授業終盤で
「はいはい、作り終わったところから前に提出してね」
見回りをしていたエリック先生はそれぞれの鍋の中身を覗き込みながら言った。
「綺麗にできてるね。あ、これはちょっとかき混ぜ回数少なくしたね?」
一つ一つの鍋ごとに一言ずつコメントを残し、私達のところには最後にやって来た。
「君は……」
メガネをクイッと上げて、私をまじまじと見る。
「──お初にお目にかかります。ソルリアから来ましたアタナシア・ラスターです」
朝、クラスの皆の前でした時と同様にその場でカーテシーをする。
「ああっ! ヴィアリナ先生から聞いてるよ。ソルリアの王太子の婚約者らしいね」
「は、はい」
手を取られて上下に勢いよく振られる。
「他国まで来て勉強するその精神、感心するよ!」
「…………ありがとうございます」
少しだけ後ろめたく感じ、半端な答え方をしてしまった。学びたくてきたのもあるが、理由は他にもあったから。
「エリック先生、アタナシア様にそんな絡まないでくださいまし。それよりも私達の作った魔法薬を見てくださいませ」
クイッと軽く服を引っ張り、マーガレット王女は小瓶に入れた魔法薬を指し示す。
「そうだった。どれどれ見た目は完璧だね」
机に置かれた瓶を手に取って左右に振る。軽やかな鈴の音色が響き、エリック先生は満足気に頷いた。
「よく出来ているよ。アドバイスは要らなさそうだ。アレクシス殿下がいるおかげかな?」
「……私はほとんど何もしていませんよ。二人が手際よく作っていくので、手伝う余地もなく、サボっていた感じです」
褒められた殿下は苦笑した。
「そうなのか? マーガレット王女とアタナシア嬢、素晴らしい出来だった。私の助手をしてほしいくらいだよ」
再び振り向いたエリック先生は小瓶を机に置いて言った。
「ありがとうございます。先生」
マーガレット王女が嬉しそうに頭を下げた。お世辞だろうけれど、私も嬉しくなる。
「さぁて、他の人たちも作り終わったかな〜? あ、そこ、かき混ぜすぎただろう! さっき言ったじゃないか……うわっあ?!」
段になっているところで、足が空を切り、顔面が地面に激突する。
「……先生? 大丈夫です……きゃあ! 血、血が!」
近くにいた生徒が立ち上がろうとした先生に手を貸し、顔面を見た途端、悲鳴をあげた。それが耳に入った他の生徒達も何事かとエリック先生を取り囲む。
「鼻血かい?」
本人であるエリック先生は痛いと言いながら生徒に尋ねる。
「違います。あの、頭から……」
一人の令嬢が自身の頭を指して、持っていた手鏡をエリック先生に向けた。
「あー、切れてるね。血が出てる。べっとりだ」
先生は触って、付着した赤い液体を呆然と眺めた。周りからしたら大怪我のように見えるのだが当の本人は、はははと笑っている。
「みんなごめんね。授業途中だけど今日の魔法薬学は終わり。片付けたら終了時刻まで自習してて。瓶は前に提出してね」
そう言ってフラフラと覚束無い足取りで部屋から出ていった。
残された生徒たちは顔を見合わせ、またかと話し始めた。
その言葉を拾った私はマーガレット王女に尋ねる。
「──いつもこうですか?」
「ほとんどそうよ……何かしら先生がしでかして途中で授業が終わる。お兄様、これで何回目?」
「──記憶が正しければ30回目」
「ということよ」
言いつつ、慣れた手つきで鍋の中に残っていた液体を隣に設置されているシンクに流した。
透明なそれは直ぐに水に混ざって見分けがつかなくなる。
「勿体ない……」
小瓶数本分が流れてしまって、思わずぽつりと呟いた。
「私もそう思うけれど規則なのよねぇ」
不思議に思って詳しく説明をして欲しいと言えば、マーガレット王女は快く教えてくれた。
この授業で扱った薬草等の材料費は学校、もっと大きくいえばこの国の税金で賄われている。知識を学ぶ子供は国の宝。だからアルメリアでは学校に通う費用は全て無料らしい。
