だからその楔を引き抜いて~過労死寸前まで追いつめられた令嬢は前世の自分と出奔する~
誤字報告ありがとうございます。
(あ、これ過労死寸前では?)
意識を失う前に、そう思ったことを覚えている。
わたくしはリュドミラ。公爵家の長女として生まれたと同時に、半年先に生れていた王太子となる第一王子の婚約者に定められた。
現在、十歳。未来の王太子妃教育を受けるために月の半分は王宮で過ごしている。
心身の限界で倒れて、以降に襲い掛かってきた前世の記憶の奔流を、ようやく受け止めて目を覚ました。王宮の救護室だと教えてくれたのは、そこに勤める医務官。丸三日、目覚めなかったとも聞いた。
「過労です。あなたの年齢でこんな診断はしたくありませんでしたが、食事と睡眠の両方が足りていません。絶対安静が必要です」
医務官ががんばって面会謝絶にしてくれたおかげで、久々に思う存分眠ることができた。そしてその間に前世の自分と交流を深める。
(えー、なに。児童虐待じゃん。むしろ殺人未遂)
前世は美羅という異世界の二十歳の女子大生だったらしい。ちなみにほぼイマジナリーフレンド状態。リュドミラとしての意識が強すぎたのか、知識は共有したが、主導権を握られることも混ざることもなく、意思も思考も独立してある。そして今世、友人を作る暇さえなかったわたくしの初めての友になった。
(とにかくさ、医務官を味方につけなよ。休養と栄養たっぷり取らないと本当に死ぬよ?)
前世の記憶を取り戻した転生者という、美羅がよく読んだことのある立場になってみると、自分の置かれた状況を俯瞰して見ることができる。うん、虐待だ。
まだ幼い娘に王家は何を求めているのだ。
未来の王妃に必要なことは多岐にわたるだろう。早い内から身に付けさせたいのはわかる。しかしあまりにも効率が悪い。
前世の大学受験よりもはるかにノルマが多い。ひとつ躓くと次に学ぶことに皺寄せがいく。食事の時間も押されるスケジュールを優先して飛ばされる。追い詰められて食が細くなっている上での絶食。
そうして睡眠時間を削らねば収支が合わなくなって、負担が負債のように積みあがっていく。睡眠、とにかく睡眠が足りないのが一番問題だった。
健全な子供の成育環境からは大きく外れているのは外見を見れば分かるはずだ。それを誰も指摘しないのがおかしいとも思わなかった。
貴族どころか貧困層の子供のように痩せ細り、目の下に隈。髪も肌もぼろぼろ。化粧でなど隠せないほどに。与えられたドレスは豪華であるが、それは体力のない身体に伸し掛かる。おまけに、似合っていないどころか体形にも合っていない。あと、まったく趣味に合わない。責任者、出て来い。
(リュドミラにこんなに詰め込み教育しなきゃいけないほど、王太子ってバカなの?)
歯に衣着せぬ美羅の物言いは面白い。
「どうかしら。よく知らないの」
(婚約者でしょう?)
肝心の王太子との交流であるお茶会でも眠らないでいることに必死で、交流どころではなかった。結果、よく知らないとしか言えない。
(でも絶対バカだよね。リュドミラの姿を見ておかしいと思わないでいる時点でさ)
それを言うならば医務官以外の王宮の人間すべてだ。お茶会に出ている王太子、控える侍女に護衛に教師。そして王妃殿下にだって直接教育されてもいるというのに。わたくしのこの姿は全員に見えているはずなのだから。
(実家、公爵なんでしょ? 訴えてもらえないの?)
