学校生活の始まり
「ソルリアから来ました。アタナシア・ラスターです。こちらの国に来たのは初めてでして、不手際があるかもしれませんが、これからどうぞよろしくお願い致します」
講堂の中、アルメリア魔法学校の新第3学年が集っている。彼らの好奇な視線が一身に集まる。
私は前々から考えた挨拶を述べながら頭を下げた。
ぱちぱちと拍手の音が聞こえて頭を上げれば、殆どの人が歓迎してくれているようだ。幾分か緊張がほぐれる。
「アタナシア嬢も自己紹介してくれましたが、彼女はソルリアからの留学生です。今のところ最終学年まで在籍される予定だから仲良くしてあげて下さいね」
一緒に来ていたヴィアリナ先生も補足してくれる。
「じゃあパートナーは誰に? 全員埋まってますが」
1人の生徒が声を上げ、私は目敏いなぁと思った。気がつかなくていい所を指摘してくる人っているわよね……聞かれずに済むと思ったけど無理か。
「あっそれは……」
チラリとヴィアリナ先生はこちらを見てきた。それだけで、即座に先生が答えなかった理由が分かってしまって、どうするべきか悩んでしまう。
先生は私が困ると思っているのだろう。どちらに転んでも厄介になるのは分かっている。
(どうせバレてしまうし、ここで言った方が手間が省けるかしら……)
「先生言ってくださいませ」
「いいの?」
「はい。おそらく嫉妬の対象にはならないので」
生徒がこんなに興味を向けているのは、この学年で残っている人がアレクシス殿下しかいないから。
多分私のパートナーはアレクシス殿下なのではないか? と思っている人がいるに違いない。
パートナーになる相手とは必然的に一緒にいる時間が長くなる。つまり、相手のことを他の人よりよく知れるし、仲を深められる。
そうなるとやはりなれなかった令嬢は嫉妬や妬みを持ってしまう。だから今までアレクシス殿下にパートナーはいなかったし、周りも抜け駆けする人が出てくるくらいなら……と思っていたに違いない。
だがそれがこの国の人間ではなくて、しかも同じ地位の者との婚約者が決まっている人がパートナーになるならば話は変わってくるだろう。
さりげなく左手につけている指輪を見せれば、ヴィアリナ先生は納得した。
邪魔になるなら外そうと思ったのだが、ギルバート殿下に肌身離さず付けていてと言われたので、外すのを止めたのだ。
まさかここで役に立つとは思ってなかった。
「アタナシア嬢のパートナーはアレクシス殿下よ」
「えっ!!!」
眠そうにしてた人も目を見開き、一斉に女子が鋭い視線を向けてきた。その圧に思わず1歩後ろに下がってしまう。
「…………どうしてアタナシア様はアレクシス殿下のパートナーになれるのですか? 今まで誰もなりたくてもなれなかったのに!」
続けざまに他の人が言った。私は面倒くさくなる臭いがした。
「それは彼女には婚約者がいらっしゃって、魔力の波長的にも合いそうだったからよ」
「婚約者?」
「私の婚約相手はソルリアの王太子、ギルバート殿下です。こちらに滞在する間、アレクシス殿下のパートナーを務めさせていただきます」
見せびらかしのようになってしまうが、左手の甲を前に出す。これで光る指輪が見えるだろう。
数年後にはどうなっているか分からないが、今のところは婚約者だ。
ザワつく室内。場を纏めようとヴィアリナ先生は一拍、手を叩いた。
「はい、それでは今年度もよろしくね。昨年よりもビシバシ鍛えていくから覚悟していて」
まばらに「よろしくおねがいします」と返ってくる。まだ納得いかない人もいるみたいだが……。
どうやら始業式はないようで、このまま授業が始まるようだ。ヴィアリナ先生に席に着くよう促され、何処に座ろうか考える。
(自由席のようね……マーガレット王女と一緒に座らせてもらおうかしら)
マーガレット王女が何処にいるか探すと、1番後方の左隅に座っていた。隣にはアレクシス殿下がいる。
黒板に近い方から遠くなるほど徐々に座る位置が高くなっていく座席。周りの視線を無視して段差を昇る。
留学生として来ている以上、ソルリアの評価は私の品位で決まる。粗相をしてはいけない。できる限りお淑やかに見えるよう、歩幅を狭め、背筋を伸ばし、優雅に歩く。
