幼き日々のこと
『おかあしゃま何処にいるの……? ヒック、シアここにいるのーーおかあしゃまぁぁ』
黄金色の髪の毛に、澄んだ青色の瞳を持つ少女の周りには、風が発生し、弱いながらも周りの木の葉を散らしていた。
大泣きしている少女の周りに人影はない。恐らく両親とはぐれてしまったのだろう。そこに一人の少年が通り掛かる。
『どうしたんだい? そんなに泣いたら目が腫れてしまうよ?』
『おかあしゃまが……いないの……ヒック』
『はぐれちゃったの?』
うんと大きく振りかぶる少女を見て、少年は泣き止ませようと背中を優しくさする。
『僕が君のお母様を探してあげるよ。だからね、泣き止まないかい? きっと君は泣かない方が可愛いから』
『かわいい……?』
『そうだよ。君はとっても可愛い。泣かない方が絶対もっと可愛くなるよ』
『……そんなにいってくれるならわたし泣かないわ』
そう言って少女は涙を拭い、にっこりと微笑む。すると周りの風もピタリとやんだが、逆に少年は固まった。何故か目を見開いている。
『……? どうしたの? わたし、何かした?』
幼い少女は不思議に思いながら少年を覗き込む。
『あぁ……いや、大丈夫……何も……君はしてないよ……』
少年は瞳を潤ませながら少しの間俯き、やっと言葉を発した。
『しいていうなら……その、顔が近い……』
鼻と鼻がくっつきそうなほど、少女の顔が近いのだ。
『あっごめんなさい』
口元に手を当ててすぐさま少年から距離をとるが、次の瞬間彼女は彼に駆け寄る。
『おてて、けがしてる。シア、治すね!』
そう言って少女は少年の手を取り魔法をかける。手の周りに光が灯り一瞬にして彼のかすり傷は治ったが、逆に少女は疲れきったようにその場に倒れ込む。
『大丈夫っ!?』
直ぐに支えたが、体調がよくないようだ。
『へへ。疲れちゃった。でもあなたの手、治ってよかった』
朗らかに笑う少女、その言葉に手を見てみるとかすり傷が治っている。
『……念の為聞くけど、お母さんの名前は?』
『おかあしゃまの? おかあしゃまわね、アリアナって言うの! 炎の魔法が強いのよ!』
『そうか、そうだよね。……君の名前を────聞いてもいいかい?』
『わたし……? わたしはね、アタナシアって言うの! だからシアなの!』
にこにことしている少女と反対で難しい顔をする少年。その表情は複雑で唇が微かに動いた。が、風によってかき消される。
『ねえ、お兄しゃまは名前なんて言うの? シア知りたいなぁ』
『僕……? 僕は……ギルだよ。アタナシア』
ふっと少年は少女に笑いかけた。そうしてそっと少女の頬に触れ、感触を確かめるかのように頬に指を滑らす。少女はきょとんとしながらも次の瞬間には瞳を輝かせた。
『ギルしゃまって言うのね。素敵ね!』
『素敵?』
『そうよ。とぉってもすてき!』
『そうかな……ありがとう』
『シア!? シア! 何処にいるの!』
突然大声で彼女の名前を呼ぶ女性の声が聞こえてきた。恐らく少女の母だろう。
『おかあしゃま! シアここよ!』
少女はその声に反応して、大声で応える。
『シア!? それと……殿……』
『アタナシア嬢、君のお母さんが来たようだよ。もうはぐれちゃダメだからね? ここはとっても広いんだ』
すぐさま駆け寄ってくる女性は少年がいることに気づき、驚きの声をあげようとする。しかし少年は被せるように言葉を発した。
『分かったわ。ねえギルしゃま、シアとまた会ってくれる?』
アリアナに抱き抱えられる寸前、アタナシアは少年に尋ねる。すると彼は僅かに微笑みながら、また会えると伝えた。
そうしてアタナシアは嬉しそうに微笑んだ。
それを見たアリアナは密かに『ああこれはシアちゃん捕まったな。旦那さまには諦めてもらおう』と思っていたのはアリアナと神のみぞ知る。
◇◇◇
「これは夢ね……とても懐かしいわ」
夢から覚めた私は懐かしむ。
確か私が五歳で彼が七歳の頃──初めて出逢った日のことだ。
あの日私はお母様と王宮に行った帰り際にはぐれた。その不安で泣き始め、魔力を調節できずに風を発生させていたのだ。
寂しくて悲しくて、そんな時に声をかけてくれたのが殿下だった。
見知らぬ人だった彼に可愛いと言われて何故かとても嬉しくて、もっと言って欲しくて、泣き止んだのを良く覚えている。
それで手にかすり傷があるのを見つけて、使ってはいけないと言われていた回復魔法を咄嗟にかけてしまった。
相手がこの国の王子だったからまだ良かったものの、他の子息だったら弱みを握られるところだ。
帰ってから、疲れきってる私を見てお母様は回復魔法を使ったことを見抜き、こっぴどく叱られた。
「あの時は優しくて、私の王子様だわ! って思ったし、巷では紳士だって言われているけど、そんなの今の本当の殿下を見たら嘘よね。声を大にして言ってやりたいわ」
うーん、と寝台の中で大きく伸びをする。
「それに……あの日からいきなりギルと会う機会増えたわね。お母様と王妃様が仲が良くて友達にしたいと思っていても回数多かったような……?」
彼女はまだ知らない。あの後ギルバートはきちんと授業を受けるからアタナシアに会わせて、会わせてくれないのなら勉強も何もしないと宣言していたことを。
困った王妃と陛下は公爵夫人を通してギルバートにアタナシアと会わせる回数を増やし、しばらくの間、公爵は冷気を纏わせていて誰も近寄れなかったことに。
「さてと、まずはルーナを呼んで今日の予定を確認しよう」
私はベルを鳴らして専属侍女であるルーナを呼ぶ。
こうして私の一日は始まるのだ。
リリンという澄んだ音色と共に。