第01話 お、起きないと……『ちゅー』しちゃいますよ~?
はじめまして!
数ある作品の中から見つけていただき、ありがとうございます!
ずっと温めてきた「魔剣」と「絆」の王道ファンタジーを、ようやく形にすることができました。
全68話完結まで、途中で止まることなく【毎日更新】で最後までお届けします!
怠惰なハンターと世話焼き少女の凸凹コンビが、もやし生活を脱して帝都に渦巻く陰謀に立ち向かう物語、ぜひ最後までお付き合いいただければ幸いです!
不格好な有明の月を思わせる、奇妙に湾曲した大陸が、世界の片隅に横たわっている。
人々が安住の地として暮らすこの大陸の名はエスペランサ。
今からおよそ二十年前に終結した『百年戦争』において、人類が『悪魔皇帝』の軍勢から血と命を代償に守り抜いた、束の間の安息の地である。
百年に及ぶ苛烈な戦火は終わりを告げた。
しかし、かの魔界へと通じる門は、いまなお大地の深奥で裂け目のように口を開いたまま閉じようとしない。
その奥に広がる異界――魔界は、依然として人類にとって拭い去れぬ生存の脅威として君臨し続けていた。近年、大規模侵攻の烽火こそ上がっていないものの、悪魔皇帝の勢力は水面下で静かに力を蓄え、邪悪な威容を失うことなく温存されている。
さらに、魔界の門を中心に広がる広大な地帯は、もはや人類が奪還を諦めた禁断の領域であり、悪魔皇帝に仕える強大無比な悪魔たちが、その地を排他的に支配していた。
人々は畏怖と諦念を込めて、そこを魔界領と呼ぶ。不幸にも、魔界領はエスペランサ大陸と陸続きであるがゆえに、国境線には常に鋼の刃のような緊張感が張り詰めていた。
それでも人類は、かつて悪魔と一世紀以上にわたり生存闘争を繰り広げた先人たちの献身的な犠牲を胸に刻み、日々この大陸での束の間の平和を守るため、静かなる戦いを続けている。
苦難の末に手に入れたこの大地と、その上で営まれる慎ましくも尊い日常を、何よりも大切に慈しみながら――。
そのエスペランサ大陸の東端に、澄み切った朝日が、ゆっくりと、しかし確実に差し込み始めた。
夜の帳を切り裂く光の矢は、世界の隅々へと命の息吹を注ぎ込む。
森の鳥たちは青空を切り裂くように羽ばたき、天鵞絨の囁きにも似た柔らかな囀りを響かせる。
植物の葉は、まるで渇望する緑の掌のように光を求めて天へと伸び、日常の始まりを告げる清澄な鐘の音が、街のあちらこちらから重なり合うように鳴り渡った。
そして早朝の空気には決まって、平和な大地を謳歌する飛べない鳥の朗々とした鳴き声が混じり合い、一日の幕開けを鮮やかに彩っていた。
だが、その穏やかな朝の空気とは裏腹に、白と黒の典雅なメイド服に身を包んだ一人の少女が、狭い部屋の中で小さな戦いを繰り広げていた。
小柄で、陶器細工のように整った童顔。その愛らしさは、やがて誰もが息を呑む白百合のような美しさへと育つであろうことを、容易に想像させる。
桃色を宿す銀色の髪はツーサイドアップに結われ、小さな二本の尾のように、ふわりと軽やかに弾んでいた。
そんな彼女が今、全身全霊で挑んでいる戦い――それは、深淵なる眠りに沈んだ主を起こすという、毎朝の聖なる儀式である。
ベッドの上では、墨を流したような黒髪の塊が、毛布の隙間から冬ごもりをする動物の頭のように、かろうじて姿を覗かせていた。
少女はその黒髪の少年の身体を優しく揺さぶりながら、銀髪のツーサイドアップを小さな天使の羽のように揺らめかせる。
「リアムさま! 起きてくださーい! もう朝ですよー!」
何度声をかけ、慎重に揺さぶっても、布団の中の少年――リアムは、まるで大地に深く根を張った古木のように微動だにしない。
