結びなおしたその側では
心底嬉しそうにジェラルド様がマーガレット王女を抱きしめる姿を見届けた私は、ほんの少し開けていた扉をそっと閉めた。
そうして共に見守っていた二人の人物を笑顔で見上げるのだ。
「これで一安心ですね」
「ああ、本当にお二人のおかげだ。なんとお礼を申したら良いのか」
震える声で紡ぐのはアレクシス殿下だ。彼はマーガレット王女が目を覚ました辺りからぽろぽろ涙を零し、しまいには顔を隠して泣いていた。
「アタナシア嬢のお力をお貸しいただけただけでも幸運なのに、ギルバート殿下の貴重な魔法も妹に使っていただけたことで彼女は目を覚ますことが出来ました。このことは後ほど国を通じてお礼をさせていただきます」
「いや、私個人が勝手に手を貸しただけなので、それは必要ない。ただ一つだけアレクシス殿下個人にお願いしたいことがあるのだが聞いていただけると助かる」
そう答えたギルバート殿下が何故再びアルメリアにいるのかというと、私がダメ元で呼び戻したからだ。
当初、目を覚まさないマーガレット王女は外部からではどうにもできなかった。そんな時、私は思いついたのだ。
『これ、ギルバート殿下の特殊魔法なら解呪できるのでは?』と。
殿下の特殊魔法は無力化だ。全ての魔法を無意識に無力化するのに、回復魔法など自らに有利な魔法は無力化されないというとっても都合のいい無敵魔法である。
それに、制限があるとは聞いたこともないし、見たこともない。とはいえ、王太子を呼び付けるなんて本来は絶対にありえないというかしてはならないのは理解している。
しかしながら他に思いつく方法がなかったので、藁にもすがる思いで手紙を書いたのだ。すると返答の手紙が返ってくるよりも早く、ギルバート殿下は王宮に滞在していた私の元に現れた。
そうしてマーガレット王女に魔法を行使した殿下のおかげで今に至るのだった。
「これでもうひとつの問題に心置きなく対応できるよ」
「もうひとつの問題ですか?」
廊下を三人で歩いている途中、アレクシス殿下は呟いた。
「シャンデリアが落下した原因さ。まあ、大方見当は付いてるんだけどね」
アレクシス殿下の言葉にギルバート殿下も被せてくる。
「その件もあって私はここに来たんだよ。大切なシアを傷つけた原因を、自ら追求せず彼らに任せるなんてことできるわけがないだろう?」
するりと伸びてきたギルバート殿下の手は私の横髪を掬って耳にかけてくださる。その手つきは優しくて、私を見つめる表情は穏やかなのに目は怖いほど凍てついていた。
「でも、事故だったのでしょう?」
「事故だから何? たとえそうだとしても、安全管理を怠り落下したということだ。監督責任を問いたださないと」
ギルバート殿下は回復魔法で治した切り傷のあった箇所に触れる。きゅっと眉根を寄せ、形の良い唇を尖らせた。
「軽い怪我でも許せないのに、危うく死ぬところだったんだ。きっちり落とし前をつけさせなければ」
(……ここまで怒っているギルを久しぶりに見たわ)
黒いオーラが背後から出ている気がする。
「絶対に許さない」
ひぃっと声が出てしまいそうなほどとてつもない低音だった。怖すぎてギルバート殿下の方を向けない。
(これ、本当にまずい)
そこで思い出したのだ。ギルバート殿下は私がそれこそ小さい頃からこのような類のものに巻き込まれると、何から何まで調べ尽くし、納得いくまでとことん突き詰める人だったと。
◇◇◇
ギルバート殿下は数日この城に滞在するらしい。既に両国間では話し合いが済んでおり、この件に関して調査する権利をもぎ取ったとか何だとか。
アレクシス殿下と話したいことがあるようで、私を滞在部屋まで送ったあと、二人はどこかに行ってしまった。
