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記憶とのズレ(1)

 長いまつ毛に覆われた深い森を思わせる深緑の瞳が瞬いた。


「今、なんと言ったかい」


「婚約を解消してくださいと言いました」


 もう心臓がはち切れんばかりに鼓動を刻んでいてうるさい。


「誰との?」


「ギルとのです」


 これ以上傷つきたくない。断罪されたくない。ならいっそ、ローズに惹かれ始めた初期段階で私から身を引けば少しは心の痛みも減るだろうと思ったのに。


(自分が決意したことなのに、酷く胸が痛む)


 好きで好きで大好きで。記憶を取り戻さなかったら、私は彼の隣でまだ満面の笑みを浮かべていただろう。

 一度目の人生を思い出してしまったからには、そうはいかない。死ぬのは御免だ。


 そう思っているのに、いざ彼の隣に居る権利を返上しようとすると何がなんでも縋り付きたい衝動が湧き上がってきてしまうのだから、つくづく厄介な恋心である。


 ぎゅっとスカートを握り締めていた私はいつの間にか視線を落としていて、慌てて目線を元に戻した。

 ギルバート殿下は余裕綽々とした様子でカップを口元に持っていきながら首を傾けた。


「意中の相手でもできたのか?」


「まさか! むしろギルの方こそ」


「私が?」


「ええ、ギルには気になる方が……いますよね」


 もちろんローズのことだ。一度目の生ではこの時期には出会っていたのだから惹かれている最中のはず。少しは動揺を顔に出さないだろうかと一挙一動見逃さないようにするが、彼は面白い冗談を聞いたかのようにふっと笑っただけだ。


「心外だな。私が他の者を恋い慕うだなんて。誰だい、シアにそんな馬鹿な話を聞かせたのは」


 対して私は内心動揺しまくっていた。至って冷静なギルバート殿下に、練りに練っていた計画が端から音を立てて崩れ落ちていく。


 彼の胸中が分からない。一度目と異なってローズとまだ接触していないのか、はたまた接触して惹かれ始めているが私に隠しているのか。それとも本当に私のことを……好きなのか。


(こんなにも早く使うことはないと思っていたけれど……)


 万が一に備えて先程、手の中に潜ませていた物に魔力を込めた。


「なら……──私のことは好き?」


 刹那、私は見てしまって。心臓が跳ねる。

 ギルバート殿下は……虚を衝かれたかのように仮面を外した。くしゃりと微かに歪んだ顔。けれどもそれをすぐに隠して、それはそれは優しい手つきで私の頬に触れた。


「急にどうしたんだい。不安にさせるような行動を、私はこれまで取ったことないだろう? むしろ行動でシアに伝えていたつもりだけど?」


 欲しかった──望んでいた言葉ではなくて。ペン先から零れ落ちたインクが紙に落ちて滲むように、心をモヤが覆っていく。


(ああ、やっぱり)


 この人は私がどんなに求めようとも、何故か「好き」だと──その一言だけは絶対に与えてくれないのだ。


(だとしたら視える色も────)


 好きだと勘違いしてしまいそうな行動はとるけれど、言葉にはしないのだから本当は私のことが嫌いなのだろう。よって、嫌悪を表す色合いが視えるのだろうと、恐る恐る彼の頭上を見上げて目を見張る。

 黒に灰色が混ざったような青、そこに赤色。他にもいろんな色がぐちゃぐちゃに混ざって奇妙な濁った色を作り出していた。


 だけど、一番色鮮やかに私の瞳に映ったのは深い深い青。


 マーガレット王女に教えてもらった感情との関連性では悲しみを表すけれど、どうして彼がここでそのような感情を抱くのか理解し難い。


 動揺して瞳を揺らす私にギルバート殿下は頬から手を離した。


「アルメリアで過ごして私のことが嫌いになったかい」


「ちがくて……わた、しは」


 色の判別をマーガレット王女に教えてもらったけれど、それは基本的に単一色でこんなにも複雑な色合いの読み方は教えてもらっていなかった。

 彼のことを想って打診したのに、ギルバート殿下の胸中は複雑なようで一欠片も喜んでいない。


 どうして? と聞いてしまいたい。表向きは喜ばなくとも、内心では喜ぶべきところでしょう? と。


(私の知っている未来と何かが違うの? 変わってしまったの?)


「私の中で一番大切な人はシアだから。君が願うなら解消してあげたいんだけどね」


 言葉に反して力強い赤色が前面に出てくる。口角を少し上げて穏やかな表情なのに、その瞳は私の動揺の全てを見透かすようだった。


「ごめん。どんなに乞われようとも、シアからの婚約解消は承諾しない」


 眉尻を下げたギルバート殿下は私の耳元に口を寄せる。


「この話は父上にも公爵にも話さない。聞かなかったことにするから──シア、どうか大人しく諦めて」


 まるであたかもぐずる赤子をあやすように紡がれる。


 ギルバート殿下は踵を返すと部屋のドアを開け、廊下に控えていた侍従に声をかけた。


「さあ、婚約者のお帰りだ。エントランスまで送るように」



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