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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第02話 もやしは悪くありませんっ!


 リアムは、まだ眠りの名残を頭の奥に引きずったまま、ベッドの縁に腰を下ろしていた。ぼさぼさの髪に指を差し入れ、無造作に掻きながら、喉の奥から気の抜けた声を漏らす。


 彼は、考えてもどうにもならないことを深く掘り下げない性格だ。悩むより先に、体を動かす。そんな楽天的な現実主義が、彼の生き方そのものだった。


 両腕を頭上へと伸ばし、ぐーっと背骨を反らせる。


 ぽき、ぽき、と骨の鳴る音が静かな部屋に響き、じんわりとした温もりが背中から体の芯へ広がっていく。


 ベッドを降り、ふわふわとした足取りで部屋を出る。開け放された扉を抜け、短い廊下を進みながら、彼はこの建物の造りを思い返していた。


 二階建てのこの建物は、一階が事務所、二階が私的な住居空間だ。リアムとルナ、それぞれの四畳半の部屋に、リビングとキッチン、トイレと風呂。簡素だが、生活に困らない二LDKである。


 築数十年の古い建物だが、不思議と薄汚れた印象はない。それはひとえに、ルナの徹底した掃除のおかげだった。床も壁も、年季はあれど清潔感があり、空気さえ澄んでいるように感じられる。


(ほんと、よくやってくれてるよな……)


 胸の奥に、感嘆と感謝が静かに灯る。


「いつもながら、ルナ様様だなぁ。こんなボロ物件が、ここまで綺麗になるなんて……」


 呟いた直後、キッチンの方から香ばしい匂いが漂ってきた。湯気に乗った温かな香りが、空腹を否応なく刺激する。


 リアムは自然と歩調を速め、リビングの扉を開けた。


 テーブルの上には、湯気を立てる朝食が几帳面に並んでいる。その光景だけで、心が少し軽くなる。


「おー!今日も美味そうだなぁ!」


 リアムは、ルナの料理が心底好きだった。彼の好みを熟知した味付けは、どんな料理でも舌に馴染む。


 なにより、ルナは出来立ての温かさに強いこだわりを持っていた。


 ——『温かいご飯は、心と体のエネルギーになるんです』。それが彼女の信条だ。


 今日の朝食は、『もやし尽くし』。


 まず一品目は、醤油とごま油で香ばしく炒められた『もやしの炒め物』。次に、もやしのシャキシャキ感を楽しめる『もやしの味噌汁』。そして、白く湯気を立てる『茹でたもやし』が、白米代わりに皿に盛られていた。


