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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第28話 本当ですね……! まるでお日様の色みたい。


 テトラの屋敷、その最上階に近い一室。豪華な装飾が施された寝台には、救出されたミチルダが深い眠りの中に横たわっていた。


 姉のミランダが到着するまでの間、テトラは甲斐甲斐しく少女の世話を焼いていた。死神との激闘の余波で、ミチルダが身に纏っていた衣服は無残に引き裂かれ、泥と血に汚れて見る影もなかったからだ。


「……よかった。この子は、まだこんなに温かい」


 テトラは安堵の溜息を漏らしたが、その表情は暗い。彼女の頭を過るのは、ハンター業火の死。


 テトラは業火をよく知るわけではないが、彼の兄のことはよく知っていた。


(ネイス様……怪我をして療養中だと聞いているけれど、弟さんにあんな不幸があって……大丈夫かしら)


 テトラは少し遠くを眺めるようにしながら、ミチルダのために用意させていた最高級の絹で作られた着替えを広げた。まだ幼いミチルダの肌を傷つけぬよう、刺繍の一つにまでこだわった柔らかな下着と、可憐な淡い青色のワンピースだ。


「……汚れを落としてあげましょう。ルナさん、ジレッタさん、手伝っていただけますか?」


 テトラの誘いに、二人は静かに頷いた。屋敷の奥にある、白磁のタイルに囲まれた壮麗な大浴場。清涼な湯気が立ち上る中、四人の女性たちは静かに湯船に浸かり、張り詰めた神経を解きほぐしていった。


「見てください、ルナさん。この子の髪、洗ってあげたらこんなに綺麗な金色だったんですね」


 テトラが優しくミチルダの髪を梳きながら、穏やかな微笑を浮かべた。


「本当ですね……! まるでお日様の色みたい。ミランダさんが来たら、きっと喜んでくれますよ」


 ルナもまた、温かい湯に濡らしたタオルで少女の細い腕を拭いながら、安堵に胸を撫で下ろす。ジレッタも傍らで桶を抱え、普段の鋭い戦士の顔を幾分か和らげていた。


「これだけ酷い目に遭っても、肌に傷一つないのは幸運だったわ。あとはゆっくり休めば、すぐに元気な顔が見られるでしょうね」


「はい。着替えも一番手触りの良いものを用意しました。この子が目を覚ました時に、少しでも安心できるように……」


 テトラがミチルダの体を抱き起こし、背中を流してあげようとした、その時だった。


「……っ、何、これ」


 ジレッタが息を呑み、動かしていた手を止める。


 意識を失ったままのミチルダの背中、その左の肩甲骨のあたり。湯気に濡れて白く透き通った肌の上に、それは異様な鮮明さで浮かび上がっていた。


 まるで抉られたようにどす黒く変色し、湿り気を帯びたような不気味な文様。それは痣というにはあまりに意図的で、まるで何者かが熱い唇を深く押し付けたかのような、歪な形の痕跡。


「――悪魔の口付け……っ!」


 テトラの声が、微かに震えた。先ほどまでの穏やかな微笑は消え失せ、その瞳には、凍り付くような恐怖と、底知れぬ憎悪が入り混じった激しい色が宿る。


「テトラさん……? 悪魔の口付けって、まさかテトラさんのお父さんの時と同じではないわよね?」


 ジレッタの問いに、テトラは蒼白な唇を噛み締めて頷いた。


「私の父……アドラス・アーベルットが暗殺された際、その冷たくなった遺体の心臓あたりの位置に残されていたものと、全く同じです……」


 浴室を包んでいた清涼な湯気が、一瞬にして逃れようのない悪意の色に染まっていく。貧民街で起きた少女誘拐事件と、テトラの父を死に追いやった謎の暗殺者。接点などないはずの二つの点が、おぞましい文様を媒介にして、一本の不吉な線へと繋がった。


「なぜ、ミチルダさんにこれが……。まさか、犯人の目的は最初から……」


 テトラの震える指先が、少女の背中の文様に触れる直前で止まる。救い出したはずの少女の体には、すでに抗いようのない『呪い』が深く刻まれていた。


 一方その頃。


 リアムは一階の書斎で、バビロと対峙していた。


 室内には高級な葉巻の残り香が漂い、窓の外には、先ほど魔神が咆哮を上げた貧民街の夜空が、いまだ不気味な残光を湛えて広がっている。


「……バビロさん。単刀直入に伺います」


 リアムは暖炉の火を見つめたまま、重い口を開いた。


「先ほどのあの魔力、そして顕現した巨像。あれは、儀式が失敗した反動などという生易しいものじゃない。何者かが、別の触媒を使って強引に特級、それも上位の悪魔を呼び出した。そう考えるのが自然です」


 バビロは無表情に、銀のティーポットを傾けた。磁器が触れ合う、小さく澄んだ音が響く。


「左様でございますね。あの規模の魔圧……私の現役時代にも、数えるほどしか記憶にございません。不浄な魂が集う貧民街そのものが、巨大な火薬庫と化していた。そう推察せざるを得ません」


 バビロの声は、どこまでも冷静で、主家を案じる忠臣そのものであった。彼は鏡のように磨き上げられた眼鏡の縁を押し上げ、リアムの目を真っ直ぐに見つめ返す。その瞳には、惨劇を止められなかったことへの悔恨と、犯人に対する静かな怒りが宿っているように見えた。


「リアム様。私が現場に到着した際、すでに術式の基盤は完成しておりました。あの死神のような悪魔は、あくまで門番に過ぎなかったのでしょう。真の主犯は、我々が少女一人を救う間に、さらに大きな犠牲――あの街の住人すべてを、生贄へと捧げた可能性があります」


「……住人すべて、ですか」


「ええ。先ほど私兵に確認させましたが、特定区画の住人たちが一斉に事切れていたとのこと。あまりに無慈悲な……。アーベルット家の執事として、このような事態を防げなかったこと、慙愧(ざんき)に堪えません」


 バビロは沈痛な面持ちで、僅かに首を振った。その態度は、かつての伝説のハンターとしての正義感と、現在の職務に対する誠実さに満ちていた。


「召喚された悪魔は一瞬で姿を消しました。あれは、どこへ行ったと思いますか?」


「その悪魔を特級上位と仮定して考えれば、実体を持たぬ魔神である可能があります。帝都の地下、あるいは人の内側に潜り込んだとすれば……非常に厄介です。アーベルット家としても、総力を挙げてこの正体不明の脅威を追う所存です。リアム様、どうか今後とも、テトラ様のお力になっていただきたい。貴方のような御方が味方にいてくださること、今のアーベルット家には何よりの救いです」


 バビロは立ち上がり、完璧な角度で一礼した。その真摯な言葉には、裏表のない信頼が込められているように感じられた。


 リアムは頷き、自身の剣の重さを確かめるように拳を握った。


「もちろんです。テトラさんの依頼は、まだ終わっていない」


 浴室では、浮かび上がった『悪魔の口付け』を前に、女性たちが戦慄の沈黙を守り。


 書斎では、リアムとバビロが、帝都に迫る未知の災厄に立ち向かうべく、静かに闘志を共有していた。


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