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1.人の子

よろしくお願いします。


「姫、お食事にございます」

鉄格子の向こう側で名も知らぬ兵士が私に声をかけた。ジメジメとした洞窟に野太い兵士の声が反響する。

「いらぬ、下げよ」

どうせ、食しても味がしたことなどない。

「姫、お言葉ですが......食べなければ、お体に障ります。それに、今宵は姫が10歳になられた記念の日であります。ささやかですが、お祝いの気持ちも込めて.......」

今宵の兵士は、言葉が多い。

「さがれ、きえろ」

私の声は洞窟の中で更に響いた。

「.......すみません。ご無礼仕りました。お食事はここに置いていきます」

兵士はそれだけ言い残し、海に潜って行った。


私の住処は出入り口を鉄格子で阻まれた海食洞だ。私の世界はこの鉄格子を挟んで見る海と空、それから本の中、それらが全て。


兵士が去ってから何時間経ったのだろうか。私はベッドに横たわっていた。最近はあまり食べずにいるからか体力も落ち、横になっていることが増えた。

ベッドが置かれている洞窟の奥から外を眺めていると、空には雨雲がたちこめ、強い突風が吹き始めた。今宵は嵐のせいで波がいつもより高いのか、海水に侵食されている洞窟内の面積が普段のそれではない。満潮になっても、いつもなら浸かることはないが......。いや、私は何を恐れているんだろう。この世界の誰にも、生きることを望まれていないのに。私自身でさえも、望んでいないのに。


一際大きな波が押し寄せ、雷鳴が轟いた時、鉄格子にガゴンッと何かがぶつかった音がした。放っておいた、夕餉の膳や皿がぶつかったにしては大きすぎる音ではあった。漂流物か?コレクションが増えるかなと思ってベッドから降り、足首まで海水に浸かりながら鉄格子の方へ歩いて行った。すると、そこには見慣れないものが流れ着いていた。


「人の子か......」

死んでいるんだろうか。目を瞑っていてピクリともしない。歳の頃は、私と同じくらい?いや、私より背は低い気がする。黒髪の少年の衣服は海水に浸かり、顔色や唇は土色に近いような真っ青になってしまっている。

「溺死体が流れ着いたのは初めてだな」

ポツリと独り言を呟いた。もっと面白い漂流物を期待したのだが。ナマモノは腐るから処理に困る。この前、流れ着いた杖は久しぶりに気分が上がったので、本棚の真ん中に飾っている。ああいうのが良かったんだがな。


軽く落胆しながら死体を眺めていると、げぽっ、と人の子が水を吐き出した。ぐぇっごぼっ!とえずいている。なんだ生きていたのか。だが、ぐったりしているし、目は開かないし、死にかけだ。

「生きているのか」

きいたところで何も変わらないと思っていたが、存外少年は開眼した。


吸い込まれるような大きな黒い瞳がこちらを捉えて離さない。髪が短いので少年と勝手に思っていたが、目を開けた顔立ちは少女のようでもあった。我々と違い、人の女子は短髪にすることがあるのだろうか。だとしたら、少年じゃないのかもしれない。

目を開けてこちらを見つめる人の子は返事をしなかった。

「おい、人の子よ。きいているのか、お前は死ぬのか」

なんで私はこんなことを発しているのか。初めて〝陸者りくもの〟を見たから、自分でも知らぬ間に動揺しているのかもしれない。


「......た、す、け、て」

それは声にならないほどの、かすれた声だった。嵐と波の音が大きすぎて、自分の耳を少年の口元にもっていかないと聞こえないほどに。

「なぜ、私が人の子を助けねばならん」

率直な疑問だった。今、奇跡的に一命をとりとめていても、次にまた大きな波が来たらこの子供は波にさらわれて溺れ死ぬだろう。その方がここで、死体となって腐り散られるよりマシかもしれない。


「......君、すごく、綺麗」

そう言った人の子はニッコリと穏やかに笑って、鉄格子の隙間から手を伸ばし、私の右頬を触った。この状況に不自然なほどの朗らかな笑み。触られた右頬が何故か、火照るように熱い。なんだ、これは。何かの魔力か。ただしそれは一瞬のことで、人の子はすぐに意識を失い、閉眼、脱力して動かなくなった。


あんな風に誰かに笑いかけられたのは、どれほど前だったか。ああ、5年前の母の死に際か。この目の前の小さな人の子は、私にあの温かみをもたらす存在なんだろうか。


それはほんの出来心だった。無駄の中の無駄。自分でもどうしてか分からない。私は気づいたら、少年に向かって歌を歌っていた。内容はただの子守唄だ。


私の歌を聞いた人の子は、みるみるうちに正気を取り戻した。真っ青であった顔色には血色が戻り、虫の息だった呼吸は平時の如く安定していく。脱力して、波に揺られていた四肢が、ピクリと動いて拳をギュッと作った。


ああ、今、覚醒したのか、私の能力よ。兵士が10歳の誕生日と言っていたのを思い出す。そうか、もうそんな年齢であったか。内心母が残した遺言などハッタリであったら、どんなに良いかと思っていたが.......ちゃんと本当であったらしい。神はどこまでも残酷だ。


みんなが私に死んで欲しいのに、殺さずにこんな所に幽閉しているただ一つの理由。その歌声は魚人族の女に数百年に一度だけ発現すると言われ、聴いた者のどんな病気や怪我、欠損さえも治してしまうという神能じんのう、〝歌癒かゆ〟。神の能力などと大層な名前が付いているが、私にとっては呪いみたいなものだ。


子守唄を歌い終えると、少年は鉄格子を掴み、むくりと立ち上がった。不思議と嵐はおさまり、雲の割れ目から月明かりが顔を出す。


「ありがとう。君の歌は不思議だね、なんか苦しかったのが、ぜーんぶ吹っ飛んじゃったよー」

満面で柔らかな笑み。媚びているわけでも、侮蔑を隠す作り笑いでもない笑顔。月明かりで照らされた少年の顔は水滴のせいからか、キラキラと輝いた。なんてことはない、私はこの顔がもう一度見たかったのだ。








魚人族ぎょじんぞく:海洋生物の特性が混ざった人間の総称。

神能じんのう:獣人や魚人族等に稀に発現する神秘の力。

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