9.告白と別れ
時は夕刻を過ぎた。夕日が海に半分沈み、あたりは少し薄暗い。ケーキを食べ終え、ささやかなお誕生会が終わるころ、フライは海底に戻っていった。騒がしさが消えた洞窟に波の音が響き、隣に座っているジャンの黒髪が潮風に揺れる。ジャンはじっと頬杖をついて沈む夕日を眺めていた。なんだろう、胸騒ぎがする。こんな静かなジャンを見るのが初めてだからだろうか。いや、わたしの考えすぎか。このお馬鹿なジャンだって夕日を見て黄昏れることだってあるだろう。
「モモ、迎えに来た」
どこからともなく現れたのはジャンの父、ジャックさん。神出鬼没で私の動体視力ではワープしてきたのか、というくらい速い。ジャックさんを見るのは久しぶりだ。いつも何処かでお仕事をしているらしい。なんの仕事か一回聞いたことがあるけど、はぐらかされた。あまり言いたくなさそうだったので、それきり深追いしたことはない。
「ちょっと、少しくらい気配を出して登場してよ」
突然背後に立たれたモモさんがびっくりしている。それにしても、ジャックさんが洞窟に来るなんて珍しい。迎えなんてなくても、いつもジャンがモモさんを背負って崖を登って帰っていくのに。
「ありがとう、父さん」
頬杖をついたままで、ジャンが言った。
「なに?ジャンがジャックを呼んだの?どうして?」
モモさんが夫と息子に疑問をぶつける。
「空気読んでやれよ」
ジャックさんがモモさんの肩を叩き、そう言った。
何か言いたそうなモモさんを抱き寄せたジャックさんは、忽然と2人で消えた。あのスピードで洞窟を抜けて、崖を登っているんだろう。
洞窟には、私とジャンの2人きりになった。
「じゃ、ジャン?」
私の問いかけに、ジャンは頬杖をついたままで答えない。沈みかけた夕日のオレンジが、彼の漆黒の瞳を照らしている。
「....サリー」
長い沈黙の後に、ジャンはようやく口を開いた。椅子から立ち上がって、一歩ずつゆっくりと私の方に近づいてくる。
ジャンは私の目の前にくると立ち止まった。目線の少し下に彼の顔があって長いまつ毛が影を落としている。
「ははは、どうしたの?ジャン。いつもと雰囲気違うね」
ハリボテのように作った笑い声を私は出した。この雰囲気をなんとか壊したかった。
「.....サリー、僕は」
「な、何?ああ!次、いつフライが来るかって?確か3日後とか言ってたかなあ!」
私はジャンの言葉を遮った。ジャンにこれ以上喋らせたくなかった。
「サリー......ちょっと待って、僕の話を」
「ああ!残ったジュースは今から飲んだらダメだよ!明日飲もうってモモさんと約束してたでしょ?」
分かっている。不自然なことくらい。なんか嫌な予感がした、とにかく会話の主導権をジャンに渡したくない。
そんな私の内心を知ってか知らずか、ジャンは私を抱き寄せた。と言っても私より背が低いジャンがやると抱きしめるというよりは、抱きつかれたといった感じだけど。
「......サリー、僕は君が好きだ。付き合ってくれないか」
その言葉を聞いて私は硬直した。ジャンが抱き寄せていた身体を少し離して、私の表情を見ているけど目線を合わすことができない。この一年くらい彼は以前のように、私に好き好き言わなくなっていた。これは、幼い時に言っていたそういう軽い好きじゃない。
ああどうしよう、告白されてしまった。正直ジャンのことを異性として見れたことはない。おバカで呑気で素直で、小さくてお人形みたいに可愛い私の初めての友達。外の世界を教えてくれた、あたたかさを教えてくれた、生きて欲しいと言ってくれた。大事な人、すごく大切な人。
「わ、私はジャンが大切だよ。本当に。すごく、大事よ」
「それは僕も知っているよ」
ジャンはいつもの優しい声色で答えてくれる。
「大好きだよ、ジャンのこと」
「.....うん」
ジャンは静かに私の言葉を待ってくれている。
「......で、でも。男の人として見れたことはないの」
嘘を言っても失礼だろう。彼は勇気を出して告白してくれたんだから。それに彼は馬鹿だけど、人の心の機微を感じ取るのに優れている。誤魔化してもバレてしまう。
ああ、顔を上げられない。ジャンが黙っている。あのジャンが、あのうるさくて明るいジャンが。私のせいで.....。
「......ありがとう。サリー。真剣に答えてくれて。分かっていたんだ。君が僕のことをそういう風に思ってないって」
