眠り姫と偽りと(4)
小さい頃はお兄様と私だけが使える特殊魔法を常時発動していたけれど、成長するにつれて制御できるようになった私は無闇矢鱈に視ることを止めた。
視えたところで嘘を見破ること以外いいことは無いし、自分が傷つくことの方が多かったからだ。
それにジェラルドや家族がいれば、周りから何を言われようと平気だと思えたから視る必要がなくなった。
ジェラルドは律儀に私が願った約束を守ってくれた。会いたいと手紙を送れば次の日には王宮に来てくれていたし、お茶会に出席せざるを得ないときは、彼だって同性の友人のところに行きたいだろうに、私の隣に居てくれた。
もう、勿体ないくらいの婚約者。
この頃はまだ純粋に彼と居られることが嬉しかった。楽しかった。けれども、アルメリア魔法学校に入学し、他の貴族との交流が増え始めると私の悪い癖がまた、息を吹き返した。
『──お可哀想なジェラルド様』
そう、令嬢たちが話していたのはいつだったか。
壁を隔てたあちら側での会話にずんと心が重くなり、廊下を歩いていた私の足は止まった。
「ジェラルド様ほどのお方でしたら選り取りみどりですのに、何故マーガレット王女が婚約者なのでしょう 」
(大丈夫……いつものこと。いつものことだわ)
入学して一年。最近は、「穢れもの」と忌々しそうに言われることは少なくなり、「何故、ジェラルド様の婚約者なのか」と言われることの方が多かった。
理由は簡単。ジェラルドが魅力的な男性に育ちつつあるからだ。
侯爵家の嫡男。膨大な資産を受け継ぐことが確定していて将来安泰。次期国王のお兄様とも親しく、努力家で成績も優秀、容姿端麗。
誰にでも好かれそうな穏やかな物腰で教師たちからの覚えもめでたい。
どんどん素敵な男性になっていくことに内心焦る私は、自分が彼にとってとてつもなく不釣り合いな婚約者であるという思いを強くしていった。
彼女たちの言う通り、ジェラルドが望むならばこの学校の中から誰でも選べるだろうし、選ばれた令嬢が断ることなんてないだろう。
持っていた書物をしっかり抱き抱え直し、壁に寄りかかりながら彼女達の話に聞き耳を立ててしまう。
「シェリル様の方がジェラルド様にお似合いですのに」
不意に飛び出た名前に私の心臓は早鐘を打つ。
シェリルという名前を聞く度に私の心は落ち着かない。彼女はジェラルドの幼なじみで、彼もほかの令嬢よりは親しい付き合いをしている。
だからだろうか、私との比較に出されることが多く、周りは揃って「お手本にしたい令嬢」などと言う。
「あ〜分かりますわ! 美男美女で、先日階段から落ちたシェリル様を助けるジェラルド様のお姿は御伽噺の中のようでしたわ!」
(それは私も思った……)
足をくじいたのか、階段から落ちたシェリル様を下にいたジェラルドが運良く抱きとめたのだ。咄嗟に階段の方へ駆けていく彼の腕の中にすっぽり収まったシェリル様が、震えながら抱きついたのを私は目撃した。
ジェラルドはそんなシェリル様の耳元にそっと何やら囁き、宥めながら医務室に連れていったのだ。
私よりもお姫様と呼ばれるのがぴったりなシェリル様と、それを淀みない動きで助けたジェラルドは王子様だった。
(彼女の方がもっとずっとジェラルドの隣にふさわしい……)
考え始めたらどっぷりと嵌ってしまう沼だから、わざと考えないようにしていたのに。私の悪い癖が悪い方向にばかり思考を煮詰めていく。
(私達の婚約は生まれた時からで、彼に拒否権はなかった。もし、出会ってからの婚約だったら、今頃彼の隣にいたのは……私ではなくて)
──シェリル様だったのではないか。そして、それが一番ジェラルドに取って良い婚約だったのではないか。
暗い、底なしの沼に沈んでいた私は寝首をかかれる形でそこから引き上げられた。
「そうそう! お聞きになって? ジェラルド様もマーガレット王女の扱いに困っているようですわ」
(えっ?)
シェリル様の名前を聞いた時よりも何倍も心臓が嫌な音を立てる。
「わたくし、聞いたんですの。ジェラルド様が他のご子息に話されていたのを」
「まあ! では、マーガレット王女は二人の恋のお邪魔虫ですね」
(じゃま、)
ピシリと心に亀裂が入り、私の中で何かが芽生える。ずるずると座り込んでしまった私は、呆然としていたため遠くから駆けてくる人物に気づかなかった。
「リタ」
(……嘘かもしれない。ううん、嘘に決まってる。誰かが面白おかしく吹聴した噂よ噂)
「リタ」
(そう思い込みたいのに……初めて……ジェラルドが扱いに困ってるという話を聞いたわ。有り得る話ではある。今でさえ迷惑をかけていて、彼はいつも気にしないでいいよって言ってくれるけれど……)
「リタ!」
(だって私からしても、自分はお荷物だと思うもの)
「リタっっ!」
「っ!」
いささか大きい声と共にがっちり両肩を掴まれ、ようやく私は人影に気づく。
「こんなところでしゃがみこんでどうした」
心配そうに覗き込むのはいつものジェラルドで。私はようやく呼吸ができた。
「あ、の、……ジェリーは」
(──本当は私の事疎んでいるの? …………なんて聞けないわ)
おろおろとする私にジェラルドはそっと手を伸ばし、優しい大好きな手が私の頬を包み込む。ぐいっと顔を近づけた彼は吐息が掠めそうなほど近距離で私の様子を窺う。
「顔色が悪いよ。体調が悪い? 医務室にでも行こうか」
「ううん、元気よ。それに授業が始まってしまうわ」
「授業よりも体調が優先に決まっているだろう。君はすぐ隠そうとするのだから。ほら」
当然のように差し伸べられた手に己のを重ねる。
(疎んでいるなら、こんな風に心配してくれないわ。きっと……彼女達が大袈裟に誇張していただけ)
けれども一度心に芽吹いた何かはしっかり根を張り、抜けそうになかった。
でも、それでも、まだ私はジェラルドを信じたかったから。あんな人達よりも信用できたから。小さい頃から嘘偽りなく私のことを好きって言ってくれるから。
だから大丈夫だったのに。
──あんな言葉を視てしまうまでは。