兄と妹、それぞれの
私が学校に馴染み始めたことで分かったことが沢山ある。まず最初に、マーガレット王女を忌み嫌う生徒もいるが、比較的穏健派もいるということ。
特にヴェロニカ様は私と同じ考えをお持ちのようで、自分が直接見たものを信じる主義だった。
そうは言っても、マーガレット王女は心を開いていない。近寄りがたい雰囲気だったため、話しかけに行けなかったそうだ。
私が二人を仲介すると、ヴェロニカ様はすぐにマーガレット王女を受けいれた。マーガレット王女も彼女が自分を傷つけるような性格ではないと理解したのか、相変わらずアレクシス殿下と一緒にいることが多いものの、今では仲良く会話を楽しむようになった。
すると遠巻きに見ていた一部の令嬢達も彼女と談笑するようになっていって。私はいい方向に進んでいるなぁと思ったのだが……。
中にはやはり迷信を信じる者も一定数存在して。
あからさまな侮蔑の視線や嘲笑。それはまるでようやく氷が薄く張った水面を、無惨にもパリンと砕くかのような。
向けられたマーガレット王女の瞳は凍ってしまって口数が少なくなる。
拍車をかけるように、彼女は生徒が居る所でジェラルド様を拒絶する。
手は出さないが、言葉という時に暴力となるものを行使して。それは相手を貶める内容では無いのだが、好きな人に真正面から言われたら心臓が裂かれてしまいそうな言葉を。
凍えきった瞳を釣り上げ、容赦なくジェラルド様の心を一刀両断するその姿。
一部の女子生徒はマーガレット王女のことを悪女だと揶揄する者もいる。
侯爵家の嫡男で、王女の隣に立っても胸を誇っていたいと言っていたジェラルド様は、その努力の甲斐あって人望がある。
私が見かけた時だけでも、ジェラルド様の周りにはいつも人が居るのだ。それは異性であったり同性であったり、先生が彼に頼み事をしている場面も廊下でよく見かける。
つまり文句なしの好青年なのだ。
なので傷心の彼を慰め──あわよくば取り入ろうと数多の令嬢達がいつの間にかジェラルド様を囲うようになっていた。
しかしマーガレット王女との婚約は誰もが知っている話。一欠片も他の人が取り入る隙間は無い────と言いたいところだが、誰がどう見ても仲違いしているこの現状。周りから見たら隙間しかないだろう。
現に、マーガレット王女に向けられる視線は厳しくなり、反対にジェラルド様には同情が集まっていく。
当事者でない私の方が心をぎゅうぎゅう締め付けられて、お節介だと──彼女だって理解していてそうしているのだと思っても、「どうして?」が口から出てきそうになる。
それに、マーガレット王女がぽつりと口にした「シェリル様」という人物も気になっていた。
ああ、きっとジェラルド様関連なのだと思うけれど、アレクシス殿下やジェラルド様から事情を教えて貰った際には出てこなかった令嬢の名前なので、どう関係しているのかもやもやしていた。
しかし私自身今学期の最初はアルメリアの生活に慣れていくので精一杯だった。そのため中々調べることが出来ずに今日に至る。
だから、ジェラルド様やマーガレット王女との繋がりが分からない。出来ることならば夏季休暇に入る前までには詳しく知りたい。
(だってたぶん……夏季休暇に入ってからだと取り返しのつかないことになる)
『──夏季休暇に入る前までに解決しなければ、陛下と王妃殿下に進言しようと思ってるから』
そう、呟いたジェラルド様の言葉を私は覚えていた。
何をと詳細は知らないが大まかな予想はつく。
休暇までは一ヶ月を切っていて、残された時間は少ない。
心做しかアレクシス殿下もマーガレット王女とジェラルド様の関係が硬直、むしろ悪化していることに焦っている。
アレクシス殿下は、何とか二人の仲を取り持とうとマーガレット王女の説得に精を出しているが、肝心の王女殿下は拒否するばかり。聞く耳を持たない。
ジェラルド様も自ら行くのはむしろ負の連鎖になると感じたのか、以前より彼女に話しかける回数は少なくなっている。
