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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第22話 はい、リアムさま! 準備はできています!

 

 ステーキハウスの喧騒の中、ジレッタは手元に残った魔剣の柄を愛おしそうに撫で、決然とした眼差しでリアムを見つめた。


「リアム、相談があるの。……見ての通り、今の私には戦える武器がないわ。バラムさんが剣を打ち直してくれるまでの間、一人でいるのは合理的じゃない。テトラさんの依頼、明日から私も本格的に協力させてくれないかしら」


 リアムは意外そうに眉を上げたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「それは願ってもない申し出ですね。ジレッタさんのような腕利きがいれば、俺もルナも心強いですよ」


「決まりね。……そういえば、テトラさんへの『定時連絡』、明日が期限だったはずよ。ちょうど五日目でしょう?  明日の朝、あんたの事務所で待ち合わせましょう」




◆◇◆◇◆◇




 翌日。


 帝都の陽光が石畳を白く焼き、逃げ水が揺れる昼下がり、ジレッタは指定された住所の前に立ち、眉間に深い皺を刻んでいた。


「……ここ、本当に事務所なの? 幽霊屋敷の書き間違いじゃなくて?」


 見上げた先にあるのは、帝都の華やかな喧騒から取り残されたような、今にも崩れそうな雑居ビルであった。軋む階段を上り、重い扉を開けたジレッタを待っていたのは、外観の酷さとは裏腹に、驚くほど澄んだ空気だった。


 埃一つ落ちていない板張りの床、磨き上げられた窓から差し込む柔らかな光。室内には安物の茶葉が立てる穏やかな香りが漂っている。


「ジレッタさん、いらっしゃいませ! 今、お茶を淹れますね!」


 ルナが頬を赤らめ、誇らしげに箒を立てかけて駆け寄ってくる。建物自体は確かに老朽化が激しいが、ルナが毎日欠かさず愛情を込めて磨き上げているのだろう、調度品には深い艶が宿り、清潔な安らぎが保たれていた。


「……ボロいけれど、居心地だけは悪くないわね。でも、早く行きましょう。テトラさんを待たせるわけにはいかないわ」


 三人は連れ立って、貴族街の一角にある豪奢なテトラの屋敷へと向かった。


 五日に一度の定時連絡。門を潜り、重厚な扉の先に広がる応接室には、既に帝都屈指の『曲者』たちが顔を揃えていた。


 軽薄な笑みを浮かべて椅子に深く腰掛けるルクルット。全身を鋼の鎧で包み、彫像のように微動だにしない『氷結』。そして、影に溶け込むようにして研ぎ澄まされた殺気を放つ『ジャック』。


 一同の前に、主人の忠実な影である執事のバビロが音もなく現れた。


「皆様、お揃いですね。……さて、今週の報告を承りましょう。他の皆様からはすでに伺っておりますので、リアム様はいかがでしょうか」


 リアムは後頭部を掻きながら、気の抜けたような声で答えた。


「いやぁ、今週は別の一件もありましてね。俺の方は収穫なしです。空振りですよ」


「バビロさん、私も今週は大きな収穫はないわ」


 リアムとジレッタの言葉の裏にある、ベルフェオンという『大罪』を屠った事実は、ここでは決して明かされない。


 バビロは無表情に頷き、眼鏡の縁を静かに押し上げた。


「左様でございますか。……実は、こちらからは皆様に共有すべき『不穏な報せ』がございます」


 バビロの声の温度が、一段階下がった。


「五日前の集会に参加していたハンター、『業火』が行方不明となりました。二、三日前からハンター協会も彼と連絡が取れなくなったようで、本日の定時連絡の刻限を過ぎても姿を見せず、その足取りは忽然と途絶えております」


