静かに明ける朝
シャーッとカーテンが開く音がして、差し込む陽光に眩しさを感じつつ瞼を擦る。私は上半身を起こした。
「──おはよう……ルーナ」
光を背にしてお仕着せ姿の彼女が居た。
「おはようございますお嬢様、起こしてしまったようですね」
ルーナはすまなそうに寝台にやってくる。
「うーん……ねむい……」
ウトウトと微睡みながらどうにか意識を覚醒させようと頑張るが、再び夢の中に落ちてしまいそうだ。
「もう起きる時間?」
「多少なら二度寝出来るくらいですね。もう一眠りするのでしたらまた起こしに来ます」
「…………」
「お嬢様?」
肩を揺すられ、びくりと震える。
「ごめ……意識、飛ばしてた。眠気覚ましにお水くれると嬉しい」
ここで二度寝を決め込んだら起きられなそうだ。ふわぁと出てくるあくびを噛み殺しながらスリッパに片足を突っ込む。
「──お持ちしますね」
コップ一杯の水を受け取り、寝台の上で飲み干せば少しは眠気から解放される。
「朝食って昼食食べたところに行けばいいのかしら」
昨日はこの部屋を出た共有スペースに朝食が用意されていたので、それを食べた。
けれどあれは昨日だけの措置のようで、今日はカフェテリアに行かないといけないと聞いている。
「それが違うようですよ」
「えっ」
寝台から降りた私は窓際の安楽椅子に腰掛ける。外の天気は快晴で、雲ひとつない。
ルーナは寝台のシーツを剥ぎ取って丸く包む。
「あれは校舎側にあったと思いますが、朝食の会場は寮内らしいです。詳しくはこちらで」
ルーナは私に小箱に入ったイヤーカフを持ってくる。受け取って耳に着けると音声が流れてきた。
『おっはようございま〜す! 本日の天気は晴れ、気温はちょっと高め、大きめの洗濯物を干すのはこれ以上ないほどぴったりな日です。新入生の方はご入学おめでとうございます! 何か不安なことがあったら周りの上級生や先生にお尋ねください〜! では事務連絡に入ります。まず、今日の朝食会場は第一────』
録音された物の自動再生なのか、心地良い声でさらさらと連絡事項が流れる。
『それでは、本日も元気に一日、勉学に励みましょう! 担当はルルナ・アイベリッツェでした〜』
それを以てプツリと音声が終了する。
「ルーナもこれ、聞いたの?」
シーツを持ったルーナは私の隣で待機していた。彼女が洗い物の中では大変な部類であるそれを洗おうと思ったのは、この放送を聞いたからだろう。
「ええ、画期的な技術です。校内放送だと聞き逃す方もおられますが、こうして朝、個々に、情報伝達できるのは素晴らしいです」
ルーナは嬉しそうに声を弾ませた。
「しかもお嬢様方だけではなくて、仕えている私達にはまた違う内容のものが流れるのです」
「へぇ何が流れるの?」
「大方は同じですが、洗濯物を干す場所や掃除道具の保管場所、足りない物の補充、外出届け申請書、とかですかね」
指を折って彼女は数える。
「っと、こうはしていられません。お嬢様、ご支度なさいませんと」
ルーナは慌ててシーツを寝台の上に置き、トローリーバッグのチャックを開けた。
アルメリア魔法学校には制服が存在しない。各々好きな服装なので、白衣を着る人や本の中に出てくるような魔女の格好をした人まで様々だ。
「今日は暑いようですので半袖でよろしいですか? それとも薄手の長袖にしましょうか」
次から次へと出てくる色とりどりの服はどれも生地が薄く、この季節に着るようなものだ。厚手の服はもっと大きなバッグの中に入っていて、そちらはまだ荷解きをしていない。
いつかはやらないといけないけれど、切羽詰っている訳では無いし、冬が来る前に行えばいいと思っている。