けれども、ジェラルド様は偶然マーガレット王女と廊下ですれ違うと無意識に彼女を目で追いかけている。ぎゅっと固く唇を引き結んだまま。横を通り過ぎるほんの僅かな間だけ。
そうしてその後、マーガレット王女と一緒に居る私と目が合って寂しげに苦笑いして去っていく。
どれほど心無い言葉を好きな人から浴びさせられても、追い求めてしまうその感情は、痛いほどよく分かる。
ジェラルド様にとってマーガレット王女は、何があっても向ける感情が変わらない唯一無二の存在なのだ。
そんなことを考えながら、私は木べらで泡立った粘り気のある液体をぐるぐる混ぜていた。
今は魔法薬学の授業。ぐつぐつと煮立つ鍋の近くにいると、夏に差し掛かっているのも相まって汗がたらりと頬を伝う。
それをぐいっと手の甲で拭った。
「アレクシス殿下」
「ん?」
次投入する材料を見事な手さばきで切っていたアレクシス殿下は顔を上げずに反応する。
「シェリル様ってどのようなお方ですか」
「……シェリル?」
「はい」
アレクシス殿下は記憶を引っ張り出しているようで、手を止めて考え込んだ。
「よく、会話内で上がるのです。他のクラスの方……ですよね?」
「…………公爵家の方のシェリル嬢で合ってるかな?」
「たぶんそうですね」
鍋の火を止めて蓋をする。ここから数分蒸らして蓋を取り、冷え始めたらアレクシス殿下が刻んだ材料を入れてまた混ぜるのだ。
そうすることで課題の薬は完成する。
「シェリル・ハウエル、ハウエル公爵家のご令嬢で私達と同学年、クラスはジェラルドと同じだ。紫に近い宵闇色の瞳に銀の髪を持っているよ」
「銀髪は珍しいですね」
ソルリアではほとんど見かけない。アルメリアでも二~三人街中ですれ違いざまに見かけただけである。
「彼女の母方の祖母が北方の国出身で、祖父と婚姻する際にアルメリアへ来たらしい」
(そっか。北国の方は銀髪が多いのよね)
ソルリアやアルメリアでは明るい色の髪色が多い反面、寒い地域である北国等では何故か銀髪の子供が生まれやすいと聞く。
因果関係は解明されていないが、恐らく気候や私たちの祖先がどのように生活してきたのかが関係していると言われていた。
(とはいえ、今欲しい情報はこれじゃない)
「マーレ様と何か……交流があったり……は?」
「私の知る限りは何も。もちろん、お茶会や舞踏会等で挨拶はするが、その程度なはずだ」
アレクシス殿下は口篭り、顔を曇らせる。
「こんなことを尋ねてくるということは、彼女が一枚噛んでいると?」
「…………う〜ん半々です。関わっていたとしても、悪い方ではないのは確かですよ」
でなければ自分よりもシェリル様の方が婚約者にふさわしいなどと言わないだろう。
「そうか。子息達ならまだしも、女性の方の友好関係や派閥は詳しくなくてね。あまり踏み込むのも却って反感を買うことになりかねないから」
そう言うアレクシス殿下に私はクスリと笑う。
「それでも随分過保護ですよね。マーレ様とほとんど一緒に居るでしょう?」
彼は普段、自分のことよりマーガレット王女のことを優先している。クラスメイトにとっては当たり前の光景なのか、特段反応することは無いが。
私自身兄がいる身。自分とロンお兄様の距離感と比べても、やはりアレクシス殿下はマーガレット王女を気にかけている。
「過保護……否定できないな。守ると悪化する可能性もあるから迷う時もあるが、一緒にいることで少しでも落ち着けるなら傍に居る。妹が幸せになれるなら何でもする」
ひと呼吸おいて殿下は続ける。
「──ジェラルドとの関係性を修復させたいのも、妹を想って幸せにしてくれるのは彼だけだと確信しているから」
その返答にふと思い出す。
「そういえばアレクシス殿下には婚約者様が居られませんね」
マーガレット王女にはジェラルド様がいる。本来はそれが王族の普通なのだ。
ギルバート殿下だって私との正式な婚約を結ぶのは遅かったものの、実質幼い頃から内定していた。
「うん。理由は色々あるが、婚約者が居たらそちらを優先しなければならないだろう? それは耐えられない」