実家である公爵家には月の半分は帰っているのだ。家族とは当然顔を合わすこともある。だが、実家もまたわたくしにとっては敵地でしかない。
家族は事ある毎に言うのだ。
「マルツェラが可哀そうでしょ」
マルツェラというのは、私の二つ下の妹の名前だ。淡い金髪の癖毛をふわふわと揺らす母によく似た美少女である。そして家族の愛を一身に受ける存在だ。
同じ両親から生まれて育てられるのに、どうして差をつけられてしまったのだろう。
たしかに容姿は妹の方が可愛い。生まれた時から断然可愛かった。美貌の貴族同士の婚姻の果てに生まれたわたくしだって、本来は十分に美少女ではあったのだが、その質が違ったのがいけなかったのか。冷たい印象と言われても、銀の髪も深い青の瞳も遺伝によるものだ。父と同じ色合いなのだから責められる謂れもない。
幼少時から何となくは感じていた違和感。公爵家の娘として後ろ指を指されるような露骨な扱いはされていなかったものの、明らかにマルツェラとの扱いに差があった。それに寂しさを感じていたが、慈しんでくれる乳母がいたので耐えられた。
だがそれは八歳になるまでのこと。
八歳になると王太子妃教育に王宮へ上がるようになり、同時に乳母は解雇された。味方のいなくなったわたくしへの当たりがきつくなる。
おそらく、きっかけはマルツェラが王子様と結婚したいと言い出したからだ。女の子ならまあ? 王子様との結婚は憧れなんだろう。与えられた絵本だって、女の子向けはそういった内容が多い。
だからと言って、事ある毎に、選ばれなかった妹が可哀そうと責められる筋合いはない。王命なのだから。それに無理な教育を詰め込まれているわたくしの方が可哀そうではないか。
わたくしの泣き言を甘えだと切り捨てるばかりの家族。代われるものなら代わって欲しいのに。だが王命での婚約にそれはできず、実家でも王宮でも身も心も休まることがない。
(うへぇっ、親ガチャ失敗じゃん。婚約者はアテにならないし。ゲームならリセットするか、いっそアカウント取り直すレベルの大はずれ)
「言わんとすることは分かります」
(あれよね、イセコイジャンルで良く見た姉妹格差ってやつ。欲しがり妹を添えて)
「生憎、愛も恋もございませんわね」
(ヒーローのアテもなし? ほら幼馴染とか孤児拾ったとか)
「心当たりの欠片もありません」
(終わってる! 色々終わってる!)
美羅がわたくしの代わりに憤ってくれるからか、胸の中が温かくなる。今まで乳母しかわたくしの味方はいなかったから。
「でも今はあなたがいてくれるから、わたくしは何とかやっていけそう」
(だからって、このままって訳にもいかんでしょ。倒れたことで詰め込み教育、見直されると思う?)
「無理でしょうね」
(いや、このままじゃ本当に死ぬから! 二十歳で事故死した次が十歳そこそこで死ぬとか、許されないから!)
「ですが、美羅と違って、わたくしはまだ子供で、貴族としての生き方しか知りません」
(そうなんだけどさー、逆に言うとまだ子供だからやり直しもきくんじゃないかな。リュドミラさ、未来の王妃の座と実家の公爵家、惜しかったりする?)
考えるまでもなかった。答えはすぐに出る。
「以前は押し付けられるばかりで分かりませんでしたが、いらないですわね」
口にしてみれば驚くほどどうでも良かった。
(まずは何より医務官に泣きつけ。教育の辛さと家族からの扱いも訴えて。で、療養が必要だと診断を出してもらう)
美羅は言葉遣いは雑だが、わたくしよりも大人で視野が広い。
「わたくしにできるかしら?」
(死にたくないならするべし! こんな小さな子が過労で死にかけたんだ。人としてまともなら味方になってくれると思う)
「それからどうしたら?」
(領地、あるんでしょ? とりあえず王宮と家族から離れて本当に療養する。身体が良くなっても良くないふりして絶対に数年は戻らないように)
「そうしましたら、おそらく婚約は……」
(うん、解消か白紙でしょ。そしたら多分、妹にお鉢が回る)
「ですけれど、甘やかされた妹にこの教育は無理ですわ」
(無理だと判明する前に、身体が良くなって婚約がなくなったと同時に逃げよう。このまま何とかここで頑張ったとしてもよ? 年頃になったらリュドミラの妹は言うよ? 『王太子様を好きになってしまった』とかさ)
「喜んで譲りますのに」
(うん。でもその為に冤罪とか掛けられたら厄介だし。罪人扱いで牢に入れられたり、最悪処刑。良くて修道院か身ひとつで追放かな、このパターンだと)
「修道院……いいですわね。いっそ今から入りたいくらい」
ただ静かに祈って過ごせる生活に憧れを覚えてしまう。世捨て人でも良い。そう思って、少しうっとりしてしまったかもしれない。
(十歳で人生投げんな! 身体治して、こっからやり直そう? 要らないものは全部捨てて。リュドミラの好きなこと、やりたいこと探そう。あたしが一緒にいるから)
「美羅がいてくれるのならば、できそうに感じてしまいますわね」
(考えるな、感じろ! いい? 自分の命以上に大切なものなんかないの。他人の思惑とか政治的配慮とか、リュドミラをここまで追い詰めた無能な大人たちに丸投げしちゃえ!)
