二人を見つめ、ジレッタはわずかに口角を上げた。


 この暖かな光景が、血塗られた『悪魔皇帝』の宿命という薄氷の上に成り立っているなど、一体誰が信じられるだろうか。




◆◇◆◇◆◇




 昼前、三人は鋭い北風が吹き抜ける帝都の大通りへと繰り出した。目的は、人身売買組織の黒幕と目される男、大商人『ネイス』の身辺調査である。


「まずは足で稼ぎましょうか。ネイスは表向き、この界隈では慈善家としても知られる豪商らしいですからね。綻びというものは、案外、賞賛の言葉の中にこそ紛れ込んでいるものですから」


 リアムの指示に従い、三人は通行人や露天商への聞き込みを開始した。


 ネイスの評判は、驚くほど『完璧』であった。貧民街への炊き出し、孤児院への惜しみない寄付、さらには商売における清廉潔白さ。


 だが、その磨き上げられた鏡面のような完璧さこそが、ジレッタには昨日バビロが語った『不気味な違和感』と重なって見えた。


 数時間の空振りの末、ある古道具屋の老店主から、意外な情報がもたらされる。


「ああ、ネイス様かい? あの方は商人としても一流だが、実は腕利きの『ハンター』としても有名なんだぜ」


「ハンター……? 商人が副業でやっているレベルの話なの?」


 ジレッタが驚きを露わに問い返すと、老店主はわが事のように誇らしげに鼻を鳴らした。


「とんでもねえ。あの方はハンター協会の正式な登録ハンターでな。ランクは千番台よりもずっと若い……確か、三百五十二位だったかな。通称『黄金の秤』。多忙な商人のはずだが、何らかの秘宝や魔道具を使いこなし、高位悪魔を何頭も仕留めているって話だ」


 その言葉を聞いた瞬間、リアムの瞳の奥に、凍てついた鋼のような鋭い光が宿った。


「ランク三百五十二位……。一介の商人が、本業をこなしながら到達できる領域ではありませんね」


 ジレッタも背筋に戦慄を覚えた。帝都に数万とひしめくハンターの中で、三百番台は間違いなく『一流』の部類に属する。


 そして何より、バビロが言及していた『魔力持ちの遺骨から作られた、誰にでも扱える禁忌の魔剣』の存在が脳裏を過る。


 慈善活動をこなす豪商という表の顔を持ちながら、なぜそれほどの実力を行使できるのか。もしその力の源が、呪われた少女たちの犠牲という血の代償の上に成り立つものだとしたら――。


「……方針変更ですね。商人のネイスではなく、ハンターとしてのネイスを洗いましょう。協会の記録にある過去の任務、そして武具の申請情報を調べれば、奴の『正体』が見えてくるはずです」


 珍しくリアムの声は低く、そして冷徹だった。二十年前、数多の戦場を渡り歩き、死を振り撒いた英雄の片鱗が、一瞬だけ剥き出しの刃となって表層に現れる。


「ルナは一度事務所に戻って、今日もジレッタさんの泊まる準備を整えておいてくれるかな。ここからは、少しばかりハンターの闇に触れることになるかもしれないから」


「……は、はい、リアムさま。お気をつけて」


 ルナは不安を押し隠すように一度頷き、いったん戻った事務所の重い扉の前で二人を見送った。


 ジレッタは腰に帯びた魔剣の柄を軽く叩き、覚悟を固める。


 大商人の仮面の下に隠された正体は、人身売買と魔剣の製造、魔神イフリートとの繋がり、そして、テトラの父親が殺害された事件。その全てが繋がるかもしれない。


「行きましょう、リアム。ハンターランク三百五十二位……その偽りの栄光、剥ぎ取ってやるわ」


 帝都に夕闇が音もなく忍び寄る中、二人は再び、欲望と陰謀が渦巻くハンター協会の深部へと足を踏み出した。


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