王都(1)
ボスンッという音と圧迫感で目が覚めた私は、寝返りを打ちつつ再び夢の中に入ろうと開きかけた瞼を閉じる。
「────きて! 起きて! ターシャ!」
「んっ……? まだ………」
私は無視して夢の中に入ろうとする。それでも声を掛けてくる誰かがいる。
誰の声だろう。しかも私の周りにターシャ何て呼ぶ人は居ないはずなのに……。そこまで考えて頭が冴えてくる。
(私、ターシャって呼ばれた? ターシャ……?)
ターシャと私を呼ぶ人は一人しか居ない。ということはマーガレット王女?!
ガバッとシーツを跳ね除けて、閉じかけていた瞼を開ける。
「あっ起きた? おはようターシャ」
そこにはにこにこと笑いながら、淡い空色のドレスに身を包み、金糸雀色の柔らかい髪をポニーテールにして、私が寝ていたベッドの上にちょこんと座っているマーガレット王女がいた。
「マっマーレ……? どうしてここにいるのですか?」
「何故って? ターシャを起こしに来たのよ!」
エッヘンとしているマーガレット王女。一瞬、自分が寝坊したのかと冷や汗をかきながら窓に視線を向ける。が、外はまだ暁闇で、闇と光が混ざっている最中のようなそんな色だった。
「マーレ、今何時ですか……?」
「今?今は……確か五時半かな?」
「五時……半……マーレは早起きなのですね」
早い。マーガレット王女はとても朝が早いようだ。私の部屋に来たのが五時半だとして、彼女は既に身支度を終えている。身支度には一時間はかかるはずなのでマーガレット王女は四時半には起きていたことになる。
「いつもは違うわ! 今日は……そのっ……ターシャとお兄様と王都に行けるから……楽しみで…」
私が考えていることが分かったのだろう。マーガレット王女は慌てて弁明するが、声が段々小さくなっていった。
それが本当に可愛い。
「私も楽しみで昨日は眠れなかったです」
「………本当?」
「本当ですよ」
嘘をつくつもりもないし、嘘をついたところでマーガレット王女にはバレてしまう。それをマーガレット王女も知っているはずなのに上目遣いに潤んだ瞳を向けられてしまう。
「朝早くから失礼、アタナシア嬢起きている?」
不意にコンコンとノックがかかり、外から男性の声が聞こえてくる。
「あっお兄……様……だ」
慌ててベッドから降りたマーガレット王女はワタワタとクローゼットの中に隠れようとする。
「アレクシス殿下、私は起きていますけどどうされました?」
「妹のマーガレットはそこにいる?」
「……えっ……と……」
チラリとクローゼットに隠れているマーガレット王女を見ると、彼女は首を横にフルフルと降った。多分、居ないと言って欲しいのだろう。
「アレクシス殿下、マーガレット王女はいらっしゃいません」
「……そうかい。朝から失礼したね」
なっ納得したのかしら? 少しだけ声のトーンが下がっていたような気がするが、殿下の声には慣れていないのでそう思っただけかもしれない。取り敢えず場を凌ぎきったと思った私は安堵する。
「────アタナシア嬢、迷惑をかけたマーガレットのことを庇わなくていいんだよ。妹がここにいるのは伝えに来てくれた侍女達によって私は知っているから」
………前言撤回。アレクシス殿下は知っていた。これは私がここにマーガレット王女が居ないと言ったのが却って逆効果になった気がする。
「マーガレット、部屋から出てきなさい。出てこないならグレンに言うよ」
アレクシス殿下が言うと、マーガレット王女は間髪を入れずにクローゼットから飛び出し、ドアに向かって大声で話しかける。
「お兄様待って! グレンにだけは言ったらダメよ! 課題が増える!!! ターシャ! ターシャが朝食を食べて支度できたくらいにまた会いに来るわ!!! じゃあね!」
クローゼットから飛び出し、ガチャリとドアノブを捻ってドアを開けるまで約五秒。その速さと行動力はまるで嵐のようで目を見張ってしまった。
「アタナシア様、姫様がご迷惑をおかけいたしました。後ほどきつく叱っておきますので」
「いえ……私は大丈夫ですよ」
マーガレット王女と代わるようにシワひとつ無い侍女の服に身を包んだ方が入ってくる。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。私はマーガレット王女殿下の侍女長をしています。マリエラと申します。アレクシス殿下と姫様からアタナシア様の身支度を手伝うように言付けられていますので、朝のご支度をお手伝いさせていただきますね」
そう言いながら丁寧に礼をしてくれるマリエラ様。
「マリエラ様、ありがとうございます」
ルーナは先に学校の寮に入り、部屋の片付けをしてくれているのでいつもはルーナが手伝ってくれる朝の支度を手伝っていただけるのはとても助かる。
「様は必要ありません。アタナシア様は隣国、ソルリア王太子殿下の婚約者様でございますから」
「そ、う……ですか」
婚約者という言葉が重くのしかかる。どう未来が転んでも、殿下の隣には居られない。殿下の好きな人は私ではなくてローズだから。だから、彼の婚約者として見られるのは少し居心地が悪い。