「動くと暑くなっちゃうから半袖がいい。もし冷房が利いていて寒かったら上着を羽織るからそれもお願い」
「かしこまりました」
数分後、ルーナはひとつの服を広げた。袖の部分にオーガンジーの生地が使われており、うっすら肌が透ける作りである。これは今年仕立てたドレスで私も着るのは初めてだった。
袖に手を通して、背中のリボンをキツく締めてもらう。
ふわりとその場で一回転すれば、ライムグリーンの裾が空気を含んで柔らかく揺蕩う。
「お嬢様、お座りください」
促されて窓際からドレッサーの前の椅子に腰を下ろす。大きな鏡に映るのは寝癖で緩くウェーブがかった髪と間抜けな顔をした自分の姿だ。
ルーナは霧吹きに入った整髪料を私の髪に吹きかけ、櫛で梳いていく。ところどころ引っかかるのか、クンッと後ろに引っ張られる。
「痛くありませんか」
「平気よ」
私はされるがままの状態で鏡越しにルーナの手つきを眺めていた。
ルーナは気分が乗ってきたようで、ルンルン鼻歌を歌いながら絡まった髪の毛を丁寧に解していく。
「楽しそうね」
「そりゃあそうです。ソルリアではお嬢様はほとんど外出しなかったので見せる人がいませんでした。ここなら舞踏会のように、着飾るまではいかないものの、人の目があります。だから楽しいんです。腕が鳴って」
霧吹きを置いて、ルーナはポケットからヘアゴムを出す。
「マリエラさんにもアルメリアで流行りの髪型を教えてもらいました。お嬢様は何がいいですか」
「うーん、じゃあ、私に似合いそうだなってルーナが思う髪型にして」
「……悩みますね」
ルーナは櫛を持ったまま険しい顔つきで考え込む。
「決めました。王道で行きます」
意気揚々と宣言した彼女は、再度櫛を握りしめて私の腰まである髪を手早く編み込んでいく。
「出来ました! 後はゴムの上にリボンを巻けば完成です」
ふぅっと息を吐いて、ルーナは額に浮かんだ汗を拭う。
(わぁ! ルーナ凄い。これなら動きやすそう)
彼女が選んだ髪型は、編み込んだ髪をうなじのところでお団子にするものだった。横髪は銀のピンで止められていて、前屈みになっても髪が垂れてこない。
後ろの髪はしっかり編み込まれてからお団子にされているので、解ける心配もないだろう。
動き回ることが多い学校生活では重宝される髪型だ。現に、昨日もこのような髪に仕上げた生徒を何人か見かけた。
そっと触れながら感心していると、ルーナはリボンを数種類、私に差し出してきた。
「──お選びくださいませ」
鮮やかな緋色から落ち着いた栗色まで。私は視線をうろうろさせながら考える。
「これがいいわ」
檸檬色のリボンを手に取る。いつもより長さがあるそれをルーナはお団子に二巻きほどしてから、背中に流した。そして紫陽花の形をした飾りを着ける。
試しに室内を歩いてみると、裾とともにふわふわとリボンが靡いた。
「ソルリアでの流行らしいです。普通よりも長いリボンで結って、そのまま流すのが」
お似合いですよ、と微笑みながらルーナは付け足す。私は気恥ずかしくなってしまって頬を掻きながら椅子に座り直した。
「でも、引っ掛けたりしないかしら」
「光沢があるので大丈夫だと思います。ざらついた生地ではありませんから」
ルーナはドレッサーの引き出しを開けて、口紅を探す。彼女が選んだのは三つあるうちの一番淡い紅だった。
ハケで紅をとり、それを私の唇に乗せる。
そうすれば身支度は完璧だ。
(マーガレット王女はまだいるかしら。いたら朝食誘ってみよう)
そう考えながら扉のドアノブを捻って共同スペースに出るが、人の気配はなかった。
「ルーナ、マーガレット王女とマリエラは?」
