結びなおす
抱きしめ続ける彼を振り払うことも出来ず、私は彼から香る優しい日向のような匂いに包まれる。同時に、背中に回された腕が震えているのを感じた。
「ど、して」
訳が分からない。何故、目の前のジェラルドが泣いているのかも、そもそもなぜ彼がここに居るのかも。
はっきりとしてくる意識に対応して、ジェラルドから離れようと胸元を押すけれど、彼は離してくれない。
「私……シャンデリアに押し潰されて死んだんじゃ」
「死んでない。アタナシア嬢が全ての傷を癒してくれて、ソルリアの王太子が君の身体にかかっていた呪いを解呪したんだ」
私はその言葉に目を見開いた。彼女が治してくれたのも信じ難いが、ソルリアの王太子が出てくるなど聞き間違いにしか思えない。
(それよりも)
「ターシャの怪我は!?」
あの時、彼女が駆け寄ってきて私を庇うように抱きしめてきたのは途切れる意識の中でうっすら覚えている。私でさえ昏睡していたのだから、もろにシャンデリアの破片を受けたはずの彼女はもっと酷い怪我を負ったに違いない。
「彼女は無事だよ。婚約者である王太子殿下が強力な守護魔法で防いだみたいだ」
「そう……」
それは良かった。彼女は私の大切な友人であるのと同時に、他国の王太子の婚約者であるから何かあったら外交問題になってしまう。
ホッと安堵し、冷静になった私はするりとジェラルドの抱擁から抜け出した。
「教えてくれてありがとう。感謝してる。ただ、貴方はもう私の婚約者ではない」
ぎゅうと胸元を握りしめながら震える声で紡ぐ。
「婚約は破棄された。だから、私の部屋に貴方が居るのはおかしい。心配をかけたのは申し訳なかったけど、もう帰って」
「帰らないよ」
即答されてむっとしてしまう。
「これは命令よ。婚約者でもない貴方はここにいる資格はない」
「──婚約は破棄されてない」
「は?」
思わずぽかんとする私にジェラルドは続ける。
「陛下と約束したんだってね。僕との婚約について」
それは決して彼が知るはずのない事だった。
お母様もお兄様も知らない。私がお父様にだけお願いしたことなのだから。
「陛下が……もう一度二人で話し合いなさいと。婚約の破棄に迷いを見せる僕に、これ以上何もせずにいるのは耐えられないと教えてくださったんだ」
がらがらと取り繕っていた壁が音を立てて崩れ落ちていく。
「僕から婚約破棄の打診をしてきた暁には全ての責任を負うからそのまま進めて欲しい。反対しないで欲しいって、何でそんな馬鹿な約束を。さっさと君から破棄すればいいじゃないか」
寝台横の椅子に座り直したジェラルドは真正面から私を捉える。
「だから答えて欲しい。そんな遠回りで面倒なことをする君は僕のことが本当に嫌いなのか? 嫌いならばとっくのとうに破棄できるだろうし、王女であるのだから無理やりでも可能なはずだ」
ぎくりと肩が動いてしまう。嘘を見透かされているようでバクバクと心臓がうるさい。いや、もう気づいているのだろう。でなければここまで強く出てこない。
それでも私は言わなければならない。
「嫌いに決まっているでしょう。でなければあんな態度を取ると思う?」
「こちら側から破棄するように仕向けるためなら納得がいく」
ジェラルドは確信しているようだ。少しも目を逸らすことなく、私を見つめている。
「リタ、きちんと僕を見て。逸らさないで」
嫌々と俯きながら首を横に振る私の頬に手が添えられ、強引に上を向かせられた。
視るのは怖い。だけどどこかでまだ彼のことを信じたいと思う私が抑えていた魔法を発動させるのだ。
不安げな顔をしていたのだと思う。
彼は困ったような顔をして首を少し傾けた後、ゆっくりとそれでいてはっきりとした口調で告げるのだ。
「──愛しているよ。リタが僕のことを嫌いだと言っても、僕はリタのことを愛しているし、離れたくない。リタ以外は何もいらない」
視えるのはあの時と同じ透明で。澄み切った色が映る。
「どうしようもないほどリタが好きだよ」
もう一度言い聞かせるように彼はこつんと額を合わせてくる。
「リタが僕を受け入れてくれるまで何度だって気持ちを伝えるし、突き放されても意地でも隣にいるから覚悟してね。僕は結構執念深いから」
嘘は混ざっていない。本心であることが分かってしまい、酷く胸を締め付けられた。
どうして目の前の人は散々私に悪意をぶつけられていたのにまだそばに居たいと言ってくれるのだろうか。
「私、貴方に沢山傷つけるようなことを言ったのよ」
「知ってる」
「わざとキツくあたったの」
「うん」
「そんな性格の悪い女なのよ」
「それで?」
「それでって……」
普通愛想を尽かすだろうに。私だってジェラルドに同じことをされたら許さないし、絶縁する。
「まんまと策にはまって落ち込みはしたけどさ。それだけで嫌いになったりなんて絶対にしないよ。僕の気持ちなめてる?」
呆れたような目を向けてくる。
「想いは伝えてきていたつもりだったけど、まだ足りない? 足りないならもっと行動で示すし、毎日伝えるよ」
ぽろぽろと涙が溢れてくる。たった一度だけ聞いた言葉よりも、今、目の前で伝えてくる彼に応えたくなってしまう。
「もう一度聞くよ。本当に僕のことが嫌い?」
「嫌い、じゃない」
気づいたらそう呟いていた。
言ったらこれまでの努力が水の泡になるのに止まらなかった。
「貴方が思っているよりもっともっと何倍も好きで」
それほど強く惹かれる存在だからこんな愚かな選択を取ってしまうほど追い詰められて。
「私こそ貴方が必要で貴方以外は要らなくて」
あの時のようにぼろぼろ泣きじゃくりながら震える唇は紡ぐ。
「愛してる。私もジェリーのこと愛してる」