職場体験
だが、意外にも時はあっという間に過ぎた。水曜は『Leaf』で買い出し。その後俺は夕食まで爆睡……。
現在木曜日の午前9時41分。
全く予定が決まらぬまま、俺は喫茶店の扉を開ける。
「はようざいまーす」
「よお。お前、一昨日はひどかったじゃないか。追い出すなんて。今すぐこのバイト、クビにしてもいいんだぞ?」
店長が俺をめちゃくちゃ睨みつけてくる。
「勘弁してくださいよ、クビだなんて。ていうか、追い出したのも、アンタらが変なことばっか言って虐めるからじゃないですか」
「え~。変なこと言ってないけどお? 俺らは葵の初恋を応援したいだけだって~。ね、店長?」
今日も玲が遅刻せずにやってくる。
「初恋じゃねえって‼ ただの同居人‼」
俺は玲に向かって店内に響くくらい大きな声で言う。
そんなムキになっている俺を見て、2人は笑う。
俺を虐めるのが楽しいようだ。
(こいつら、絶対ドSだろ……)
俺が顔を真っ赤にさせながらそう思っていると、店のドアが開いた。
「すみません、まだ営業時間じゃ……」
店長の声が止まる。
そこには、アイが立っていた。
「すみません。葵様がこちらの喫茶店のエプロンを忘れていったので……届けに来ました」
「アイ!? エプロンはありがたいけど……何でここが分かったんだ!?」
「葵様を解分析して、仕事をしているのがこの店だとは分かっておりましたので。一昨日会うまで佳織様と玲様の事は分かりませんでしたが」
(分析で好きなもの、嫌いなもの、勤務地まで分かってしまうなんて……俺の個人情報を、コイツはどこまで知っているのだろう)
なんとなく顔がこわばる。
その顔から伝わったのだろか。
心を読むかのように、アイが答えた。
「分析をすることによって、いろんな情報を知ることができますが、特に大切な情報は本人に聞かれない限り、一切口外しませんので」
「あ、そう……」
俺は返事をすると、アイからソムリエエプロンを受け取った。
「なあ、アイちゃん。今日1日、店の手伝いしてれないか? 一昨日葵の家に行ったのも、アイちゃんに料理教わりたかったからでさ。土曜日には工場に戻っちゃうんだろ? 勿論金は払うから」
突然、店長が突拍子もないことを言い出す。
「私は構いませんが……私が教えるもことがあるかどうか……。料理と言っても、変わったものは作れないですし……」
「大丈夫。何か得意な料理を作ってるのを見せてもらうだけでいいから。それに、私も葵も虜になっているくらい、君の料理は美味しいからな。ぜひ、作っているところを見せてほしい」
そう言って、店長はニヤニヤしながらこちらを見る。
(別に、俺は虜になったわけじゃないし……)
そう思いながら、また顔を赤くさせる。
「了解いたしました。佳織様のお力になれるよう、頑張ります」
アイが少し戸惑いつつも答える。
「よろしく。んじゃ、お前らもうすぐ開店なんだから着替えろ! ……アイちゃんは今日だけだし、エプロンだけ着てもらおうか。私についてきて」
「はい」
そう言い、店長とアイは、2階――店長の住む部屋に行ってしまった。
俺と玲は厨房裏で着替える。
午前10時。
俺が『CLOSE』の札を『OPEN』に替えていると、アイと店長が下りてくる。
アイは桜色の小鳥の刺繍が施されたエプロンを着用していた。
髪の毛は後ろで花柄のシュシュで1つに縛っている。
いつもとは少し違う様子に、何故だかドキドキしてしまう。
「アイちゃんかわいー‼」
玲が大声で言う。
「ありがとうございます。……でも、私みたいなのがこんな可愛いエプロンを着ても良いのでしょうか?」
「何言っているんだ。凄く似合っているぞ。元々アイちゃんは可愛いからな」
他の女性なら恋してしまうようなセリフを、2人はサラッと言う。
……俺だって「可愛い」と言いたかったが、素直に言えなかった。
「いいんじゃね、そのエプロン……」
ボソッと俺は呟いた。
「ありがとうございます、葵様」
アイがこちらを向いて言う。
それと同時に、「もっといいこと言えよ」と言わんばかりに2人がこちらをじいっと見つめてきた。
午後1時43分。
ラストオーダー後、店に客は1人もいなかったため、今日は早めに切り上げることにした。
アイが有能なこともあるだろう。
注文した品をすぐに店長が作るものと同じ味で作ってしまうので、回転も早かった。
ちなみにアイは食事をしない分、料理を作るときは作った料理の味を分析するらしい。
そして甘味・塩味・苦味・酸味・旨味などが脳内で数値化され、どんな味なのか知るそうだ。
なので、店長の味と全く同じものを作れるのだろう。
「あーあ……もうくったくた……。早く帰りてえなあ~」
玲があくびをしながら言う。
「あのなあ……バイト中に言うことじゃねえだろ」
「今は休憩中だからいーのっ! それより、今日も葵の家、寄っていいか?」
「嫌だよ……そう言ってもついてくるんだろーけど……」
「ご名答っ! だって……アイちゃんとはきっともう会えないんだろ? だからもう少し一緒にいたいんだよ」
玲はアイを気に入っているらしい。
「でもいいのか? ちょっと前に彼女ができたばっかなんだろ? また俺の家に寄って……」
俺がそう言った途端、玲の目つきが鋭くなる。
「ああ……いいんだよ。別れたから」
まただ。
玲は美形で女性の扱いがうまく、金持ちなため、いつも女が寄ってくる。
だがそんな女、ロクなもんじゃない。
欲しが深い、性格が悪い奴ばかりだ。
なので玲の彼女はコロコロ変わっており、俺は1人も彼女を紹介されたことがない。
「ふうん。ま、いいけど」
俺には関係ないので、適当に聞き流すことにした。
「やっぱ、俺、葵のそういう性格好きだわ。サラッと聞き流すところ」
そう言って、玲がニカッと笑った。
「葵様、玲様。昼食ができました。お食べ下さい」
賄いを作っていたアイが、俺たちに呼びかける。
俺たちはカウンター席に座り、頂くことにした。
「うわっ、うまそ~!」
玲がきらきらと目を輝かせる。
今日はカルボナーラ風リゾット。
「いやあ、アイちゃんからは学ぶことが多すぎるな。私ももっと腕を上げなきゃいけない」
「その前に結婚式を挙げたら? 年とったら貰い手無くなるよ。あ、俺がもらってあげようか? 今フリーだから」
玲が冗談めかして言う。
「うるさい。お前なんかに誰がもらわれるか」
店長が玲を睨みつける。
俺はそんなことに構わず、リゾットを食べる。
ゴロゴロしたベーコンに、ご飯に絡むソースとチーズ。
濃厚でとても美味しい。
「美味い」
俺が呟くと、アイがペコリと軽くおじぎした。
「どうだ、葵? 私よりも美味しいものを作る、アイちゃんの料理を食べた気分は?」
「別に……普通ッスよ」
「へえ……」
店長がニヤニヤする。
(わざわざアイのいるところで言うのやめてくんないかな……)
そう思いながら、俺はため息をついた。