飛行授業(1)
「今日は構内をぐるりと囲む森の中を、ホウキで一周する授業だ。終わった者から帰っていいよ。さあ始め!」
あっさりとした説明に拍子抜けする。もっときちんと飛び方を教えて欲しい。
どうやって飛ぶのか分からずモタモタしていると、クラスメイト達はホウキに跨り次々空へ舞い上がる。
「アタナシア様何してるんですの?」
既に空中にいたエリザベス様が不思議そうに声をかけてきた。その隣には逃げないと約束したマーガレット王女もいる。
いつの間にかポツンと一人、私だけ地面に取り残されていた。
「あっあの! お恥ずかしいのですが、飛び方が分からないのです……」
ホウキの柄を握りながら正直に話す。これは助けを求めた方がいい案件だ。
「そっかターシャ知らないのね」
マーガレット王女が下降してくる。
「座り方は跨いでもいいし、私みたいに横向きに座ってもいいのよ」
ホウキから降りたマーガレット王女は丁寧に座り方を教えてくださる。
「あとは普通に魔力をホウキに流すだけ。地面を蹴れば浮かび上がるわ」
ほら、とマーガレット王女は地を蹴った。ふわりと浮かび上がり、瞬く間にエリザベス様の元まで浮上する。
太陽を背に頭の高い位置で結ばれた豊かな金髪が絹糸のようにさらさらとこぼれ落ちていた。
(綺麗だなあ)
脈絡もなくそんなことを思ってしまい、手が止まっていると彼女は首を傾けた。
「ターシャ初めてなら慣れていないし、ゆっくりしてもいいのだけれど授業が終わってしまうわ。もう飛べる?」
「はっはい! 飛びます」
跨いで乗るのは座り心地が悪そうなので、私もマーガレット王女と同じように横向きに座り、地面を蹴った。
「わっ」
初めての空中飛行は新しい世界に一歩足を踏み入れたようでわくわくする。生温い風に髪が靡き、視界が一気に高くなる。
あっという間にエリザベス様達の元に到着し、地面ははるか下だ。
「どう? 初めての飛行は」
「とっても気持ちいいです! 空気が美味しいですね!」
いい天気なので遠くまで見渡せる。ホウキから落ちないよう魔法をかけてから、両手を左右に広げた。
「そうですわね〜。わたくしも久しぶりに飛びましたが、マーガレット様の近くに居られるこの時間、至福ですわ」
ほうっと惚けている。
「ターシャ、この人置いていくわよ」
宣言通り留まっているエリザベス様を置いて颯爽とホウキを進める。
「いいんですか?」
「そのうち追いかけてくるわ」
「はっ待ってくださいまし! わたくしを一人にするんですの!? 置いていかないで欲しいですわ」
「ほら来た」
追いついたエリザベス様を加えてしばらくの間空中散歩を楽しみ、時折地面に降りて可愛らしい花の名前を教えてもらったり。笑い合いながら飛行する。
穏やかな時間が終わりを告げたのは森の半分ほどを通り過ぎた頃だった。
「マーレ様、あそこに鳥が……」
「きゃっ」
前方不注意でドンッと軽くぶつかった音がした。衝撃の後にホウキが揺れる。
(なっ何!?)
目の前に銀髪の令嬢とその腰に手を回して支えていた青年がいた。
「すっすみません。お怪我はっ」
「──リル大丈夫か?」
聞こえたその声を私はよく知っている。
(ジェラルドさま)
「ええ、ありがとうジェリー」
甘い綿菓子のような蕩ける声。
「……うげぇシェリル様ですわ」
背後からエリザベス様のだるそうな声が聞こえてきて。私は銀髪の令嬢の正体を知る。
(この方が……)
庇護欲をそそるような華奢な体つきに、ぱっちり大きな宵闇色の瞳。艶のある長い銀髪をリボンと共に三つ編みに結っている。
バランスを崩したらしいシェリル様は、これでもかと言うくらい見せつけて、ジェラルド様にもたれかかっている。
うっわこれは他所でやって欲しい。婚約を破棄するマーガレット王女への牽制だろうか。
でも、無自覚のようだ。意識して行っているようには見えなかった。
(こういう人嫌いだわ)
今はまだマーガレット王女がジェラルド様の婚約者なのに。
顔を顰めそうになり、一旦後ろを向けばマーガレット王女が俯いていた。
「マーレさ……危ないっ!」
きっと二人のくっついている姿を見てショックを受けたのだろうと私は思い、心配になり、近づこうとしたその時だった。彼女の手がホウキから離れ、身体が傾いていく。
咄嗟に手を伸ばそうとしても距離があって届かない。
(落ちてしまうわ!)
「──マーガレットっ」
突如視界の端から現れた青年がホウキから落ちた彼女を抱き抱えた。
「おにい、さま」
小さな掠れた声だ。だらんと腕が垂れている。
「……マーガレット、私の心臓を止めにこないでくれ。飛行の授業中は生徒が落ちても大丈夫なよう、敷地内全域の地面に衝撃吸収魔法がかけられているといっても……」
アレクシス殿下は顔にかかった髪を優しく退かし、頬を撫でる。
「ごめん……なさい」
「謝らないで。それよりも顔が真っ青だ。何があったんだい」
「急に力が入らなくなってしまったの」
マーガレット王女は瞼を下ろした。
「医務室に行く。アタナシア嬢、すまないが担当の先生に伝えておいてくれないか」
「はい」
アレクシス殿下は彼女を横抱きにして最短距離で校舎まで引き返していく。
私は地面に落ちてしまった彼女のホウキを拾って三人がいる空中に戻った。
「王女様体調が悪かったのですね」
シェリル様は心底心配している顔で口元を覆っている。
「朝も一悶着あったようですし……気苦労が多いのかもしれませんね」
「朝?」
ジェラルド様の眉がぴくりと動く。
「あら、ジェリー知らないんですの?」
私達がいるのをお構い無しにシェリル様はジェラルド様にそっと耳打ちする。
「そんなことが」
──あったのか。と口元が動いた。
普段より口数が少ない彼は私とバッチリ視線が合い、バツが悪そうに目を逸らした。
「…………リル行こう。早く終えなければリルが食べたいと言っていた、カフェテリアの数量限定のスイーツなくなってしまうよ」
「ああ! それは大変です。わたくし絶対に食べたいのです。ではごきげんよう」
にこりと笑ってシェリル様はジェラルド様と先を行こうとする。
「あのっ」
「何か?」
気が付いたら引き止めていた。全く何も考えていなかったので、言葉が出てこない。
「……お名前を聞いても?」
(うぅ私のバカ)
一応初対面であるから不自然ではないだろうけれど、ここで尋ねる事ではない。
やってしまった……と思っていると、すぃーっとシェリル様が至近距離まで近づいてきた。