「ええ、そういう気がしてきました。ごめんなさい美羅、もうとても眠くて」
(うん、ゆっくりおやすみ。あたしはずっとついてるから)
一度倒れて不調を自覚してしまった身体は、自力で起こすことすらできないほど重い。おそらく体重は異様に軽いはずなのに。
目が覚めると水分と薄い粥のようなものを与えられた。既に身体は固形物さえ摂取できないほどになっていたのだ。
美羅の言うように医務官を味方に付けようと、少し落ち着いた頃に声をかけると、なんと彼は既に動いてくれていた。
「一般的な子供の体重と令嬢の体重を比較させていただきました。あと、教師たちに聞き取りを行い、令嬢が教育を受けていた時間が、同年代の子供よりいかに長いか、またその内容が実際はあと五年は先に習うことだと証言させました」
「あの方たちがよく証言してくださいましたわね?」
「未来の王太子妃を殺しかけたと言えば、皆、震えあがりましたよ。司法に追求されればどれほどの重罪になるやら。令嬢が優秀だったからもっと先に進められると思った、とか言ってますがね。自分たちの功績ばかり追いかけているから、目の前にいる令嬢のことが見えなくなっていたんですね」
医務官の語る過去の状態にはもう、絶対に戻りたくはなかった。だから、美羅が勧めてくれたからだけではなく。彼しか命綱がないと必死にもなる。
「ずっと追い立てられるばかりで、もう考える力もなくなっていたのだと思います。けれど、これまでと同じような生活を続けていけば、そう遠くなくわたくしは死んでしまうでしょう。王室と公爵家にこのままでは殺されてしまう。お願いです、どうかわたくしを助けてください。
こちらでお世話していただくようになって半月近く経ちますが、その間、王家からも、公爵家からも見舞いの書状すらない。わたくしが不要で、わたくしに死んでほしいのだとしか思えません。
もう、要らないのですわ、わたくしも。王家に縁付いて未来の王妃になる未来も、公爵家の娘として生きることも。静かに周囲に煩わされることなく暮らしたい。修道院でも療養所でも構いません。どこか遠くに行ってしまいたいのです」
わたくしの主張に、ただ彼は同意してくれた。本当に命が失われる瀬戸際だったからと診断書を出して、数年は療養が必要だと周囲に訴えて転地をもぎ取ってくれたのだ。この王宮で初めて、人の善意に触れ、涙が止まらなかった。
移動するだけの体力が付いてから、わたくしは王都を離れた。侍女と護衛が一人ずつしか付けられなかったのは、体面を傷つけられた父の怒りのせいだ。
(ほんっとうに、リュドミラのクソ親父、器、小さすぎる! よくそれで公爵様だとかふんぞり返っていられるもんだ。禿げろ!)
「言いたいことは言ったもの。もうどうでもよいわ」
不本意そうに王宮の救護室に呼ばれた父の前でした発言を思い出す。
「わたくしは王命により王太子殿下の婚約者でございます。すなわち、わたくしの現在の立場は準王族。お父様よりも上の地位であるわたくしの現状を把握しておられますか? 不敬罪で訴えれば、負けるのはお父様です。公爵家は死にかけた娘の療養先も用意できないほど困窮しておりますの? たかが公爵令嬢の妹にかまけるので忙しい、が、果たして王家や世間に通じますかしら?」
反論はなかった。字を覚えてから日記を書くよう勧めてくれた乳母には感謝しかない。過去の家族からの扱いも発言も、日記にしたためており、証拠は十分にあった。病人の搬送ということを強調して、それなりに快適な馬車を用意させる。公爵領は王都にほど近い。紋章入りの馬車を襲うほど、治安も悪くなかったので護衛は少なくとも問題もなく目的地へ辿り着いた。
幼くともわたくしには、個人資産として母方から受け継いだ財があり、それを持ち出すことができたのは僥倖だった。わたくしの名義では両親であっても手は出せない。本来ならば年齢的にわたくしでも持ち出しできないのは承知で、準王族であることを振りかざして決行。王家からも慰謝料を巻き上げたいところだったが、そこまですると恨まれるであろうと諦めた。個人資産のおかげで医務官に十分な謝礼もできたことだし。
父の腹いせは、療養先に選ばれた場所にも向けられていた。領地の中でも領都から離れた、いやもう端と言ってよい田舎の、寂れた屋敷に押し込められたのだから。近くには村しかなく、人間よりも家畜が多いような場所である。
(緑が多くて、いい所じゃない!)
