気持ちと贈り物
私が部屋に戻った時にはマーガレット王女はいつもの──何もなかったかのように溌剌とした様子で出迎えてくれた。
けれど違和感が拭えない。元気が空回りしているように見受けられるのだ。
けれども表向きは普段通り。だから指摘できずに会話をしながら教室に到着する。
「ターシャが先にどうぞ」
扉を開けるとマーガレット王女はそう言って私の背中を押した。
バランスを崩し、いささか大きな音を立てて教室内に踏み入れる。
そのせいで生徒たちの視線を一身に注がれることになった。
(めっ目立ってるわね)
さて、どうしたものか。
(とりあえず挨拶しようかな)
そう思った私より先に、一角で固まっていた令嬢達の一人が話しかけてきた。
「まあ! アタナシア様ご機嫌よう」
「ご、ごきげん……よう。えっと……」
(ルルナは違う……エリザベ──はマーガレット王女のことが大好きな人)
「ヴェロニカです。ヴェロニカ・エルスケン」
「すっすみません。まだ名前を覚え切れてなくて……ヴェロニカ様ですね」
頭を下げながら記憶に残そうとしっかり容姿を確認する。
サラサラストレートな黒髪に空色の瞳。柔和な笑みは同性から見ても心を撃ち抜かれそうだった。
「今日はおひとりなのですね。マーガレット王女殿下は?」
「マーレ様は後ろに……」
振り返るが人影はない。
(あれ? さっきまでいたのに)
「時間置かずに来ると思います。さっきまで一緒にいたので。マーレ様にご用でも?」
「いいえ、ありませんわ。それよりもアタナシア様とご一緒したいのですが」
「ソルリアの話も聞いてみたいですし。教えてくれますか?」とヴェロニカ様は付け足す。
「喜んで」
ソルリアはいい所である。彼女たちに話し、気に入ってもらえたら私としても嬉しかった。
それでもマーガレット王女が気がかりでキョロキョロ辺りを見渡す。するとマーガレット王女は後ろの方の席にちょこんと座っていた。どうやら前扉からではなくて、後ろの扉から入ったらしい。
私と視線が絡むとほんの少し微笑んだ。隣には既にアレクシス殿下が着席している。
「ではこちらに」
そうして彼女達の輪に入ると、真ん中の席に座るよう促された。
腰を下ろすと友人らしき令嬢達が私を取り囲む。
「アタナシア様はソルリア王太子の婚約者なのですよね?」
「そうです。ギルバート殿下と婚約させていただいています」
瞳を輝かせる彼女達に左手を見せる。
それだけで黄色い悲鳴が上がった。
「風の噂で素晴らしいお方だと聞いておりますの。実際はどのような感じで?」
「皆様の聞いている噂通りのお優しい方ですよ。こんな未熟な私も婚約者として大切にしてもらっています」
正式に結んだのは一年前だが、実質小さい頃からの仲だと言ってもいいだろう。
(思い出は沢山ある)
例えば私の誕生日はラスター家で、どんなに彼が忙しくても、無理やり予定をこじ開けてくれて祝ってくれた。
反対に自分の誕生日には無頓着で、私が祝おうと王宮に行けば、「…………誕生日? 誰の?」と聞き返してくる始末。
何だか悲しくなって馬鹿! と泣き出せば呆然として慌て始める。
またある日は王宮で開かれたお茶会で、理由は忘れてしまったけれど、泣いていたらどこからともなく現れて慰めてくれた。
『大丈夫。今度こそは僕がシアのこと守るよ。だから泣かないで』
最近は聞かないけれど、それがギルバート殿下の口癖だった。そうして私が泣き止むまでひたすら包み込んでくれる。
また久しぶりに会えた日は、私の突拍子もない考えを文句も言わずに実行してくれたり、わがままも怒らないで受け入れてくれる。
いつも自分のことは二の次で。私のことを優先するのだ。
(今はとても優しい方なの)
何だかしんみりしてしまう。
一人、思い出の中に沈みこんでしまい、会話が止まっていたことにようやく気がつく。
「す、すみませんっ! ちょっと昔を思い出してしまって」
「いいんですよ。アタナシア様の表情でギルバート殿下のことはよく分かりました。皆さんそうでしょう?」
気分を害した訳では無いようだ。むしろ周りの雰囲気が盛り上がっている気がする。
何だか生暖かい視線に居心地が悪い。
「婚約者様に愛されているようで羨ましいです」
ヴェロニカ様が言う。
「そう見えるのなら嬉しいです」
私はほんの少し微笑む。
仲は──いいと思う。とても。でも、それが双方ともに愛なのかと問われれば違うと否定する私がいるが。
一度目の人生では恋焦がれるくらい愛していたし、今もそのような感情は潜んでいる。だから〝愛〟とはどういうものなのか理解しているつもりだ。
だが私から彼へ向ける感情がそうであっても、彼から見た私は過保護に守る妹といった方が正しいだろう。現に、そのような感じで接されている時がある。
「アタナシア様のブレスレットは王太子殿下からの贈り物ですか?」
一人の令嬢が話しかけてきた。
「そうです」
私は手首から外してテーブルの上に置いた。きらきらと散りばめられたヴァイオレットの宝石がポイントのブレスレットだ。
私は普段、ギルバート殿下からもらった装飾品を着けている。
自分で買うことは滅多にない。それはそんな欲が出ないほど殿下から贈られているからだ。
しかもいつもその時の流行りにぴったりなものを贈ってくるので、内心どうやって令嬢の流行りを調べているのだろうかと驚いていた。
「私の婚約者は好きだよとは言ってくれるのですが、全然贈り物をくれないのですよ」
ヴェロニカ様は頬に手を当てながらため息をつく。
「頻繁でなくても良いのです。ただ、贈り物は目に見えるから……愛されていると実感できるでしょう? 私、確証が欲しくて」
物憂げな彼女はふっと笑う。
「まあ、彼がそういう乙女心に疎いというか、鈍感なのは知っているのですが……アタナシア様を見たらちょっと羨ましくなってしまいました」
私は何と返せばいいのか分からなかった。ヴェロニカ様は悲しそうに話したが、その声色は温かくて優しい。婚約者とは良好な関係を窺わせる口調だ。
「私はヴェロニカ様の方が羨ましいです」
(好きだよ……と言葉をもらえる方がいいわ)
隣の芝生は青いように持っていないものを欲してしまう。
「贈り物は……言葉とは違って誰にでも贈れますから」
けれど、何故そのようなことを言うのか分からないとばかりに、ヴェロニカ様の顔にはどうして? が浮かんでいる。
「ああ、勘違いさせてしまったかしら? 私が羨ましく思ったのは贈り物というか、アタナシア様のそれを見たら誰でも────」
視線が私のある一点に注がれる。
「……何か?」
私が傾げれば、ヴェロニカ様は首を横に振る。
「野暮ですわね。忘れてくださいませ」
柔らかくヴェロニカ様は微笑む。
「話が逸れてしまいましたが、ソルリアがどのような国なのかお話ししてもらっても?」
私はこくりと頷いて、授業開始の鐘が鳴るまで如何に素晴らしい国なのか興味津々の皆さんに紹介したのだった。