「……あの業火くんが? 喧嘩っ早いところはあったけれど、腕は確かだったはずだよね?」


 ルクルットが眉をひそめた。かつてリアムと一触即発の事態に陥った、あの苛烈な魔力を操る男。その実力は、並の悪魔に後れを取るようなものではない。


「それだけではありません。最近、帝都の貧民街周辺で、身元の知れない死体が幾つも発見されています。いずれも『魂を抜き取られた』かのように、外傷もなく枯れ果てた姿で……」


 バビロの言葉に、室内の空気が一気に張り詰めた。七つの大罪という絶大なる脅威とはまた別の、湿り気を帯びた陰湿な悪意。帝都の地下深くで、何かが着実に、そして静かに蠢き始めている。


「……きな臭くなってきたわね」


 ジレッタが低く呟く。折れた剣の代わりとして腰に差した仮の短剣を、無意識に握りしめた。


「業火、誰かにやられたか、あるいは……」


 リアムは呟きながら、窓の外、暗雲に覆われ始めた空を見つめた。


 ベルフェオンとの戦いは、これから始まる巨大な狂騒の、単なる幕開けに過ぎなかったのかもしれない。そんな考えが頭を過る。


「……皆様、よろしいでしょうか」


 バビロが冷徹な事務作業をこなす手際で、卓上の書類を整えた。その銀縁眼鏡の奥に潜む双眸(そうぼう)には、一切の感情が宿っておらず、ただ深淵のような闇が沈んでいる。


「先ほど申し上げた貧民街の怪異……これについては、現状、我らアーベルット家が調査を引き継ぎます。皆様には『絶対に』貧民街へは近づかないよう、強く釘を刺しておきましょう」


「それは少々聞き捨てなりませんね、バビロさん! 業火くんは、同じ依頼を受けた仲間のようなもの。そんな彼が行方不明だというのに、指をくわえて見ていろというのは難しい相談ですよ」


 ルクルットが、肩を竦めた。その物腰は極めて紳士的であり、声の響きは春の陽だまりのように柔らかい。しかし、細められた瞳の奥には、獲物を逃さない鷹のような鋭い光が宿っている。


「これはテトラ様の御意思でもあります。貴方様方のような高名なハンターが、あのような不浄な場所で万が一の事態に陥れば、それこそアーベルット家の、延いては帝都の損失です。……よろしいですね?」


 バビロの丁寧な言葉の裏には、逆らうことを許さぬ絶対的な拒絶が込められていた。その慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度には、主家を守ろうとする忠義というよりは、何か別の『巨大な意思』を代弁しているかのような、得体の知れない圧迫感がある。


「……忠告はしました。それでも踏み込み、不慮の事態に見舞われることのないように。よくお考えになって行動してください」


 バビロは独りごとのようにそう付け加えると、音もなく応接室を退室した。扉が閉まる間際、眼鏡の奥で光った冷ややかな視線が、一瞬だけリアムを射抜いた。


 後に残された応接室には、氷の張ったような沈黙が降りる。


「……絶対に行くなってことは、そこに『何か』があるってことよね」


 ジレッタが冷めた声で独りごちた。彼女の戦士としての本能が、バビロの言葉に潜む微かな違和感――守護を装った過剰なまでの排斥を、敏感に察知していた。


「あーあ。俺、お役所仕事の『禁止事項』ってやつが一番苦手なんですよ」


 リアムがわざとらしく大きな欠伸を漏らしながら、腰の鞘を軽く叩いた。


 バビロの忠告がどのような意図であれ、その言葉は結果として、飢えた獣たちの好奇心に火を注ぐことになった。紳士的に微笑むルクルットも、彫像のごとき『氷結』も、影に溶ける『ジャック』も、その瞳には隠しきれない狩人の情動が混じり始めている。


「ルナ。……悪いけど、今夜は少し夜更かしすることになりそうだ」


「はい、リアムさま! 準備はできています!」


 バビロが引いた境界線。それを軽々と踏み越えようとする実力者たちが、帝都の暗がりに潜む真実へと誘い出されていく。そこにあるのは、人知を超えた怪異か、あるいはそれ以上に醜悪な『何か』か。


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