美羅が笑うように、ここには何もないけれど、自然だけはたっぷりあった。
(療養には最適だと思うな。で、体力が付いたら、まずは自分で身の回りのこと、できるようになろうか。侍女ひとりでリュドミラの面倒なんて見切れないだろうし、むしろ助かるんじゃない?)
美羅の知識から、ベッドに横になってばかりいるのも良くないと知ったから、部屋の中、屋敷の中、敷地の中と行動を広げていく。
(無理はしない。疲れたらすぐ休む。了解?)
「了解、ですわ」
今まで使用人の手を借りていたことを自分でする。着替え、入浴などから少しずつ。案外、難しくはなかった。
(雇用の創出ってやつよね。侍女とかも貴族のお嬢さんだし。刺繍できるんなら、縫物だってできるはず。というわけで、次は家事を覚えて行こう!)
前向きな美羅が一緒だから、不慣れな家事だって楽しい。
動いていると自然にお腹もすいて食も進む。王宮や公爵家のものよりも質素な食事だが、ずっと美味しく感じられた。そうすると、痩せすぎていた身体にも肉と体力が付いて来る。
(で、味方を増やす。とりあえずこの屋敷にいる全員に、どういう扱いを受けていたか、それに比べて今がどれほど幸せかを訴える。何かしてもらったら笑顔で「ありがとう」を忘れないように。感謝されて嫌な人は滅多にいないから)
まったくいない、とは言わない美羅がおかしい。彼女は正直だ。
元々、屋敷を管理していた老夫婦に下働きの村から通う男女。父の命令とはいえ、ここまで付いてきて留まってくれている侍女と護衛。彼らから学ぶことは多かった。侍女は男爵家の五女で田舎暮らしは慣れていると笑ってくれたし、護衛は平民からの抜擢だったらしい。父の嫌味だろうが、この地においては最善の人選だった。
一年も経つ頃には、家事の手伝い(手が荒れるようなことはさせてもらえなかった)の傍ら、しっかりと外を歩いて体力と持久力も養ったおかげで、走ることさえできるようになった。
護衛からは乗馬と護身のための体術も習う。
侍女からは身だしなみや髪や肌の手入れを教わる。
管理人の老爺からは屋敷の維持に必要なことを。老婆からは料理を学ぶ。
馬や家畜の世話も下働きの男女に付いて回って覚える。
老爺に頼んで、健康状態は一進一退で良くはなっていないと父に報告するよう頼んだ。彼らの同情はしっかり確保した。孫娘のように慈しまれて、これまでよりはるかに幸せだ。
そう遠くないうちに婚約は解消されるだろう。そうしたら。病没したことにして出奔するだけだ。その時は護衛と侍女も公爵家を辞めて付いてきてくれるという。成人した男女が一緒であれば、行動の幅も広がる。二人は夫婦になるそうだし、兄か姉夫婦の妹という立場なら、子供がひとり旅するよりも自然だ。
(これだけ色々できれば、リュドミラはどこでだって生きていけると思うよ。ねえ、リュドミラは何になりたい? 何処へ行きたい?)
「そうね、私がなりたいのは―――」
もう、ここにいるのは貴族令嬢ではない。重く刺さった楔を引き抜いて捨て去った、未来のあるただの娘だ。ただし、一年やそこらでは大きく変わるはずもない、近辺の領や他国の情勢や地図まで頭に入っていて、それなりの資産もある娘。関わる人間を見抜く目さえあれば、先は明るい。
(無双だってできちゃうかもよ?)
笑う美羅の声に応えるように私も笑った。
リュドミラの個人資産は、病没する前に本人が隠して見つからないと報告してもらうことになっています。もちろん、老夫婦や下働きの男女にもしっかり報酬は渡しています。
護衛と侍女は他に相手がいなかったこともあり、自然にくっついていました。彼らは下手に公爵家に戻ると資産横領の疑いでどうにかされる可能性も高いので、同行が正解。
国王は教育が進んでいるならそれで良し。王妃はちょっと嫁いびり入っていた模様。王太子はちょっとお馬鹿かもしれない。