それどころか、揺さぶられる感覚すら心地よい揺籠として受け入れているのか、夢の底で「んん……まだ眠いんだ……」と、誰にも聞かれぬ幼稚な言い訳を零しながら、深い眠りの海を漂い続けていた。
そして、彼は少女に背を向けるように、無遠慮な寝返りを打つ。
その無防備な背中を前に、少女の頬は風船のようにぷくりと膨らんだ。
(もう、またこれだ)
本心から怒っているわけではない。しかし、毎朝のように起きる気配すら見せない主の怠惰な振る舞いに、困惑と呆れがない交ぜになって胸に溜まっていく。
「もうっ! リアムさま、いい加減に起きてください!」
リアムの意識は、かすかに水面へと浮かびかけたかと思うと、瞬く間に深い眠りの闇へと引き戻された。
それはまるで、抗う間もなく落下する無意識の世界。その刹那、誰かが自分を呼ぶ甘やかな声が遠くから聞こえ、やがて残響のように薄れていくのを感じながら、彼の意識は再び温かな闇に包まれる。
そう、二度寝という名の至福の罪だ。
罪悪感すら溶かしてしまうその甘美な時間は、何ものにも代え難い快楽だった。
だが、それでも彼の意識は泡のようにわずかずつ浮上し始める。朧げな思考の中で、リアムはその声の主を思い出す。
毎朝決まった時刻に耳へと届く、甘く、少し舌足らずで、どこかくすぐったい声。その声は、もはや彼の日常の一部となっていた。
その声の主は、健気に毎朝起こしに来てくれる少女のものだ。
だが、彼女は生身の人間ではない。外見こそ愛らしい幼い人間の少女そのものだが、正体は誇り高き悪魔。リアムの『契約悪魔』である。
ツーサイドアップの髪に隠れるように生えた二本の小さな角だけが、彼女が悪魔であることを辛うじて示していた。
悪魔でありながら献身的で、何事にも一生懸命な世話焼き。そんな彼女の名を思い出しながら、リアムは夢の淵で囁く。
「う、うーん……ル、ナ……あと五分だけ……」
瞼を閉じたまま、彼は無意識にルナの手を探り当て、その小さな手を幼子のようにぎゅっと握りしめた。むにゃむにゃとした寝言に、ルナの顔には思わず砂糖菓子のような微笑みが浮かぶ。
「そ、そんなに可愛らしく言っても、駄目ですからね……」
握られた右手を見つめるルナの頬は、淡い羞恥に染まり、ほんのりと桃色を帯びる。言葉こそ毅然としていたが、その声色はすでに柔らかく、抗いがたい甘さを含んでいた。
だらしない主ではあるが、ルナはリアムに深い尊敬と揺るぎない忠誠を捧げている。それは、かつて命の灯火が消えかけた瞬間に救われた、あの日の絶対的な恩義に根ざした感情だった。
ルナはそっと左手を伸ばし、寝ぐせだらけの頭頂に優しく触れる。まるで母親が我が子を慈しむように、柔らかな掌でゆっくりと黒髪を撫でた。普段、リアムが目を覚ましている時には決して許されない行為。それは、起床の時だけに与えられた、ルナにとっての密やかな至福だった。
「ふふ……リアムさま、今日も可愛らしい寝顔です……」
主従という枠を静かに越えた信頼と、穏やかな愛情が、朝の光とともに部屋を満たしていく。だが、このまま終わるわけにはいかない。彼女には、自称メイドとしての責務がある。
ルナは毎朝、鐘が七時を告げると必ずリアムを起こしに来る。それは日課であり、彼女の一日の始まりでもあった。楽しみがないわけではないが、毎度のように起きない主を前にしては、さすがに看過できない。時間は有限であり、無為に浪費すべきものではないのだから。
特に、普段から緩みきったリアムの生活を思えば、この怠惰な朝の積み重ねが、いずれ目も当てられぬ事態を招くのは明白だった。
「……やっぱり、今日も石みたいに動きませんね。……ならばっ!」
