魔法薬学の授業
「あの先生はエリック・コーラル先生よ。魔法薬学の教師」
耳元でマーガレット王女が教えてくれる。
ペコペコと平謝りするように頭を下げて、生徒から落とした薬草を受け取っては紙袋に入れている。
「先生はちょっと抜けているところがあるの。ああいうのは日常茶飯事なのよ。だから親しみ深くて生徒から慕われている。私も好きな先生よ」
その表情から本当に慕っているのだとわかる。
「そうなのですね」
エリック先生がまた転ばないよう、生徒のひとりが紙袋を持った。そして正面にある机上に置く。
「何から何までありがとう。いつもすまないね」
そのセリフだけ聞いたら翁のようだが、先生はまだ20代後半らしい。肌には張りがあって、健康そうな体つきだ。気になるのは手が荒れていることだが、あれはきっと薬草を普段扱っているからだろう。それに魔法薬を作る人達は、触るとかぶれや発疹が出る材料も扱うから手が荒れてしまうと聞いたことがある。
「それじゃあ始めようか。今日はティオの塗り薬を作ろうね」
ぱっと手の中に出現させたのは透明な塗り薬の瓶だった。先生が振るとリリリンっと鈴のような音がした。
(いつ見ても不思議! 鈴なんて入ってないのに!)
ソルリアは魔法薬学があまり発達していない。みんな直接魔法でどうにかしてしまう。もしくは薬を買うか。ソルリアに流通している薬は自国生産の場合もあるが、大半はアルメリアを筆頭に他国からの輸入であった。
ティオの塗り薬は自分もよくお世話になる一般的な薬だ。とても身近に感じて、思わず身を乗り出して見てしまう。
「材料はヴィッチホーンの角とクルーウ草、シーレーンの涙だよ。ここにあるから人数分取りに来てね〜」
紙袋からどんどん材料が出てくる。それは袋の大きさからは想像できないほど。あれもまた空間魔法を使っているのだろうか。
「取りに行ってくる」
鍋の時と同様にアレクシス殿下が席を立った。帰ってきた時には両手で抱えきれないほど材料を持っていた。
「こんなに使うのですか?」
「うん。煮詰めるのよ。煮詰めたら固形は溶けてしまうし、かさが減るの」
分かりやすいように机上に並べながらマーガレット王女は言った。
へぇ、と感心しながら小瓶に入っているシーレーンの涙を眺める。中身が半透明で虹色のそれは、窓から差し込む太陽光によって粒子がきらめいていた。
「これ、本当にシーレーンから取ったのですか? 私の国では伝説上の生物ですが」
「ううん、シーレーンの涙のように綺麗だからそういう名前がついているの。シーレーンが存在しているかは分かってない。でも、私いるんじゃないかなぁって思ってたりする」
じゃなきゃそんな名前付けられないでしょう? とマーガレット王女は付け加えた。
「私もマーレと同じで、いると思います。この世の中、不思議なことはあるのですから」
たまに不思議な出来事に出会ったと言う人がいる。その中には嘘が混じっている可能性もあるが、真実もあるだろう。
(魔法だって昔は同じように無いものとして扱われていたんだから)
過去に読んだ歴史書に書かれていることを思い出す。そこには魔法が使える者が異端者だとして、魔女狩りに合っていた話が乗っていた。最初は数千人に一人の割合だった魔法が、数十人に一人になってようやく異端者じゃなくて、同じ人間だと認められたらしい。
世の中はだんだん変わっていくもの。今は嘘だと、真実ではないものも未来には普通の出来事だと言われているかもしれない。
(とりあえず、今は魔法薬学の授業を真面目に受けなくちゃいけないわ)
頭を切りかえて、前を向く。
エリック先生は研がれた包丁と板を生徒に見せる。
「まずはクルーウ草を細かく刻もう。けど、すり潰してはいけないよ。薬草にたっぷり含まれる汁が溢れてきちゃうからね」
エリック先生はわざと失敗したクルーウ草を頭上に掲げる。するとどこにあったのかと信じられないほどドバーッと青い汁が溢れてくる。
「こうなるからね〜しかもこの汁、服に着いたら落ちないよ。気をつけて〜」
「……先生、汚れていますよ」
生徒のひとりが指摘する。
「あっほんとだ」
室内が静まり返った。自分で言ったことを忘れたのか、エリック先生はシャツを触ってしまう。案の定手に付着していた液体がまた服につき、悲惨なことになっていた。