「マーガレット王女殿下は随分前に朝食へ行かれました。『まだ早いからターシャは起こさないで』と。マリエラさんは先程までここにいたのですが……追いかけたのかもしれません」
「そう……分かったわ」
思わず声が沈んでしまったのは仕方のないことだろう。
私は昨日のことが気がかりだった。夜遅くまで一人で考えていたのだが、答えは見つからず、真意もわからず、気がついたら寝落ちしていた。
静まり返った部屋の中。彼女の部屋へ続く扉は固く閉ざされている。
私は人知れずため息をついた。
(どうしてあそこまで意固地になっているのかしら)
彼女だって視えているはずで、私よりもジェラルド様の真意が読み取れるはずなのに。
(もう一度尋ねるのは得策ではない。他のところから理由を探さなきゃ)
このままでは誰も得をしない。幸せにならない。お節介かもしれないけれど、私はマーガレット王女とジェラルド様の関係を修復させたい。
(だってあんなに感情を押し殺したような顔をするんだもの)
切なげに揺れる瞳と震える唇が思い出されて、私は一度瞳を閉じた。
ジェラルド様だって、どうしてマーガレット王女に拒絶されるのか分からなくて苦しんでいる。
せめて理由さえ分かればいいのに、それさえも出来なくて、でも必死にマーガレット王女の前では取り繕って、平気な顔をしているのだ。
(後でアレクシス殿下のところに行こう)
昨日、彼女がこぼした言葉を伝えてみよう。兄であるアレクシス殿下なら何かを汲み取れるかもしれない。
そう決めて、私は廊下に続く扉に手をかけたその時だった。
「…………ターシャ?」
外側から開けられた扉のその先に、髪を下ろし、シンプルな白いドレスを着たマーガレット王女が立っていた。
「マーレさま」
ここで鉢合わせるとは思っていなくて、呆然と名前を呼べば、彼女は少し首を傾けながら気まずそうに微笑む。
その拍子に何故か彼女の前髪から水滴がポタっと滴り落ちて、赤いカーペットに染みを作った。
(水、どうして……)
疑問が口に出るより先に、マーガレット王女が話しかける。
「今から朝食?」
「はい」
「そう、ターシャはきっと気に入るわ。美味しいから。帰ってきたら一緒に教室に行きましょう。じゃあね」
心做しか声が低くて、細い。
マーガレット王女は私の隣を通って吸い込まれるように自室に行ってしまった。
思わず追いかけようとして、誰かに手を掴まれる。
「……マリエラ」
真新しいバスタオルを持った彼女は固く口を結んでいた。
「あのっマーガレット王女の御髪は」
「何も、」
マリエラは一旦区切って言い直す。
「──何も言わないでください。見なかったことにしてください。アタナシア様、どうかお願いします」
強い意志のこもった瞳と念を押されて、頷くことしか出来なくて。私はゆっくりと首を縦に振った。
「ありがとうございます」
そうしてマリエラもマーガレット王女の部屋に消えていく。
(あれは────)
雫が、マーガレット王女が歩いた道に落ちている。すぐに乾いてしまうけれど、まだ木の床にぽつりと残されている。それはまるで彼女の涙のようだ。
誰が見てもどういうことがあったのか一目瞭然だろう。
(…………水をかけられたのだわ)
そうでなければあのように髪が濡れるはずがない。
(アレクシス殿下達は知っているのかしら)
尋ねてみたいが、たった今それを見越してなのかマリエラに口止めをお願いされ、承諾してしまった。
私はマーガレット王女の扉の前まで行く。
(ノックして、何が出来るというの。軽い慰めはかえって人を傷つける)
そう考えたら叩く寸前で止まっている右手は行き場を無くす。
その後、ルーナと一緒に朝食を食べに行ったが、料理が喉を通らず、味もわからず、結局ほとんど残してしまったのだった。