第18話 リアム……さま……?
その瞬間、森の全域が白銀の光に塗り潰された。
ジレッタが放ったのは、単なる剣技ではない。父から受け継いだ命、アヌビスの父が遺した誇り、そして彼女自身の魂そのものを燃やし尽くして練り上げた、一筋の『裁きの光』であった。
空から一直線に降り注ぐその閃光は、ベルフェオンの腹にある巨大な口――その奥深くに鎮座する禍々しい核へと、寸分違わず狙いを定めていた。
「これで……終わりなさいッ!!」
ジレッタの叫びが木霊する。
あまりの熱量に大気は蒸発し、白銀の奔流がベルフェオンの眉間を、胸を、そして核を護る外殻を飲み込んでいく。
光が激突する爆音——そしてベルフェオンの巨体が爆発の衝撃で後ろへと大きく仰け反る。
勝った。アヌビスも、震えながらそれを見守るルナも、確信した。
あれほどの一撃を受けて、無傷でいられる存在など、この世界にいるはずがない。
だが。光の渦が晴れ、静寂が戻ろうとしたその刹那――。
「……あはっ」
耳を疑うような、無邪気で冷酷な少年の笑い声が聞こえた。
ジレッタの視界が明瞭になる。
そこには、核を貫いているはずの白銀の剣先を、わずか二本の指――子供のようにぷっくりと太ったベルフェオンの右手の人差し指と中指が、まるでおもちゃを摘まむように、ひょいっと挟んでいる光景があった。
ジレッタの全身全霊を込めた、音速を超える突進。父と先代アヌビスの遺産を注ぎ込んだ、究極の絶技。それが、ベルフェオンにとっては飛んできた羽虫を指先であしらう程度の、あまりに容易い動作で止められていた。
「お姉ちゃん、今のすごーい! でもね……」
ベルフェオンの三つの目が、三日月のように歪んだ。彼は指先に、ほんの僅かな、子供が爪を弾く程度の力を込める。
「――おやつにするには、ちょっと硬すぎかな」
パキィィィィィィィィン!!
森の空気を切り裂いたのは、あまりに無慈悲な破砕音だった。
ジレッタが何よりも大切にし、己の半身としてきた父の魔剣が、ベルフェオンの指先のひと弾きで、飴細工のように容易く砕け散ったのだ。
「あ……」
ジレッタの口から、掠れた声が漏れる。
衝撃はそれだけでは終わらなかった。破砕した魔剣から逆流した凄まじい魔力の反動、そしてベルフェオンが放った指先の一振りから生じた暴風が、ジレッタの体を正面から叩き潰す。
「が……はっ……!!」
ジレッタの体は木の葉のように宙を舞い、数十メートル後方へと叩きつけられた。地面を激しく転がり、泥と血にまみれながら、彼女は拘束されたままのアヌビスとルナの目の前へと力なく倒れ込んだ。
手元に残されたのは、無残に折れ曲がった柄と、数センチほど残った刃の破片だけ。光り輝いていた白銀の刀身は、今やその輝きを失い、冷たい鉄の塊へと成り果てていた。
「……ジレッタ様!! ジレッタ様ぁぁぁーーーッ!!」
アヌビスが狂ったように叫ぶ。 『絶対服従』の重圧で骨が軋み、肉が裂けるのも構わず、彼は地面を爪で掻きむしった。
自分の父が命を懸けて護り、遺した命、そして、魔剣。それが今、目の前で砕かれ、その一部となって散った主が動かなくなっている。
「ダメだ……ダメだ、ジレッタ様! 目を開けてください! 魔剣が……父たちの誇りが……!!」
アヌビスの叫びは、悲痛な慟哭となって辺境の空に響き渡った。ジレッタは虚ろな瞳で、砕けた剣の破片を見つめていた。意識が遠のく中で、彼女の心は音を立てて崩れていく。
(……ごめんなさい、お父さん。私……守れなかった。誇りも、剣も、みんなも……)
圧倒的な、あまりに圧倒的な格の違い。
どれほど努力を積み重ねようと、どれほど気高い想いを抱こうと、深淵の王にとっては一顧だにする価値もない。絶望が、冷たい泥のようにジレッタの心を塗り潰していく。
ベルフェオンは、だらしなく涎を垂らしながら、ゆっくりと、本当にゆっくりと彼女たちに向かって歩を進めた。腹の口が、収穫を喜ぶようにギチギチと音を立てる。
「さてとぉ、まずはどのお肉から食べようかなぁ? あ、泣いてるアヌビス君からにしようかなぁ? 悲しい味がして、とっても美味しそうだもん」
死の足音が近づく。もはや誰も動けない。誰も、抗えない。
しかし、その絶望の淵で――これまで誰もがその存在を忘れていた瓦礫の山が、静かに、だが確実に揺れた。
立ち昇る砂塵の向こう側から、一歩。カチリ、カチリと、硬質な金属が擦れ合う音が響く。
それは、重く、冷たく、そしてこの場にいる誰よりも異常な気配。
「……お前、ジレッタさんの想いを、踏みにじったな」
その声に、ベルフェオンが初めて不快そうに三つの瞳を向けた。
そこには、黒いシャツを血で汚しながらも、傷一つ負っていないかのように平然と立つリアムの姿があった。
だが、その雰囲気は、先ほどまでの呑気なハンターとは完全に別物だった。彼の周囲だけが、まるで色が抜け落ちたかのように無機質で、絶対的な死の静寂に支配されている。
リアムの手は、腰の獲物にかかっていた。ぐるぐる巻きにされていた太い鎖が、まるで見えない熱に浮かされたように赤黒く発熱し、一本、また一本と、独りでに解け始めていた。
「ルナ。……ちょっと、怖いかもしれないけど、我慢してくれ」
「リアム……さま……?」
リアムが静かに告げると同時に、最後の一本の鎖が、地面に落ちて凄まじい音を立てた。まるで、星が降ってきたかのような、衝撃だ。
そして、その瞬間、森の全生命体が、先ほどのベルフェオンの出現時を遥かに超える戦慄に襲われた。
解き放たれる、深淵の真骨頂。折れた剣を抱え、絶望に沈むジレッタの瞳に、今度は『本当の怪物』の姿が映り込もうとしていた。
少しでも『面白い!』『続きが気になる!』と思っていただけたら、ブックマークで応援いただけると嬉しいです。下にある【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、さらにさらに、次回の更新も頑張れます!