「大丈夫! 今日は強力な汚れ落としの薬を持ってきたから!」
懐から取り出したのは緑色のドロっとした液体だった。それをぺたぺたと汚れてしまった部分に塗りたくる。
最後にパチンッと指を鳴らせばあっという間に汚れと緑の液体が消えていた。生徒からも感嘆の声と拍手がまばらに聞こえてきて、エリック先生は自慢げだった。
(無詠唱だわ。アルメリア魔法学校の先生だけあって、どこか抜けてても魔法の才能は素晴らしいのね)
私も拍手を送る。
「っとこんなことしてたら授業が終わってしまうね。みんな私みたいに失敗しないで刻んでごらん」
促されて立ち上がる。持っていたエプロンを着て、包丁を持った。
すり潰さないよう慎重にクルーウ草に刃を入れていく。全てを切り終わったらマーガレット王女が用意したボウルに薬草を入れる。
「ターシャ包丁の扱いに慣れてるわね。よく使うの?」
「そういう訳では……ただ、料理をしていたので」
ハンカチで手を拭いながら答えた。
料理を作ると喜んで食べてくれる人達が居る。みんなの笑顔が見れるのがとても嬉しかった。だから頻繁と言えるほどではないが、お菓子はもちろん昼食とかを度々作っていた。
「私もターシャの手料理食べてみたいわ」
「そんなダメですよ。マーレに出せるほどのレベルでは無いので」
王族に出せるものでは無い。と言ってもギルバート殿下には出していた。彼はいつもこの世でいちばん美味しいみたいなこと言っていたが買い被りすぎなのだ。
「何を考えているの?」
懐かしい過去のことを思い出して、頬が緩んでいたらしかった。奇妙そうにマーガレット王女が覗き込んでいる。
「なんでもありません。次の下準備をしましょう」
持ったのはヴィッチホーンの角。これは硬すぎて包丁で切ることができない。なので魔法で刻むのだ。
粉末状になったヴィッチホーンの角もボウルの中に入れて、棒でぐるぐる混ぜる。
「クルーウ草から汁が出ても大丈夫だよー。すり潰すようによく混ぜて、こぼさないように気を付けてね」
エリック先生の声が聞こえる。
「混ぜ終わったら鍋に入れて」
マーガレット王女が液体になったボウルの中身を鍋の中に慎重に注いだ。
透明だった鍋の中身はたちまち空のような透き通った青色に変化する。
「入れ終わったかな? じゃあ最後にシーレーンの涙を3滴たらして、時計回りに10回、反時計回りに5回、それを4セットやってね。回数間違えたら失敗するから気をつけて」
マーガレット王女が言われた通りにかき混ぜる。1セット目は変化なし、2セット目から徐々にどこにいってしまったのかと思うほど、スーッと青色が消えていった。
途中でぐつぐつと液体が沸騰する。こぼれないようマーガレット王女は先程よりもゆっくり棒を回す。
途中、ポンッと何かが弾ける音が室内で鳴った。見ると前方で青い煙が鍋から上がっている。どうやら生徒がかき混ぜるのに失敗したらしい。煙を被った生徒は髪の毛が青色に変化していた。
「大丈夫かい?」
「すっすみません。回数を間違えていたようで」
失敗して涙目になっている。
「授業は失敗していいんだよ。そうしないと成長できないからね。次は成功させようか」
エリック先生は言いながら手を振った。すると一瞬で煙は消え、生徒の髪色も元に戻る。
心配そうに手を止めて見ていた周りの人達も、再び自分の鍋に向き合った。
「かき混ぜ終わり、透明になったら瓶に移して魔力を込めてね。呪文は〝汝を癒せ、涙を零せ、我らに御加護を〟」
白い湯気が出るほど熱いまま、レードルで少しづつ掬って移していく。ガラス瓶を手で持てるくらいに熱を冷まし、アレクシス殿下が呪文を唱えながら、手の中で込めた魔力を瓶の中に注ぐ。
魔力が入った液体は一瞬青く変化し、透明に戻った。
「完成ですかね?」
アレクシス殿下に尋ねると、彼は頷く。
「うん。できたはずだよ」
マーガレット王女が指を瓶に入れ、中身を掬った。
「完璧! 売られているものと変わらないわ」
傷がないところに塗っても副作用はないので、彼女は手の甲に指を滑らせ、できたばかりの薬を試した。すると肌に触れた途端ティオの塗り薬は瞬く間に蒸発? した。
「性能も大丈夫そう! やったわターシャ」
「はい、やりましたね」
手が伸ばされる。私もその手に自分の手を合わせてにっこり笑った。