訂正。これは過保護の領域を超えているかもしれない。
「それに妹を優先することを仮に了承してもらえてもやはり不誠実だろう。結婚する女性にはたとえ政略結婚になったとしても、きちんと愛して向き合いたい」
アレクシス殿下は鍋の蓋を取り、切った材料を投入していく。
「今はマーガレットとジェラルドの動向を見守るだけで手一杯だ。他の令嬢は気にかけていられない。ああ、それ貸して」
どうやら今度はアレクシス殿下が混ぜてくれるようだ。木べらを彼に渡し、手を水で洗って付着した液体を洗い流す。
「ところで、ダンスパーティーのパートナーの件だけど」
「はい」
実は三日ほど前にアレクシス殿下に頼んだのだ。もっと早くにお願いすることもできたけれど、もしかしたら誘いたいお相手がいるかも……としばらく様子を窺っていたのだった。
「誰も選ぶつもりなかったから、そのままヴィアリナ先生に伝えたよ」
混ぜ終えたアレクシス殿下は、完成した液体をボトル瓶に注ぐ。最初は気味の悪い緑色だったが、今は鍋の底が見えるほど透き通ったさらさらの蒼色に変化していた。
座った私はボトル瓶に蓋をして、指定されたラベルを貼る。
「引き受けてくれてありがとうございます。頼める男性がアレクシス殿下しかいなかったので」
ちなみにパートナーの件は、手紙でギルバート殿下から既に許可を取っていた。彼は『怪我をしないなら、私のことは気にせずシアの好きなように過ごして欲しい』と、返事を寄こした。
そこで授業終了の鐘が鳴り、生徒達が我先にと部屋を出ていく。
次の授業は子息達が剣術、令嬢達は裁縫なので部屋を出てすぐアレクシス殿下と別れ、廊下で待っていたマーガレット王女に合流する。
「お待たせしてしまいましたか?」
「ううん」
ふるふると首を横に振るマーガレット王女の雰囲気は、ジェラルド様がいる時とは比べ物にならないほど柔らかい。
上半分の髪を編み込みながらリボンで結び、ハーフアップにしている姿はとても可愛く、可憐だった。
それは何も知らない他学年の男子生徒が二度見して去っていくほど。
「授業中、お兄様と何を熱心に話し込んでいたの?」
グイッと覗き込むように、私の前に出て尋ねる。
「見ていたのですか?」
「席が遠かったから内容は聞こえなかったけど……ちょっと気になって」
今回は二人一組での授業だったので、ヴェロニカ様がマーガレット王女とペアを組み、溢れた私がアレクシス殿下と組んだのだった。
「大したことではないですよ。アレクシス殿下はとても妹思いだと話していたんです」
「…………ならターシャはお兄様が私を気にかけすぎだと思わない? もうちょっと自分のことを優先していいのに」
「否定できませんが、アレクシス殿下が不満を抱いていないのであればいいのでは? マーレ様は離れて欲しいのですか?」
マーガレット王女は首を大きく横に振る。
「思わ……ない。居てくれるのならば、そばに居て欲しい。いつも一緒に居てくれたのに急に離れられたら寂しくなっちゃう」
小さな声でぽつりとこぼす。
「ふふっ、アレクシス殿下に直接伝えてあげたら喜びますよ」
破綻した笑顔が容易に想像できる。マーガレット王女のことが大好きだから、その場でぎゅっと抱きしめるんじゃないだろうか。
「今さら言うのは恥ずかしいわ」
むっと軽く頬をふくらませた彼女は持っていた教科書を顔に引き寄せ、口元を隠す。
「では私にだけ教えてくれませんか? 無理にとは言いませんが」
マーガレット王女はしばらく葛藤して、覚悟を決めたのか囁き声で教えてくれる。
「────ずっとずっと何があろうとも大好きな、自慢のお兄さま」
そうして耳まで朱に染めながらはにかむ。
実はこの時、魔法でマーガレット王女の言葉を録音していた私は、約束を破ってこっそりアレクシス殿下に聞かせてあげた。
すると殿下は彼女の所に私を連れて転移して。
突然現れた兄に対し、目をぱちくりさせるマーガレット王女をぎゅうぎゅう抱きしめ、しばらくの間離さなかったのだった。