名残惜しさを胸に押し込み、握られていた右手をそっと引き抜く。そして、リアムの顔を覆っていた掛け布団を勢いよく退かした。白日の下に晒されたのは、中性的で、化粧を施せば少女と見紛うほど整った彼の顔立ちだった。
そのままルナは、両手の親指と人差し指で彼の頬を掴み、遠慮なくムニムニと刺激を与え始める。これは彼女が編み出した、実績ある第三段階の起床儀式――『ふにふに作戦』である。
「むぅ……相変わらずお餅みたいに柔らかいですね……それっ、それそれそれぇ!」
ムニムニ、ムニムニ。
粘土細工を楽しむ子供のように、ルナはリアムの頬をこねくり回した。渋々のふりをしてはいるが、この時間が小さな悪戯の喜びであることを、彼女自身が一番よく分かっている。
「……ん、んん……」
ようやく、リアムは微かな呻きを漏らすが、それでも瞼が開く気配はない。
「……ん、じゃないですよぉ! 起ーきーてーくださいってーっ!」
ルナの胸に、かすかな葛藤が芽生える。正直、寝顔を眺めるのも、頬をふにふにするのも、彼に触れるこの時間も、決して嫌ではない。むしろ、朝の小さなご褒美ですらあった。
(でも、そんな甘さを許してはいけません!)
だらしない主を律するのも、契約悪魔としての大切な務め。ここで妥協すれば、リアムの生活はさらに緩み、悪影響を及ぼすに違いない。
だが、今日は様子が違う。これほどまでに起きないのは珍しい。ルナは「むむむ」と唸りながら、あどけない顔に困惑と真剣さを滲ませ、小さくため息をついた。
「……はぁ。駄目ですね……リアムさま、今日は本当に深い眠りの沼にいますね」
リアムが朝に極端に弱いことは、ルナにとってもはや揺るぎない真理だった。これは彼女の日常における大前提であり、覆しようのない現実でもある。普段であれば、頬を『ふにふに』と刺激するだけで、どれほど眠たくとも「なんだよぉ……やめろよぉ……」と寝ぼけ声を上げながら、渋々起き上がるのが常だった。
だが、今日は違う。リアムはまるで岩の彫像のように微動だにせず、見事なまでの爆睡を続けていた。彼の周囲だけ、時間が取り残されているかのようだ。
ルナは数秒ほど真剣に思案したのち、「むむむ……」と可愛らしく唸りながら顎に手を当てた。
そして、ふと数日前に読み終えた『騎士と乙女の物語』の一場面が、鮮烈な色彩をもって彼女の脳裏をよぎる。
その小説は、呪いによって永い眠りについた姫君を、王子様が口づけで目覚めさせるという、胸が高鳴るほど甘美なシーンでクライマックスを迎えていた――そう、『目覚めのキス』の場面だ。
「か、斯くなる上は……! ルナのちゅ、ちゅーで、呪いを解くしか……!」
言葉とは裏腹に、ルナの小さな心臓は早鐘のように高鳴り、頬はみるみるうちに深紅へと染まっていく。
(こ、これはリアムさまを起こすため……必要なこと、ですよね? べ、別に変な意味じゃ……)
自問自答が頭の中を渦巻く。それでも、契約悪魔としての責務と、このだらしない主を寝坊から救わねばならないという純粋な使命感が、彼女の背中をそっと押した。
ルナは、普段なら決して行わない行動に踏み切る。丸い黒革の靴を脱いで丁寧に揃えると、そっとベッドに上がり、静かに布団の中へと入り込んだ。リアムの腹部の上に、まるで小さな天使が舞い降りるように身を寄せると、彼の体温がじんわりと伝わってくる。
(……あったかい……このまま一緒に眠ってしまっても……)
一瞬、怠惰の誘惑が脳裏をかすめる。だが、ルナは慌てて首を左右に振り、邪念を振り払った。
穏やかな寝息を立てるリアムを見つめ、ルナは小さく息を吸い込み、自分の口元に指を添える。そして、彼の顔へとそっと身を近づけ、あくまで“声と息で起こす”つもりで、囁くように告げた。
