廻る歯車
「あの人のことは嫌いだから嫌いなの。理由なんてないわ」
「嘘ですね」
「嘘じゃないわ」
マーガレット王女の眉間に皺が寄る。
「何か理由がおありですよね。でなければ婚約を解消されるはずです」
前回私はギルバート殿下に婚約破棄を言い渡された。だからマーガレット王女もできるはずだ。
「解消なんてできないわ。これといった悪行を相手がした訳でもないのに」
(あ、そうか。あれは特殊なのすっかり忘れてた)
普通いきなり婚約破棄を言い渡されない。ましてやそのまま牢獄行きなんて。
例外中の例外を引き当てた私の経験と重ねてはいけないのだ。
だからマーガレット王女の言う通りである。ジェラルド様は現状何もしていない。
陰で隠れて何か問題を起こしていた場合を除けばだが、彼はそんなことをしないだろう。
第一、アレクシス殿下が友人として一緒にいるのだ。悪行を働けば殿下に嘘をつく機会があるはずであり、それを彼が気が付かないはずがない。
「ですが私はマーレが根拠も無しに親しい者を嫌う人ではないと思います」
相手から嫌がらせを受けてきたからこそ、マーガレット王女は辛さがわかる人。
そんな彼女が意味もなしに嫌うはずがなく、絶対になにか理由があるはずだ。
「ターシャに……だけは教えない」
「ということはあるので?」
私は揚げ足を取った。マーガレット王女は顔を真っ赤にする。
「なっ違っ」
彼女は立ち上がる。そして大きくため息をついた。
何かを諦めたかのような、それでいて安堵しているかのような。
「……嫌いなのは本当よ。とても嫌いで憎くて視界に入れたくない。でも、矛盾しているけれど、私にはもったいないくらいなの。ほんとうに馬鹿なひと」
掠れるような声色は、気を抜いていたら聞き逃す程の弱さで。
私はマーガレット王女が一回り小さくなったように感じた。
「それはどういう──あっ」
魔力の残滓を残して逃げるようにマーガレット王女は転移する。
一人残された私は、彼女の言った言葉の意味をずっと考えていた。
◇◇◇
「ジェラルド」
マーガレットとアタナシアがいなくなってすぐに、アレクシスは友人の名前を呼ぶ。
「見ていただろ」
「そりゃあ、ね。出ていくのはできないから」
建物の影から友人は現れる。
「本当にいいのか」
目の前の友人はどうしてそんなことを聞くのかというような顔をしている。
アレクシスは彼が今後することを知っていた。最初聞いた時は驚いたが、同時にいつかは来るのではないかとも思っていた。
「他に道があるならとっくのとうに進んでる」
「だが……いや、それがジェラルドの選択なら。何も言うことは無い」
思わずジェラルドの肩を叩けば、はははと彼は笑う。
「何、慰め?」
「いいや、まだ諦めないでいてほしい。と」
言うつもりのなかった心の声は、相手の決意を揺らすには十分だった。
ジェラルドの瞳が揺れる。
「なら、どうすればいい。君に分かるのか。この感情を」
そう言われてしまえば反論できない。アレクシスは恋情など抱いたことがないのだから。恋焦がれるらしいその気持ちは理解できないのだ。
けれど、マーガレットを大切に思う気持ちは彼に負けやしない。
アレクシスが乾いた唇をなめ、唾を飲み込むと同時にジェラルドは絞り出すように声を出した。
「マーガレットは私のことが嫌いだ。それは……アレクシスだって見えているだろう」
──知っている。だってこの目で確認したから。
妹は人一番純粋で、儚く、怯えることが多かった。
基本的に家族以外の者には警戒心しか抱かず、常にアレクシスの背中に隠れていた。
四六時中ビクビク震え、少しでもアレクシスから引き離されれば不安で泣き出してしまう。
『おにいさま、おにいさま、離れていかないで。そばにいて。わたしをひとりにしないで』と何度懇願されたか分からない。
困り果てた乳母たちは性別が違うにも関わらず、同じ子供部屋で二人を養育した。
そうなってしまった原因は大人にあって。それでいて優しい仮面を被って近づいてくる者が多かったから仕方なかったのだろう。
『わたしね、世界中でお兄さまとお父さまとお母さまだけが好きなの。ほかの人はいじわるだから嫌いよ』
それが妹の口癖だった。
いつしか、彼女を守るのは自分の役目で。
彼女のそばに居るのも自分だけだった。
(変わったのは……ジェラルドが現れてからだ)
最初こそ警戒していたものの、マーガレットはアレクシスから見たら驚くほど早く、自然に、ジェラルドのことを受け入れた。
『ジェラルドのことをどう思う?』
出会って一年くらい経ち、アレクシスは妹に尋ねた。
『だれにも言わない?』
『うん』
マーガレットはキョロキョロ辺りを見回し、聞き耳を立てている人物がいないか確認する。
お人形を置いた妹は口を手で囲って、アレクシスに教えてくれた。
『んーとね、おにいさまの次、くらいに好きかもしれない』
途端、花瓶に挿していた花が鮮やかさを取り戻した。
『わわわっ! お花枯れそうだったのに復活したわ』
そう言って一輪手に取り、アレクシスの元に持ってくる。
『見てお兄さま。綺麗ね』
そう笑った妹は、今正反対の感情をジェラルドに向けている。
けれど、アレクシスは両親よりもそばに居たから。他の感情も紛れていると感覚的に分かるのだ。
(君は君自身が思っているよりも、マーガレットの中に住み着いている)
未だ俯いたままの友人。
散々悩み、苦労し、藻掻いているのを知っている。
──どうしたらこの絡まった糸を解けるのか。
願わくば、新たに舞い込んだ風によって良い方向に変わらないかと思いながら。
アレクシスは答えを探している最中だった。