それに何事も無く留学から帰国し、記憶の通りに日々が進むのならば帰国した時期には殿下とローズは出逢っている。
私はそこで殿下に婚約解消を懇願するつもりだ。既に惹かれ始めている最中に私から提案すれば穏便に解消することが出来るだろう。
そうすれば彼もローズと一緒になれるし、私は身を引けるので牢屋に入れられることはない。
婚約解消によって私は傷物になってしまい、家には迷惑をかけることになるけど罪を着せられ牢屋の中で死ぬより、解消の方が公爵家にとっても被害が少ない。
「では、アタナシア様ご支度を」
マリエラはマーガレット王女様が隠れたクローゼットとは別のところに出しておいた私の服を手に取り、私が着やすいようにしてくれていた。
彼女の言葉で婚約に関して考えてしまったけど今日は殿下達と王都に行くのだ。
今日は沢山楽しむと昨日の夜決めたのだからこんなことは考えないようにしよう。考えて気分を落として、本来楽しめる物を楽しめないのはダメだ。
私はそう考えてドレスの袖に手を通した。
◇◇◇
支度をおえて、マリエラにエントランスホールまで案内してもらうと、そこにはアレクシス殿下とマーガレット王女が既に待機していた。
「すみません。お待たせしてしまいましたか?」
「大丈夫だよ。それに朝は妹が迷惑をかけたね」
眉尻を下げて申し訳なさそうにするアレクシス殿下。朝もそうだったけど、その様子はまるでマーガレット王女の兄と言うよりお目付け役のようだ。
「いえ、迷惑だなんて思ってないので大丈夫です」
「マーガレットはこれからも君に迷惑をかけるかもしれないが、その時は教えてくれると助かるよ」
「本当にお兄様は私のお目付け役みたいよね」
マーガレット王女は私が思ったことと同じことをアレクシス殿下に言った。
「マーガレットの考えていることは双子の私が一番理解しているからね。必然的に侍女達も私の所に助けを求めに来るんだよ。迷惑だから何か問題を起こすのはやめてくれないか?」
「失礼ね。私は問題を起こしたくて起こしているわけじゃないのよ! それなら侍女達の求めに応じなければいいじゃない」
「それは出来ないだろう」
ぷんぷん怒っているマーガレット王女と、迷惑そうにやれやれとしているアレクシス殿下。何も知らない人が見れば兄が妹に対してとても迷惑を被っていると思うだろう。現にとても迷惑そうだ。
でもアレクシス殿下の瞳は恩愛が浮かんでいるし、マーガレット王女の瞳には信頼が浮かんでいるので、迷惑だと言っていても、そうは思ってないように感じる。
まあ身内でもない部外者の私がそう感じるだけで、当人同士の気持ちは違うかもしれないが。
私にもロンお兄様がいるけどこの双子殿下くらいに信頼し合っているかと聞かれたら答えは否。勿論、ロンお兄様とは仲がいいし、大好きだけど。
「それよりもお兄様、魔具を」
「うん分かっているよほら」
言い合いはいつの間にか終わったようで、アレクシス殿下は手に卵型の何かを出現させ、マーガレット王女はその何かの蓋を開けると中から指輪のような物を取り出す。
「はい、ターシャはこれを左手に────って指輪を既に付けてるのね。じゃあ右手につけて」
そう言って私の右手の人差し指に金色の指輪を取付ける。
「えっと……人差し指なら左手でも宜しいのではないですか?」
「うーんまあいいんだけど、ターシャの指輪とこの指輪は併用不可な気がするから……影響を受けない右手の方がいいわ。これは魔具だから」
魔具の指輪は普通の指輪と何か反発するのかしら?少し言葉を濁したマーガレット王女の言葉が気にかかるが、ソルリアにはこのタイプの魔具は存在しないのでよく分からない。
「この指輪はつけている者の姿が周りの人から見ると別人に見えるようになるの。同じ魔具の指輪をつけている者同士は姿の見方は変わらないわ。私達はこれを付けて街に行くの」
「そんな便利な魔具があるのですね」
「とても便利よ。元々この魔具はあったのだけど、お兄様が改良したのがこの卵型なの。従来の型は一個で二人までだったのを、お兄様は五人まで同時に付けられるようにしたの」
そう言って自慢げに話されるマーガレット王女。魔具に関しては私にはあまり知識がないので何とも言えないけど、きっと並大抵の事では改良なんて出来ないだろうし、アレクシス殿下はとても魔法が好きなのだろう。
「アレクシス殿下は魔法に関しては天才だとお聞きしていたのですが本当に凄いですね」
そう言いながらアレクシス殿下の方に視線を向けるととても嬉しそうに笑っていた。
「ありがとう。魔法は小さい頃から好きでね。特に魔法関連の物を改良するのが好きなんだ」
「さあ王都に行きましょう? 私、ターシャに案内したい場所沢山あるのよ!」
「それはとても楽しみです。案内、よろしくお願いします」
そう言ってお二人と共にエントランスホールを抜けながら、まだよく知らないこの国と王都に対して私は胸を弾ませた。