そして提出分以外全て廃棄するのは、学校で作った物を外で使用し、悪用するのを防ぐため。棚にある薬草や魔法薬を外に持ち出そうとすれば、アラームが鳴る仕組みらしい。
過去に冗談半分で、持ち帰ろうとしてけたたましくアラームが鳴り、こっぴどく叱られ、反省文を書かされた生徒もいるとか。
他にも至る所に色んな仕掛けがあるのだとマーガレット王女は追加で教えてくれた。
「セキュリティが厳しいのですね」
「そうね。破るのは至難の技だし、破る前にどこからともなくヴィアリナ先生がやってきて終わりよ」
洗い終わった道具を布巾で拭きながらマーガレット王女は続け、私も水で濡らした布でテーブルを拭いた。
「真面目に生活していたらそんなことにはならないのに……全く馬鹿なことをする者が現れるものだわ」
「そういうマーガレットだって、一度規則破ったじゃないか。私が誤魔化してあげたの忘れたのかい?」
鍋を戻しに行っていたアレクシス殿下が、私とマーガレット王女の間に割って入った。
「〜〜〜っ! お兄様! 言わなくていいのよ!」
真っ赤になって膨れっ面になったマーガレット王女は濡れた手でアレクシス殿下を叩く。
「マーレは何を?」
私は好奇心が湧いた。マーガレット王女は教えてくれなさそうなので、アレクシス殿下に聞く。
「知りたいかい?」
「知りたいです」
「ダメダメダメーっ! 絶交よ。ターシャなんて嫌いっ!」
キッと睨み付けているが、全然怖くない。これくらいならソルリアにいた頃に令嬢たちからの嫉妬の視線の方がキツかった。
「嫌いですか……それに絶交と」
(少しだけ……意地悪をしてもいいかしら?)
そう考えて声のトーンを落として言えば、アレクシス殿下も私の意図に気が付いたのか笑いをこらえている。
「何よ。ターシャは何が言いたいの?」
「…………仮に絶交したら私、マーガレット王女と友人ではいられませんね。寂しいですが仕方ありません。短い間でしたが今までありが────」
「待って、ストーップっ!」
「なにか?」
マーガレット王女が急に慌て始める。
「どうしました? 絶交なのですよね」
悲しそうに惚けてみれば、アレクシス殿下は抑えきれなくなったようで、机に手を付いて小刻みに震えていた。多分笑ってる。
「その、本気で、言ったわけでは……」
後半になるにつれて声が小さくなっている。
「──一緒にいるのは嫌だと思うので。席を変えますね」
荷物を形だけ纏め、抱えた。
「それでは」
頭を下げる際に、こっそりとマーガレット王女を盗み見れば、どうしようと動揺している。
「行ったら嫌っ! 撤回撤回てーっかい!」
腕を掴まれ、ぐいっと引き寄せられる。
「私が悪かったわ。ねえ、そんな、冗談よ。本気ではないわ。許して?」
瞳に涙をためて縋りついてきた。最初から本気ではないのは分かっていたけれど、少しやりすぎてしまっただろうか。
「冗談だとしても、前振りなしに絶交などと言われたら私も傷つきます」
「ごめんなさい。あの、ほんと、距離感が掴めなくて……大体こういう時って絶交というかそんなことしか今までなかったから……。嫌いにならないで」
先程までの勢いは最初からなかったかのようで、一回り小さく見えた。
「今のはマーガレット、君が悪い」
笑いから復活したらしいアレクシス殿下が、何事も無かったかのように厳かに告げた。
(殿下、笑ってたじゃないの。私も私であれだけれど……)
「本気ではないのだと分かっていたのに私もからかいすぎました。ごめんなさい。嫌いではありませんよ」
「本当? ターシャ許してくれる?」
「許すも何も怒ってないので」
抱えていた教材をテーブルに置いた。すると心底安心したかのようにマーガレット王女はほっと息を吐いたので、2人で拭き終わった道具を元の場所に戻してエプロンを脱いだ。
そうこうしているうちに、気が付けば時間が経っていて、授業終了のベルが鳴ったのだった。