眠り姫と偽りと(1)
「以前、双子の片割れは不吉だと言っただろう?」
「はい」
「それはあながち間違いではないらしい」
瞳を伏せつつアレクシス殿下は続ける。
「殺してしまうから記録に残らないだけで。特定の条件を満たすとマーガレットの体に現れているような模様が出るんだ」
禍々しい漆黒のイバラのアザをなぞる。
「他人に影響はないのだけれど昔の人々は不吉で忌まわしいものと避けていたようだね。悪化し、進行するにつれ魔力が枯渇する速度が早くなり、アザは大きくなっていく」
「アレクシス殿下は……どこでそれをお知りになったのですか」
「平均よりも魔力量が多い妹が、頻繁に枯渇することに違和を感じてもしや、と文献を漁ったんだ」
悔しそうにアレクシス殿下は奥歯を噛み締めた。
「そこにはこう書かれていた。──目を覚まさないのは、本人が起きたくないからだと」
「えっ」
衝撃的な発言に私は眠りにつくマーガレット王女を二度見した。
(外部的要因ではなくて……マーガレット王女の意思?)
◆◆◆
彼と出会った日のことを私はよく覚えている。
「マーガレット、貴女にはね、婚約者がいるのよ」
窓辺で一人、お人形遊びをしていた私をお母様は膝の上に乗せて諭すように告げたのだ。
「こん、や、くしゃ? なあにそれ、新しいお菓子?」
「いいえ違うわ。これからずっと貴女のそばに、味方になってくれる人よ」
そう言ってお母様は私を優しく抱きしめる。
「うそよ。お外はわるいひとばかりだもの」
むぅとふくれてそっぽを向く。
六歳だった私の世界は箱庭で。一歩、外に出れば針の莚だった。
物心つく前から使用人達は私のほうを向いてひそひそと囁き、姿が見えなくなると陰口を叩く。度が過ぎていたり、うっかりお母様やお父様に見つかると王宮から追い出されることの繰り返し。キリがない。
嫌われているのだと、家族以外にとって蔑む対象なのだと、理解するまで時間はかからなかった。
だから自然と人を避けるようになっていた。
「おかあさま、要らないわ。わたしにはおとうさまとおかあさま、それに、おにいさまとマリエラがいればいいの」
荒らされるくらいなら閉じこもっていたい。新しい人など小さな世界には不要だった。
けれどもお母様は私の返答に悲しそうに顔を曇らせるのだ。
「ごめんなさい。私が…………」
赤くて美しいお母様の瞳に、同じ色の瞳を持つ私が映る。
周りが私を嫌う理由をまだよく分からなかったけれど、お母様のせいではないのは確かだった。
なのに、いつも泣きそうな顔をする。
私はその顔を見る度に胸が締め付けられていた。
「マーガレット、お願い。一度だけでいいから婚約者にね、会ってみて欲しいの」
「そのひとにお会いしたらおかあさまうれしい?」
「とっても嬉しいわ」
「なら……いいよ。でも、おにいさまも一緒にしてね」
人形をいじりながら承諾した。これでお母様が喜ぶならお易い御用……とまではいかないまでもいいことだと思ったから。
「ええもちろんよ。さっそくおめかししないとね」
「……?」
お母様は私を抱き上げ、部屋に備え付けられた衣装部屋の扉を開け放つ。
「マリエラ! どれがいいかしら」
「そうですね、マーガレット王女様は何でもお似合いですから迷いますね」
壁のそばに控えていたマリエラがしばらくして山のように色とりどりのドレスを抱えて衣装部屋から出てきた。
「な、なんで着替えるの……?」
嫌な予感がする。
「なぜってそれは、今日だからよ」
「へ?」
首を傾げながら私はお母様を見上げた。
「──今日ね、王宮に来るのよ」
私は握っていた人形を落とした。
「えっえっヤダ! おかあさま、さっきのことばナシよ!」
「だ〜め。いま、私のためならいいって言ったじゃない」
じたばたもがくが離してくれない。てっきり後日だと思い、承諾したのに見事にはめられてしまった。
「うー」
新しいドレスに着替え、髪を丁寧に梳かされたところでお兄様が部屋に入ってくる。
「マーガレット」
「…………おにいさまも知っていたの?」
竦めるお兄様に確信する。知らなかったのは自分だけのようだった。
「みんなしてひどいわ」
差し出された手に右手を重ねる。
「事前に言っていたら、逃げるじゃないか」
「あたりまえよ。ほんとうに……いらないのに」
ぼそりと呟くとお兄様は私の頭を撫でた。
「そんなこと言わないで。ジェラルドはいい人だと思うよ。色も濁っていないしね」
「ジェラルドって名前なの?」
「母上から聞いてないの?」
「うん」
「母上ちょっと抜けてるからなー」とお兄様は言いながら教えてくれる。
「ジェラルド・シモンズ、シモンズ侯爵家の男児で僕達と同い年だ。ちなみに、僕の友達でもある」
「ふーん」
「興味無いのかい」
こくんと頷く。
「いちど、会うだけだもの。それでバイバイだから」
お母様にお願いされたけれどこれっきりだ。もう会うことはないのだから詳細な情報などどうでもいい。
私は右手をお兄様と繋いで、お母様の背中に隠れながら待ち合わせしているという庭園のガゼボへ向かう。
逃げ出せないかと様子を窺うが私の考えなどお見通しのようで左右をがっちり固められていた。
どうやら絶対にその婚約者という人に会わなければならないらしい。
途端、気づかない振りをしていた恐怖が大きくなって私を覆うので、少しでも払拭したくて吐露する。
「おにいさま、わたし、怖いの。だからね、会いたくないの」
ぎゅっと強くお兄様の手を握ってうつむく。
「また言われるんじゃないかって。泥団子とか投げつけられるんじゃって。思ってしまうの」
勇気を出して参加した年少の子供だけの茶会で、気持ち悪い、穢らわしいと罵られながら丸く固めた泥を投げつけられた。
駆けつけたお兄様やお母様のおかげで助かったけれど、謝罪の言葉を口にする親達の隣でずっと睨んできていたのを忘れられなかった。
「だけどおかあさまのお願いだから頑張るの。おにいさま、ぎゅって抱きしめて」
そうすれば不安や恐怖も消えていく気がした。お兄様は優しく、けれども強く抱きしめてくれる。
到着し、あとは相手方を待つだけになった。バクバクとうるさい心臓にお母様のドレスを握る左手は震えている。
やがて角から二人分の人影が現れる。
その一人、不貞腐れたようにふくれっ面をしていた少年と目が合うと、彼の顔からそんな表情が抜け落ち、残ったのは間抜けな顔だった。