眠り姫と偽りと(5)
「あーあ、双子で赤い目の王女。不吉すぎて王家にとって使い道の無い駒だよな」
そう言っていたのは誰であったか。私にとっては日常茶飯事で覚えていられない。
またか……と冷えきった心は傍観していた。別に言わせておけばいいとも。
私は気付かぬふりをして彼らの座っている後ろを通り過ぎたかったけれど、先日聞いてしまった会話が耳にこびりついていて、結局足が止まってしまう。
「──お前、よくあんな可愛げが無く気味の悪い王女の婚約者でいられるよな」
その言葉に座っている子息たちを確認し、大きく目を見開いた。
(どう……して? ううん、そんな)
仲間にいたのはジェラルドで。彼は曖昧な微笑みを浮かべていた。
心臓が痛い。足は震え、息が──上手く吸えない。
ヒュッと掠れた呼吸音がした。
「なあ、ここだけの話にするからさ。本当のところ、あの王女をどう思っているんだ?」
聞きたくないのに、身体はその場から離れられず、耳を塞ぐことも出来なかった。
(きっと否定してくれるわ。あんな男達と同じことなんて言わない)
まだ、私は信じていた。優しい婚約者のことを。
だけど疑心暗鬼になり、瞳は真偽を確かめよう勝手に特殊魔法が発動していた。
そんな吐きそうなほど緊張している私と反対に、彼はサラリと言ってのけたのだ。
「そうだな。私にはある意味手に余る御方だよ。本当に大変だ」
「それは……ははっ! お前もやっぱりそうなのか。王女の前では周りを牽制しているのにな。演技が上手い」
嬉々としてジェラルドに絡む生徒に、彼は安堵した顔を見せている。
「そう言ってもらえると安心するよ。上手く騙せているようで」
色は透明で。
嘘はついていなかった。全て彼の本心だった。
私は自分の目を潰してしまいたかった。
見えなくしてしまいたかった。
魔法が使えなければよかったと思った。
(う、そつき……! ジェラルドも、……貴方も裏で私のことをそう思っていたの……?)
自分だけに見せてくれる微笑みも、大好きだよと小さい頃から言ってくれる言葉も、手を繋いだだけで赤くなっていたのも、全て演技だったのだ。
──自分だけ浮かれていたのが馬鹿みたい。
何かが砂上のように崩れ落ちた。
優しくて、大好きな婚約者はもういない。
その代わり憎くて、悲しくて、裏切り者の男が目の前に生まれた。
心が悲鳴をあげる。
泣き叫んでいる。
どうして、何故、貴方まで、最初から? と。
こんなところで泣いたらまた陰口が増えるだけなのに、ポロリと一粒こぼれ落ち、しゃがみこんで顔を隠す。
心を粉々に砕く絶望は、体内の魔力にも大きなうねりを与えたようで、感情の高ぶりから上手く魔力を制御できない私を中心にして草花が枯れていく。
それを目の当たりにした他の生徒達が気味が悪そうに見てくる中、ふらつきながら歩き出した。
授業を受ける気分にもなれず、寮へと戻る。自室の扉を開けると中を掃除していたマリエラが驚いた声を上げた。
「マーガレット様!? 一体どうなさったのですか」
「マリエラ……ごめんなさい、少し一人になりたいの」
心配するマリエラにそれだけ言って寝台のある部屋に逃げ込む。鍵をかけ、マリエラに聞かれないよう防音魔法を施してから大声で泣く。
怒りからか全身が熱く、上手く魔力を制御できない。漏れ出る魔力は良くない方に作用しているようで、大切に育てていた窓辺の花々をも中庭の花壇と同じように枯らしていった。
(どうして……やっぱり私なんて邪魔者でシェリル様の方がよかったの?)
