第23話 リアムさま、あそこ……
帝都の華やかな光が届かぬ場所、そこには闇が澱のように溜まっていた。
石畳は割れ、汚水が溝を伝って腐敗した臭気を放つ。貧民街。ここは帝都の胃袋であり、同時に吐き出された排泄物が積み重なる場所でもある。
リアム、ルナ、そしてジレッタの三人は、バビロの『忠告』という名の境界線を容易く踏み越え、深夜の静寂に沈む路地の奥へと足を踏み入れていた。
「……嫌な空気ね。湿り気が肌にまとわりつくわ」
ジレッタが腰の仮の短剣に手をかけ、警戒を露わにする。彼女の戦士としての直感が、この闇に潜む異常を敏感に感じ取っていた。
「リアムさま、あそこ……」
ルナが震える指で指し示したのは、崩れかけたレンガ壁の隙間、ゴミの山に側に横たわる『何か』だった。
三人が歩み寄り、リアムが小さな魔導灯で照らし出す。そこにいたのは、幼さの残る少女だった。
外傷はない。争った形跡すらない。だが、その姿はあまりに凄惨だった。
「……ひどい。まるで、中身を全部吸い出されたみたい」
ジレッタが息を呑む。少女の肌は、数十年も放置された古文書のように枯れ果て、土気色に変色していた。頬はこけ、目は見開かれたまま、光を一切宿していない。そこにあるのは肉体の抜け殻であり、生命の輝き――『魂』が、根こそぎ奪い取られた後の無残な残骸だった。
リアムは無言で少女の傍らに膝をつき、その冷たくなった額に手を置いた。
「……抵抗した跡がない。一瞬で、あるいは甘い夢でも見せられている間に、抜き取られたのか」
リアムの声は低く、どこか怒りを含んでいた。
調査を続けてわずか一時間。彼らは同じような路地裏で、さらに二人の犠牲者を発見した。
驚くべきことに、その全員が同じ年頃の少女ばかりだった。
「三人とも、同じ年頃の女の子……。これは、単なる無差別な怪異じゃないわね」
ジレッタが鋭い眼差しで周囲を見渡す。
魂を奪う存在。それが悪魔なのか、あるいは禁忌の術を操る人間なのかは不明だが、明確な『選別』が行われている。なぜ、少女なのか。なぜ、この貧民街の特定の区域なのか。
「……何か、引っかかるな」
リアムが立ち上がり、闇の奥を見つめた。
共通点は年齢と性別だけではない。発見された三人の死体は、どれも特定の『紋章』を思わせる位置関係で配置されていた。まるで、この街の地下に眠る何かを呼び覚ますための、生贄の儀式のように。
「リアムさま、あそこ! 誰かいます!」
ルナの鋭い叫びに、リアムとジレッタが即座に反応した。
入り組んだ路地の突き当たり、腐った木箱の影から、一人の人影が音もなく飛び出した。その動きは滑らかで、闇に溶け込むような隠密の術に長けている。
「待ちなさいッ!!」
ジレッタが地面を蹴り、風を斬って追いかける。リアムもまた、ルナの手を引いて背後に続いた。
人影は貧民街の迷路を知り尽くしているかのように、細い隙間を縫い、屋根を跳ね、執拗に追跡を振り切ろうとする。その背中は、どこか見覚えのある優雅さを湛えていた。
「逃がさないわよ……!」
ジレッタが投げナイフを放つ。それは人影の足元を掠め、レンガの壁に突き刺さった。わずかに怯んだ隙を見逃さず、リアムが影の先へと回り込み、純白の刀身こそ抜かないものの、鞘のままでその進路を塞いだ。
「――そこまでだ。夜散歩にしては、少しばかり足が速すぎるんじゃないか?」
月明かりが、追い詰められた人影を青白く照らし出す。
そこには、昼間の応接室で見せた紳士的な微笑を完全に消し去り、冷徹な狩人の顔をした『ルクルット』が立っていた。
彼の外套には、先ほどの少女たちの死体から漂っていたものと同じ、微かな『死の腐臭』と、魔力の残滓がまとわりついている。
「やあ……。これは奇遇ですね、リアムくん。それにジレッタさんも」
ルクルットはゆっくりと両手を挙げたが、その指先は鋭い暗器を隠し持っているかのように、細かく蠢いている。その瞳は、いつもの柔和な輝きを失い、月夜に光る猛禽のそれへと変わっていた。
「……貴方、ここで何をしていたの? バビロさんの忠告を無視してまで、こんな場所で這いずり回るなんて」
ジレッタが短剣を抜き放ち、ルクルットに切っ先を向ける。
ルクルットはふっと口角を上げた。その笑みは、親愛など微塵も感じさせない、空虚で不気味なものだった。
「何、と言われても。僕はただ、失われた『輝き』を探していただけだよ。……みんなが想像している以上に、この街の闇は深く、そして甘美な香りがするからね」
ルクルットの言葉には、隠しきれない執念と、どこか自暴自棄な狂気が混じっていた。
(見つからない……。ここにも、あの子はいないのか……)
彼の脳裏には、数日前から行方不明となっている婚約者の妹の姿があった。彼女もまた、十四歳。この異常な選別の条件に合致している。彼は個人的な目的で、誰よりも早くこの惨状を調査していたのだが、その切迫した表情は、傍目には『死体を選別する猟奇犯』のそれに見えた。
ルクルットは死体から漂う魔力の残滓を指先で弄びながら、不気味に目を細める。
「……さて。夜の遊びはここまでにしましょう。あまり深入りすると、僕たちの『魂』まで汚れてしまいますよ?」
ルクルットの姿が、煙のように闇へと溶けていく。
追いかけようとしたジレッタを、リアムが手で制した。
「深追いしなくていいですよ。……彼も、何か『引き返せない場所』に立っている気がします」
足元には、またしても冷たくなった少女。
そして目の前には、底の見えない闇を抱えた仲間であったはずの男。
リアムは、自分が握る鞘の重みを、かつてないほど強く感じていた。
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