「アタナシア様、お隣如何ですか」
途中で声を掛けられた。どうやら1人の令嬢が空いている席を教えてくれたらしかった。
「御心遣いありがとうございます。ですが私、もう決めていますの」
軽く会釈してさりげなく断り、歩みを進めた。
歩く度に鳴る靴音。ひらりと微かに膨らむ赤チェックのプリーツスカート。筆記用具と教科書を胸の前で抱えるように持ち、目的の場所に着く。
(これで隣……ダメとか言われたらどうしようかしら)
とても困るのは目に見えている。けれど多分……断られることはないはずだ。
「お隣よろしいでしょうか? マーレ様」
私はわざと愛称で呼んだ。周りへの牽制のために。
愛称で呼ぶことで、元から交友関係があったと演出させる。
これをすることによって、例え彼らがマーガレット王女を疎んでいたとしても、友好国からの留学生、そして王太子の婚約者である私が彼女と居ることを表では悪く言えない。
なぜなら私に対する接し方は、アルメリアとソルリアの友好関係にも直結するから。
それくらい貴族として生を受けたのなら分かるはずだ。
勿論些細なことなら受け流すつもりだし、問題にするつもりは無い。しかし、見過ごせないような事ならば、ソルリアの方に報告をしないといけない。
加えてここには居ないが、王家直属──近衛騎士もアルメリアに来ている。さすがに護衛が四六時中一緒に行動するのは目立ちすぎるので、他のところに控えていてもらっている。といっても、学校内にはいるので、騎士の耳に入る話も全て王家に伝えられるはずだ。
これでも外交上の自分の価値は高い。アルメリアにとっても、ソルリアにとっても。
あくまでもこれらは表でのことで、裏は…………うん。私の耳に入らなければ、傷つかないし、気にならないし、全てをなくすことは不可能だからうまくやって欲しい。
要は耳に入らないならいいのだ。入ったら対処しなければならないのだから。
「っ! ええ大丈夫よ。どうぞ。──お兄様邪魔よ! もっと横に!」
マーガレット王女は後半の音量を落として、軽くアレクシス殿下を叩いた。
「わかってるよ……ずれるから……」
2人は1席分左に移動する。そして私が1番右端に座った。
「こんな場所でいいの? もっと前の方が見やすいわよ」
「いいんです。私はここに座りたいので。それに授業を受けたことはないですし、不安ですから知っている方の近くにいたいのですよ」
筆記用具を机上に置いて、教科書を整える。
元々目立つのは苦手だ。まあ、こんなことしたら目立つので行動と気持ちは矛盾しているが……。
「ならいいけど……視線が凄いのよね」
痛い所を突かれる。そうなのだ。私のせいで、生徒達の視線がこっちに向いている。
思わず手で払う仕草をしたくなる。現実でそんなことは出来ないので心の中で実行すれば、幾らかすっきりした。
「1時間目は魔法薬学だから先生が来るまでの辛抱ね」
教科書を開き始めたマーガレット王女。そういえば各長机の真ん中辺りに何かを設置するような穴が空いていた。2個前の生徒は、壁の戸棚から小さめの黒い鍋を出して、セットしている。
「ここで魔法薬を作るのですか?」
「そうよ。あっ私達も鍋を持ってきた方が良さそうね」
「私が持ってくるよ」
「お兄様ありがとう」
立ち上がろうとしたマーガレット王女に代わって、アレクシス殿下が戸棚の方に行く。
マーガレット王女は無色透明の液体を手元に出して、設置された鍋に注ぐ。
「これで準備完了。あとは先生が来るまで待機するの」
しばらく座っていれば、扉が開いて1人の男性が入って来た。モノクロ眼鏡に濡れ羽色の黒髪。青い瞳に、朗らかそうな人に見えた。
「はーいみんなお揃いかな? 今年度もよろしくね~。うわっ!」
男性は盛大に転けた。その拍子に抱え持っていた紙袋が宙を舞い、薬草らしき草が出てきた。
「ごめんごめん。ありがとう」
最前列に座っていた生徒が拾うのを手伝う。
「もう! しっかりしてくださいね。エリック先生」
「すまないね。助かるよ」
ずれたモノクロ眼鏡を直して、エリック先生と呼ばれた男性は立ち上がった。