「さ、冷めないうちにどうぞ……」


 ルナはわずかに視線を逸らしながら言った。頬には、うっすらと赤みが残っている。


「いっただっきまーす!」


 リアムは気に留めることなく箸を取り、まず味噌汁を一口啜った。優しい味噌の旨みが口に広がり、喉を通って胃の腑へと落ちていく。


「うーん、美味い! 相変わらずルナの料理は最高だ!」


「いえ、それほどでも……ところでリアムさま。今日の朝食を見て、何か気づきはありませんか?」


 一瞬、言葉に詰まる。意図が読めない。


 リアムは一瞬戸惑い、ルナの意図が分からず、とりあえず食レポを始めるという苦し紛れの策に出ることにした。


「そうだなぁ、まずもやしの炒め物、これはごま油と醤油の香ばしさが絶妙で――」


「違います! そんな食レポ、誰も求めてません! それにありきたりで全然食感とか伝わってきませんし!」


 ルナは頬を膨らませ、ぴしゃりと言い放つ。


「じゃあ、えーっと……なによー?」


 本気で考えるが、答えは出ない。困った末、リアムはふと視線を上げた。


「……あ」


 目の前にいるルナは、小柄な体に白と黒のメイド服を纏い、桃色の瞳をこちらに向けている。その姿が、妙に愛らしく見えた。


「わかった。ルナ、今日も可愛いね」


 唐突な言葉に、ルナの顔が一瞬で真っ赤になる。


「えっ? きゅ、急に何ですかぁ……? もう……かわいい、ですか? ……えへへぇ」


 リアムが「うんうん」と深く頷きながら、ルナの頭を優しく撫でると、彼女は照れながら、まるで喉を鳴らす子猫のように彼の手にすり寄ってくる。


 先ほどのぷりぷりとした怒りはどこへ行ったのか、もはや完全に喜びで満たされていた。これがルナの悪魔らしからぬ可愛いところだと、リアムは微笑んだ。


「うん、可愛いよ」


「えへへー、リアムさまったら……って! 違うんですよ!」


 我に返ったルナは、慌てて手を払った。


「問題はもやしについてなんですよ! リアムさま、今日で何日目ですか、このもやしだけの生活は!」


 ルナは両手を腰に当て、きっと睨み上げた。


「えーっと……四日目、くらい?」


「五日目です! 五日間、朝昼晩ずーっともやしですよ!」


 彼女は指を一本一本折り畳み、最後には五本すべてを突き出して強調する。


「いいじゃないか。安いし美味いし、ルナが色々工夫してくれてるから飽きないよ?」


「そういう問題じゃありません! もやししかないから、そうせざるを得ないんです!」


 リアムは、なおも茹でもやしを口に運びながら、能天気に目を細めた。


「大丈夫だって。もやし、悪くないじゃん?」


 その能天気な無邪気さに、ルナは再び大きなため息をついた。


「もやしは悪くありませんっ! ルナは、もやし以外に食べるものがないこの貧窮(ひんきゅう)な状況が良くないと言いたいのです!」


「でもさぁ……お金ないし……」


「それはリアムさまが働かないからでしょう!」


 鋭い指摘が飛ぶ。


「ちゃんと依頼を受けて稼いでください! ルナはお肉が食べたいんです! ルナは育ち盛りなんですよ!」


 真剣な眼差しで見上げるルナ。その小さな体に、不釣り合いなほどの熱量が宿っている。


「いや、悪魔って、これ以上育たないんじゃ……」


 冗談めかした瞬間、空気が凍った。


「むぅーっ! 失礼ですっ! 育ちますっ! 絶対に育ちますっ! ……多分。いや、きっと……願えば……!」


  ルナはぷくっと頬を膨らませ、必死に自己の成長の可能性を訴えかけてみせた。その愛らしい虚勢を張る姿に、リアムは思わず笑みを漏らしてしまう。


「そうは言ってもなぁ……」


 リアムは半ば諦めたように目を細めて、改めてルナの姿をじっくりと見つめた。


 まず、髪の長さは腰の少し上あたりまで。わずかに桃色が混ざった美しい銀髪が、まるで絹糸のようにさらさらと揺れる。その髪を二つに結んでいるツーサイドアップは、小さな尻尾のように頭の上でぴょこんと跳ねていた。その結った髪の毛の下には、もちろん小さな角が隠れている。


 そう、ルナはれっきとした悪魔なのだが、その角を隠すためにこの髪型をしているらしい。しかし理由はいつもぼかされて『女の子には色々あるんです』としか答えてくれない。


 次にリアムの目に映るのは、ルナの大きな桃色の瞳だ。宝石のように澄んでいて、見る者を一瞬で引き込む。いつもキラキラと輝いている瞳だが、リアムが時折変なことを言うと、その瞳はまるでゴミを見るかのように冷たく光を失う。


(まあ、今日も相変わらず綺麗な目をしているな)


  リアムはそんなことを思いながら、ルナをじっくりと観察していた。


 ルナは自他ともに認める美少女だが、年齢的にはどう見ても人間でいうところの十歳からせいぜい十二歳くらい。彼女自身は『悪魔ですから! きっと見た目以上に長生きなんです!』と自信満々に語っているが、出会ってから五年経っても見た目はまったく変わっていない。まさに時間が止まったかのように、その幼さを保ち続けている。


(……どう見ても、変わってないよなぁ)


 身長は一四〇センチほどで小柄。いつも彼女が着ているのは、白と黒がバランスよく配置されたメイド服だ。袖やスカートのフリルが、まるで花びらのように華やかに揺れ、襟元の大きな黒いリボンが、その愛らしさをさらに引き立てている。膝上十センチのスカートからは、健康的な太ももと、黒いニーハイソックスで包まれた膝下が覗いている。小さくて丸い黒い革靴も、彼女の小柄な足元にピッタリと合っていた。


 ちなみに、メイド服は、初めて二人で買い物に行ったとき、ルナが一目惚れして『これがいい!』と即決したものだ。


 リアムがじっと見つめていることに気づいたルナは、得意げに胸を張る。しかしその胸は、リアムが何度見ても、あまり膨らんではいない。そんなルナに対して、リアムは出会った頃とまったく変わらないという『非情な評価』を下す。


「いやあ、やっぱり無理だろ……」


 嘘をつけなかったリアムは、つい、正直な感想が漏らす。


「そ、そんな……」


 一瞬しょんぼりとうつむいたかと思えば、次の瞬間。


「むきーっ! ばかばかばかーっ! リアムさまのバカ! アホ! ロリコンっ!」


「おい待て! 最後のは聞き捨てならん!」


 ルナの小さな拳が、ぽかぽかと腹に当たる。リアムは不名誉なセリフに反応し、慌ててルナの手を止めようとするが、彼女はそれを振り払ってプイッと顔を背けた。


「もう知らないっ!」


 最後に、みぞおちに痛烈なパンチを食らわせて、ルナは怒ったまま階段を下りていく。プリプリと怒った様子で、リアムに背を向けるその姿は、どこか拗ねた子供のようにも見えた。