あの噂も、事実だったのだとしかもう思えない。
そうなるといよいよ何も信じられなくなって、ずたずたに心が引き裂かれていく気がした。
叫ぶように泣いていると、急に体内から魔力が抜け出ていき、ぐらりと視界が揺れる。想定外の出来事に、なぜと思った時にはもう遅く、私の意識はプツリと途切れた。
◇◇◇
「マーガレット様! マーガレットさまっ!」
どんどんと強く扉を叩く音で私は意識を回復した。
薄暗くなった室内で私は床に倒れていた。フラフラとする身体を無理やり起こすと、ふと、正面にあった鏡に映る自分がぼやける視界の中で見えて。
大きく目を見開いた。
「なにこれ」
そこに映った私の首筋には茨のようなアザが浮かび上がっていたのだ。そっと触れると、思わず手を離してしまうほどの熱を持っていて、じわじわと体内の魔力を吸い取っているようだった。
(どこかで……)
見たことがあるような。記憶を手繰り寄せる前に、もう一度大きく扉が叩かれる。
「マーガレット様! 返事をくださいませ!」
切羽詰まった声に、まだふらふらとする体を叱咤して立ち上がり、防音魔法の解除とアザも魔法で隠してから扉の近くまで移動する。
「マリエラ、どうしたの」
「ああ、お声を聞けて安心しました。何度声をかけても返答がなかったので、もしや、中で倒れられているのかと心配になりまして」
「倒れてないわ。大丈夫よ」
「そうですか。では、ジェラルド様がお越しになられているので、お顔をお見せできますか?」
「それ、は」
名を聞くだけでぎゅうっと心臓が縮まり、ずきずきと痛む。
私は胸を押え、扉から背を向ける。
「体調が優れないから会えないと伝えて」
「ですが」
「お願い。今は会いたくないの」
静まり返っていた室内に私の声は響き渡った。
「リタ」
不意に扉の外から聞こえた──今一番聞きたくなかった声に、振り向いた。
私をそう呼ぶのはジェラルドだけだ。
いつもなら毎度律儀に許可を取った後、入室するのに今日に限っては違うらしい。
(もしかしてあの場に私がいたのがバレたのかしら)
今まで巧妙に隠していた本音が聞かれたと思い、焦って追いかけてきたのかもしれない。
彼はもう一度、扉を叩いた。
「午後の授業に出席せず、閉じこもっているとマリエラから教えてもらったんだ。体調でも悪いの? 顔を見せてくれないか」
「見せたくないです。帰ってください」
他人行儀のあしらいに、扉を通して息を呑む音が聞こえる。
「…………そう言われて、私が帰るとでも?」
「っ!」
勢いよく扉が外から開けられる。どうやら彼は魔法で無理やり解除したらしい。
明かりをつけていなかった空間に、外からの光が差し込んで眩しい。
「あ、あ、開けないでって言ったじゃないっ!」
「リタが意地を張る時はそのままにしてはいけない時だ。何があったのか教え──」
私の顔を見たジェラルドの言葉が詰まり、険しい表情が抜け落ちていく。呆然と、彼は尋ねる。
「泣いたの? 誰に泣かされ……──」
伸びてくる手をパシンと叩き落とした。
ジェラルドは狼狽え、もう一度手を伸ばしてこようとするが、私は後ろに下がって距離を取る。
「リタ? 本当にどうしたの?」
心配そうな表情はいつものジェラルドと同じで。私が聞いてしまった彼の言葉が、嘘だと信じられたら良かったのにと、嘘を見抜けてしまう自分の魔法を恨んだ。
「何が原因なのか教えてほしい。私も手助けをできるかもしれない」
そんな言葉に強く首を横に振る。
貴方のせいよとは面と向かって言えなかった。
言って、先程の会話を聞いていたのだと悟ったジェラルドが、本音を隠すのをやめて他の子息たちのように私を嘲笑ってきたら耐えきれないから。
(大好きだったのに)
ひたすらぽろぽろと涙が溢れ、視界がぼやける。
頬を伝った涙がぽたぽたと床に落ちていき、彼の視線を受けとめたくない私は俯いた。
(貴方が私を嫌いならば、私も貴方のことは大嫌いよ)
そう自分自身に暗示をかけてずきずきと痛む心に蓋をする。
(優しい婚約者のフリなんてしなくていい。──しなくて済むようにしてあげる)
だから溢れ出る涙を拭いつつ、さっきの思いと反対に、精一杯冷ややかな眼差しを向けて言ったのだ。
「──嘘つき。貴方もやっぱり同じなのね」と。