彼の言葉を聞いて、私は咄嗟に俯いていた顔を上げて目の前にいるジャンの顔を見てしまった。ジャンの顔は悲痛に歪んでいた。私と目線が一瞬合うと、彼はその顔を隠すように、小柄な体格に不釣り合いな大きな手で、自身の顔を覆う。ああ、傷つけてしまった。あんなに太陽みたいに笑う男の子なのに。私のせいで、傷つけてしまった。私の言葉がジャンの心を傷つけた。
「違うんだ、こんな風にしたかったんじゃないっ!」
彼は顔を覆ったまま俯いて、そう叫んだ。まだあの悲痛に歪んだ顔をしているんだろうか。ああ.....そういえば、彼が笑っている顔も、怒っている顔も知っているけど、悲しんでいる顔や落ち込んでいるところは見たことがない。いや、私に見せてくれたことはない。どうしよう、かける言葉が見つからない。この三年で必死に社会性を身につけようとしてきたのに。うまく話せるようになったと思ったのに。私は、1番大事な人に何を言えばいいのか、わからない。
「ごめんね、サリー。困らせてしまって。でも、どうしても言いたかったんだ」
ジャンは沈黙ののち、顔を隠していた手を頭の後ろにやった。もうあの歪んだ顔はしていなかった。いつものヘラヘラした軽薄な笑顔で彼はそう言った。
「......と、友達じゃダメなの?今まで通り」
「ごめんよ、サリー。僕は君を友達なんて思えたことはないんだ。これからも、きっと無理だと思う」
その言葉を聞いて驚きはしなかった。内心、彼がそういう風に私を見ていたことを、私は理解していた。理解して、わからないふりを続けてきた。
「ねえ、今まで通り会えるよね?明日も明後日も」
ジャンの言葉の意味を深く考えずに私は言った。いや、考えたくなかった。すごく、すごく嫌な予感がした。
「......サリー、僕はここを出て絶滅危惧種専門学校に入ろうと思っている。母さんたちは反対しているけどね」
「え?な、なにそれ」
「僕のような獣人や少数民族、魔力を持っている人間、そういう絶滅しかけている種族を保護している学校さ。世界連盟が運営していて、無償で授業を受けられて、希望した専門的な技術を習得する機会が得られる」
「そ、そんなところがあるの」
聞いたことがない。というか、ジャンがそんな真剣に将来のことを考えていたなんて信じられない。
目の前にいたはずのジャンはいつのまにか、洞窟の出入り口の方へ移動していた。彼は私に背を向けて、月を眺めている。今、彼はどんな顔をしているんだろう。何を思っているんだろう。
「.....サリーに出会った夜も綺麗な月が出ていた」
彼は独り言のように呟いた。波の音が洞窟内の空気を占め、月明かりが彼を照らす。どうしてこんなに彼の背中が遠く感じるんだろう。
「君は僕の命の恩人だ。僕はその学校でもっと強くなって戻ってくる、この洞窟にいなくても君を守れるくらいに。外の世界を旅できるくらいに。友達にはなれないけど、僕は君を守る盾になる。敵が来たら剣になる。他の誰かと結ばれても心から祝福できるくらい大人になる。でも今は僕はまだ子供で、それができないんだ」
私が他の人と結ばれる?なにそれ、そんなこと考えたこともない。というか、彼はそんな責任を感じていたのか。
「そんな、命の恩人なんて大袈裟だよ」
「言っただろ?僕が君をどこにでも連れて行ってあげるって」
私は彼と出会ったあの夜を思い出した。
〝.......外の世界、いき.....たい〟
〝わかった!僕が君をどこにでも連れて行ってあげる〟
あんな、あんな口約束を.....。彼はずっと覚えていたというのか。命を救われた恩返しじゃなくて、彼はあの時の約束を果たそうとしている?
「馬鹿げてる.....」
あんな口約束のために彼は将来を捧げるつもりなのか、私なんかのために。
「僕は元から馬鹿だからいいでしょ?」
なんだよ、それ。彼はあの時と同じ、朗らかな笑みで振り返った。あたたかくて、眩しい。大好きな笑顔で。
「じゃあ、元気でね。サリー」
彼は満面の笑顔のまま、その言葉だけを言い残して姿を消した。私は必死に彼がいた洞窟の出入り口まで走った。間に合わない、絶対に。分かっている。彼はもう、この場にいない、彼が走ったら追いつけるのはジャックさんくらいだ。でも身体が勝手に動いた。
「ジャン?ねえ、ジャン?行かないでよ」
さっきまでジャンが立っていた岩場に跪いて両手を置いた。彼の温もりがまだ残っているんじゃないかって。両手の甲に水滴が落ちて、自分が泣いているのに気づいた。
今宵の月は満月じゃなかった。