「お、起きないと……『ちゅー』しちゃいますよ~?」
当然ながら、返事はない。聞こえるのは「すー……すー……」という平和そのものの寝息だけだ。念を入れるように、頬を数度つついてみるが、反応は皆無だった。
「ね、寝てますよね……? ……だ、大丈夫ですよね……?」
ルナは念のため部屋をきょろきょろと見回した。大きな窓から差し込む朝の光だけが、彼女の決意を黙って見守っている。覚悟を決めたルナは、両拳をぎゅっと握りしめ、心の中で自分を励ました。
リアムの顔の両脇にそっと掌を置き、息がかかるほどの距離まで静かに近づいていく。距離が三十センチ、二十センチと縮まるにつれ、鼓動は激しさを増し、耳まで真っ赤に染まっていった。緊張と羞恥が胸を締めつける。
残り十五センチ――ルナは息を呑み、目を閉じる。
その瞬間、町中に七時十分を告げる鐘の音が、荘厳に響き渡った。
ゴーン、ゴーン――。
(な、なんだか……まるで結婚式の誓いのキスみたい……)
胸の高鳴りが最高潮に達した、その刹那――
「はっ! 朝かっ!」
突然、リアムが跳ね起きた。
「きゃうっ!」
勢いよく起き上がったリアムの胸板に、ルナの顔が正面からぶつかる。反動で彼女は仰け反り、リアムの上に仰向けのまま倒れ込んだ。鼻の付け根に鈍い痛みが走り、じんわりと熱を帯びてくる。
「うぅ……いたい……」
涙目になったルナを見下ろし、寝ぼけ眼のリアムは首を傾げた。
「あれ? ルナ? ……何してるの?」
あまりにも無邪気な問いかけに、ルナは鼻を押さえたまま、仰向けで睨み返す。
「い、いきなり起きないでくださいよぉ……!」
困惑と痛みに満ちたルナの視線は、ぶつかってきたリアムの胸元から、ふと自分の体へと移った。
その瞬間、ルナは自身の今の体勢に愕然とする。勢いよく仰向けに倒れ込んだ反動で、メイド服のスカートが膝の上まで僅かにめくれ上がり、無防備な状態になりかけていたのだ。
「あ、あわわっ! あわわわわっ!」
慌てて起き上がり、スカートの裾を直して体勢を整える。何事もなかったかのように振る舞おうとするが、顔の赤みは隠しきれない。互いの視線がぶつかり合い、部屋には重い沈黙が降り積もった。
ルナはあまりの出来事と羞恥心で頭が真っ白になり、一方のリアムは未だ夢と現実の境を彷徨っているかのように、状況を全く理解できずにいた。
続く沈黙は、五秒、十秒――。先に限界を迎えたのは、もちろんルナだった。
「え、えーっと……お、おはようございます……?」
とりあえず朝の挨拶を口にするものの、極度の焦りのあまり、語尾は心もとない疑問形になってしまう。
「うん、おはよう。……って、なんで疑問形なんだ?」
その一言が決定打だった。
「な、なんでもありません! とにかく朝です! 朝食が冷めちゃいますから、早く来てくださいーっ!」
ルナは完全にパニック状態に陥っていた。目覚めのキスを試みようとして、顔面を主の胸板にぶつけ、さらにスカートがめくれるという三重苦の屈辱に耐え切れず、打つ手がなくなった彼女は、文字通り全速力で部屋を飛び出していった。
部屋を出る際、スカートの裾を必死に抑えるその慌てふためいた姿は、どこか愛らしかった。
リアムは、そんなルナの不可解な行動を目で追いながら、今起きた出来事のピースを全く繋ぎ合わせることができずに、再び首をかしげる。
(……なんだ? 朝から嵐みたいだな……)
再び毛布を手に取りかけ、二度寝の誘惑に引き込まれそうになったが、脳裏に残るルナの必死な声が、それを辛うじて押しとどめていた。
【登場人物】
■リアム
■ルナ
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