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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第27話 リアムさま! 負けないでください!


「……バビロ、さん……?」


 血の海の中で、ルクルットが呆然と呟いた。死を覚悟したその眼前で、銀縁眼鏡を月光に光らせた執事が、巨大な死神の鎌を細身のレイピア一本で受け止めている。その光景はあまりに現実離れしていた。


「バビロさん……貴方、その剣技は……」


 ジレッタが喉を鳴らし、驚愕に目を見開く。彼女の戦士としての本能と記憶が、眼前の執事が振るう流麗かつ苛烈な剣筋に、かつての伝説を幻視していた。


「思い出したわ……! 銀のレイピアに、完璧なる礼法……貴方、二十年前に忽然と姿を消した、トップランカー『銀鱗の(シルバー)処刑人(エグゼキューター)』でしょう!?」


 その二つ名が響いた瞬間、ルクルットの顔に戦慄が走った。かつて帝都の裏社会を震え上がらせ、悪魔をもその優雅な刺突で沈めたといわれる伝説の男。それがなぜ、アーベルット家の執事などに収まっているのか。


「……古い名ですね。今はただの、過ぎた職を預かる使用人に過ぎません」


 バビロは淡々と応じると、一歩踏み出し、レイピアで虚空を突いた。空気が爆ぜ、死神の障壁に亀裂が走る。


「リアム様、ジレッタ様。御託は後です。この害虫を排除いたしましょう」


「――はい、そうですね!」


「リアムさま! 負けないでください!」


 リアムがルナの可愛らしい応援に頷き、鎖に巻かれた鞘を強く握りしめ、地面を蹴った。ジレッタもまた、短剣を逆手に持ち、死神の死角へと回り込む。満身創痍のルクルットも、ガゼットの最後の力を借りてよろめきながら立ち上がった。


 伝説の執事、そしてハンターたちによる、死神への反撃が始まった。バビロのレイピアが針の穴を通すような精密さで死神の核を削り、そこへリアムの一撃が叩き込まれる。


 しかし、死神悪魔は、己の分が悪いと察したのか、不気味な笑声を残して霧のように霧散し始めた。


「……逃がすかッ!」


 ジレッタが追撃に移ろうと足を踏み出した時、冷徹な声がそれを制した。


「深追いは禁物です、ジレッタ様」


 バビロがレイピアを鞘に収め、眼鏡の位置を直しながら言った。その声には一切の動揺がない。


「まずはミチルダ様の保護を。そしてルクルット様の手当てが優先です。命が潰えては、元も子もございません」


 その言葉はあまりに正論であり、忠臣としての配慮に満ちていた。やがて、遠くから多数の馬蹄の音が近づいてくる。


「皆様! 無事ですか!?」


 夜の帳を割って現れたのは、アーベルット家の紋章を掲げた豪華な馬車と、武装した私兵たちを引き連れたテトラであった。


 彼女は馬車から飛び降りると、真っ先にリアムたち、そして瓦礫の上に横たわるミチルダのもとへ駆け寄った。


「テトラさん……間に合いましたよ」


 リアムの言葉に、テトラは安堵の涙を浮かべ、深く頭を下げた。


「ありがとうございます……本当に。バビロ、皆を馬車へ。急いで屋敷へ戻り、最高の治療を受けさせてください」


「御意に、テトラ様」


 バビロは恭しく一礼し、手際よく負傷したルクルットやガゼットを馬車へと運び込んだ。ミチルダもまた、深い眠りの中にあるだけで命に別状はない。誰もが、最悪の事態は回避されたと確信していた。


 馬車が屋敷へ向けて動き出す。


 テトラの隣に座ったリアムは、窓の外を流れる貧民街の暗がりを見つめていた。ミチルダは救われた。ルクルットも生きている。四つの楔を打ち込んで完成するはずだった『魂喰いの祭壇』は、中心の生贄を欠いたことで、不発に終わったはずだった。


 だが。


 馬車が貴族街へと入り、屋敷の灯りが見え始めたその頃。


 無人となったはずの大聖堂跡地の地下深く、真紅の魔力が奔流となって溢れ出していた。


 犯人が仕掛けていた真の罠は、四人の少女だけではなかったのだ。


 人知れず貧民街の特定の区画に住む者すべてに刻まれていた『共鳴の呪印』。少女たちの魂が呼び水となり、眠りについていた数百もの者たちの生命が一斉に大地へと吸い込まれていく。圧倒的な『量』の魂が、強引に儀式を成立させてしまった。


 ドクン、と大地が脈打った。


 大聖堂の跡地が内側から爆ぜ、そこから立ち上ったのは、帝都の夜空を焦がさんばかりの真紅の火柱。


 炎は瞬く間に巨大な巨像を形作り、溶岩の瞳と灼熱の翼を持つ魔神が顕現する。


 特級悪魔の上位種――炎の魔神『イフリート』。


 魔神は、天を衝くような咆哮を上げた。


 そのあまりに強大な魔圧は、数キロ離れたリアムたちの乗る馬車さえも激しく揺さぶる。


「……な……なんだ、あれは……!」


 ルクルットが窓にしがみつき、絶句する。


 だが、次の瞬間。咆哮を上げたばかりの魔神は、まるで幻影であったかのように、炎の残滓を残して一瞬でその姿を闇へと消し去った。


 後に残ったのは、静まり返った帝都の夜と、あまりに巨大な魔力の記憶だけだ。


「……消えた? いや、どこかへ移動したのか……?」


 リアムは窓の外を凝視し、戦慄を隠せなかった。あれほどの怪物を呼び出した黒幕は、一体何を目的としているのか。姿を消した魔神は、今どこで、誰の牙となっているのか。


 馬車の中、沈黙を守るバビロは、ただ静かに暗闇を見つめていた。その表情からは、救出を成し遂げた安堵も、異変に対する動揺も読み取ることはできない。


 平和な結末を迎えたはずの背後で、正体不明の悪意が、帝都を丸ごと飲み込むほどの地獄を解き放とうとしていた。


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