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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第26話 リアムさま、見てください! 魔力の流れが、あっちへ……!


 ミランダの家を後にした三人は、帝都を包む凍てつくような夜風を切り裂き、不吉な予感に急き立てられるようにして再び貧民街へと向かった。街灯の明かりが届かぬ境界を越える直前、リアムは不意に足を止め、背後の二人に鋭い視線を向けた。


「ジレッタさん、ルナ。……これから向かう場所で起きていることは、単なる殺人事件じゃないかもしれない。おそらく、極めて高度で悪質な『儀式術式』です」


「儀式……? ただの魂喰いの怪異じゃないっていうの?」


 ジレッタが眉をひそめると、リアムは脳裏に刻まれた凄惨な戦場の記憶を、懸命に『古い文献の知識』という言葉に置き換えて語り始めた。


「以前、ある古文書で読んだことがあります。魂を楔として配置し、その中心に巨大な門を開く術式……『魂喰いの祭壇』と呼ばれるものに、今の状況は酷似している。配置された四つの犠牲者が燃料となり、中心に捧げられる五人目が『器』となることで、人知を超えた存在をこの世に繋ぎ止める。……そんなおぞましい記述がありました」


「……そんな。じゃあ、ミチルダさんは、その『器』にされるために……」


 ルナが震える声で呟く。リアムは百年戦争という言葉こそ口にしなかったが、その眼差しには、文献の知識だけでは説明のつかない、実体験に基づいた切迫した重みが宿っていた。


「急ぎましょう。四つ目の楔が打たれてしまえば、中心の儀式が完成してしまう」


 三人が地図の赤点が指し示す廃工場へと踏み込んだ瞬間、鼻を突くような鉄錆の臭いと、濃厚な死の気配が一行を襲った。


「……っ、これは」


 ジレッタが絶句し、口元を抑える。そこには、これまで以上の地獄が広がっていた。床には十四歳ほどの見知らぬ少女が無残に枯れ果てて横たわり、その傍らには、信じがたい光景が広がっていた。


 『地獄の業火』と呼ばれたあの屈強なハンターが、壁に縫い付けられるようにして息絶えていたのだ。周囲には激しい戦闘の痕跡が刻まれ、床は彼の鮮血で赤黒く染まっている。そしてそのすぐ近くには、ルクルットが愛用していたはずの優雅な暗器が、無残に砕け散って転がっていた。


「業火……。あの男が、ここまで一方的に……」


 リアムが業火の亡骸を見つめ、静かに目を閉じた。争った形跡は、彼が死の間際まで何かを守ろうとした、あるいは何かに抗おうとした証だった。


「リアムさま、見てください! 魔力の流れが、あっちへ……!」


 ルナが指差す先、貧民街のそれぞれの場所、四か所に配置された四つの遺体から吸い上げられたどす黒い魔力の糸が、貧民街の最深部――かつて聖域と呼ばれた大聖堂跡地へと収束していくのが見えた。


「儀式が始まる。二人とも、俺から離れないでくれ!」


 リアムの案内には、もはや迷いも躊躇もなかった。彼は地図を見ることもなく、大気の中を這う不吉な鼓動を直接掴み取るかのように、最短距離で中心地へと突き進む。


 やがて辿り着いた聖堂跡。崩れ落ちた天井から差し込む月光の下、そこは異界の様相を呈していた。瓦礫の山の上に横たわる、意識を失ったミチルダ。その周囲を囲むように、赤黒い雷鳴が走り、空間そのものが悲鳴を上げている。


 そしてその上空、死神のような黒いフードを深く被った、実体の定まらぬ悪魔が浮遊していた。その手に握られているのは、絶望を形にしたような巨大な大鎌。


「うあああああぁぁぁッ!!」


 その悪魔に対し、満身創痍の体で斬りかかっている男がいた。ルクルットだ。紳士的な微笑は消え、愛する者の妹を守れなかった悔恨と、己の無力さに対する怒りだけが、彼を突き動かしている。


 彼の傍らには、一頭の巨大な獣が横たわっていた。ルクルットが契約している悪魔『ガゼット』。体長は優に二メートルを超え、黒い体毛に金色の縞模様が走るその姿は、見る者に荒れ狂う雷雲を連想させる壮麗な虎の悪魔だ。


 しかし、その勇猛なガゼットも今は、全身を無数の刃で切り裂かれ、金色の瞳を虚ろに彷徨わせながら、か細い息を吐き出すのが精一杯であった。


「ガゼット……! くそ、動け、動けよ僕の足……っ!」


 ルクルットが膝をつき、予備の短剣を支えに立ち上がろうとする。だが、空中に浮かぶ死神は、そんな彼の足掻きを嘲笑うかのように、巨大な大鎌をゆっくりと振り上げた。その刃には、吸い上げたばかりの四つの魂の残滓が、禍々しい燐光となって纏わりついているように見えた。


「ルクルット!」


 ジレッタが叫び、地面を蹴る。リアムもまた、瞬時に距離を詰めようと踏み込んだ。だが、彼らと祭壇の間には、儀式の完成を拒む物理的な衝撃波が幾重にも張り綴られていた。


 間に合わない。


 死神の鎌が、月光を反射して冷たく煌めく。それは逃れようのない死の軌跡を描き、無防備なルクルットの首筋へと振り下ろされた。


「しまっ――」


 リアムがアイテリエルを封印する鎖に手をかける。だが、その抜刀よりも、死神の鎌が届く方が確実に速い。ルクルットが絶望に目を見開き、ルナが短い悲鳴を上げた、その刹那。


 ルクルットと死神の間に、一条の銀光が割り込んだ。


 凄まじい金属音が聖堂内に轟き、火花が闇を散らす。死神の巨大な大鎌を、事も無げに、ただの一振りの銀のレイピアが受け止めていた。


「……あれほど貧民街には近づくなと、忠告申し上げたはずですが」


 死神の鎌を静かに押し戻し、絶望の淵にいたルクルットの前に背を向けて立ったのは、アーベルット家の執事、バビロであった。


 いつものように一点の乱れもない執事服を纏い、銀縁の眼鏡の奥で冷徹な理性を光らせている。場違いなほどに整ったその立ち姿は、死神の圧倒的な重圧を、まるでないもののように切り裂いていた。


「バビロ……さん……?」


 ジレッタが呆然とした声を漏らす。リアムもまた、予想外の助っ人の登場に僅かに目を細めた。バビロは振り返ることなく、淡々とした口調で続けた。


「テトラ様が皆様を案じておられましたので、少々掃除に参りました。……不届きな『害虫』が、我が主の庭を荒らしすぎたようです」


 バビロがレイピアを軽く振ると、死神の放っていたどす黒い魔圧が霧散していく。その背中は、主家を守る冷酷な盾としての威厳に満ちていた。ルクルットを守り、死神と対峙するその姿に、誰もが『アーベルット家の忠臣』としての姿を重ねずにはいられなかった。


「立てますか、ルクルット様。共に奴を退けましょう」


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