「暇になってしまった……」
部屋に戻ったはいいもののこれといってすることもない。
強いて言うなら目を覚ましたマーガレット王女の元に駆けつけたいが、きっとまだジェラルド様とこれまでの溝を埋めるように互いの話をしているだろう。そんなところに水を差すわけにもいかず、ルーナが淹れてくれた紅茶を飲みながらマリエラさんに頂いた焼き菓子を堪能していた。
しばらくしてじっとしているのにも飽きてしまったので、ルーナを連れて庭園を見学させてもらおうと回廊を歩いていた時のこと。
タタタッと軽やかな足取りが背後から聞こえたかと思うと、次の瞬間には後ろから抱きつかれて乙女にあるまじき悲鳴を漏らしてしまう。
しかし、ふわりと香った匂いはもう慣れた香りで。硬直した体はすぐに弛緩する。
私は抱きついてきた人物の手を取って笑みを浮かべる。
「マーレ様、心臓に悪いです」
くるりと振り返ると身支度もそこそこに駆けてきたのだろうか。ネグリジェに近い白のモスリンに身を包んだマーガレット王女が私の胸元に顔を埋めた。
少し遠くには涙ぐむマリエラがルーナに慰められている。
「顔を見せていただけますか」
一向に顔を上げないのでそう伝えると、おそるおそる顔が上がる。
「重症だった私が助かったのはターシャのおかげだと聞いたわ」
「…………王宮医の腕が良かったんですよ」
「つまらない嘘はつかないで。視えているのよ」
「私のおかげだとしても、王宮医の腕が良いのは確かですよ?」
怪我の後遺症はないらしく、ガラスによる切り傷も跡形もなく消えている。私の回復魔法は素晴らしい成果をあげたらしく、ほっと安堵した。
もちろん私の力だけではなく、ギルバート殿下のおかげも大きい。
「目を覚ましてくれて嬉しいです。お身体は平気ですか」
こくんと頷いたマーガレット王女は私の首に腕を回してもう一度強く抱きつく。
「ありがとう」
呼応して回廊の端に芽吹く植物たちの背が伸びていく。
「ありがとう。本当にターシャのおかげ」
「マーレの生命力が強かったんですよ」
「もう! 素直に受け取ってほしいわ」
「ふふ、すみません」
一旦離れたマーガレット王女は胸元に手を当てて私を真っ直ぐ射抜いた。
「この命は貴女に再度与えられたも同然。私個人としてもターシャにお礼がしたい。制限はあれど、できる限り叶えるわ。だから願いを考えて欲しいの」
普通ならお金とか領地とかそういう財産を願う場面だろう。けれども。
「──この先何が起きても、マーレだけはずっと私の味方でいてください」
もしこの先断罪されてどこかに逃げる必要に迫られた時、保護してくれる権力者が欲しい。
まあ、そんな打算めいたものだけではなく、単に友人がずっと味方でいてくれると信じられるだけで力が湧いてくる。
(前回の私の周りには誰も残らなかったから)
みんな「アタナシアが悪い。極悪人。最低な女」だと罵り、家族でさえ助けてはくれなかった。
「そんな簡単なものお願いに入らないわ。他にも考えてちょうだい」
「それが簡単ではないんですよ。とっても難しいのです」
「…………まさか、犯罪にでも手を染めるのかしら」
「いえいえ、そんなことしませんよ」
「じゃあどうして」
戸惑いを見せるのは、私の言葉に嘘は混じっておらず、真実のみなのが視えているからだろう。
「ま、他にも考えておきますのでこの話はまた今度。話は変わりますが夏休みも半分消費してしまいましたし、私、ぜんっぜんアルメリアの観光できてないのです。どこかおすすめの場所を案内してくれませんか?」
突如話を切りあげた私に、マーガレット王女はどこか腑に落ちないながらも、それ以上は何も聞いてこなかった。