「ぐはっ……結構効いたぞ……」


 リアムは腹を軽く押さえ、顔をしかめたが、去っていくルナの小さな背中をただ見送ることしかできなかった。ルナがドアをバタンと勢いよく閉めた音が響き渡り、リアムは深いため息をついて、静まり返った部屋に一人取り残された。


「あーあ……行っちゃったか。はあ……」


 リアムのつぶやきが静かなリビングに溶け込んで消える。


 たった今漏らしたため息は、ルナの不機嫌さに対してのものではなく、別の理由によるものだった。


 リアムはもやしの山を前に、茹でもやしと炒めたもやしを交互に口へ運びながら、窓の外をぼんやりと眺める。外は快晴、雲一つない澄み切った青空が広がり、窓辺では小鳥たちが楽しげにさえずっている。まさに平和そのものといえる朝だった。


「こんなにのどかな日に、依頼なんて来るわけないよなー。そもそも、ランク圏外の個人事務所になんて、依頼自体が滅多に来ないし――」


 ――バタンッ!ダダダダダッ!


 突然、事務所へと続く扉が乱暴に開き、続いて階段を駆け上がる焦燥の足音が響いた。


「うわっ!?」


 当然、階段を駆け上がってきたのはルナだった。ついさっきまでの不機嫌そうな表情はどこへやら、今目の前に立つルナは、満面の笑顔を浮かべている。逆にその笑顔が不気味なほど輝いていた。


「リアムさまっ!」


「な、何?」


「依頼です!」


「……え?」


「だから、依頼ですよ! お客さんが来たんです! 久しぶりの悪魔退治のお仕事ですよ! ハンターの出番ですっ!」


 ルナが手に持っているのは、ハンターに依頼を出す際に必要な契約書だった。


 しかし、リアムのような無名でランクも持たない個人経営のハンターには、悪質な冷やかしが多いため、リアムの目は自然と疑いの色に変わった。


「どうせまた冷やかしだろー?」


 契約書は、ハンター事務局に行けば誰でも手に入る。だから、何もない場所に送り込まれる無駄足案件が今月だけで七件もあったので、リアムはすっかり警戒モードだった。


「ここ! ここ見てくださいよ!」


 ルナがテンション高めに指差しているのは、依頼主の名前が書かれた箇所。しかし、リアムは冷やかしでも名前くらいは書けるだろうと気にも留めなかった。


「依頼主の名前なんてどうせ適当に書けるじゃん……また冷やかしだって……」


「違いますって! ここをよく見てくださいよ!」


 しつこいくらいにルナが指差す箇所を、渋々リアムが確認すると、名前の欄ではなく、その下の依頼先の欄が目に入った。そこには、『私は悪魔退治の依頼をリアムハンター事務所へ正式に依頼する』と『契約印』付きで記されていた。


「あれ? 本物じゃん……しかも契約印付き? これって、もしかしてお金持ち?」


 契約印を見つけた瞬間、リアムの態度がガラッと変わった。


 契約印というのは、それを使って契約を交わすと、必ず遂行しなければならない厳格なルールがある。印の発行にもお金がかかる。これを悪用する者は滅多にいない。


「そうですよ! しかも依頼主は下の事務所に待ってます! おまけに超美人のご令嬢っぽい人でしたよ!」


「よし、行くぞっ!」


 リアムは瞬時に髪を整え、黒いワイシャツとスラックスに着替えると、キリッとした顔つきになった。準備は完璧だ。


 しかし、横からはルナの侮蔑の視線が刺さるのを感じる。とはいえ、リアムは気にしない。


「ねぇ、リアムさま? 美人の令嬢だからって張り切ってません?」


「い、いや? そんなことないよ? ルナにお肉を食べさせてあげられるなって思っただけだよ? ほ、本当だよ?」


「ふーん……まあ、いいですけど。あんまりお待たせするのも悪いですし、行きましょう!」


 普段ならここで数発叩かれてもおかしくない状況だったが、今のルナは依頼という『吉報』で機嫌が良いらしい。


「よしっ、行こう!」


 巷では落ちこぼれと噂されているハンターのリアムにとって、これは約十日ぶりの依頼。しかも相手は美人令嬢ときている。リアムのやる気はいつも以上に高かった。そして、ルナもまた士気が上がっていた。思惑は違えど、その小さな拳を掲げた姿は燃えたぎる意志そのものだ。


「よーし! 脱・もやし生活ですっ!」


 ルナの拳には、言葉にせずとも『たまにはお肉が食べたい!』という切実な願いが込められている。士気は上々、リアムとルナは足取り軽やかに階段を駆け下りていった。


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