願うのは
午後の授業場所に移動する生徒達が一斉にカフェテリアの入口に群がる。私達もトレーを片付けてその後に続いた。
「次の授業は学年合同ではないか……考えただけでつらい」
滲み出る雰囲気からして悲壮感漂うジェラルド様はげっそりとしている。
「確か……魔法の授業でしたっけ?」
パートナーと一緒に教師から出される魔法の課題をこなす内容だったはずだ。第三学年は全部で七つのクラスがあり、生徒数はゆうに百を超える。
パートナー同士の学年は超えないが、クラスの垣根は超える。よって、一緒に行う授業に関しては学年合同になるのだ。
ソルリアではあまり魔法を使う機会が無かったため、アレクシス殿下の足を引っ張らないか昨夜は不安になってしまった。
「うん、あまり公には言えない形で決まったのだけど、私の相手はマーガレットなんだよ」
「それは……」
(なるほど、だから憂鬱なのね)
ジェラルド様はきちんと一緒に授業を受けられるのだろうか。いや、マーガレット王女も授業の間はあんな風ではなく、多少穏やかに……。
「お察しの通り、ほっとんど話してくれなくてね。授業中、必要最低限の言葉も交わせるか交わせないかくらいで」
ジェラルド様は諦めたような乾いた笑い声を上げる。目ははるか遠くを見つめて翳っていた。
「よく──それで笑っていられますね。私だったら顔に出てしまいそうです」
視界に入らないでと言われた時、ジェラルド様は笑みを崩さなかった。鋼の精神を持っている人なのかと思ったが、やはり違うのかもしれない。
「ああ、あれね。本音を言うと正直キツい。気にしてないように振る舞ってるけれど精神じわじわ削れるから」
話しながら廊下に出ると他学年の生徒たちが左右に散っていく。私達はそのまま正面の廊下を歩く。
「最近はもう、止めようかと思っているんだ。彼女がああなったのは私のせいで、でも、何がダメなのか分からない。彼女も教えてくれない。……悩むのも疲れてしまった」
少し前を歩いていたジェラルド様が振り返る。前方から差す陽光が眩しく、こちら側からは彼が影に囚われ、表情がよく見えない。
「それに──夏季休暇に入る前までに解決しなければ、陛下と王妃殿下に進言しようと思ってるから」
「え?」
「アタナシア嬢、私が何よりも一番守りたいものはマーガレットの笑った顔と幸せなんだ」
少し寂しげに笑った彼は、先生に授業の準備を頼まれていたからと見え透いた嘘を吐き、私とアレクシス殿下を置いて先に帰ってしまった。
「……私は嫌なんだよ。だけどどうしようもない。二人とも頑固だから。この件に関して私はほとんど傍観者だ」
ジェラルド様が突き当たりを右に曲がり、姿が見えなくなった頃。ぽつりとアレクシス殿下は呟いた。
「マーガレットも素直になればいいのに。妹のことを思ってくれる人の中で、ジェラルド以上の人はいない。それに後悔してからでは遅い。アタナシア嬢もそういう経験あるだろう?」
問いかけ、と言うより確信しているかのような話し方。一瞬、自分の現状を知られてしまっているのかと体温が一気に下がる。
(ありえない。違う)
「そ……うですね。素直になるのは時に大事です」
無意識に左の薬指を掴みながら視線を合わすと殿下の瞳が目にとまった。太陽を溶かし、煮詰めたような金の瞳は真っ直ぐに私を見つめていた。
そうだ。そうだった。
(アレクシス殿下には感情が色で見えるのだったわ。昨日とか今日もギルバート殿下のことを考えていたから……くすんだ色だったかも)
彼等の特殊魔法は常に発動している訳では無いはずだが、私の推測は当たっているような気がした。
だがその前に、私は感情魔法に対する知識を持ち合わせていない。引っ掛けなのか、普通に出た言葉なのか、判断ができないから不安に思うだけ無駄なのだ。
最悪バレたところで変な人扱いされるか、作り話だと思われるだけ。
私だってなぜ記憶が戻ったのか未だに不思議だし、夢なのかと思ってしまう時もあるくらいなのだ。他人からしたらもっとそう思うだろう。
「私達も急ごうか」
重たくなってしまった空気を変えるように、にっこり笑ったアレクシス殿下はそう言った。
「はい」
頷き、一旦教室に戻って教材を持って外に出る。マーガレット王女は既に集合場所に移動しているのか、教室にはいなかった。
◇◇◇
外は暑くもなく、寒くもない、ちょうどいい気温。活動するにはもってこいな天気だった。
「生徒諸君、男子と女子で分かれて」
手を叩きながら教科担当のヴィアリナ先生は生徒たちを急かし、気の抜けた返事がまばらに続く。
「だるいですわ……なぜわたくしはこんなことを──って貴女! ぶつからないでくださいまし!」
キーンっと聴覚が麻痺しそうなほど甲高い叱責が耳を貫いた。
「すっすみませんっ! 申し訳ありません」
前を見ずに歩いている子息と衝突しそうになり、咄嗟に横に避けたことで違う人とぶつかってしまったらしい。
頭がぐわんぐわんする。反射的に耳を塞ぎ、頭を下げて謝罪すれば、鮮やかな赤い革靴と汚れひとつないレースの白靴下が目に飛び込んだ。
「…………そんなに平謝りするなんて貴族としての矜恃はないのっ!?」
「ひえっえ? きょ、矜恃?」
ぶつかってしまったから謝ったのだが、謝罪の仕方が悪かったのだろうか。
上から降り注ぐ叱責に訳が分からず頭を上げた。
そこにはふわふわした赤褐色の髪に、ヘーゼル色の瞳をこれ以上ないほど釣りあげた令嬢が私を睨めつけていた。肌は日に焼けたことがないと思うほど白く陶磁器のようで、怒りで赤くなった頬を際立たせている。
「まったく、そんなのでしたら舐められてしまいますわよ。さっきと印象が真逆ですわ」
腰に手を当てた赤髪の令嬢。つり上がっていた目が少しだけ下がる。
「あの、お名前をお伺いしても?」
不躾なのは重々承知で恐る恐る尋ねる。
申し訳ないが、彼女に見覚えがなかった。
クラスメイトだろうか? だとしたらまずい。まだ私はクラスメイトの顔と名前を覚えられていないから。
「わたくしを知らないのっ!?」
くわっと目を見開いて迫られる。圧がすごい。
「すっすみませんっ! 存じ上げない……です」
気付いたら視界はまた、地面を映していた。
「だから、簡単に謝るなと言いましたわっ!」
確かにそんなことを言われたような気がする。彼女の剣幕に蹴落とされて言葉が耳から耳へ抜けていた。
「ご、ごめんな……あ、いえっ! 分かりました」
これ以上怒りを買わないよう、私は慌てて顔を上げたのだった。