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葬霊の鞘と銀の月 ―百年戦争の残滓― 〜神を喰らう魔剣と、奇跡を紡ぐ少女〜  作者: ウィースキィ


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第16話 ルナも、う、動けません……っ!


「リアムさま! ジレッタさん! やりましたね!」


 ルナがメイド服のスカートを揺らしながら、パタパタと小走りで駆け寄ってきた。その弾んだ声は、勝利の喜びに満ちている。ジレッタもまた、額の汗を拭い、張り詰めていた肩の力をわずかに抜いた。


「ええ……。あんたの主人のおかしな動きには助けられたわ」


 ジレッタはそう言ってリアムを軽く睨むが、その瞳には隠しきれない敬意が混じっていた。


 リアムは相変わらず「いやぁ、ジレッタさんの剣が凄かっただけですよ」と、腰の鎖を撫でながら呑気に笑っている。


 戦いの後の、束の間の和やかな空気。だが、その静寂は不自然なほど急激に、そして暴力的に塗り潰された。


 森の木々が恐怖に震えるようにざわめき、頭上の空が濁った血のような色に変色していく。


「……ひっ!?」


 ルナが短く悲鳴を上げ、リアムの腕を強く掴んだ。


 森の深奥から姿を現したのは、見るに堪えないほど醜悪に肥大した『肉塊』であった。


 全身をぶよぶよとした不潔な脂肪が覆い、蒼白い肌にはぬるぬるとした汗のような体液が付着している。頭には触手のようなものが蠢き、焦点の合わない三つの目がぎょろりと周囲に視線を向ける。


 そして何より異様なのは、その膨らんだ腹部が裂けるように開き、そこには無数の鋭い牙が並ぶ『巨大な口』が備わっていることだった。


「……あうぅ……ボクのペット……死んじゃったぁ……?」


 おぞましい姿に似合わぬ、鈴を転がすような少年の可愛らしい声。だが、その響きには生物としての温もりが一切欠落している。


 肉塊の傍らには、モノクルを嵌めた痩身の、執事のような装いの悪魔が音もなく佇んでいた。執事は慇懃(いんぎん)に一礼し、肉塊へ向けて冷徹な声をかける。


「お気を静めくださいませ、『ベルフェオン』様。代わりの玩具(オモチャ)なら、目の前に手頃なものが転がっております」


 その名を聞いた瞬間、ジレッタの顔から血の気が引いた。


「ベルフェオン……!? まさか、悪魔皇帝直属、七つの大罪を司る悪魔。暴食の主……『暴食のベルフェオン』なの……!?」


 伝説の、あるいは神話の存在。目の前にいるのは、一国の軍隊すら数分で胃袋に収めるという、生ける絶望そのものであった。


「あ、そっかぁ。じゃあ、この子たちを食べちゃえばいいんだよね?」


 ベルフェオンは、赤ん坊のように無邪気に手を叩いた。その瞬間、腹部の大きな口が「ギチギチ」と音を立てて広がり、そこから漏れ出した濃厚な瘴気が周囲の土を瞬時に腐らせていく。


「ボク、お腹すいちゃったんだぁ。ねぇ、キミたち。美味しそうに鳴いてくれるかなぁ?」


 少年の純真な残酷さと、外見の吐き気を催すほどの醜悪さ。その歪な乖離が、空間全体を狂気の色に染め上げていく。


 ジレッタは魔剣を構えようとしたが、あまりのプレッシャーに指先一つ動かすことができない。隣のアヌビスでさえ、跪いたまま、その存在感に圧倒されていた。


 そんな絶望の極致の中でリアムだけが、わずかに目を細め、腰の鎖を『カチリ』と鳴らした。


「……お肉好きの子供ですか。困ったな、あの様子だと、カツレツ・サンドだけじゃ足りそうにない」


 呑気な言葉とは裏腹に、リアムの纏う空気が、鋭く、冷徹な刃のように研ぎ澄まされていった。


 ベルフェオンがその歪な三つの目を細めた瞬間、周囲の空間が物理的な重みを伴って軋んだ。


「ボクね、行儀の悪い食べ物は嫌いなんだぁ。だから……みんな、じっとしててね?」


 少年の純真な声と共に、漆黒の魔力が波動となって放たれる。


 それは魔の序列を強制的に書き換える権能。悪魔皇帝に次ぐ最高位、七つの大罪を司る者のみに許された、下位の悪魔への『絶対服従(オーダー)』の波動であった。


「くっ……体が、動か……ッ!?」


「ルナも、う、動けません……っ!」


 上級悪魔であるはずのアヌビスが、苦悶の表情を浮かべてその場に膝を突いた。紺色のスーツが泥に汚れ、誇り高き漆黒の翼が力なく地面に伏せる。


 ルナもまた、サンドイッチの紙屑を握りしめたまま、見えない重圧に押し潰されるようにしてその場に(くずお)れた。


「ルナ!? アヌビス!?」


 ジレッタが叫ぶ。人間である彼女にはその拘束は及ばないが、契約悪魔の支援を断たれることは、ハンターにとって四肢を奪われるに等しい。


 百年戦争の英雄譚には、悪魔の権能に縛られない人間が七つの大罪悪魔を退けた逸話もあるが、それはあくまで伝説。目の前の現実は、ただの絶望だった。


「まずはお兄ちゃんから、食べちゃおっかな」


 ベルフェオンが、丸々と太った短い腕を無造作に振るった。ただのなぎ払い。しかし、それは音速を超え、大気を爆ぜさせる一撃となってリアムを襲う。


「リアムさまっ!」


 ルナの悲鳴が森に響く。リアムは咄嗟に鎖の鞘を盾にしたが、あまりの衝撃に足元の地面が数十メートルにわたって抉れ、彼の体は砲弾のような速度で森の深部へと吹き飛ばされた。幾重にも重なる大樹がバキバキとへし折れる凄まじい音が響き渡り、やがて砂塵の向こうで静寂が訪れる。


「リアム……嘘でしょ……?」


 ジレッタの膝が、ガチガチと音を立てて震えた。動けない仲間。生死不明の相棒。そして、自分を『食事』としか見ていない醜悪な神のごとき怪物。


 逃げたい。今すぐ、この悪夢から。


 だが、恐怖で白く染まりかけた視界の端に、手にした魔剣が映った。


 悪魔の骨で造られた、鈍く、しかし温かく光る白銀の細剣。それは、かつてハンターランク五位として歴史に名を刻み、幼い自分を守るために特級中位悪魔の盾となって散った『父の遺骸』。そして、父と運命を共にした契約悪魔の骨を継ぎ、鍛え上げられた特別な魔剣であった。


(……逃げない。お父さんは、私を逃がすためにあの日……)


 脳裏に蘇るのは、血に染まりながらも自分を振り返り、優しく微笑んだ父の最期。


 ジレッタは震える両手で、父そのものである魔剣の柄を力一杯握りしめた。


「まだ……終わってないわよ、この化け物……!」


 唇を噛み切り、鉄の味で恐怖を塗り潰す。


 ジレッタは、圧倒的な捕食者を前に、ただ一人、白銀の刃を正面上段に構えた。


「あれぇ? まだ動けるんだねぇ。お姉ちゃん、お肉が締まってて美味しそうだなぁ」


 ベルフェオンの腹にある巨大な口が、嘲笑うように不気味な音を立てて開いた。


【登場人物】


■ベルフェオン

挿絵(By みてみん)


■悪魔執事

挿絵(By みてみん)


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